こぐれ日録 KOGURE Diary 2017年7/3〜7/9


こぐれ日録1065 2017年7/3〜7/9A

7/3(月)

應典院、大蓮寺、パドマ幼稚園の秋田光彦さん案件。
とりあえず、教職保育職支援室に話しをしにいく。

真夏日プラス蒸し暑い。特に帰り、なんかぼーっとなってしまった。
先週以上にゼミは自分ながら面白くできたかも。
まあ、2回ゼミ生、予算や決算の話で、これは、自分のお小遣いとかと絡めるやりとりが有効。
3回生ゼミは、京都・文化ベンチャーコンペティションを考えてもらっている。積極的にすることにいまどきの学生はやる気がある。あんまり放置してもいけないけれど、自分がいるとどうもうまくいかないかも知れず、塩梅が難しい。来週は詩吟を広めたい人がなぜか来られる。これも取り入れられないかとか思っていが、さて。
4回生ゼミ、ようやく卒研の発表があって、引用の仕方、文献の書き方、注書きの仕方を伝える。就活とかで来ていない学生も多いので、来週また。来週は卒業アルバムの撮影あり。あと、アルバムでゼミの様子を切り貼りするものがあり、その練習で自動撮影。

ゼミの後90分ほど、校務。
何とか1日目終了。
帰って、ぼんやり『幕が上がる』の舞台版のDVDを見だす。
いやあ、想像以上に面白く有意義。彼女たちが映画撮影で実は舞台女優へと開花しつつあるという映像になっていてびっくりだった。

PARCO Production舞台『幕が上がる』 http://www.parco-play.com/web/program/makugaagaru/
2015年5月1日 (金) 〜2015年5月24日 (日) 会場Zeppブルーシアター六本木
原作・脚本:平田オリザ
  演出:本広克行
出演:百田夏菜子 玉井詩織 高城れに 有安杏果 佐々木彩夏(ももいろクローバーZ)
伊藤沙莉 芳根京子 金井美樹 井上みなみ 多賀麻美 藤松祥子 坂倉花奈
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<平田オリザ×本広克行×ももいろクローバーZ 小説から映画、そして舞台へ 映画と同時上演、トライアングルプロジェクトがここに完結!いよいよ舞台「幕が上がる」の幕が上がる!
 2012年に発表された弱小の高校演劇部を舞台に描かれた青春群像小説「幕が上がる」。
 この小説にぞっこん惚れ込んだ『踊る大捜査線』 シリーズの本広克行が映画を監督、そして舞台を演出します。弱小演劇部の少女たちが全国大会を目指し、本当の喜び、本当の悲しみ、本当に大切なことに 気づき、輝いていく青春群像を描いた「幕が上がる」。
主演である演劇部の高校生たちには「今、もっとも輝いている少女たちに演じてもらいたい」という想いからベストキャストを模索した結果、大抜擢されたのが、ももいろクローバーZの5人。圧倒的なライブパフォーマンス、従来のアイドルから一線を画すドラマティカルな成長、そんな彼女達から放たれる輝きが、『幕が上がる』の登場人物に重なり、2015年2月28日にまずは映画にて公開されます。その映画の公開を受け、今春5月には舞台「幕が上がる」が同じくももいろクローバーZの5人とともに開幕いたします。映画から舞台へとさらなる彼女たちの成長と輝く姿を舞台で皆様にお届けします。>


7/4(火)

読み終わった。とても爽快なダークワールド。
なんてこんなに明快に最低な人たちを美しく描くことができるのか。
ブルーハーツ以来だ。ドブネーズミみたいに〜〜〜
桐野夏生『I’m sorry,mama.』 (集英社文庫、2007年、2004年単行本)。

今日は1限目がこの前の学外授業のため休講。
あれこれ、校務調整。仕事の公平化。担当コマ関係。
他学部のことだが、ある紹介。
いままで知らなかったが、教務部長や学生部長というのは2年任期で再任ができないということで、これはびっくり。2年目でようやくその業務が分かってきたら首か。ちょっと再考してもらう必要があるかも。

