こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.9/6〜9/12


こぐれ日録709 2010年 9/6〜9/12

9/6(月)

朝、今日はなにもなかったはずだなあ、明日はなんだっけ?と思ってカバンをあけると、手帳がなかった。なんか、なにもしたくなくなってしまって、駄々っ子みたいになってしまった。

仕方がないなあと、妻が大学に連れて行ってくれることになった(お昼の松庵の1000円定食に満足してくれたのでよかったな)。もし、研究室になかったらどうしようと思ったが、ちゃんとあった。昨日、何かあればいけないと、大学院説明会のとき、冊子などと一緒に手帳を手提げに入れていて、それをそのままにしていたのだ。

もうひとつ、どこにあるのか、わからなくなっているのは、かえっこバザール用にかっておいたかわいい手ぬぐいである。10枚以上買ったはずなのだが、6月のかえっこのあとどこにおいたのか(しまったのか)判らず、家を探してもないし研究室にも部長室にもない(ダンボールぐらいかな、あとは)。

とくに最近、暑いということもあるが、忘れやすいし、間違いやすい。この前も公演時刻を手帳に間違って書いていた。

いま、鳩山首相の頃の本を読んだりしている。中心は、戸川猪佐武『小説吉田学校 第二部党人山脈』(人物文庫学陽書房、2000.もとは1980)。吉田→池田→大平の流れでどうしても戦後保守政治を見てしまうが、これは官僚出身政治家の流れであり、戦前から続く党人政治家については、ほとんど知らないので名前になじみが少なく、知ってても、新幹線の駅を作らせた大野伴睦さんとか、河野洋平さん(河野太郎さんの父)の父の河野一郎さんとか、名前プラスちょっとのことしか知らない。一番興味深くなっているのは、三木武吉(ぶきち)さん。三木武夫とつながっているのかどうか知らないが実に味わい深い感じがする、いささか、仁侠映画を見る趣すらあって。

民主党の代表選挙真っ最中でもあるので、小沢一郎『日本改造計画』(講談社、1993年)を取り寄せた。これはたぶん、役所にあったので、ぴらぴら見た記憶があったぐらいのものだし、内容は、地方自治制度関係だけは仕事上よく知っていたもの(基礎自治体中心主義で300ぐらいの、江戸時代の藩ぐらいの制度にすること)。少し、引用しておく。

《 また、国が地方に「出先機関」を置き、そこを通じて処理している事務は、原則としてすべて各地域で処理する。その場合、事務を担当しているスタッフや予算も地方に移すことになる。》p84

《 受皿である地方自治体も再編成しなければならない。国から委譲された権限に耐えうる体力がなければならないからだ。
《 そこで、現行の市町村制に代えて、全国を三百ほどの自治体に分割する基礎自治体の構想を提唱したい。ここでは基礎自治体を「市」と仮称しておこう。
《 私は、地方自治体は一層制(基礎自治体のみ)がよいと思っている。将来は、いくつかの県にまたがる州を置くことも考えられようが、基本的には、行政をわかりやすくし、地域住民に密着したものにするためにも、その方が望ましい。》 p85

これについては、当時の小沢さんの新自由主義的で、消費税を10%にするというような主張とは違って、まったく同意見だなあ、と思っていた。しかしながら、どうしても小沢さんというのは、自民党のなかのタカ派ではないということは知っていたが、アメリカとの関係はかなり近しいのでは?と思っていたし、一番用心していたのは、国連主義とはいえ自衛軍化をめざす政治家ではないか?という漠然としたイメージであったといまになると思う。

ところが、彼にあったり、そのスピーチを聴いたりすると、その魅力は十分伝わるのだが、眉唾で聴いていた(けっこう上司の代理などもあって彼の講演などに行ってメモ書きしたことがあったので)。

