Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》08/7/10


岩村原太の「万国文化中心報告」vol.233

西陣における創作●その2

 「短編小説」は西陣ファクトリーGarden発の小スペース限定作品でしたが、翌週の創作は
400人規模の劇場を想定した中作品です。京都府立府民ホールアルティで初演した「百ねずみ」
と3部作を構成する「九十九かみ」。いずれ「百一み」とまとめて上演される作品「991001
01」の、オープニングパートです。

 「きゅーきゅーいちれいれいいちれいいち」。音楽と衣裳とダンスの関わりを出来る限り厳密に
検討しながら創作が続いています。発端はピナ・バウシュの作品研究からですが、装うための衣裳
を踊るために用いることの、その技術的な体験が私たちには不足していて、観る喜びを半分くらい
しか造形できていない気がする。

 あるいは音楽は踊りやすい楽曲を選ぶことになりがちで、聴く楽しみを半分も提供できていない
気がする。小規模な中劇場サイズでの上演を想定するならばシステムはしっかりと組めるわけで、
ゴージャスな音源を使うのにためらいは要りませんし。このシステムと音源の関係についても、私
たちには体験が不足しているのです。

 昔は録音の技術が無く、劇場に演奏家がいて、ダンスに合わせて音楽が作られた。実際の演奏に
代えて録音された音楽を使うならば、その理由を積極的に付与したいと思っています。その方法の
一つが再生音場の工夫です。プロセニアム劇場の場合、プロセニアムの奥をタブロウと把握して、
そのタブロウ全体から音を響かせる。

 例えば映画館での聴覚体験に近いやり方だと思いますが、実際のライブ演奏ではそのような音場
にはなかなか出会うことがありません。音楽の響き方としては極端にフィクショナルな方法だと思
います。「百ねずみ」ではそれが効果的でした。録音された音楽を額縁に入れて飾った感じになり、
とてもゴージャスな空間が現出しました。

 ではしかし、もとより録音されることを前提として製作された楽曲ではどうなるでしょうか。今
回の「九十九かみ」では昭和中期の歌謡曲を使おうとしています。まだウォークマンもなく、音楽
メディアとしてはレコードか、ラジオ・テレビが常識だった時代です。いずれにしても直径の小さ
な低音質スピーカでの再生になります。

 この場合では額縁の内側から大きく響かせることにはためらいを持ちました。実験的に室内用の
CDラジカセで再生したのですが、上手くありません。なぜその音楽を使うのか、をきちんと理性
的に説得される感じに乏しいのです。ゴージャス、というのはそれだけで納得できる状態を作りま
すが、そうでないものには理屈が要る。

 舞台中で再生する景も作りましたが、それはそれで唐突な感じが否めず、決して踊りやすいもの
ではありません。衣裳はその労作に比べれば実態が視覚されるだけ、まだしも現実的な対応が出来
ていると思います。つまり、音楽の真実味が空虚だと作品の成立が危ぶまれてしまうのです。何か
良い演出は無いか、未だに結論が出ません。

(2008/7/10) 


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