こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.9/27〜10/3


こぐれ日録712 2010年 9/27〜10/3

9/27(月)

夕方から雨、それまでは暑いぐらいの天気。
12時半すぎ、24弦筝演奏家で音楽療法士の小野栄子さんが来てくれて、がっつり、面白くて興味深い話をしていただく。
神戸で日本音楽療法学会の大会があったそうで、その帰り。
10数年ぶりにお会いする。地域創造の準備のため、調査でいろいろ手伝っていただいた一人。
CDを数年前にいただき、最近ツイッターで、おお、とであったのだった。

3回生ゼミ、3名欠席6名出席。
小野さんが、演劇の道をご両親の反対の中すすむうちに、ニューヨークで筝の世界に偶然入るところが実に面白い。
4回生ゼミ、2名欠席、10名出席。
今回は、初めて会う人に対して行うちょっとした即興作曲による演奏をしようということで、前半は、10/18の卒研中間発表の順番争い(笑)があったので、そのあとにやってもらう。一人はオーソドックスな朝食をもとにしたもので、もう一人はなかなかユニークなご飯(笑)。

5限目は、行政法?。20名なので、かなりじっくりやれそうだ。静かなのが特に嬉しい。
押尾学事件から、特に、刑法とその特別法である麻薬取締法、裁判所法の特別法である裁判員法を行政と法律という観点から紹介。
後半は、村木元局長裁判における、検察庁特捜部の話のなかで、公務員による公文書偽造財やあっせん収賄罪などを話したり、決済や課長印のことを話したり。これはいまingなのでなかなか簡単に解説できずらいので、一応、警察と検察の違い、被告人(刑事訴訟法)と被告(民事訴訟法)の違いなどをかるく解説しておく。

9/28(火)

レイフ・オヴェ・アンスネスという、ノルウェー出身1970生まれのピアニストさんによるリサイタル映像をBS2でやっていたのを録画していたので、早朝鑑賞する。
2008.10. 東京オペラシティコンサートホールでの演奏。
アーツプレースの特色とかいう講義などで使える教材でもある。

ヤナーチェク「霧の中」。なかなか味わい深い小品集だなあ。
ドビュッシーの前奏曲集から5曲。ビーノの門、西風の見たもの、ヒースの茂る荒れ地、とだえたセレナード、水の精。記憶にあるのは、最後の曲ぐらいかな。
そして、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」オーソドックスな静かな演奏だなあとしみじみ。
アンコールはやっぱりドビュッシーの前奏曲集うより「アルカブリの丘」。たしかにアンコールらしく、ちょっとお茶目なフレーズがあったりする。

3限目、2回生ゼミ。
来週からの発表者の順番を決める。
11月中はだいたいきまる。あと、今日来なかった学生に対する促しだ。

5限目、都市デザイン論。これは、去年一番評判がよかった素材を使う。
これをラスト近くにまちつかいイベントの事例として出したのだが、コンテンツの方(スラムダンクの10日後)ばかり受講者は注意が偏ってしまって、ハードとソフトとヒューマンの一体的演出という分析的説明をうまく伝えられなかったという反省があり冒頭にもってきたのだ・・・

でも、はじめすぎて、「まちつかい」とか、アーツマネジメントの抽象的意味を説明していないので、スラムダンクとその作者、井上雄彦さんへの感想にとどまるきらいがあった。逆に、これをこれから思い出させていけばいいかと思ったりする。
83名の出席。前回が81名なので、だいたいこの前後の数だろう。変わるだろうが、登録数は113名。

研究室に未封の書類の山があって、それをすこしずつ開ける必要がある。学生によったら研究室にいると整理してくれるという珍しくもいい学生もいるが、普通はぜんぜんそんなことをしないで、たまには、寝ていたりしてびっくらこくこともある(笑)。

で、そのなかに、徳島県北島町の創世ホール館長で図書館長の小西昌幸さんが送ってきていただく、創世ホールのニュース(といってもぎっしりとしたインタビューが載っていたりする)とチラシ、そして、小西さんが地元徳島新聞などに連載しているコラムが送られていて読んでいたら、《「ゲゲゲの女房」雑感》というのがあったので、これは、うちの女房に読ませようと思ってもって帰る。