以下は、「第三部 五つの自由を」からの抜書き p185-6
《 そこで私は、日本の個々人の生活を縛っているさまざまなしがらみを取り除き、個人を解放することを提案したい。これこそ現在の政治に課されたもっとも重要な課題である。
《 その課題を達成するために、私は「五つの自由」という目標をかかげたい。東京からの自由、企業からの自由、働きすぎからの自由、年齢と性別からの自由、そして規制からの自由である。
《 第一の、東京からの自由とは、われわれの生活を大きく歪めている一極集中、都市の過密と地方の過疎を解消し、よりバランスのとれた国土計画を展開することである。
《 第二の企業からの自由とは、企業を中心に回っている経済制度を是正し、国民一人ひとりがより自由に仕事に打ち込み、個人の生活を大切にすることができるようにすることである。
《 第三の働きすぎからの自由とは、労働時間の短縮を積極的に行い、国民がよりゆったりと仕事ができるようにするだけでなく、より積極的な人生設計をすることができるようにすることである。さらには子供たちの歪んだ受験勉強を是正することである。
《 第四の年齢と性別からの自由とは、社会の高齢化の中で、高齢者も積極的に社会に参加できるようになることである。同時に、女性がもっと積極的にかつ多様な形で社会にかかわることができるような社会にする。
《 第五の規制からの自由とは、社会の実情に合わなくなったおかしな規制を撤廃し、国民や企業がより自由に活動できるようにすることだ。》p186


9/7(火)

京阪の三条駅改札に出るまえのところで、山科ナスが262円で売っていたので買う。東野駅でもやっているようだ。勧修寺のぶどうも買った、800円(あとで食して美味だったので高いかなと思ったがよかった)。山科区役所で、交通問題の委員会。京大の若い人が座長。いろいろ、工学部で行政の仕事をしているようで、詳しかった。ぼくは、山科を魅力的に歩くための施策を提案したいなと思った。

京都府の生協理事長の懇話会へ。イギリスの生協の話がとても勉強になった。
関大の杉本貴志さん。
ロバート・オーエン派からロッチデールへ。
コミュニティリテーラー、買い物弱者へ向かい合って復活したイギリスの生協。
倫理的消費者という考え方、フェアトレードの流れなど、日本でどうしてこれがうまくいかないのかなあとあれこれ思う。

ポストオフィルを生協がやっているのが実にびっくり。第三の道なのか?
労働党と協同党(30〜40ぐらいなので、日本の公明党ぐらいのボリュームだそうだ:どうも労働党内に入っているようだ??)の関係についてもじつはまったく知らなかった(これはあとでちゃんと調べなくちゃ)。


9/8(水)

午後から、学部教授会、大学評議会、自由学修領域検討委員会。
事務局の組織変更の議論。いい、ビューローを作ってほしい。責任分担が明確な・・・官僚制というのは悪いだけではないことをすこしはなす。

教養領域が最近また重視されているようで、それの対応のようだ。
カタカナとか、ひらがな、○○と○○・・・そういう一見とっつきやすような科目(何を教えたらいいのか、何を学ぶのかがどうも不分明になりがち)よりも、オーソドックスな科目名にしてほしいと発言しておく。

いまの手書き日記帳は3年連記なので、去年を見てみると・・・
去年の今日(2009.9.8)は、はなとやませいのメック展示を貼りなおしていた。
すこし前には、織田先生が倒れられて、その後、急遽、ぼくが都市デザイン論をすることになったとある。

すごい前のようだな。今年の9/14は、民主党の代表が決まったと日記するのだろう・・


9/9(木)

2回生のTちゃんが、冷房の部屋を出てそとに出てもむーってしないでよかったねえといっている。昨日の台風のおかげだね。
今日は、10時から11時、11日の東部文化会館での山科区役所さんらが行うエコアクション宣言のなかでかえっこバザールをすることになり、その準備に、Tちゃん、Oちゃん、Aちゃんが大学の部長室で作業している。ぼくは、メールしたり、ドライバーがほしいというので、総務課に借りに行ったり。

