Arts Calendar/Art's Report site/《MIKI*music scape》Charles Edward Ives

MIKIの「音楽のある風景」

vol.1
「チャールズ・アイヴズ」

 先日、美学会の例会に行って来た。お目当ては、チャールズ・アイヴズ(Charles Edward Ives:米 1874-1954)という作曲家についての研究発表だった(発表者は関西学院大学の服部智行氏)。
 
アイヴズは、賛美歌などからの旋律の引用、そしてそれらをあまり手を加えずに自由にコラージュして作曲していくことで知られている。引用されるのは、教会に行く習慣を持つ者にとってはなじみのある旋律ばかりで、クリスチャンの私などは彼の作品を聴くと、「なつかしい音楽」という感じがする。彼の作品の評価については、「アマチュア」であり、「趣味の領域である」とする受けとめが一般的だ。彼が、生業として「作曲」していなかったからである。彼は保険会社を経営し、ビジネスの世界で一応の成功を収めていた。そのイメージは「道楽として作曲をする、裕福なインテリ」そのものだ。

 で、作品を見ると、プレーヤーとしては非常に腹の立つ作曲家だろうと思われる。「弾きがいのない音」、つまり音として聴きとることのできない旋律がやたらに出てくる。しかも、そういう箇所に限って、めちゃくちゃ難しい。私がプレーヤーであったら、「いったい、なんでこんなことをやってなくちゃならないんだ?」と苦々しく思いながら、苦行のように弾き続けるにちがいない。

 実際、彼のピアノを使った作品には、演奏不可能な箇所がある。発表者によると、アイヴズ自身は、その指摘に対して「指が10本しかないのは、私のせいではない」と言い放ったらしい。この発言の際に問題となっていたピアノ譜には、10本の指では足りない和音が書かれていたのである。そのような曲を書いた理由として、彼は「耳にきこえてきた音を、とにかく書いた結果なんだ」という。これを、作曲家の傲慢と言うべきか、それともアマチュアゆえの無謀と言うべきか、はたまた演奏家に媚びを売らなくても良い気楽な身分のなせる技と言うべきか・・・・。正直、判断がつきかねる。

 ある時からアイヴズは、自分の作品が実際に演奏されることを期待せずに作曲し続けていたらしい。だから、紛失してしまった楽譜も多く、それが彼の作品の創作過程の理解をいっそう難しいものとしているようである。彼自身は、エール大学で作曲の専門教育を受けていた。そのような彼が、「演奏されそうにない」曲をせっせと作曲していたことを思うと、私は作曲することへの、彼の思いにふれる気がするのだ。

 成果の出るあてもなく、どこへたどり着くのかもわからず、ただひたすら続けるというのは、苦しいものである。それができるのは、「ひたすらやり続けること」そのものを「喜び」とし、それによってエネルギーをもらえる場合だけだと思う。

 アイヴズにとって、「作曲する」ということは、彼に最初に音楽の喜びを教えてくれた父への思い出をなぞるものであったという。いずれにせよ、アイヴズのおもちゃ箱をひっくり返したような音楽世界に、どこからともなく聞こえてくる素朴で懐かしい賛美歌や聖歌からの引用は、いつも私に「ただひたすらに続ける」ということのシンプルな重さを思い起こさせてくれる。


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