Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》08/4/1


岩村原太の「万国文化中心報告」vol.229

アンサンブル・ゾネ●シアター・カイ

 3月末は東京両国におりました。おなじみのシアター・カイ、アンサンブル・ゾネの
公演です。滞在中にわかに陽気がぶり返し、桜がいっせいに花開きました。京都の春も
穏やかで良いものですが、江戸の空、関東平野のさえぎるものとて何も無い大空に桜木
が枝を広げ、あたりを明るく薄色に染めるのも、また格別ですね。

 神戸KAVCに続いての上演ということで、蛍光灯とメタルハライドランプの構成で
す。要素を限定した照明計画ですから作業量は多くありません。むしろ、如何に平常心
を保ってノーマルに空間を維持するか、精神力が試されているような現場であります。
光は状況を提示するだけなので、いわゆる照明演出は全くありません。

 照明演出というと誤解を招きやすいですけれど、それはつまり、このコトを、モノを、
こうやって見てくださいね、という柔らかい導入を果たすのが岩村の思う照明演出なの
で、今回は音楽が特段に強く、観客を力いっぱい引っ張っていく傾向にあるものですか
ら、光は光として舞台に存在しようと、考えたり思ったりした結果です。

 見えるものと見えないもの、光が照明になるとき、を考察中です。モノが、コトが、
ただそこに存るだけの場では光はただの光なのでしょう。ところがある瞬間に自分が見
ている=観ているコトが光に照らされている、その光でそのモノを観ていると知ると照
明が立ち上がる。どうやら照明とは見ることを芸術にまで高める作業らしい。

 勿論「例え」としての謂いですが、味わうことを芸術の粋に高めるのが料理、と言う
のと同じ論法かも知れません。ポイントは、照明そのものが・料理そのものが芸術なの
ではなく、観る行為・味わう行為が芸術となる、という発想の仕方にあります。但し前
提となってしまう「芸術」とは何なのか、が議論そのものを危うくしますね。

 音は聞こえているときと聴いているときでやはり感じ方が変わります。聞こえてきた
音が耳に届き、そして耳に入ったそれを聴くとき、そこに音楽が生まれる気がします。
それからその音楽から想念が広がり、その場に無い音・その場に無い物事に思いが至る
と、感じているモノ・コトの層は格別に厚くなり、体験が豊かになります。

 その光がどこから来たのか、何の光なのかを示さずに舞台に置く。作業の始まりです。
見ている人がその光に照らされているモノ・コトに注目し、さて観ようとする瞬間にそ
の光が変わるのなら、そこに照明が誕生します。その光はどこから届いたのか、どんな
光なのかがその瞬間に、観る人の想念を押し広げる働きをするはずです。

 音が音楽になるとき、聞こえるものと聞こえないもの、光が照明になるとき、見える
ものと見えないもの。余り乱暴には結論を急げません。けれど、その会場に無い光や音
を観せたり聴かせたり、照明家が音楽家や作曲家から学ばなければならないことは沢山
ありますね、振付家や演出家との協働作業も大切にしながら、です。

(2008/4/1)


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