参考
『I'm sorry,mama.』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文 | 超書評ブログ.com
http://choshohyo.com/post-358/
<桐野夏生は、なぜこんな小説を書くのだろう、どうしてこんな小説が書けるのか、とよく思います。小説の内容は、およそ本人とは別世界の出来事で、メディアで見たり聞いたりする彼女のイメージとは対極にあるような、凄惨で荒んだ話です。
社会の片隅の、底辺ともいえる境遇の、救いようのない人の業に翻弄される主人公たちを書き続ける理由が何なのか。彼らに課した邪悪さや非情の魂を、どんな手段で手に入れているのか。いつも不思議に思いながら、つい惹き込まれるようにして読んでいるのです。
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行き場を失った女たちが集まる娼婦の置屋で生まれ育ったアイ子は、父親が誰か判らない上に母親にも捨てられた、戸籍のない子供でした。盗癖と虚言癖のある、子供のくせに達観しているような「気持ちの悪い」「嫌な奴」でした。
アイ子の悪行は、成長するにつれてより巧妙で凶悪なものになります。何より救い難いのは相手を選ばないこと、逡巡せず即座に決行すること。相手にはお構いなしに、自分の都合とそのときの気分だけで軽々と人を殺め、家に火をつけます。
アイ子には、自分の非道を反省するという回路がありません。とにかく気に食わない奴は、目の前から排除する。生きて行くために金品を奪う片手間に、次々と殺人を繰り返します。桐野夏生は、アイ子という女を稀代の悪女に仕立てています。
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東中野の焼肉店・錦華苑でアイ子と偶然出会った美佐江と稔は、その日のうちに灯油を浴びせられて焼死します。アイ子は稔と同様、かつて美佐江が福祉施設で面倒をみた子供の一人でした。二人は理由も分からないまま、あっという間に焼き殺されてしまうのです。
冒頭での放火殺人を皮切りに、アイ子の犯歴と汚辱にまみれた半生が語られていきます。
清掃係のアイ子は、ホテルの部屋を借り切って住みついている老婆・猿渡睦子をバスタブに沈めて殺害し、現金を奪います。更に、生まれ育った置屋で人気NO.1だったエミこと栄美子を訪ねたアイ子は、栄美子のいない間に住みついていた男を殺して、栄美子の家を自分の住み家にしてしまいます。
アイ子はお多福顔でやや太り気味、47歳の荒んだ外見の女です。化粧はぞんざいで、どこから見ても魅力的な女ではありません。若い頃、一時娼婦として客の相手をしたことがありますが、それも性に合わず長続きはしません。職業と居場所を転々と変えながら、盗みと殺人を重ねます。アイ子にとって重要なのは目先のこと、将来など考えてもいません。
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非常に醜悪ですが、象徴的なシーンがあります。栄美子の家で出会うアダムと名乗るホームレスの男とアイ子のセックスシーンです。アイ子が働いていた焼肉店から盗んできた牛肉の塊を互いのみぞおちに挟みながら、二人は狂おしく交わります。
二人が動く度に、肉塊が潰れ、捩れ、牛脂と血が洩れて腹がべとつきます。牛肉の臭いで、
アイ子は焼肉店で関係した李との性交を思い起こし、まるで二人に犯されているような気分になります。「特上ロースセックス」はアメリカ兵とやってるみたいで、とても気持ちのいいものでした。
セックスのあと、二人はその肉を焼き、マッカリをたらふく飲みます。睡眠薬入りのマッカリを飲んだアダムが寝入るのを確認すると、アイ子は躊躇いもせず、日本手拭でアダムの首を締め上げて殺してしまうのでした。
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悍ましくて目を背けたくなる光景です。しかし、その醜悪さに私たちは激しく劣情もするのです。常識とモラルに遮られた先にある官能を、人は本能的に知っているのです。
私たちは、正気を失くすほどのエロスに身を任せたいという本音を隠し持っていますが、世間的なモラルを蹴散らかし、淫らな欲望に身を晒すことには到って臆病です。
そんな私たちが秘めた心情を、逆説的にアイ子が代弁しているように思えてなりません。人はどこまで堕ちて行くのか。何をしてアイ子はこのような残虐非道な女になったのか。許すべきことは何で、何を責めるべきなのか。そんなことを考えました。
中盤以降物語はやや滑稽味を増し、その分作り話めいた結果になっているのは残念です。桐野夏生のリアルなグロテスクさをこよなく愛する私としては、いつものこの人らしくシリアスに徹してほしかったという気持ちです。が、いつも桐野夏生の小説の読後感は重い重いと言われている声に応えて、敢えて軽めの設定にした作者の意図やも知れません。>