よく読んでみると、ガロの長井勝さんという超有名人のほか、貸本漫画(ぼくは野田の大野町商店街にあった貸し本屋で近所のおねえちゃんたちが借りてきたものを読ませてもらったうっすらとした記憶あり)の東考社社長さんの桜井昌一さんという方のことなどが書かれていて、さすがだなあ、ハードスタッフ編集長は、と思って読む。

そこに、水木プロ伝説のアシスタントとして、つげ義春、池上遼一(あとで調べなくちゃ)、そして鈴木翁二とあって、おっと、これは、はなが翁二さんの歌を歌わせていただいていたことがあったし、ご一緒させてももらっていたので、はなにもみせておかねばならぬ、と思った。最後、また、【親ばかポスト】になってしまった。


9/29(水)

後期は、水曜日は校務のみである。
今日は、臨時的な二つの会議。どちらも、種類は違うが入試関連。
今日までの書類を出す。これは、2012年度に向かった整備の話。

TAM研は別の曜日にするほうがいいのかも知れない。
金曜日の授業の資料を印刷する。
宮澤賢治『青森挽歌』
戦後の歴代の総理大臣、政党の変遷
・・・・
帰ると、UVERworldのファーストアルバム『Timeless』というのが届いた。
これで、滋賀県の学生たちの言っていることが少しだけ判るかも知れない。
それに、ウーパールーパーとかいわないですむ。


9/30(木)

あさ、のんびりできる木曜日である(ただ、今日は、どうも妻のインターネット接続がうまくいかないので、いささか、かりかり)。
長岡京市へ。雨。大阪成蹊大学芸術学部、美術文化政策研究の1回目。すでに名簿が出来ていて、17名。3回生以上で、一人だけ4回生。研究室控え室で、太田垣さんから、なかなか文章を書いたりすることにも熱心な学生たちですと紹介されて、おお、と思う(そして実際そうだなあと思った)。

加藤義夫さんが、午前中の授業を終えて、これから近大に行くとのこと。ぼくは、同大だから、加藤さんのほうが大変だな。

この授業は、美術文化・政策研究ではなく、美術・文化政策研究であり、美術と文化政策との両方、あるいは、その関係を考えるということだし、みなさんは美術はずっとやってきていると思うので、美術以外の芸術(アーツ)に親しみ、そこにも美術があるし、自らの美術制作に役立つことを目指すというようなオリエンテーションのあと、市民劇団についての記事で、若干、文化政策の3主体の話などをする。

来週から本格的にするチラシのアーツマネジメント的見方というネタも少し取り入れておいたあと、6月に放送された日曜美術館から、アールブリュットジャポネ展の模様を見せて、感想を書いてもらった。
特に二人が、なかなかに批評的で、面白いなあ、骨があるなあと思う。

一人は、結局、アール・ブリュットというのは、アーツマネジメントによるものではないか、というような論点のようで、ファンドレイジングに有利であるのかも・・・という鋭い視点。少し引用
《・・・「アール・ブリュット」の方たちに協力者があるということは、必然的なことであり、社会的にも意味のあることだと思う。個人的な鑑賞者としての立場から思うことは様々だけれども、こうした取り組みというのは興味深いことである。ただ、こうしたマネジメントをもう少し広く適応するところまで社会が変わればよいとは思う。・・・》

もう一人は、健常者と障害者に分けて捉えることへの批判。これは、けっこう根強くあるもの(「エイブルアート」の関係者でもかつていらっしゃったなあ)。
少しだけ引用
《・・・(アール・ブリュットなどと呼んで)私的には別物にするべきではないと思います。ただちょっと考えたり話したりするのが苦手なだけで普通に人間です。別にする意味がわからない。私も障害者と健常者を別にとらえる時もありますが、下に見たり上に見たりする様な事ではないと思います。障害者でも健常者でも絵が上手な人、下手な人、そんなのいっぱいいると思います。》

同志社大学の政策系大学院にてこんどは、文化行政論。基本的にはお昼と同じことなのだが、もちろん、院生なので、修士論文との関係など、いささか専門的なことも含めて話すことになるだろう。ただ、アーツ的経験がより少ないので、そちらを補いたいので、映像などはより多様するかどうか・・・