区役所の人たちが車で荷物を取りに来てくれる。3名はのって、ぼくはぶらぶらすこし違う道を歩いてかえることにした。山科区交通問題検討会をやっているためでもある。変電所があったり、いつも通る道にはじめて小さなお地蔵さんがあることに気づいたり(お供え物が鮮やかだったから目がいった)。

一度、帰ってから、妻と、大阪城公園太陽の広場、特設NGR銀色テントへ。

ちょうど劇団態変の受付ブース準備中で、なかなかTシャツが素敵なので、2000円(前売りは1500円)で、妻は黒を買う。どうも、黒が人気みたいで、白やピンクよりも在庫が一部なくなっていたようだな。
今日は涼しいからかも。

劇団態変、男は旅に出た3『自由からの逃走』の2日目。今日は担当ではないが、明日は、韓国公演を共に実現する会としてカンパ集めをしなくちゃいけない。昨日は1万円ちょっとということだが、それでも、この不況のとき、チラシ代以外にカンパをいただくのはほんとうにありがたいもの(今日は2万円を越えたとのこと)。
お客さんも、今日は、100名弱。もう少し入っていると思ったぐらい満員の感じだったが、少しは隙間があったのかも知れない。

19:35〜21:13。間に10分間の休みである。

エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』という、群集心理、操作され誘導され自由から逃れてしまったナチズムの渦中に書かれた社会心理学の古典をベースとしながら、人間の社会の流れをばくっと大きく6つの場面に描く、挑戦作品、大いなる問題提起作だと思った。こういう哲学的で抽象的な主題をもとにして、アーツ作品を作ることは、台詞を伴う演劇ではほぼ不可能ではないか。

逆に、言葉をほとんど使わずに、しかも、ダンス作品としての振付だけではなく、態変の障碍者自身の姿態から出発し、その表れを隠さずに大きくどーんと展示するからこそ、これほどの太い世界把握とその表現に挑戦できたのではないか。

何せ、第1場が、昔社会―共同体(奇妙な森、村)ではじまり、第2場は、宗教。フロムの本では、プロテスタンティズムの問題が克明に書かれているが、それをベースとしながらも、その信仰が個人に帰せられるのに従属的になってしまう大いなる矛盾がその動きで簡潔に示される。そして、第3場、フランス革命。

前半の終わりに一つのカタルシス。第1場でも、人が大きなくもの巣みたいなものに自分から絡まっていった(迷信とか古代国家の成立とかの暗喩だろうか)が、ここでは、鎖が投げ出され、自分たちからその鎖を首に巻きつけるような部分もあって、その動作、表現は大いなる人間と社会、政治との矛盾関係を提示している。

それにしても、男性たちが動かずに奇妙な体位で張り付き、そこからうごめく冒頭シーン、それが色々動いたあと、同じポジション、同じ体位になって一つのシークエンスを作るところはいままでの態変に何かを付け加えたようにぼくは思った。あるダンスというか動きの結晶化的な意図。後半にも、回って進むダンス的シーンあり。

それに対して、同じ音楽で登場する民衆や群集、労働者たちに対峙する、二人の黒い帽子の男、福森慶之介と小泉ゆうすけ。二人は別の階級であり、狂言回し(コント役者的でもある)であるとともに、この二人の間にも争いやこびへつらい、だましあいがあるようで、領主と地頭、資本家と官僚、広告代理店とマスコミなど、いろいろと、支配、誘導するダーティな人たちをぼくはかってに頭に描いてみていた。
(二度目に観ると、階級差と単純に割り切れないのかも知れない。というのは、給料をもらうサラリーマンと雇い主というシーンがあったから。「給料」袋という字が小さいし、実際は空っぽ。間狂言という構成演出と見たほうがいいか)