7/5(水)

エイチエムピー・シアターカンパニー『月の光』、19:33〜20:46。満席。
制作の前田瑠佳さんが、面白いところは笑ってくださっていいですよ、と言ってくれていたが、なかなかに笑うまでにはいたらなかった(若い男二人の手の動きと映像とがちょっとずれているところとか、まあそういうところでふふふとかは思ったが)。

まず、登場人物とかその人間関係を映像で教えてもらっているのだが、よくわからなくなる。親子かとか、二組の夫婦の関係だなとかは分かる。死にかけている夫と妻の会話は激しさよりも深さ、そしていつまでも続く猜疑心。若い男(夫婦の息子たちらしいが、そうでないようにも思えたりする)二人は、無駄にうるさい。そういうト書きなのか、そういう演出なのか。何かとても虚しい感じ、引きこもりのベッド、パーティ出席者の無駄に多い数え上げ・・

妹(少女のまま)が月のいる間だけ登場しているという設定なのか、ということもあとで考えたこと。詩そのものの登場人物だったなあ。
たまたま、道尾秀介『ラットマン』を読んでいて、ものすごく響き合ってしまうのだ。主人公姫川亮の妹が小学校3年生で亡くなったことや、亮の彼女の妹が桂(月の植物⇒月)であることやら。

対話劇でも会話演劇でもなく、といって、では、モノローグ演劇とかナレーション劇とかでもない。ただ、基本的にはリアルに、いや、観たものだけでストレートに素直に鑑賞していいのではないかと思った、あとで。

エイチエムピー・シアターカンパニー同時代の海外戯曲?『月の光』
作=ハロルド・ピンター
演出・舞台美術=笠井友仁
翻訳=喜志哲雄
日程:2017年7月2日(日)〜9日(日)
会場:イロリムラ プチホール(大阪)
<すべては幻想なのか、それとも現実なのか。ハロルド・ピンターの劇世界。
様々な海外戯曲に挑戦してきたエイチエムピー・シアターカンパニーが次に挑むのは、
現代演劇の巨匠と言われ、ノーベル賞劇作家のハロルド・ピンターの『月の光』。
詩的で幻想的なピンターの魅力が溢れた『月の光』を日本初演でお届けします。
 『月の光』(1993年初演)はハロルド・ピンター(1930〜2008)の仕事の総決算のような戯曲である。ひとりの男が死にかけている。彼の妻、彼が親しかった別の女、その女の夫、男の二人の息子と、少女の頃に死んだらしい娘が、相次いで登場する。彼等の登場は現実の事件なのか、それとも男の意識の中で起こることなのか。分からない。ピンターは、人間には現実を完全に認識することはできないのであり、また言葉が現実を忠実に表示することもできないという考え方に基づいて作品を書き、リアリズムの演劇観をひっくり返してしまった。エイチエムピー・シアターカンパニーの公演を観るたびに、私はピンターに通じるものを感じる。現実を認識することができなくても、想像力を刺戟されて、あれこれ思いをめぐらすことも、観劇行為の大きな喜びなのである。 喜志哲雄 >

