Arts Calendar/Art's Report site/《Report from TABISAKI》08/1/20


岩村原太の「万国文化中心報告」vol.223

ロクソドンタブラック●ダンスの時間

 セレノグラフィカ隅地さんのソロにお付き合いして、ロクソドンタブラック・ダンスの時間。この企画「ダンスの時間」は、昨年の岡登志子さんアンサンブル・ゾネ以来です。客席の造りを変えて、今回は下手側からの入退場となっています。

 同じ空間ですが、センター通路でなくなると客席の一体感が増し、より「対面」型の上演スタイルに印象されます。閉じ込められる雰囲気がいささか強く出るため、凝縮した空間の体験をします。皆で一緒に、という空気。途中では帰れない感じ。

 この「ダンスの時間」というプログラム独特の状況は、例えば「踊りにいくぜ」と比較するなら、両者それぞれ真逆の社会性を帯びて、地域と連携しようとしていることに端を発するように思います。丁寧に咲くか、華やかに根付くか。

 踊りに行くのは、ダンスの小さな花を熱心に愛でる、繊細で穏やかな空気が会場を覆う気がします。参加するアーティストにも屯田兵のような心構えが必要です。対して「〜時間」では、まずは大輪の作品が招聘されていることに特徴がありそう。

 現場の様子でいえば「よう来たなぁ」「また見に来てくださいね」的ウェルカムさが基本というか。つまり彩り鮮やかにダンスを経験する傾向のガラパフォーマンスを、庶民的な街角の、小劇場に展開する挑戦が、アットホームに継続している。

 皆で一緒にウェルカム。観覧者も出演者も互いに盛り上がって、ダンスだぜ。何がダンスかは問わず、気持ちが上向くのがダンスなんだ、と認識して見る。うつむいてしまったり目を閉じてしまうことが無いように、きちんと対面し続ける。

 パリの街にも、ひょんなところに小劇場があって、意欲的な日替わりプログラムを上演していたりするのを見たりしましたが、そういうことなのかなぁと思いました。観覧者も気配を消さず、観ようとする意思が「ダンス」を燃焼させるようです。

 自分にとっては踊り手の生理と作品の肌合いは全く別物なのですが、この会場の「対面」感覚ではそのギャップを味わうことは難しいですね。むしろ出演者の動物的な「舞台に立ち」「澄ます」生命観が伝わります。作品より踊り手を見る具合。

 普通より高い目の天井で3階建のビル、2階にキオという劇団の事務所があり(この小屋は彼らの持ち小屋です)、3階が楽屋になっています。屋上があって開放的なのが都会地にある劇場としてはかなり贅沢です。大阪の白い空が広がります。

 舞台を囲むように、2方向に客席があるのも面白いかも知れません。これだけの密度ならば、一緒に観覧しているお客さんの顔も見たいと思いました。120度ぐらいに開いた客席構成を試したいですね。

(2008/1/20)


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