こぐれ日録 KOGURE Diary 2017年5/8〜5/14


こぐれ日録1057 2017年5/8〜5/14A

5/8(月)

3つのゼミ。
2回生の教科書ゆっくり読み。抽象的なのでなかなかついてくるのが大変そう。
共和制と民主制との違い。政治システムと経済システム。社会システムと言うのは、市民(社会)システム、あるいはNPOシステムとどこかで言い換えたいかも。
3回生ゼミ。京都市などに応募する実践的グループワーク。まずはトライアルということで。
4回生ゼミ。すこし名字とか方言とかで豆知識とか、地域文化差の確認なども。でも、基本、みんないまは就活の悩みなどに支配されているようなので、リラックスする季節。7月前後からは卒論へと舵を切らねば。

夕方、進路指導課長との打ち合わせのあと、第1回市縁堂2017運営委員会。
寄付とは何か、寄付文化でどう市民活動を継続的に行うようにできるのかがを議論。

安倍晋三記念少学院絡みで、安倍さんが、それなら、自分ではなく、吉田松陰記念とすべきだといったという話が妙に気になって買った新書、『吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」』。
松陰神社というのも、安倍昭恵さん関係でよく登場する。戦前の軍国日本という安倍さん的美しい日本に於いて、大事な人物(神格化後)が、この吉田松陰さんなのだろう。

一坂太郎『吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」』 (2015年、朝日新書)
<純粋で俗人離れした異端者の松陰。義弟の立場をかさに着て松陰を徹底的に利用した政治家・玄瑞。玄瑞は、松陰のことを「尊敬はしているものの、付き合うには苦手なタイプ」と思っていた節がある。しかし、安政の大獄によって松陰が非業の死を遂げると、その死の利用価値に気づいたのもまた玄瑞だった。やがて玄瑞は、亡き松陰を尊王攘夷のシンボルとして祭り上げていく。>
p3
<「吉田松蔭」がもてはやされるのは、幸福な時代ではないように思う。
 松蔭は没後、さまざまな政治的な理由により、偶像化された。…「忠君愛国」のシンボル隣、「修身」の教科書にも登場する。…
<松蔭には、国の要人を殺して物事を解決しようとする「テロリスト」としての一面もあるのだが、そうした不都合な部分は極力封印されてしまった。…>
p202
<史料編纂作業の過程で、亡き松蔭を祭り上げて自分たちの活動に利用しようとする(久坂)玄瑞の「策士」というか、「政治家」としての一面が見えてきたのが、特に興味深かった。試写をシンボルとするのは、実に賢明だ。生身の人間は大抵メッキが剥がれるものだが、死者はいくらでも都合よく変身させることができる。>


5/9(火)

いつもの火曜日。
午後から小雨。
帰って、文楽を少し観た。
なかなか最初のところは観ないので、なるほど、こう加古川源蔵の繋がりはこうだったのかとかあれこれ。

人形浄瑠璃文楽名演集 通し狂言 仮名手本忠臣蔵 DVD-BOX 全6枚セット http://www.nhk-ep.com/products/detail/h15156AA
<NHKと国立劇場の協力により文楽三大名作がついに完結、「仮名手本忠臣蔵」完全収録!
今は亡き名人や人間国宝・竹本住大夫、鶴澤清治、吉田簑助らの名演を収録した決定版!!
『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』とともに、文楽の三大名作のひとつと評される『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)。NHKと国立劇場に保管されているアーカイブ映像より、全十一段をDVD6枚に収録。DVD-BOXには、購入特典として床本集を封入。>

Vol.1
◆大序
『鶴が岡兜改めの段』 竹本相子大夫・竹澤団市 ほか
『恋歌の段』 竹本三輪大夫・竹本南都大夫・鶴澤八介 ほか
塩谷判官/吉田文雀、高師直/吉田作十郎、顔世/吉田和生、若狭助/吉田簑太郎(現・桐竹勘十郎)ほか]
(平成12年9月 国立劇場小劇場:国立劇場公演記録映像)
◆二段目
『桃井館力弥上使の段』 竹本緑大夫・鶴澤清介
『本蔵松切の段』 豊竹小松大夫・野澤勝平(3代 野澤喜左衛門)
[本蔵/桐竹勘十郎(2代)、戸無瀬/豊松清十郎(4代)、若狭助/吉田玉松、力弥/桐竹紋寿 ほか]
(昭和51年12月 国立劇場小劇場:国立劇場公演記録映像)


5/10(水)

いま読んでいる小説。
桐野夏生『女神記』(角川文庫、2011年。2008年単行本)。
新書では古いものだが、結構知らないことが多い「交響曲」のものも並行して読んでいる。

