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伊藤多喜子の「別冊 邦楽ノート」
vol.5

Live Report 2003/5/17
長屋和哉コンサート in 熊野@玉置神社

出演/長屋和哉(per)

紀伊半島の熊野地方、大峰奥駈道(奈良県吉野と和歌山県熊野の霊場を結ぶ険しい山道で、修験者たちの修行の場)のほぼ南端に位置する玉置神社でコンサートを聴く機会に恵まれた。パーカッションの長屋和哉氏のソロ。「ガイアシンフォニー(地球交響曲)」というオムニバス・インタビュー映画にも音楽を提供しているちょっと不思議なアーティスト。こんな山奥に泊まりがけで全国各地から100人以上も集まってきている。テレビ番組にもなるらしく取材クルーが何人も詰めていた。

運営スタッフたちと一緒に早めに到着したので、杉の原生林に包まれた境内をうろうろしてみた。夕方近くなってふと気がつくと、神社もろとも山全体が霧に包まれてきている。気温が下がり、霧が肌をなでながらどんどん山の上のほうへのぼってゆく。霧が充満した標高約1000mの原生林はひんやりした山の空気なのにモンスーンのにおいがして、まるで屋久島の原生林がそのまま北上してきたみたいだ。亜熱帯の屋久島は地面にシダ類が生えているが、ここでは赤茶色の杉のチップが堆積して下草を刈ったように整然としている。玉置神社の境内から雅楽の音色がきこえてきて、どこかでお勤めでもしてるのかなと思ったらBGMだったのでちょっとがっくりきてしまった。日本人はどうしてこうもBGMが好きなんだろう。

すっかり暗くなった頃、コンサート会場となる社務所の建物(国重要文化財)に入る。金属パイプを四角く組んだやぐらに、仏壇の鉦みたいなものや板金のようなものなど金属製打楽器がたくさん吊られている。それにウィンドチャイムが4台(よく見ると五寸釘をぶら下げた手作りのものもあった)、ハンマーダルシマ(楊琴)のような楽器が2台。音楽でもっとも重要なポイントは現代性とリアリティであると信じる私は、PAのセットがきっちり組まれているので正直ほっとした。

正面に燭台があり、20分で燃え尽きるという小さなろうそくに長屋氏がライターで火をつけた。儀式ばったところはなく普通にやってるのがかえっていい。ろうそくが燃え尽きたらちょうど20分の1曲が終了、まん中で休憩をはさんで4曲の構成だと自分で説明して演奏に入る。

4曲はそれぞれ楽器編成が違っていて、長屋氏はやぐらのまん中に座り、曲ごとに自分が向きを変えながら演奏するというしくみ。いずれもテンポの早い曲で、想像していたようなヒーリング系のゆるい曲とはぜんぜん違う。もともとギタリストだったらしく、ハンマーダルシマの演奏はまったくギターのアルペジオに近いものだ。機械的な感じのする中国の楊琴演奏に比べてぐっと人間味が出ている。

演奏の様子を見ていると、毎回曲の終わりに近づいたころリズムにのって身体を大きくゆらしながらも、ろうそくの燃え具合を確認している。いつ終わるのか何がおこるのかわからない単なるインプロ(即興)演奏より、きちんと練られた計画的な演奏には好感がもてる。なぜなら現代人の時間感覚がすでにそうだからだ。そして計画性の中での偶発性のおもしろさ。

曲間のトークで熊野の火祭りに参加した体験と、そのときに得たインスピレーションについて淡々とさわやかに話す。むずかしい話だが観客はみんな理解しているようだ。
笑い所のないマジメなトーク。しかし誠実な人柄が伝わってくる。

そういえば今日の会場には音楽好き、ライブ好きのノリで盛り上がるような雰囲気がまったくない。どうみても真夜中のライブバーなんかで出会えそうもない“いい人”集団の圧迫感。かといってクラシックファンのノリともどこかちがう。音楽を超越して何か別のものを聴いている人たちの中で、音楽関係者の私のほうがまるで異質の存在。音楽の捉え方にはこういうのもありなのかと感心してしまった。

翌朝、山男として知られる某ジャズベーシストと合流し、玉置山山頂から1時間ほど歩いて奥駈道の行場「宝冠の森」というポイントに向かった。森というより断崖絶壁の先端。そこから鋭角にとがった山々と谷間をうねる熊野川を眺めておにぎりをかじったら、なんだかお行儀よく閉じ込めていた自分がやっと戻ってきて、思わず笑顔になった。

主催/千の熊野プロジェクト運営委員会


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