妻ははじめてなので、テントが風で鳴るのは、意図的なのか?とか、障碍のある人たちの一人ひとりの様があまりに衝撃的だったようで、いつもは、すぐにアンケートに感想ぐらいを書くのだが、今回は、あとでツイートするといっていた。

後半の冒頭:岩場のホヤがあまりにもユニーク。しかも絵本的な寓話となっている。子供のときは自由に泳いでいたのに、定着する場所を見つけると自分の脳みそをたべちゃって動かなくなる・・・もうすごいアイロニーだ。

第4場産業革命(岩場のホヤ、工場風景)、そして、延々と動き(動かされ)つづく、第5場、先導され操られる群衆。ひときわ目立つ向井望が本当に最後列にいるのだけれど、みんなと同じく、その前進匍匐する。その姿にすがすがしい気持ちにさえなる。

そして、第6場、選択する自由。これは、希望であり夢であり、でも、芸術することそのものの表現であると思った。いつもと同じく、いや、いつも以上に金満里もすがすがすがしく舞台へ向かってやってくる。

明日は、違う席を選びつつ、もう一度観ることで、より細部を見ていきたいと思う。


9/10(金)

昨夜、橋下徹さんとかいう若いポピュリズム知事さんから自分の文化行政論という短いメモみたいなものが突然かってに送られてきて(ぼくの肩書きが京都橘大学文化政策学部教授とあるのは皮肉だなあ、それにしても)、当選前から何も勉強(展開)していない(できない)のだろうなあと思いつつ(府庁役人のせいというよりも府庁役人もまた同じなんだろうし)、都道府県制度というのは、連邦制でなくてももう過去の文化財になりつつあるので、どうでもいいなと思ったり、まあ、売れるものだけでいいというのも、関西アーツカウンシルを創設するには邪魔でなくていいかもとかおもったりする。

戸川猪佐武さんの小説吉田学校も第三部角福火山になり、当選一回目の小沢一郎が、田中角栄の総裁選出馬(後継者は福田赳夫にしたい佐藤栄作がずっと総理総裁に居座っていたため、佐藤派から田中グループが離脱するかという時)にあたっての乾杯の音頭をとっていたりして面白い。1972年の5/9。38年前(笑)

P317
《 だが、すでに田中擁立の熱気は充満していた。木村に指名されて、乾杯の音頭に立ち上がった一年生の小沢一郎は、いかにもヤング・パワーらしく、直截な叫びをあげた。
《 「田中政権樹立のために乾杯!」
《 これがすべてをいっきに、ふっ切らせることになった。
《 衆議院側は渡部恒三、羽田孜、奥田敬和、石井一、斉藤滋与史たちからはじまって、中堅は・・・》

昨夜、カンパのためには、コインなどを見えないで入れる貯金箱みたいなのがいいですよと、たまたま隣に座っていられて、大津で作業所をして態変のエキストラに障碍者さんたちを送り込んでいる女性の方に教えてもらったので、あわてて妻に作ってもらい、大阪城公演へ。

劇団態変『男は旅に出た3 自由からの逃走』19:31〜21:10
今日も、100名近くが入る。
藤本さんしか韓国公演を共にする会のメンバーはいなかったが、昨日よりもすこし多くのカンパをいただき、感謝である。
昨日とは違って、下手端から見ていたので、テントの外の大きな装置が下手に偏っている関係ですこし観切れすれすれになる部分もあったが、まずまず大丈夫な席。出入りがよく見えたが、昨日よりもスムーズになっているようだ。ちょっとだけ、操作であれっと思った部分もあったが、それは昨日見ているからだし、テント公演ではもっともっと大変なことがいっぱいあるものだ。

音遊びの会の沼田さんがこられていて、はじめて態変を鑑賞されたそうだ。音遊びの会の10月24日旧神戸生糸検査所での公演や京都みなみ会館での映画『音の城・音の海』のチラシをいただく。たまたま、鷲田清一さんがいられたので、彼女を紹介しておく。意外とつながっていないなあと思いつつ(阪大と神戸大ということもある?)。


