こぐれ日録 KOGURE Diary 2017年3/20〜3/26


こぐれ日録1050 2017年3/20〜3/26A

3/20(月)

幸せすぎる舞台鑑賞至福の日。
まずは、11時すぎから、エイチエムピー・シアターカンパニー『アラビアの夜』アラビアチーム、インディペンデントシアターファースト。
この劇団の『アラビアの夜』は、数回観て内容はほぼ頭に入っているのに、とても新鮮。どんどんその素晴らしさが分かってくる(イロリムラではその良さの1/3も分からなかったな)。
演出ってどんなにすごいのかということを否が応でもわからされてしまう。もちろん5名の若々しい役者さんの魅力と努力もあって。最初に笑いのシーン(買い物袋を役者がするっていうのは実に面白い)が連続してあって、そのあとは結構ダークでもあるのだが、身振りのミニマムさとか立ち位置の工夫などで、古いアパートの玄関やバルコニー、廊下、そして壊れかけのエレベーターまで想像させてしまう。

舞台上には何もない。いや、アクティングスペースと周囲に黒いゴムがある。これはHMPでは使われることが前にもあった。今回は、空想などに囚われているという暗示だったようだ。時間の長さが伸びたりするのも面白い。戯曲がそれぞれの人のつぶやきから構成されていて、同時会話ではないので、結構役者さんは覚えるのが大変だったそうだ。

エイチエムピー・シアターカンパニーさんはすごいのだが、唯一の欠点wは、劇団名が長い。省略ってあるんかなあ。エイチ団?まあHMPとすればいいがこれも打ちづらい。エイシア?。まあ、インディペンデントシアターファーストも長い。これも略があるんかなあ?インディ1とか言っているのか? 関係者教えて欲しいなあ。

エイチエムピー・シアターカンパニー 同時代の海外戯曲?
『アラビアの夜』
作:ローラント・シンメルプフェニヒ 演出・舞台美術:笠井友仁 翻訳:大塚直 ドラマトゥルク:くるみざわしん(光の領地)
<2014年度に演出・笠井友仁が文化庁芸術祭新人賞を受賞した「アラビアの夜」。今回、新キャストで新たに「アラビアの夜」を上演!現実とファンタジーが入り混じる「語りの演劇」をぜひお楽しみください。
夏の夜、ある高層マンションの8階でフランツィスカはシャワーを浴びていた。
彼女に記憶はない。現在の生活も、どうして友達のファティマとこのマンションに越してきたのかも思い出せない。シャワーを浴び、日が沈むと同時にソファで深い眠りに落ちる彼女の元を3人の男が訪れる ― 向いのマンションに住むカルパチ、ファティマの恋人カリル、そしてマンションの管理人ローマイアー。
何気ない現実的な世界に、象徴的なイスラムの幻想空間が入り込む。 ファンタジーとリアルの境界が融解する。>
☆…アラビアチーム
フランツィスカ ― 原由恵
ファティマ ― 水谷有希
カルパチ ― 高橋紘介
カリル ― 藤田和広
ローマイアー ― 澤田誠

アトリエ劇研でする観劇の開始時刻、16時までをどう過ごそうかと思って、下鴨神社でのんびり。座るところがあって読書。水で占い文字が浮かび上がる水みくじを外国旅行者などがやっていて、こういうのは前からあったのかしらと思う。僕はみくじというのをいままでそういえばやったことがなかったな。

さて、サファリ・P、悪童日記である。アフタートークでピッコロの制作の方が、1994年に清水邦夫さんがシアターχで初演した(劇団木冬社)という。ああ、観ておけばよかったなと思いつつ(そういうチラシを観たうっすらとした記憶が上田さんの顔とともに思い出す)。

去年、ダンス的な舞台を観ていたのをすっかり忘れていて、あら、知っているダンサーも出ているなあと思ったら、ブレイクダンス的な動きも含めて、言葉と同じぐらい身体を使った舞台芸術だった。5つの机というか台の組み合わせ。いやあ、移動させる役者さんを含めて、とても効果的。十字架になったり、戦場の瓦礫になったり、越境する道(地雷がある)になったり。

高杉征司さんはダンサーではないのに本当によく身体が切れていて、あんな不自然な姿勢でよく支えているなあと感心したり、ダンサーなのに台詞をどうしてそんなにうまく言えるのかしらとか、褒めすぎることがまるでできないステージだった。

とは言え、自分の疲れか、靴のシーンではちょっとうとっとしてしまったけれど、そのあとは怒涛の展開。「アラビアの夜」ほど筋書きを覚えていなかったので、また、小説が読みたくなるし、三部作全部読んだはずだが、どうも1冊家にないので、揃えたくなった。

