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伊藤多喜子の「別冊 邦楽ノート」
vol.20

Arts Report 2010/3/20
「ー悠久への回帰ー 高橋秀」展(2010.3.5〜4.4)@岡山県立美術館

尾形光琳のいわゆる「琳派」にインスパイアされた(作家の言葉では「対峙」する)高橋秀氏の近年の作品群。金箔を貼った四角い跡がとぎれとぎれに浮かぶ。この金色と、漆黒、赤、緑という伝統的な色彩美の記号。このカッチリと記号化された色彩が、反対にまるっきり自由で、好き勝手な格好で踊っている。人間国宝のフリーパフォーマンスとでもいったら失礼にあたるだろうか。
キャンバスを大きくカットして、またパズルのように組み合わせた画面。じつは精緻な職人技が隠されているようにもみえる。その切れ込みが、絵そのものと関係ないような、あるような、絶妙の位置にあるのがどうしても気になってしまう。大人が堂々とする悪戯のようでもあり、なんかちょっと笑いそうになる。

次の展示室は、ぐっと若い年代の作品。さっきの「琳派」とまるで違って、幾重にも重なった線と暗い色彩が、深い苦悩のオーラを出している。もしこの当時、この作品に出会ったとしたら、同じ作家が後にあれほど色鮮やかでポップな作品を生み出すとは想像もつかないだろう。第5回安井賞受賞、『月の道』。無機質でザラザラした作品の中に、どうにかして後の作品の「芽」のようなものを見つけようとしたけど、さっぱりわからない。

午後から2階ホールで開催された記念シンポジウム「美術と社会」。登壇は高橋秀氏と、谷藤史彦氏(ふくやま美術館学芸員)、巌谷睦月氏(東京芸大博士課程)、岡田智美氏(山陽新聞社)、司会は江見肇氏(山陽新聞社)。このうち巌谷氏は、「秀桜基金留学賞」(高橋秀・藤田桜夫妻が私費を投じ、日本の若手美術家が海外に1年間遊学するための資金提供するというもの)を今年受賞した3名のうちの1名。てっきり作家だと思ったら研究者だった。

よく考えると、今回の登壇者は高橋氏をのぞいて全員、作家ではない。おそらくそれが功を奏して、シンポジウム全体が論理的かつ魅力的な言葉ですすめられていく。ふと、「芸術を言語化する」という考えが頭に浮かんだ。作品の解説とか、評論とか。アーツレポートもしかり。他人に何かを伝えようと思ったら(黙って連れていって直接見せる以外は)言語表現するしかない。

このとき高橋秀氏が、会場にいた美術専攻の学生から「先入観のためどうしても作品を素直に鑑賞できない。どうすればいいか」との質問をうけて返答した。「自分の生活習慣や既存の考えのすべてを脱ぎ捨てて、裸になって作品の前に立ちなさい。そうすれば1つや2つ、自分の中にふっと何かを投げかけてくる作品に必ず出会う。もし何も感じないとすれば、それが例えどんな有名作家の作品であろうと、あなたにとっては何の価値もないものだ」

芸術の言語化は、芸術と社会がつながるための必須条件かもしれない。しかし逆に、芸術と「私」がつながるためには、非言語化こそが必須条件かもしれない。・・・そんな考えが頭の中でぐるぐるとまわった。


主催/岡山県立美術館 山陽新聞社
特別協力/高橋秀展開催実行委員会



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