京都駅前のホテルで互助会の歓迎会。
日本文学の先生から、横光利一の実家が山科にあって彼が里帰りしていたという話を聞く。
あと、萩原朔太郎の初期の詩に山科が出て来るそうだ。「夜汽車」(1923年)。
授業で志賀直哉『山科の記憶』などをすこし紹介したとも聞く。
山科醍醐の文学資源の活用はまだまだ検討しなくちゃと久しぶりに思った。


(参考)
白秋の恋を歌った?「夜汽車」/面白い!中也の日本語 - 中原中也インナープラネット http://chuya-ism.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-ceef.html より
(萩原)朔太郎の詩は白秋主宰の雑誌「朱欒」に発表されました。
その最初の詩が「夜汽車」(はじめは「みちゆき」。後に改題)でした。

『夜汽車』
有明のうすらあかりは
硝子戸に指のあとつめたく
ほの白みゆく山の端は
みづがねのごとくにしめやかなれども
まだ旅びとのねむりさめやらねば
つかれたる電燈のためいきばかりこちたしや。
あまたるき”にす”のにほひも
そこはかとなきはまきたばこの烟さへ
夜汽車にてあれたる舌には侘しきを
いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ。
まだ山科(やましな)は過ぎずや
空氣まくらの口金(くちがね)をゆるめて
そつと息をぬいてみる女ごころ
ふと二人かなしさに身をすりよせ
しののめちかき汽車の窓より外(そと)をながむれば
ところもしらぬ山里に
さも白く咲きてゐたるをだまきの花。
(三好達治選「萩原朔太郎詩集」岩波文庫、1990年11月15日第47刷発行より。傍点は” ”で示しました。編者。)

また途中で寝て守口市まで行ってしまった。でも、この日のうちに家に到着。

年に一回の健康診断。
体重やウエストはまあ増えた。ウェストのアップが想定以上。
血圧はオーケー。問診ですこし脈が早いと。これはけっこう昔から早かったな。ちょっと気にしておくべきか。


5/11(木)

2週間ぶりの近大授業。2限目のほうが減少している(63⇒48)。
どちらも、伝統芸能と演芸を合計7つ区別するという時間にした。劇場中心とマネジメント中心という軸心はすこし違うのだが。

帰って、来週のプリント作成後、劇場文化論で使おうと思っている『ロミオとジュリエット』ねたをチェック。
しかし、早口だから、台詞がかなり聞き取りにくく、どちらも魅力的な役者さんなのにもったいない感じがする。舞台美術や照明は鮮やか。蜷川幸雄さんに対してはほとんど思い入れがないのは、観たのが数回だからだろうし、商業演劇に行ってから自分が小劇場演劇を見出したからだろう。

 「ロミオとジュリエット」
2004・12/4〜12/28 日生劇場
2005・1/15〜1/23 シアター・ドラマシティ
※名古屋・福岡・広島・新潟、他で公演
[スタッフ]
作:W・シェイクスピア/演出:蜷川幸雄/翻訳:松岡和子/装置:中越司/照明:原田保/衣裳:小峰リリー/ファイトコレオグラファー:國井正廣/演出助手:井上尊晶/舞台監督:白石英輔
[キャスト]
ロミオ:藤原竜也/ジュリエット:鈴木杏/僧ロレンス:瑳川哲朗/キャピュレット:壤晴彦/キャピュレット夫人:立石涼子/乳母:梅沢昌代/マキューシオ:高橋洋/モンタギュー:妹尾正文/モンタギュー夫人:スズキマリ/ティボルト:横田栄司/パリス:月川勇気/他
参考
http://www.moon-light.ne.jp/news/2014/04/ninagawa-romeo.html
<「ロミオとジュリエット」は、蜷川幸雄が初めて手掛けたシェイクスピア作品。
また、松本幸四郎・中野良子出演て?1974年5月に日生劇場で上演された、初めての商業演劇の演出作でもあります。
同作は、本田博太郎・藤真利子出演で、1979年に帝国劇場にて再演。
また、1998年には彩の国シェイクスヒ?ア・シリース?第1弾として、大沢たかお・佐藤藍子の出演で上演。
2004年には藤原竜也、鈴木杏の出演で日生劇場でも上演されています。>


5/12(金)

小劇場演劇のなかでも20歳代の若い世代の劇団をちゃんと追っていなかったのだが、すこしずつ案内が来るようになって、同じように見えていた劇団間の差異などにも目が行くようになってきている。
でも、まだまだ役者さんの顔も名前も覚えていないのが現実。ただ、今日も案内してくれている女性はよくみる役者さんだなあとか、そういうことは少しは分かる。