京都芸術センター制作支援事業 アトリエ劇研共催公演 / 2016年度こまばアゴラ劇場ラインナップ / シアターねこ共催公演
サファリ・P第二回公演「悪童日記」
●原作 アゴタ・クリストフ『悪童日記』(ハヤカワ文庫) 堀茂樹 訳
脚色、演出 / 山口茜
出演 /高杉征司、松本成弘、日置あつし、芦谷康介、達矢
<「私たちはヒトラーと、どう違うのか」パリの文壇から敬遠され、一般読者から熱狂的に支持された、アゴタ・クリストフの代表作、「悪童日記」。最初に私が惹かれたのは「ストーリー」ではなくその「文体」でした。
感情を定義する言葉を避け、事実だけを忠実に描写した「文体」。小説では、その「文体」の行き着いた先が、自分を愛してくれた人を爆殺する、という行為だったように感じました。
というわけで、今作品は「文体」の「舞台化」を目指しています。果たして私たちはお客さんを、どこにお連れすることになるでしょうか。>


3/21(火)

13歳の女の子が代用教員になる映画。張芸謀『あの子を探して』(1999)。NHK録画。
もう設定がぶっ飛んでいるが、ひょっとしたら過去の中国ではあったのかもしれない。それほど僻地。でもバスで都会に行けちゃうのだが。
風景が殺伐とはしていない、と言うか、なんかとても穏やか。
でもぼろぼろの小学校に村。
レンガを運ぶだけしか仕事がない。
村長もめちゃめちゃいい加減。代用教員のミンジも児童に対して適当。黒板を写させるだけだし、そのあと、外に出てしまえば、そりゃあ学級崩壊するじゃん。

でも、結果オーライの映画で、でも、けっこう面白かった。
テレビの威力。都会と田舎の大きな格差。1990年代でもこんなに格差が中国にあるのだなあと思い、いま(2017年)、そういう貧困な田舎の中国の人たちが、かつての日本農協団体海外旅行のように、日本に来てはるんだろうなと思ったりしつつ、見終わる。

張芸謀(チャン・イーモウ)『あの子を探して』(1999年、106分。原題: 一个都不能少)
< 「紅いコーリャン」「菊豆」のチャン・イーモウ監督作品。舞台は中国の小学校。カオ先生が私用で1ヵ月間学校を離れることとなった。そして、まだ13歳の少女ウェイが村長の指名で先生の代行を務めることに。突然28人のやんちゃな生徒たちをまとめる役目を請け負ったウェイだが、生徒が一人も辞めなければカオ先生から褒賞金を貰えるとあって懸命に生徒たちを見張り続ける。そんなある日、生徒の中で一番腕白な少年チャンが登校せずに町へ出稼ぎに行ってしまう。生徒たちの協力で交通費を手にし、チャンを連れ戻しに町へ向かうウェイ。しかし、すぐに会えるどころか、チャンは行方知れずとなっていた。様々な手段を講じても一向に探し出せず、困り果てるウェイだったが…。ヴェネチア映画祭で監督自身2度目のグランプリを受賞。>

<ほとんどの役を素人が演じている。舞台は中国の農村。水泉小学校のカオ先生が母親の看病のため、一ヶ月間、小学校を離れることになった。放っておけば、多くの生徒が家庭の事情で学校をやめてしまう。代理として村長に連れてこられたのは、13歳の少女、ウェイ・ミンジ。
中学校も出ていないミンジに、面接したカオ先生は心許なさを感じるが、子供たちに黒板を書き写させるだけの簡単なことならできるだろうと代理を任せる。報酬は50元。子供を一人も脱落させなければさらに10元。
ミンジは、生徒に自習させて教室の外で座っているだけの「授業」を始めるが、うまくいくはずもなく、次々と騒ぎが起こる。特に生徒のホエクーは、隙を見て抜け出そうとしたり、女の子の日記を盗んで騒いだりといつもミンジを困らせていた。
そんなある日、そのホエクーが突然学校にこなくなった。病気になった親の代わりに、町に出稼ぎに行ったという。脱落者を出すと報酬が減ってしまうと考えたミンジは、何とか連れ戻そうと策を巡らせるが、町を出るバス代がない。皆で話し合い、レンガを運んで金を稼ぐことになり、生徒たちも一生懸命働いてようやくミンジを送り出す。大きな町へ着くとホエクーは行方知れずだと聞く。彼女はなけなしの金をはたいて紙と筆と墨汁を買い、尋ね人のチラシを貼り出すがらちがあかない。町のテレビ局に行き、涙ながらに訴える。苦難の末、ミンジはホエクーと再会を果たす。>

