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伊藤多喜子の「別冊 邦楽ノート」
vol.9

Live Report 2003/10/11
広島交響楽団第233回定期演奏会@広島厚生年金会館ホール

指揮/秋山和慶
出演/広島交響楽団、林英哲(和太鼓)

広島出身の世界的な和太鼓奏者、林英哲が広島交響楽団のソリストに招かれるときいて、何ヶ月も前からずっと楽しみにしていた今回のコンサート。同じプログラムで1週間後にロシア・サンクトペテルブルグ公演が予定されている。

白状すると私は林英哲の追っかけに近い。最初は10年ほど前に東京のサントリーホールまで聴きにいったし、ようやく数年前より何度か実現した広島での公演もすべて聴いた。そして毎回、彼のステージの高い芸術性と精神性、音だけでなく視覚的にもすべてが美しくデザインされた心地よさに、魂が震えるような感動を味わう。そしてそのたび、絶対に次回も聴きにいこうと決心する。

今回の演奏曲は、1曲目がこれも広島出身の作曲家、細川俊夫の「遠景III〜福山の海の風景〜」。つづいて松下功の和太鼓協奏曲「飛天遊」。最後にラフマニノフの交響曲第2番。広島、日本、ロシアを表現したプログラムだという。

細川俊夫は広島でも何度かレクチャーコンサートの企画があって、ヴァイオリンや十七絃箏の独奏、二重奏といった小編成のものを聴いたことがある。広響の演奏で細川作品を聴くのは2度目だが、こういうタイプの謎めいた現代音楽は、残念ながらオーケストラより室内楽のほうがはるかに面白い。

松下功の「飛天遊」は以前から一度聴いてみたかった曲だ。管弦に比べ、ただでさえ指揮と合いにくい打楽器、観客にまっすぐ背を向けて大太鼓に立ち向かう“英哲スタイル”に、指揮者は一体どうやって対峙するのだろう。
でも演奏がはじまってみると、このおなじみの秋山和慶氏は、私の心配をよそにこれまで見せたこともないような全身全霊の動きでオケをひっぱり、英哲の和太鼓にふさわしいテンションに引き上げている。真剣さは客席にかならず伝わってくる。それにしても英哲の美しさ! 完璧、というものが、実際この世に存在するんだなと本気で思う。

ところがである。この感動がわずか1時間ほど後に台無しにされてしまうとは。
ラフマニノフもアンコール1曲目もそれぞれいい選択だったのに、文字どおり蛇足のアンコール2曲目が、なんと日本民謡のアレンジ作品。無理して締太鼓を打ったり、拍子木っぽい演奏をクラベスでやらされてる打楽器パートの気の毒なこと。
そのうえアンコールという気のゆるみからか、それとも不慣れな民謡のフレーズだからか、とにかく「ほど遠い」演奏に唖然としてしまった。(ひとつだけほめるとすれば、フルートのソロはそれでも邦楽的な呼吸をつかんだなかなかのものだったけど)

この曲は外山雄三の作品らしいが、普通これをわざわざ英哲の演奏のあとで取り上げるだろうか? もちろん曲自体がどうこうというわけではない。この場において、この曲を取り上げるという姿勢に疑問を感じるだけだ。

つまり、せっかく海外で広響の演奏を聴いてもらうチャンスなのに、なぜ、広響として“得意中の得意”の曲で本領発揮しようとしないのか? なぜ、海外に行くことになったとたん、これまで興味も示さなかった邦楽を取り上げ、不慣れな「日本」を演じようとするのか? そんなことをするくらいなら、広響がこれまで地道に演奏し実績を作ってきた音楽を、たとえ外国のものであっても、日本人の解釈で堂々と演奏してほしかった。

さっきまで、さすがは広響、サンクトペテルブルグ公演で林英哲をソリストに選ぶとはこの上ない選択と誇りに思っていたのに、それさえも真意はどこにあるのか、英哲の価値を彼らは本当に理解しているのだろうかと不信感がわいてくる。今日のコンサートに英哲目当てでやってきた和太鼓関係者たちも、きっと同じ思いだろう。

逆にたとえば、今回のソリストが邦楽と関係ない人だったら、こういうのもいいと思う。「アンコールのご愛敬」で楽しく演奏すれば、かえって好感がもてるはずだったのに。

ひとつひとつの要素が間違いのないものであっても、組み合わせを間違えればとんでもないことになる。言いなりに演奏するしかない団員たちのためにも、企画内容にはもう少し注意をはらってほしい。
あの「飛天遊」の感動は水の泡となり、がっかりしながらコンサート会場を後にした。

主催/広島交響楽団


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