15名の受講者で、今日は12名。15名というのは、多い方だということ。観光まちづくり関係の人たちが6名もいるとのこと。また、今日は2名だったが、中国からの留学生が3名。


10/1(金)

長岡京で彼岸花が咲き出していて、
ほんとに秋の一瞬、赤い花がでてすぐになくなる。
奇妙な登場の花だとつくづく思っていたら、
京都橘大学のほうがもっと多く咲いていた。
植えているのではないのに、根が続いているのか、
ふーっと現れる。幽霊のような花。
一つ倒れていてしみじみと手に持ってみる。
5つもあれば、6つや7つもある・・
一本の茎につく花の数はそれぞれなんだな。

2限目の社会文化論。
なんと、180名。前回が149名なので、びっくりしゃっくりである。都市環境デザイン学科の男子中心に特にうるさい。前でうるさいから、どうしても注意したくなる(後ろだと、熱心に聴くには前に来て、といえるのだが)。
学生は教科書を読むということが苦にならないのかも知れないし、どこが読めないのか、それのチェックに時々読ませることにしよう。

青森挽歌(宮澤賢治)を朗読したらかなりくたびれた。が、かなり充実した気持ちになった。
格がぜんぜん違うが、京大で梅原猛さんが、万葉集を詠んで涙を流して泣くという名物授業があったそうだ。
星めぐりの歌を歌ったが、また音程がはずれた。

実は、宮澤賢治の授業自体に限界芸術の大いなる種がいっぱいあると思っていて、その一粒の種をいただきたいと思ってはじめた授業なので、出来れば、花巻農学校や羅須地人協会などで賢治が農民芸術概論をレクチャーしたときぐらいの人数(どれだけかは判らないが、180名よりもずいぶん少ない数だったはず)がいいのだが・・・

3限目の政治学概論?。前回は14名だったが、今回は29名。
もう少し狭い教室にやっぱりしてもらったほうがいいかな。
戦後の総理大臣を10名以上はすらすら書けるようにするのが第一の関門というレベル。
社会民主主義(福祉国家主義)に対する自由市場主義、それを止揚するための「第三の道」をどこも手探りしているという話を最後にする。

小暮個人の仮説的スタンスは、
大きな社会、小さな中央政府、集権化された地方政府、倫理的経済消費活動・・・・ということを、すこしだけ、押し付けにならないようにしつつ、話しておく。

あと、言わずもがなですが
【文化政策命】(笑)


10/2(土)

時間は前後しますが、夜、法然院へ久しぶりに行った。19時半と間違って手帳に書いていて、19時についたら、すぐにはじまった。1時間。(あとで、京都橘大学生という若い女性から声をかけられた)
『石の花』vol.3

佐久間新さんからのお誘いだったので、ジャワのダンスをベースとしたコンテンポラリーダンスの会だと思ったら、まず、二人の若い男性の音楽がかなり大きく強かったのでびっくりする。TAIKUH JIKANG。バイオリンの人も電気につないでいる。この空間ならそういうのはいらないだろうが、きっと、そういうふうにしたいのだろう。たぶん。もう一人の人はガムランを使うのは、佐久間さんのときだけで、太鼓と、かなり強い声。これは、バリ島留学のものらしくて、おお、バリなのね、ジャワではなく。

で、踊りの方、大西由希子さんも、バリのダンス。カクカクする動きが、NYあたりの動きにも似ているなとか、思ったりもするが、音があまりにも強く、動きがどうも消えてしまう。ときおり、無音になったとき、動きと、障子の向こうの水琴窟(単に水がぽとぽと落ちる音がうまく反響しているだけだったのかも知れないが)とうまくマッチして、一瞬ああすてきと思い、でも、また、強い音に消える。

佐久間新さんのときは、音がすこしうるさくなくなったこともあり、踊りをずいぶん楽しませてもらった。最後はデュオ。けっこう、違うなあ、韓国の僧舞とお能の舞ぐらいの違いを感じる。

お昼は、院生がぜひシアトリカル應典院でやっている舞台芸術ゼミナール2010前期に行きたいということもあって、アーツマネジメント?はこれを活用させていただいた。
じつに有益なセミナーになった。いつも思うのだが、大和滋さん(芸団協)は、淡々としかも粘り強くご自身を律しながら、実演芸術の環境づくりをすすめていられるなあと思った。