雨、寒くなる。
山科急行バスの十条相深町のバス停が移動していて慌てる。


3/22(水)

東部文化会館の会議のあと校務で京都橘大学。
4年後はこうして僕も退職するんだと思いつつ、山科椥辻ミュージックサロンYOSHIKAWAへ。はなのCDを渡す。

近大は4/6から授業。旧カリもあり2つ。新しい劇場文化論のクイズ。あと2つ。
宝塚大劇場とシェークスピアをいまのところ考え中。

劇場文化論 クイズ(◯?式、△:ときにどちらでもないとかどちらともいえるがある)
1) 演劇などを上演する場を「◯◯劇場」と呼んだのは、明治時代からである。
2) 劇場を活性化する法律は日本ではいまだ制定されていない。
3) 戦前(1945年以前)には、観覧税(地方税)や入場税(国税)として、観劇料金に税金がかかっていたが、日本国憲法制定時に入場税は廃止された。
4) 吉本興業株式会社の創業は、1912年に大阪天満宮近くの寄席小屋「第二文芸館」を買収した時からとされているが、当初は「興業」ではなく、「吉本興行(部)」(1915年)と言っていた。
5) いまは芝居といえば、演劇のことで劇場の意味ではないが、江戸時代までは、芝居小屋(劇場)のことを指すことが多かった。
6) 滋賀県には県立のびわ湖ホールという劇場・音楽堂があるが、大阪府にも京都府にも府立の劇場・音楽堂は存在しない。
7) 「文化」という概念は、物質的な発達、すなわち技術や機械、社会制度を含む「文明」とは違い、精神的な意味を示している。
8) 古代ギリシャの劇場には、オルケストラと呼ばれる円形の舞台(ローマになると半円)があり、そこでコロスと呼ばれる合唱隊(踊ったりもする)が活躍した。英語のオーケストラはこのオルケストラが語源であり、コーラスはこのコロスが語源である。


3/23(木)

国会での籠池証人劇場。与党(日本維新も与党だな)が糾弾し、野党が阿吽の呼吸。珍しい光景。
いろいろあったが、そのあとの外国人記者会見では、右派ぶりが半端でなくわーと思ったりもする。
夜、娯楽的な映画をお口直しに。
でも、前から宮崎あおいファンの自分が、おっと、あおいちゃんの妹みたいと思った二階堂ふみさん。いい味。廣木隆一監督のベテランの軽いオペレーションでもあるんだろうな。

廣木隆一『オオカミ少女と黒王子』116分、2016年、ワーナー・ブラザーズ映画。DVD。
原作 - 八田鮎子「オオカミ少女と黒王子」(集英社「別冊マーガレット」連載)
監督 - 廣木隆一
脚本 - まなべゆきこ
二階堂ふみ
山?賢人
鈴木伸之
門脇麦
横浜流星
池田エライザ
玉城ティナ
吉沢亮
菜々緒


3/24(金)

演劇部、僕のハンコと署名がいると言うので(4月終わりの新歓公演のためだ)、大学へ。前期の授業の予定を手帳に書く。海の日は休みでよかったとか確かめたりはするがどうも調子が出ないので、参議院を観たり選抜を観たり。

劇団態変 第64回公演『ニライカナイ -命の分水嶺』HEP HALL。19時半すぎから21時すぎまで(最後に西表島から石垣金星さんの三線と唄あり)。
作・演出・芸術監督 金滿里

金満里さんが大阪の小児病棟にいた頃から始まる。
爆音(by SANgNAM、多分)。頭に響く。暗い。金さんのソロはそこだけ。アボタカという寝たきりの放置された少女。その両足が逆さに立っている。「蛆がわいた」と看護婦はいったと当日パンフ。シーンタイトルでは「蟻」が生まれたという。

小泉ゆうすけさんのワンピースに変な帽子。看護婦でもない。何か鳥のようだ。しかしこのダンスは衣装ともども実に面白い。滑稽と冷酷とが混じっているのかどうか。

「月」が本当にホールの上にでたように見える。流石だ。
そのあとはバックに圧倒的な亜熱帯植物群。西表島のマングローブ(膝根)もあるのだろう。
命の根源。月も水と関わり、生命の循環そのものが舞台に出る。
御嶽だろうか、神様になったかと思った向井望さん。最後の挨拶のときにはくたびれ果てていたのかも知れない(そう見えてしまうぐらいの存在感)。

