Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》08/12/16


岩村原太の「万国文化中心報告」vol.255

一つの歴史●劇場文化冷蔵庫論、愛知。

 鼓童と共に、つい先日も弦楽カルテット+コンテンポラリーダンスでお邪魔した愛知芸術文化センター・コンサートホールを訪れました。クラシックな貴石のカットにも見られる八角形の平面、対面する各辺が平行にレイアウトされ、垂直に吹き抜けて切り立つ壁面が懐かしい響きを創り出します。太鼓だから尚それが良く分かる。

 多目的ホールの市民会館などでオーケストラを聴くと、低音にかすみがかり、こもった唸りを伴う心持ちがして音の渦に巻き込まれるようなエネルギーを感じることがありますが、その洗濯機の底から見上げると直ぐの頭上を中音域の太いとぐろが巻き、さらにてっぺんには高音が泡だってぐるぐるしている。目くるめく陶酔のフラッターエコーが「味の素」ですね。昔馴染みのチョコレートパフェかバナナパフェ的。

 現在の自分の好き嫌いからいえば、もっと明瞭感があって音質分離の鮮やかな、多重トラック録音のCDをヘッドホンで聞くような聴取体験を望むのですが、かつては混沌とした音の奔流に身を預け(吹奏楽演奏の只中に身を置くような)情熱的に音楽を楽しんでいたことを思い出しました。どうやら内観の木質とはまた別のコンセプトが空間構成に潜んでいるように思われます。
例えば天井ドレープの秘密とかが。

 今回改めて芸術センターの巨大吹き抜け空間をエスカレーターで横切り、妙に天井の低い受付からさらに階段を4階分登って3階席に入ると、そこはシャンデリア(?)輝く(!)教会堂に似た空間、開放感と閉鎖性を操って造り上げた「すり鉢型の礼拝堂」に見えますね。シューボックスとワインヤード、その折衷を探るプロセスでデザインとしての教会堂が加味されたと読みます。パイプオルガンのレイアウトも冷静で敬虔な雰囲気ですし、そう読めばドレープは「天上」の記号かもしれません。

 思い返せばこの館の、大ホール?落としで山海塾が公演したのが15年前、贅沢と浪費の区別が無かった時期、高級と上質の差・本物の真実と装飾された綺麗さの違いは議論されていなかったのか、ロビーの通路感(穏やかに過ごすムードが不足気味)、場内導入扉のトンネル感(狭くて長い)等々、不思議な細部が多く思われます。ロビーの下手翼は全面のガラス張り、周囲に高層ビルが無く、見晴らしが効きます。

 ですから照明設備も当時最新のアイディアが現状でも機能していて、ディテールが優先した全体観のゴツさが迫力たっぷり。
使いにくいとか管理不自由とか、そうした神経質な議論を吹っ飛ばすような往時の日本のイケイケ気分がコンサートホールの全てを照らし出しているわけですから、いやぁ愉快、愉快。根底には中京地区の経済的好況が反映された精神世界があるはずですが、それはこれで楽しくて面白い。

 音の良し悪しは聞く人の好みも演奏の巧拙にも影響されるもので、まして、弦楽器と和太鼓では比較するのも難しいものだとは思いますが、りゅーとぴあのように地響きが湧き上がってくる感じはなく、打撃音の群れが渦巻いて立ち上がる感じでした。
怖くは無かったけれど、緊張感のみなぎる良い演奏会になりました。

(2008/12/16)


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