Arts Calendar/Art's Report site/《MIKI*music scape》Ars

MIKIの「音楽のある風景」

vol.2
「癒しのArs」

 日付を見ると、もう3年も前のことになるのだが、あるシンポジウムで山崎正和氏がArtの語源であるArsには、本来三つの意味があったというようなことを話しておられた。その時のレヴューを私が書いているので、それを引用すると、「人間の歴史の中で長い間一つの言葉『Ars』で表されていた『芸術』『技能』『作法』は、生活に機械が導入されるようになった18世紀以降、次第に分離されていった」ということだ((財)兵庫現代芸術劇場『表演芸術 第8号』72頁)。
 「芸術」というのは今でいうFine Arts、技能というのはTechnologyのことだ。さて、「作法」がArtの意味に含まれていたというのは、例えばどういうことが想定されているだろうか?

先日、私に洗礼をさずけてくれた牧師さんが93歳で亡くなった。その牧師さんは、亡くなる直前まで「現役」だった。私たちの教会はプロテスタントの中の一派である。その小さな集まりを60年以上担当してきた彼のお葬式は、なんとカトリック教会で行われたのである。立替のため、会堂(礼拝堂)がなかったからだ。別の場所に小さな仮会堂があったが、彼の長い牧会生活でかかわった人たちの数は、そんな仮会堂ではとても収まるものではない。どうしようもなくなって、目と鼻の先にある、しかし私たちプロテスタントの信者にとっては最も遠い感じのするカトリック教会で、彼のお葬式は執り行われたのである。

 予想通り、会場いっぱいの参列者があった。多くの者にとって、そのカトリック教会に入ったのは初めてだった。そして入った瞬間、みんなが目を奪われたのだ。広々とした会堂、金の地に鮮やかに描かれている祭壇の聖画、一面にあふれる花々の中に納まる棺。きらきらした光が、モダンなステンドグラスをつらぬいて、それらすべてを光り輝かせていた。荘厳に鳴り響くパイプオルガンの響きは、その光線を音にしたようだった。笙が雲間から差し込む光を表現して作られたと言われるが、真実のように思えた。

 何度も言うが、会場のカトリック教会は私たちの教会から、歩いて1・2分ほどの距離のところにある。しかし、すべてが、全く違った。いいとか、悪いとかいうのではない。「お葬式」という「作法」が、死者のためにあるのではなく、残された者のためにあるということを、ただ、思い知ったのだ。

 光や美術作品の語る様々なメッセージ、パイプオルガンの音、歌、牧師の追悼説教、会衆のすすり泣く声、会場に漂う花の香り、その中のかすかなお香の香り、木の香、それらすべてが私たちの感覚に訴えかけていた。そして私たちは、葬儀の中にあるすべての要素によってつくり出された「作法」に則って、悲しみを受け入れることを促されたのである。

 Arsが「作法」であり、人間は何よりも慰められ癒されるために、そしてそれによって現実と向き合うためにArsを必要としてきたのだ、ということを痛感した日だった。


MIKIの「音楽のある風景」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室