出演
アンディ ― はしぐちしん
ベル ― 森田祐利栄
ジェイク ― 澤田誠
フレッド  ― 藤田和広
マライア ― 高安美帆
ラルフ ― 増田雄
ブリジェット ― 米沢千草
映像=サカイヒロト   文芸部=ナカメキョウコ   宣伝美術=setten design株式会社
制作=前田瑠佳
協力=イロリムラ 劇団ひまわり コンブリ団 猫壺企画 舞夢プロ モンゴルズシアターカンパニー
企画・製作=エイチエムピー・シアターカンパニー   主催=一般社団法人HMP


7/6(木)

近大で授業。近大用の鞄を忘れて、ちょっと慌てる。
レポートをテスト期間に出すという評価方法、変わらず。
ずっと、一つ、この期間に新しい芸術経験(造形の人は特に実演芸術)をするように促すための課題なのだが、この頃にようやく動こうとする。今日も今日しかないというので『月の光』を紹介する。どうしても『吉本新喜劇』でしたいという学生が今年もいる。一度久しぶりに私も観るか。
2回生の『劇場文化論』では、天満天神繁昌亭に行った学生とか、新しい動きあり。それはとても嬉しい。初めて『裸で勾玉』を活用し始める。

帰って録画の演劇を楽しむ。でも、全部観きれず。
でも、分かりやすい『ハムレット』で、これと研究室にある蜷川幸雄演出と比べると舞台づくりなどの比較ができそうで助かる。とりあえず、國村隼さんが抜群の存在感。貫地谷しほりさんは安定、歌もいい。ただ、もうすこし身長があるといいんだろうなあ、とか俳優チェック。ほとんど何もないステージはテンポがよい。それでも200分の上演時間。それは、台詞のスピードが聞き取りやすいゆっくりさだからだろう(蜷川幸雄演出はだいたいに早口)。

『ハムレット』主催:東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)
第一幕:95分 休憩:15分 第二幕:90分 上演時間:3時間20分
作:ウィリアム・シェイクスピア、翻訳 松岡和子、上演台本 ジョン・ケアード、今井麻緒子
演出:ジョン・ケアード、音楽・演奏:藤原道山
[出演]
内野聖陽
貫地谷しほり
北村有起哉
加藤和樹
山口馬木也
今 拓哉
大重わたる・村岡哲至・内堀律子・深見由真
壤 晴彦
村井國夫
浅野ゆう子
國村 隼
http://www.geigeki.jp/performance/theater139/
<世界的名匠ジョン・ケアード、 豪華精鋭、わずか14名のキャストとともに挑む シェイクスピア劇の最高峰! 世界的にヒットしたミュージカル「レ・ミゼラブル」オリジナル版の演出で名を轟かせた名演出家ジョン・ケアードは、あの英国ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の名誉アソシエート・デイレクターとしてさまざまなシェイクスピア劇を手がけ、伝説を残してきました。そのジョン・ケアードが東京芸術劇場に初登場。2000年に英国ナショナル・シアターで、名優サイモン・ラッセル・ビールの主演により演出した、自身の代表作の一つといえる作品に日本公演に向けて練り上げた斬新な解釈で取り組みます。 「ハムレット」はシェイクスピア四大悲劇の中でも最も人気が高く、古今東西の名優がその生涯で一度は演じる究極のヒーローです。 そのシェイクスピア全作品の中でも最高峰の難役に、 内野聖陽が満を持して挑戦します!俳優として円熟期を迎え、ジョン・ケアードと「レ・ミゼラブル」「ベガーズオペラ」「私生活」で磐石のタッグを組んできた内野が王道のヒーローを演じます。 敵役のクローディアスと、亡き父王の亡霊…ハムレットにとっての尊敬の対象と憎悪の対象という裏表二役を演じる國村隼。彼に対峙する大きな力を背負い、存在感をみせつけてくれるでしょう。 ハムレットの親友で、唯一生き残ってこの悲劇を語り継ぐホレイショーを演じる演技派北村有起哉には語り部としての大きな役割が演出家より託されました。さらにハムレットと決闘を演じるレアティーズを演じるのは 大型ミュージカルなどで主演を務め活躍の目覚ましい加藤和樹。ベテラン勢としてはポローニアスを演じる壤晴彦、なんと贅沢にも村井國夫が墓堀と旅回りの一座の座長を演じるという充実の男優陣。対する女優陣は、注目のヒロイン、オフィーリア役には若手実力派として活躍する貫地谷しほり。そして、ハムレットの母のガートルード役には、最近舞台に精力的に取り組む大女優浅野ゆう子が堂々の登場。豪華な顔合わせが実現しました。  2017年4月、ジョン・ケアードの手により、シンプルで、力強く、格調高い「ハムレット」が東京芸術劇場プレイハウスに現出します。>


