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伊藤多喜子の「別冊 邦楽ノート」
vol.10

Live Report 2003/12/7
スーパー邦楽ライブ」「大津絵幻想&巨火」@博多座

出演/日本音楽集団

冗談かと思われるかもしれないが、日本音楽集団の公演を生で聴くのは今日がはじめて。もう遠い過去の話だけど、学生邦楽界では「集団」のコピーが当たり前だったのに(現在は違うかもしれない)、広島ではまだ一度も公演が行われたことがなく、そのままつい、機会を逃しつづけて今日になってしまった。

しかも、今日も広島ではないのだ。博多座という小屋もどんなものか見てみたいのもあって、このためだけに博多までやってきた。こういう和風な小屋も広島にはないので、ロビーも客席も、こげ茶色と深い赤の落ち着いた色彩で品のいいつくりになっているのをうらやましく思う。(それとさすがにロビーの土産物も弁当類も充実しているし、30分という長い休憩時間にはけっこう利益を上げていたようだ)

今日のプログラムの「大津絵幻想」は、わりと古い曲だけど日本舞踊をつけて新しい感じで演奏された。演奏者は舞台後方の黒紗幕の後ろ。せまいので斜めにセットされていて指揮者が上手端にいるのも形式として面白かったが、音楽に無理やり合わせたような日本舞踊の振り付けは、残念ながらそこまで洗練されたものには思えなかった。
“音楽にのって踊る”というより、むしろ、美しい姿形を愛でて楽しむ要素を前面に出したほうがよかったのに。
実際、今日の看板となっている花柳の先生は目が釘付けになるくらい美しく、ちょうど花道横の席にいた私の目の前でせり上がってきた藤娘など、そのままそこでじっとしててもいいよ、というくらいだ。

その点、最後の「巨火」(ほて)は、打楽器4名を舞台の4隅にセットし、上手側手前の打楽器兼指揮者が太鼓を打ちながら時々バチで指揮をするというユニークな曲。
かねてから邦楽にどうして指揮者が必要なのか疑問に思っていたので、指揮イコール打楽器、という明解な曲の形式には素直に納得してしまった。
西洋のオーケストラを真似た演奏形式も30年前には斬新だったかもしれないが、今はもうはっきり言って滑稽だし不自然に思うのは私だけだろうか。

ただ、終演後に打楽器のT先生にそのことをきいてみると「指揮者がいないと、どうしてもノリだけで合わせる無難な演奏しかできなくなるから、結局、思い切った演奏をするには指揮者がいたほうがいいんだよ」ということだった。

この「巨火」は、曲の中で4人の打楽器奏者が順番に白いタスキの端をもって空に投げては派手なタスキがけをしていき、最後には尺八と笛の奏者(全員男性)がいっせいに同じようにタスキがけして演奏するというパフォーマンスがあり、ビジュアル的にも面白い曲になっている。
邦楽の演奏形式も、こんなふうにもっと日本人なりに工夫していったらカッコよくなるのになあ。

それともうひとつ気づいたのは、演奏は小編成の古典曲から全員の大合奏まで、すべて一人ずつにPA(マイク)が使用されていた。日本音楽集団のこの人数と楽器数の多さというのは、音量を大きくするためではなく、音の種類を豊富にするためだったのだ。いろんな意味でもう少し早く、できれば学生時代に生で聴いておけばよかった。

主催/福岡邦楽振興会


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