9/11(土)

あさ、八幡市駅の途中、大きな日本猿がゆうゆうと歩いている。小さな犬を連れた人たちが心配そうに避けている。
椥辻駅からタクシーにのり、学生たちが忘れたかごをとって(ついでに、センターのHさんの机に第2校を乗せて)、東部文化会館へ行く。タクシーの運転手さんに聞いてみると、案の定、テレビの影響だろう、菅さん派で、先生も、学生の雇用のためには菅さんでしょ?といわれて、口ごもる。まあ、ここで論戦してもなあ・・・

一応、ツイッターでこんなことを書いているのだが・・・
《自立する国民が主権の日本へ : 企業に雇用奨励金を渡したり、保育所経営組織に助成するような、従来の組織法人中心主義から個人の自己決定主義への転換が去年の政権交替の意義の一つでした。 脱官僚制依存とは脱大組織依存、法人実在主義から個人自立主義への転換の第一歩。地域集権もその手段。》

山科区エコアクション.1宣言2010環境イベント『親子でエコアクション!』

山科区エコアクション.1宣言2010環境イベント『親子でエコアクション!』
児童館が30名ほど午前中はどっとくるのが大変そうだったが、無事それも終わり、1時間の休憩後は、ほどよい感じで14時半までをすごす。
はじめオークションはしないでもいいのかも?と思っていたが、意外や意外、午前中に2回もしてしまった。

このなかに、はじめて、京都橘大学都市環境デザイン学科小暮ゼミ有志が設営するかえっこバザールが入ることになって、2回生8名(あと1名ちょっと手伝い)と4回生1名が関わった。
2回生も3度目ということでとても自発的にやってくれている。
やっぱり、自分たちが中心にしてやるものは面白いという話をしていた(別の企画に参加しても、ただの手伝いとなってしまって、おたおたすることもあるからだ)。

児童館から小学校5年生などの男子2名に、女子が数名お手伝いということで、関わってくれ、とくに、男子のF君は最後までバンクマンとオークション担当として今日がはじめてとは誰も思わない活躍。区役所のOさんにもとてもお世話になった。

写真は、ここに→http://kogure.exblog.jp/11268664/


9/12(日)

今日は、AI・HALLで、砂連尾さんたちによるコミュニティダンスのような興味深い公演があるということで行こうかと思っていたが、やっぱり、すこし心配になって、山科青少年活動センターでのめくるめく紙芝居ワークショップの方を選んだ。

私も14時に2分ほど遅刻したが、参加者はかなりすでに集まっていて、学生たちはまだのよう。
今日のゲスト、ハナジョスのお二人(プラス二人のお子さん)も見えていて、鍵をあけたりする。
ドレミパイプが神戸の企画の関係なのか、いっぱい登場して、これを譲っていただけるのとてもありがたい。
林加奈さん・・・来月が予定月なのだが、精力的にアドバイスいただく。

新しい障碍のある女性の参加が頼もしいのと、個人的には、Aちゃんが、弟のGくんにひっぱられて大きなダンボールで遊ぶようになったことと、すこしお話しをしてくれたのが超嬉しいこと。

かえって、2006年(119分)の映画『ゆれる』を観た。
山梨の白州をすこし思い浮かべる景色。
原案・脚本・監督は若い西川美和。

演技力抜群の香川照之が出るということで購入していたもの。ただ、オダギリジョーも嫌味な部分もある売れっ子カメラマンで、兄とは対照的な弟を丁寧に演じていた。
映画表現としても実に興味深く、また、前半の葬送関係、そして後半の裁判風景、どちらも、自分的にとてもありがたい研究(教育)素材でもある。
とりわけ、ねちっこい関西弁の検事役の木村祐一の怪演が目を引いた。


KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る