7/7(金)

七夕陶灯路当日。
このイベント、何回目だっけ。
清水焼に蝋燭。シンプルなので、学生たちはいつも熱心。
めくるめく紙芝居とかもやってみたらいいのにと思っていたが、メックももう辞める。
と言うか、私自身がもう最終章。

まあ、そういうことは置いといて、雨とイベント。
ゼミ生と卒論(韓国の映画事情)とか生活用品(亀の子たわしがナイロンと出会い)とかの話をしたあと、インターンシップ関係のしごと、そして東部文化会館活性化協議会。

その途中に、雷あって、七夕陶灯路中止のLINE。10日に延期。この日は、シミセンの志縁堂実行委員会で私は残念ながら不在なり。

七夕イベントって旧暦とか1ヶ月遅れでちょうどいいのは、旧暦が相応しいから。
そういうことも学生には新鮮なようだ。
なにせ、明治以降でも伝統日本すばらしいって若い人はなっているから、近代日本における厳冬文化の創造という話もまるでピンとこないわけね。

今年は旧暦の閏月にあたっていて、特殊なのだが、今日は旧暦の閏5月14日だそうで、そう言えば、昨日のお月、綺麗だったわ。
旧暦の七夕は8/28だということ。旧暦だと、つねに上弦の半月が舟のように西の空にあるのね、夜の帳に。そして月は沈み、物語が始まると。


7/8(土)

今日も夕方雷雨。
午前中、9月までの締め切りの校務をまあいつものように早く終えておく。
13時から大学院のリサーチ。今年度新しく来ていただいた方の素晴らしい環境デザイン作品を最後に堪能する。
水俣に行かなくちゃ。地元学の本も読んだところだし。

17時半に、天ぷらや笑人(わろうど)。今月のこども食堂は「流しそうめんと玄米おにぎり」。いやあ、どれだけそうめんを食べたかわからないぐらい食べてしまった。ケーキは遠慮しておく。でも、体重はまた危険水域に。これはアルコール現象がほとんどなのでなんとも言えない。

狂言師の河田さんが久しぶりに来ていて、山科醍醐の物語を狂言にできないかなという話をちょっとした。

読み終えた小説。
道尾秀介『ラットマン』(光文社文庫、2010年、2008年単行本)、桐野夏生さんと同じ調子で読める。もちろん、若い世代の人なので、若者や子供の心が丹念に描かれていて、駅を降りるのを忘れそうになる。

<結成14年のアマチュアロックバンドのギタリスト・姫川亮は、ある日、練習中のスタジオで不可解な事件に遭遇する。次々に浮かび上がるバンドメンバーの隠された素顔。事件の真相が判明したとき、亮が秘めてきた過去の衝撃的記憶が呼び覚まされる。本当の仲間とは、家族とは、愛とは―。
<道尾/秀介
1975年、東京生まれ。2004年、『背の眼』で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー。’07年『シャドウ』で本格ミステリ大賞受賞。’09年『カラスの親指』で日本推理作家協会賞受賞。’10年『龍神の雨』で大藪春彦賞受賞。『光媒の花』で山本周五郎賞受賞。また、「このミステリーがすごい!2009年版」で作家別投票一位を獲得、『向日葵の咲かない夏』がオリコンにより「2009年最も売れた文庫本」になるなど、各所で絶賛、注目度No.1の作家である>

7/9(日)