下村雅哉さんのソロも味わい深いMONO、しかしそのスローさが半端ではない。
アボタカの足が乱舞:若手の松尾大嗣や小林加世子も楽しみだし、インターンの3人もそれぞれに個性があった。
2匹の猿の登場。インドの神様のお使いのようでもある。お面使い。これもまた続くかも。

しかし、テルミンを久しぶりに楽しむ(by児嶋佐織。でも演奏姿が見えないのはちょっと残念)。弦や口琴、サエキマサヒロ。口琴はベトナムのものだったようだ。

[出演] 金滿里 小泉ゆうすけ 下村雅哉 向井望 松尾大嗣 小林加世子
  (インターン)田中喜基 廣川景亮 渡邊綾乃
[音楽] サエキマサヒロ(各種弦楽器等) 児嶋佐織(テルミン等) SANgNAM(DJ・selector)

http://www.hephall.com/36598/ より引用
<身体障碍者にしか演じられない身体表現を追究、その高い芸術性で国内外を問わず評価を得ている劇団態変が登場。
幼少期を施設で過ごした主宰・金滿里は、その場に横たわる優生思想、あるいは一部の命の存在を消し去ろうとする社会システムを肌で感じ取り、施設を出てからもその危険性には警告を発し続けてきました。現代の都市生活では、「役立つ生命」「不要な生命」を勝手なふるいにかけるヘイトクライムがますます横行。片方を肯定し、片方を消し去ろうとする。そんな窮屈で、誰にとっても逃げ出したくなるような社会とは一線を画する世界像を、沖縄の大自然が育んだ「ニライカナイ」という思想を元に探すことはできないか、そんな願いを原動力に、金滿里自らの施設体験に基づくイメージと、沖縄の大自然から得た生命観、二つの時空をダイナミックに行き来する、極私的冒険ストーリー。>

<大自然の原理はありとあらゆる相対するものに取り囲まれながら、活き活きと呼応しながら厳しい共生と自然淘汰のしのぎあいを、惰性無く活動している様である。
だが、我々都市型人間は、その一方にしか身を置けず実感を伴えない社会形成の不自由さの中に囚われていて、その範疇で他者が決めた命のふるいに分けられることを善しとしている。
単に、命の価値は、半球の容器に満たんに入れられた水が、片方へ傾くに溢れ出し減っていくかのように、いらないものを追い出して成立しているのでは断じてない。
見よ、地球が容器となる、穹窿を
天を蒼穹とし、仰ぎ見る太極には、宇宙から降り注ぐ気体のシャワー
片方に傾き溢れ出た命の水は他界へと退けられたかのように見えても、その隙間には蒼穹の気体が満たす
宇宙と地球を半分に割った穹窿の関係
そのようにして常に、循環の中に命はあるのだ 金滿里>


3/25(土)

11時半からゆる音家で、いま関西に来ている林加奈さんらを囲んで食事。
いつも昼食を食べないので、お腹いっぱいに。いま一番の課題はインフル後に3kgも太ったので、これをなんとかしないといけないこと・・まあ、美味しく、色々楽しかったので、仕方がないのですが。

13時に慌てて、山科青少年活動センターへ。やっぱり学生は来ていないな。もし来たらどうしようとかそういえば思わなくなってしまっている自分がいる。
なんと、アーティストとして参加していただいているはるちゃんが明日入籍ということで、林さんの提案で、結婚をお祝いする紙芝居を作る事になった。そして、2時間ぐらいで無事完成し披露も。その間に、6歳の娘さんとの合作のマントうまという楽しい紙芝居も見せていただいた。

結婚歌(および、林さん親子歓迎歌?)の歌詞は、あいうえお作文=折句(おりく、 英: acrostic)で僕が作り出したら、みんないろいろアドバイス。まあ、さっちゃんやよっちゃんは、少しでも否定的だとダメ出しする。そのために、逆にとても良くなったりした。例えば「花ドレス」。あとタカカーンさんは「ルビーの指輪」で参加。「る」は難しい。留守電とか瑠璃色とか悩んでいた。あとで、話さんから「るるるる」でいいじゃないって。2番を作ればそうしただろうな。「ルリルラルルル」とか。作曲は林加奈さんにお願いする。

3/26(日)