劇場法(仮称)の芸団協提案の名称は、
「社会の活力と創造的な発展をつくりだす実演芸術の創造、公演、普及を促進する拠点を整備する法律」というもの。
「社会の活力と創造的な発展をつくりだす」という形容詞を誰が判断するかなあと、半分冗談のように見ていたが(美辞麗句は法律には本当は不要なのだが)、それを除けば、劇場音楽堂等整備法とかよりも、いいかも知れない。
これを素直につづめると、実演芸術拠点整備法。

面白かったのは、公文協が「公演芸術」という奇妙な用語を使っていることで、こんな用語を使うので、そのあと、公演芸術の公演といって、すぐに、馬から落馬してしまっている。文化芸術のような悲惨な用語がまた法律用語になってしまわないように祈るばかりである。

聞きながら、一度、きちんと都道府県廃止への実効ある動きをすべきだなあと思ったりもした。それがないと、劇場法とかも、指定管理者制度の特別法的排除(公益法人のみに限り、貸し館的悪平等を排除できる)にとどまり(これさえ骨抜きになったら大変)、国の劇場、美術館を一緒に入れて、天下り団体を温存させないようにして、それら官僚支配を一気にやめ、そして、地域集権的アーツカウンシル制度へと導かないことにはまるで意味のないことのようにも思った。

都道府県制度の時代錯誤性は、どちらかというと道州制論者(経団連も)のほうからいわれがちだが、「地域主権」を唱えるいまの政権与党の方からより実効的な手順がしめされるべきであろうと思う。

以下、都道府県制度廃止へ向けた、単なる思い付きメモ
◎ 都道府県は明治の中央集権化のための出先機関として内務省が管轄し支配してきたもの。
◎ 戦後になって、地方自治化したが、市町村に比べてその自治性は弱く、機関委任事務だけでなく、実質は国の出先機関として、予算、人事、法規でしばられてきた。
◎ そのため、都道府県の政治は、知事が官僚からの天下り的人材か、あるいは、昨今のようなテレビタレントになっており、あとは、都道府県議会議員に顕著だが、国政へのステップアップとしてしか存在しない。
◎ 地域集権のために、都道府県へいまの国の出先機関の権限をおろすのは必要だが、やはり、広域的見地からは、連邦制的な広がりは必要であり、その存在は実に中途半端である。
◎ 市町村合併には弊害も多かったが、都道府県がなくなっていくと考えるとより積極的な権限が付与されるので、広域化する市町村(新しい「市」)が自治の原則として出来る可能性は強まる。
◎ その新市をベースに、その連合としての広域連合、たとえば、関西広域連合が出来れば、具体的に地域アーツカウンシルとして、関西アーツカウンシルが可能になる。


10/3(日)

ずっと家に篭る。
いろいろおさそいがあった。水都つながり(井上信太さん、山本能楽堂つながり)、メック(めくるめく紙芝居)つながり(ハナジョス)・・・
メックには行こうと思っていたが、どうも、心身の状態がいまいちである。
あと、授業の準備が実はほとんどできていない・・・法学も政治学もあまりに昨今の情勢が多彩(面白すぎ)なのだ、研究対象としては(個人的には、憂国wwなのだけれど)。

まあ、そういうときもある。学生主導でやってもらったほうが、主体性がよりつくだろうし。

準備のため見たのは、郷原信郎さんが出ている検察庁、裁判員関係のテレビの録画。この収録は9/24にされたものだという。9日も前にとったものを放送しているのか・・・絶句。
中島みゆきの夜会(邯鄲、1992)の後半。でも、前半のみ使用だが、一応確認のため。
それにしても「狐狩りの歌」はすごくいいなあ。谷山浩子さんつながりっていう記事を読んだ記憶があるが、それにしてもアンニュイな(グレイな)メルヘンソングというのはとても気になる世界。

NHK教育で再放送されていた(ひみつちからんど、とかいう番組)、P-プロッ、とくに野村誠さんが子供たちに鍵盤ハーモニカを教える番組。
リコーダー関係で栗コーダー4人のうち、3名も出ていた。林加奈さんももちろんいたし。


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