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伊藤多喜子の「別冊 邦楽ノート」
vol.16

Arts Report 2006/8/21
KANADE NEURON DRIVING TOUR@広島「OTIS!」

出演/KAiTOP RAKASU PROJECT. KANADE

邦楽=尺八、箏、三味線=とテクノ(電子)音楽、コーラスという編成のバンドKANADEはどちらかというと“B級バンド”で、演奏も平均するとそんな に上手いわけでもないのになぜか気に入ってずっと応援してきた。5年前に初めて広島に招いたときは邦楽色を強調した企画にしたが、今回は広島でテクノ音 楽をやってるRAKASU PROJECT.(落晃子)さんと知り合った縁でテクノ寄りの企画となった。ゲストにそのRAKASU PROJECT.さんと、KANADEと同じく京都からKAiTOPさん。

■KAiTOP
反戦をテーマにした作品を多く作っているというKAiTOPさん(格闘家みたいに大柄な男性)。一曲目はアメリカ大統領の演説をリミックスした「NO MORE WAR」。小さなライブハウスなのにスモークマシーンとレーザー光線を使うのが妙におかしくて、間隙的に白い煙を吹き上げ演奏者も見えなくなってしまう ほどのスモークと、そのスモークに映る蛍光黄緑色のレーザーが気になってじーっと見てしまう。

ちょうど8月の広島で演奏できるのは光栄だと紹介のあった「ヒロシマ」という曲は、真珠湾攻撃を伝える当時のラジオ放送の一部、行進する軍靴の音をサン プリングしたもの。飛行機(たぶんB29)のエンジン音、爆発音。最後に玉音放送。その全体が音響的にゆがめられ、ビートで刻まれて淡々と描かれる。
また別の曲では、光の強さに反応してサイレンのような音を出す小さな円盤を、天井についてるスポットライトに近づけたり離したりして音程をつくる。大男 が真剣に腕をのばしたり縮めたりする様子はこれも吹き出しそうになり、ここは笑うポイントかなと思うけど誰も笑わない。しかし耳に集中してみると、この 妙な動きで作られる音はたしかにバックで流れる音楽にマッチして、演奏として成立しているのがわかる。

どの曲もビート感はダンスミュージックのようでもあるが、会場のお客さんは静かに座って鑑賞し、演奏する(というよりノートパソコンのキーを時々押して いる)彼もただじっと立ち、観客のほうではないどこか遠くを見つめている。不思議な演奏スタイルだ。

■RAKASU PROJECT.
テクノでも、さっきのKAiTOPさんとはまったく違う観点で音楽をつくるRAKASU PROJECT.さん(小柄で賢そうな女性)。音楽というより、「物音」を電子音響によって再現したもの。たとえば水滴が滴り落ちる音をリミックスした 作品では、落ちるタイミングを音響操作で少しずつずらしていき、それがまた徐々に集約されて一点に戻る、というようなもの。
彼女の水は単なるH2-0で あり、重力によって落下する物体だ。「ヒーリング音楽とか、環境音楽とかいうのが大嫌い」といつも言っている。よく考えれば身の回りにこういう音は無数にあって、楽器によって作られる音など我々の耳に入るごく一部にすぎないのだろう。
余計な情感を極力排し、音を ただの音として絶対化することで、逆に我々はその音の中に人間味のある何かを映し出そうとして耳をすます。

それから、最近彼女がよくやるパフォーマンスで「テルブックミン」(テルミンという電子楽器の手法を、iBookで再現するというもの)によるサンサー ンスの「白鳥」。そもそも「傾いた場合に警告音を出す」ために開発された傾くと音程が変わるサイン音のしくみを、ノートパソコン用にプログラムして音楽 に利用することを思いついたという。めずらしさがウケて全国各地でライブパフォーマンスの依頼がくるそうだが、私はそれほどの興味を感じていない。それ より「よさこい節」(会場で説明はなかったが、彼女のお祖父さんが唄ったものときいていた)のリミックス作品はなかなか面白くて、知人の民謡歌手にぜひ 聴かせたいと思った。

■KANADE
核となるメンバー(作曲&コンピューター、尺八、三味線)以外は毎回のように顔ぶれが違うKANADE。今回はさらに三味線の野澤徹也さんがツアー参加 できなくて、大学の後輩という女性が加わっていた。彼女の三味線もなかなか上手い。さっきのRAKASU PUROJECT.さんのステージでは止まってたスモークとレーザーがまた復活。スモークの白煙で演奏者がまったく見えなくなったりするので、客席から KAiTOPさんがウチワで仰いでいる。こういう手作り感がまた面白い。ただ、どんなに面白いシーンでも客席は静かに鑑賞しつづける。

メンバーは替わってもリーダーのOKAさんの音楽は少しずつ進化して、その時点の組み合せに大きく左右されないのはテクノという音楽の特性だろう。当 然、こういう音楽の場合はライブよりCD作品のほうが完成度が高くなるものだが(電子音と和楽器の音量バランスをとり、会場に合わせてミキシングするの は非常に難しい)KANADEを聴いていつも思うのは、ライブにしてもCDにしてもあくまで謙虚に、悩みつつ先へ進もうとする姿勢をみせてくれる。それ に共感できるからこそ応援したくなる。今回のKANADEで5年前と明らかに違うのはビートの重さ。それと曲調が、すべてにおいて「憂い」を感じさせるようになったこと。OKAさん自身は 「おっさんテクノ」と呼んでたけれど。すべてが物憂く美しい曲だと思った。

そういえば今日聴いたバンドは3つとも、底抜けに明るいとか若い子が踊りたがりそうという雰囲気ではなかった。例えれば、3つに共通する感覚は「憂 い」。近世の都市で生まれたという、憂いを帯びた「都節音階」のことがふと頭に浮かぶ。彼らが拠点を置く京都の街では、今も物憂い音が好まれるのだろう か。あるいは30歳代後半〜40歳代の現実感覚が、憂いそのものなのだろうか。



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