神戸アートビレッジセンターに行ったが、2時間15分かかるというお芝居とのこと、間に合わないことが確実なので、野田の実家へ。妹が来ているので、はなのCDを渡す。

野崎観音に祖母と行ったかも知れないが、たぶん初めての野崎駅下車。冷たい雨。
警察署を目指してすぐに分かったが入り口を探すのに少し手間取る。
でも、大東市に新しい演劇の芽が育っていることを確認できたし、歴史演劇という分野、そして、ナレーション演劇もまた素晴らしくできることも分かって大満足の17時半からの90分だった。

『河内キリシタン列伝』17時半からの公演。
脚本・演出 ・・・ 高橋 恵
原作:神田宏大他「戦国河内キリシタンの世界」批評社
〔会場〕旧深野北小学校体育館
「大東スタイル」を実現するために、民間と大東市が協力して旧深野北小学校の利活用を考えるプロジェクトをすすめているとのこと。だいとう戯曲講座や演劇のシニアワークショップなど。

http://daitoshijonawate.goguynet.jp/2017/03/19/kawachichristianretuden/ より
<舞台?河内キリシタン列伝?今から450年前 ここ、河内の地には わが国に伝わったばかりの キリスト教をめぐる 様々なドラマがあった・・・

 永禄7年(1564)、飯盛城を拠点に政権を掌握した三好長慶がキリスト教の布教を認めると、配下の有力武士73人が宣教師より洗礼を受けることになる。
 彼らは深野池を取り巻くように教会を築き、大東・四條畷の地に新たなる信仰をもたらしたのだ。
 本上演作『河内キリシタン列伝』では、畿内キリシタン第一世代である三箇頼照・池田教正・三木半太夫・結城弥平次と、キリシタン大名・高山右近における新たな世を切望する思いと、時の権力者・豊臣秀吉によるキリスト教迫害に至る史実とを群像劇として描いている。
《キャスト》
飛鳥井かゞり (猫会議)・・・ 三箇頼照
諏訪 いつみ (満月動物社)・・・ 池田教正
杉江 美生 ・・・ 高山右近
竹田 モモコ ・・・ 三木半太夫
水 柊 (少年王者舘)・・・ 結城弥平次
濱 奈美 (劇団ひまわり)・・・ ルイス・フロイス>

新学期の準備にもなるので、「云々」と「忖度」を漢和辞典でチェック。
云・・・雲の古字。象形文字で確かに雲がもくもくしている形に見えてくる。どうしても「云(い)う」の方に引っ張られるが。
云云(云々)は、ウンウン、またはウンヌンとある。いまは「云々。以下のことを省略するときに用いられる語」として使われて安倍語録として「訂正云々(でんでん)」が生まれたわけだが、それ以外に「多言するさま」「雲がむらむらと起こる形容」「物の多い形容。云云(ウンウン)」とある(漢語林改訂版)。『字源』によれば<「云々」とはその衆多なるをいう語である>としている。

忖・・・ソン(はかる、おしはかる・おもう)。?(心)+寸。形声文字。「脈をはかるように、他人の心を推しはかるの意味」。孟子「他人心有り。予(われ)之を忖度す」。

度・・・呉音でド、ダク。漢音でト、タク。タクは漢音? 憶度(おくたく)、度支(たくし。会計官、経理管、または財政)。(はかる、のり、ものさし、わたる)

(参考)
政治行政分野の官僚制組織を中心とした組織で使われる「忖度」(他人の心を推しはかること)の特殊日本的な意味の解説。<官僚の世界における“忖度”について「確かに言えること」郷原信郎氏の解説 https://nobuogohara.wordpress.com/2017/03/26/%E5%AE%98%E5%83%9A%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%BF%96%E5%BA%A6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%8C%E7%A2%BA%E3%81%8B%E3%81%AB%E8%A8%80/
<「忖度」というのは、上位者の意向を、本人に確認することなく、もちろん、指示・命令を受けることもなく、推察して、その上位者の意向に沿うように行動することである。他人にはわからないように行うところに本質がある。少なくとも、間違いなく言えることは、「忖度」は、される側にはわからないし、わかるようなものであれば「忖度」とは言わない。
直接確認し、指示・命令を受けるのであれば、「忖度」をする必要はない。「直接、意向を確認しにくい関係・内容」、「確認して指示を仰ぐことに差し障りがある事柄」であるからこそ「忖度」が行われる。
森友学園の件では、財務省理財局、近畿財務局、大阪府等の職員の「忖度」が問題にされているが、彼らは、まず直接的には、それぞれの組織のトップないし幹部の意向を「忖度」するわけだが、さらに、そのトップないし幹部の意向が、「『安倍首相の意向』に沿う意向」であろうと「忖度」しているのではないかが問題になっているのである。つまり、「忖度」が何重にも積み重なっている。>


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