下鴨車窓『渇いた蜃気楼』ウイングフィールド、13:02〜14:38。
2014年の初演から9都市10会場を巡演して好評を得ているレパートリー作品.
[脚本・演出]田辺剛
[出演]OFT(大沢めぐみ、藤原大介、高杉征司)
http://mogamos.link/parchedmirage2017/
3年前に観ていて。そのかなりの部分を覚えたいた(ように思った)。
これは、確かにレパートリー作品の価値がある。携帯電話は昔だったりするし、練馬とか、NHKの契約ノルマとかそういう具体的リアルさがあるにも関わらず、ある普遍的な人間関係の基本がそこにはある。高校生時代と40歳前後のつながりと断絶。思い出と忘却。
殺したくなる気持ちとチャラにしたくてできない関係。
新しい命への二律背反。

<シンキロウかと思った。なんか全部。
じゃなかった、だったら良かったのに、とかむしろ。

とある小さな地方都市。その夏は例年にない酷暑で、ダムも干上がってしまうほどだった。町では給水車が走り、道には人影もあまりないように感じられた。みんな家の中にこもってじっとしているんじゃないか、この暑さが去るのを祈って。そんな想像が働く。
? 安アパートの角部屋に住む夫婦だ。実際にその夫は祈らんばかりの気持ちでいた。給水車が来る時間だ、近所のスーパーまでポリタンクを持っていかねば。持っていくのはまだしも、持って帰ることを考えると憂鬱になる。けれども水無しには生きていけないから、妻だってまだ諦めてはいないはずだから、もろもろ。
京都を拠点に創作・公演をしている現代演劇のユニット「下鴨車窓」は、『渇いた蜃気楼』を2017年7月に札幌と大阪にて上演いたします。この作品は2014年初夏に『わたしの焦げた眼球/遠視』というタイトルで名古屋、京都、三重、広島、松山で上演されました。2015年秋には現在のタイトル『渇いた蜃気楼』に改題され京都と岡山で、2016年初夏に福岡、北九州、東京と現在まで9都市10会場で上演を重ね好評を得ているレパートリー作品です。
 現代日本のある地方都市を舞台に、淡々としたリアルな描写の中にも歪んだ不条理性を滲ます酷暑の男女三人の物語です。どうぞご期待ください。>
渇いた蜃気楼(旧題:わたしの焦げた眼球/遠視)』上演記録
 2014年:名古屋→京都→三重→広島→松山
 2015年:京都→岡山
 2016年:福岡→北九州→東京

『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』、ドン・シーゲル監督の作品を観るようになったのは、黒沢清監督などからの波及効果。記憶しているのは、『マンハッタン無宿』『アルカトラズからの脱出』『ダーティ・ハリー』『突破口!』あたりか。

ドン・シーゲル『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』1956年、80分。Invasion of the Body Snatchers、
モノクローム。回顧もの。
ドン・シーゲル監督、さすがのキレ、展開。
マイルズ・ベネル:ケヴィン・マッカーシー
ベッキー・ドリスコル:ダナ・ウィンター
<ジャック・フィニイのSF小説『盗まれた街』(原題:The Body Snatchers)をドン・シーゲル監督が映画化した。日本では劇場未公開。SF映画の古典的名作ともいわれ、その後何回もリメイクされた(『SF/ボディ・スナッチャー』、『ボディ・スナッチャーズ』、『インベージョン』)>

<ある日、病院に1人の男が錯乱状態で搬送されて来た。その男マイルズは医師に対し、自分が遭遇したという奇妙な出来事を語り始める。カリフォルニア州のとある小さな町で開業医を営んでいるマイルズは、学会から数週間ぶりに帰ってきた時、町の様子に違和感を覚える。一見いつもと変わらない町の人々の様子が、まるで人が変わってしまったかのように、どこかおかしいのだ。調査を進めたマイルズは、やがて戦慄の事実を知る。町は宇宙から来た未知の生命体によって侵略されており、人々はそれに肉体を乗っ取られてしまっていたのだ。マイルズはこの戦慄の事実を全世界に知らせるべく、恋人のベッキーと共に町からの脱出に奔走する・・・>


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