アトリエ劇研であと何度お芝居を観るのだろう、8月末までだから・・・
今日は劇団しようよ。2つマチネもソワレも作者の柴幸男(ままごと)さんのアフタートークがあったのだが、少し体力的に自信がなくて、失礼した。しかし、劇団名が2つとも繋がっている。努力クラブというのも近い感じ。

マチネで観た、劇団しようよの『あゆみ』は、去年の秋観ていたので、同じ戯曲がどうなるのかが楽しみで、男性ばかりだとこうなるのねえ、すこし荒々しいなとか思って観た。

(参考)劇団エクステ#2.5『あゆみ』神戸アートビレッジセンター(地下1階) http://kogure.exblog.jp/23256632/

ソワレの『TATAMI』(110分弱)は、ニットキャップシアターの門脇俊博さんだけが同じで、より芝居を長くやっている4人が『あゆみ』とは反対に、人生を畳んでいく、という話を、マイホームの解体にも繋げて描いていき、ぐっと来た。アトリエ劇研自体のたたみ方にもつながって行くし。

https://stage.corich.jp/stage/80693
アトリエ劇研 創造サポートカンパニー 3ヶ年プロジェクト《movement2015-2017》vol.3
劇団しようよ
『あゆみ』『TATAMI』
劇団しようよのアトリエ劇研での実験公演最終章。
3年目は、プロジェクト初年の2015年に上演した『あゆみ』。2015年に横浜で上演された『TATAMI』。
柴幸男さん作品、二本立ての公演に取り組みます。
(※『TATAMI』は、2015年にKUNIO12『TATAMI』のために書き下ろされたものです。)


|作|柴 幸男(ままごと)   |構成・演出|大原渉平
|出演|
『あゆみ』
門脇俊輔(ニットキャップシアター/ベビー・ピー) 金田一央紀(Hauptbahnhof) 
土肥嬌也 高橋紘介 楳山蓮 御厨亮(GERO) 森直毅(劇団マルカイテ) 大原渉平 吉見拓哉
あごうさとし(アトリエ劇研ディレクター)

『TATAMI』
門脇俊輔(ニットキャップシアター/ベビー・ピー) 脇内圭介(飛ぶ劇場) 藤原大介(劇団飛び道具)
紙本明子(劇団衛星/ユニット美人)


小暮はなの記事が配信されていた。共同通信47。地方紙がどれだけ取り上げてくれるのか、どきどき。京都新聞などはそのうち出るかもということ。

生きて在る素晴らしさ歌う 小暮はな「AZUL」 - 共同通信 47NEWS https://this.kiji.is/235688018579144713
< 新しき歌姫の誕生を感じさせるシンガー・ソングライター小暮はなのアルバム「AZUL(アズール)」が発売された。高校1年から東京や京都などのライブハウスで歌ってきた34歳の実力派。アルバムには2008年から11年までポルトガルで活動していた時に作った歌など11曲を収めた。
・・・・
 別れの涙も広い海につながっている。小暮の歌には、再生への思いが必ずある。それを凜とした澄んだ歌声で優しく歌いかける。生きて在ることは、素晴らしいなと思える歌ばかりだ。
 ポルトガルは伝統歌謡ファドが有名だが、その地でのライブが認められ、今秋スペインで開催のファドフェスティバルに招待された。>

音楽雑誌(ラテン音楽中心なのだろうな)にもCDレビューが載っていた。
http://latinapage.tumblr.com/post/160566166259/%E5%B0%8F%E6%9A%AE%E3%81%AF%E3%81%AA-azul【#DayByDayCDreview】
Hana Kogure / AZUL
< ファドの影響も入り混じったサウンドだとインフォにあったが、聴いてみるとむしろ、吉田拓郎やかぐや姫など70年代前半の日本のニューフォークと、デビュー当時のザバダック風ヨーロピアン・ポップスのテイストがほど良くブレンドされた独自のサウンドで、意外だった。・・・・・関島岳郎、永田雅代、ロケット・マツら腕利きミュージシャンたちのツボをついた演奏に支えられたそれは、架空の国のフォークミュージックのように、懐かしさと斬新な響きが交錯する。・・・・。春一番のざわめきとともに聴きたい。text by オラシオ (月刊ラティーナ2017年5月号掲載)>


5/13(土)

大学院生の発表を聴く。
音楽活動を通した地域コミュニティ課題の解決について。
開放的な関係を持てるという有効性、地縁ではないことによる個人と個人の関係。緩やかな繋がり。

院生の考えも分からないわけではない。つまり、町内会とか民生委員、社会福祉協議会における見守りや居場所づくりよりも、音楽活用の方に利点があるという仮説の提示とその検証だし、実際に活動している方なので、自分たちがやってきたことを客観化することは意義深いとは思う、ただ、自分は、一度しか院生が主催する障害者の音楽祭をちらっとみただけだからなんとも言えないのだが。

どこか、その発表を聞いても違和感が拭えない。芸術文化を通した地域コミュニティづくりとそうでない地域コミュニティ政策の比較なら色々なジャンル、パタンがあるから大丈夫なのだが。


多分、いままでの自分の経験からしても、芸術領域では、演劇が対話だとすると、音楽は会話と一体化、アイデンティティづくりという麺が強いと感じていて、どこか、自分の中で納得しづらい部分がある。
唱歌教育とか出てくると余計である。まだ、ダンス領域の方が社会的包摂とかとの相性がいいようにも思えてしまう。
その点、視覚芸術の方が緩やかに出入り自由な感じがする。ライブよりも展示を見に来る関係のほうが時間的にも身体的にも緩やかだし、一体感を強制させることも少ない。

逆に言えば、音楽活用が陥りやすい問題点を出して、それに陥らないための開放性や参加のしやすさなどを出していくことで、コミュニティづくりの段階別の対応ができるのかも知れない。街角音楽ライブのふらりと立ち会う人たちが薄いけれど、ちょっとした交流、顔と顔を見合わせたり、具体的な身体を確認するということを通じて。

あと、音楽の芸術的論点として、芸術に共通する「孤独」する自由、社会を批評する眼差しの意義も検討の余地がある。どうもまちづくり、地域活性化などに助成金づくりとか、指定管理者選定とかでは話しづらいテーマではあるが。

16時から、京都橘大学吹奏楽部が、同じく放送研究会の司会で、東部文化会館と地下鉄との共働のアウトリーチをやっている現場にいた。
<ナイスミートin山科コンサート>。TVの主題歌や嵐。小編成の演奏を入れたり、楽器紹介をしたり。なんか、龍大の吹奏楽部がやっていたのを大津で観たことがあるが、なんかそれにも通じるし、堂々としてきたな(場馴れしてきたな)とも思う。

音響装置に少し手間だっていたが、なかなかの盛況。小さな子供連れが多かったのは、土曜日の昼下がりだからだろう。あとお年寄りが多いのは従来からの特色だが、障害者の姿がちらほら。付き添いの人(ヘルパーさん)が、この機会をうまく活用させて、外に出るときのスケジュールを作っているのかも知れない。大学で自分が疑問に思っていたことが少しは解消されているのかも知れない。もちろん、これがダンスパフォーマンスでも書のパフォーマンスでも言えないわけではないが。

2回ゼミ生が二人参加すると言うので、17時前に、笑人に行く。
「笑人カフェどんげね?」〜子ども食堂〜。
戸口で看板を書いていた二人。と、あと3名、女子学生が来て、雰囲気で京女生かな?と思ったらなんと看護学部の4回生たちだった。チーム橘5名という初めての子ども食堂となる。
ゆっくりとした繋がり。一緒に食べることによる地域コミュニティの構築。やっぱり、音楽もいいけれど、一緒に料理を作ったり配膳したり、あれこれしゃべるというのは侮れない。一つではないよね。おまつりと奉納する食べ物と音楽、舞、あるいは芸能や演芸、あるいは絵馬とか造り物があってこそだしなあ。

5/14(日)

休養日。
読み終わった小説。逢坂剛(おうさかごう)『しのびよる月』(2001年、集英社)。
NHKの英雄たちの選択に出演してはって、ちょっと読んでみたくなった作家。
できの悪い刑事二人組のお話。テレビ脚本になっているかな?と調べたら案の定、2005年にテレビ東京で使われていた(ただ設定だけの部分が多いようだが)。

『神楽坂署生活安全課』(かぐらざかしょせいかつあんぜんか)は、テレビ東京・BSジャパン共同制作の2時間ドラマ「水曜ミステリー9」(毎週水曜日21:00 - 22:48)で2005年から2008年まで放送された刑事ドラマシリーズ。全5回。主演は舘ひろし。
第1作は逢坂剛原作の「配達される女」(集英社文庫)。

ジョン・マッデン『恋におちたシェイクスピア』(1998年、124分)を、当時(1593年なので、まだグローブ座はできていない。ローズ座など)の劇場の様子を授業で見せるために鑑賞。うまく『ロミオとジュリエット』の演劇DVDや映画『幕が上がる』などと接合できないか、とか。

MONO『裸に勾玉』(2016.3,118分)も授業に使うとしたら大丈夫かということで再度観る。擬似的弥生弁はそんなに通じなくもない。ラスト前のところが若干賛否が出るかと思うが、まあ、夢オチ的でもあるし、そんなに強い否定的感想はないかも(『ぶた草の庭』や『のぞき穴、哀愁』『橋を渡ったら泣け』などに比べて。


KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る