こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.10/4〜10/10


こぐれ日録713 2010年 10/4〜10/10

10/4(月)

3つ授業があるのは、なかなか大変だ。ゼミのあとゆっくり個別対応も出来ないし・・

3回生ゼミ。
長期欠席者を除いて全員の出席。けっこう、いい感じになってきた感あり。
アーツバーをやっている二人はもうしゃべることにまったく抵抗がなくなっている。
やはり、表舞台に立たせることが一番の学習機会だなあ。
先週の小野栄子さん効果もあるなあ。
はじめて、マジック研究の男子学生のコインマジックを見た。けっこううまい。マイムとマジックパフォーマンスとの関係が研究テーマに なりそうだ。

4回生ゼミ、卒論について。
京都府庁の横田さんにもらっていた、修士論文をベースにした美術館関係の学会報告のようなものを参考に、文献の引用の 仕方とか、注の書き方、表の作り方、その効果、「はじめに」に何を書くかなどを説明。とても役立たせていただいている(内容も 興味深いものだし)。

具体的な事例を持っている学生は、それをいかに抽象化、普遍化するか!が課題。でも、抽象的なものだけだと、そこから何か 具体的な事例を引き出すのが難しい。とりわけ、「料理は芸術かどうか」というようなもの(ぼく自身はとても面白い問いだけだと 思うし、ぼくに書かして頂くと結構哲学的刺激的な破天荒なものが出来るとは思うのだが)は・・・

行政法?、23名。新しい人が多い。先週が20名だったから、何か、出入りって感じかな。
民放の映像はまじめそうな2名から不評なり。たかじん(フロッピー改竄事件と裁判員制度についての一部)はよくなかったか。コ ンプライアンスの説明もあり、郷原信郎さんが出るので見せたかったのだけれど・・・宮下ナイキ化公園事件については、触れず。

小沢一郎さんの検察審査会事件について、いささか、思うこともあるが、もともとの日本の従米性が根本だし、その大元には天 皇制もあって、これぐらいは想定内であるのだろうと、冷静を保つようにしなくちゃ・・

10/5(火)

13時から、2回生ゼミ。
山科区のお二人が見に来てくれる。このまえのエコアクションNo.1宣言の関連で行われたかえっこバザールの発表第一弾。
発表の仕方、レジメの作り方などが後期のとても大切な課題。一番初めなのに、ずいぶんいい線にいった。あとは、聴いているゼ ミ生がいい質問や感想をいう訓練。これがなかなか。でも、アーツマネジメントで一番大切なのは、よく聴くこと。臨床的に地域や 文化現場にたたずむのも、そのためなのだ、と納得させていくことだな。

5限目、都市デザイン論。人数を数える前に、三条京阪へ。山科区の交通問題検討会の人たちと懇談会。5000円なり。浜 町。

そうそう、授業は、まちづくりの5つの分節化。そのうち、まちさがし、まちつかい、まちあそびに焦点をあてること。まちづくりと街(町) づくりの違いや、小暮が避ける用語(アート、創造、発信)の提示と簡単な理由。
後半は、山科の縄文時代からいままの歴史。これは、来週に復習しつつ、現在の人口や、歴史を学ぶに必要な知識のうち、 日本での仏教史のごく簡単な説明。

今度、大阪市関係の人に会うこともあり、よる、山科区役所の人にも会うこともあって、大阪アーツアポリアレターの松本さんがぼ くを紹介した記事や、神戸市でやっていた創造都市会議のレターのなかで、ぼくが連続して書いたエッセイをカラーコピーしておく 。

いろいろ、懐かしいのだが、かつて、アーツを針にたとえていたことをすっかり忘れていて、おお、こういう比喩も昔は使っていたことを 思い出し、新鮮(健忘症もまた価値っていうことだけれど)。

タイトルは、【アーツを通って「文化」を縫い直す【(こうべ 人・まち・アート創造都市会議 No.5 APRIL2004)
《・・・最近アーツは「針」じゃないかと思っている。社会への鋭い警告として怠惰な私たちをちくりと刺す「針」。そして同時に、人 びとの生活の蓄積としての文化資源を探し出し縫製していまに生かす「針」。でも針はまちの文化を「縫い」終わったら、もう別の 仕事に取りかかる。だからアーティストはお針子さん。芸術施設は針箱や針山、アーツマネージャーは指あてだと。・・・・・》


10/6(水)

午前中はこれからの授業の準備。生協の読書奨励制度の開始が遅れているのが気にかかりつつ。

TAM研、13時ぐらいから、3人の1回生。研究室のチラシ、未封の書類を眺め整理してくれる。とても助かる。だが学生にも多く のメリットがある。文化ボランティアの特徴なり。

14:50から大学評議会。
17:00から、教養科目の会議。
18:00からの11/23の書道ワークショップ会議は少しだけ。
終わってARTS BARの2人(モチダさんとムタラさん)とあれこれしゃべる。


10/7(木)

木曜日はゆっくりできると、昨夜ゼミ生に言っていたのに、手帳をみてびっくり。
今日は、10:15から京都文化博物館7階で京都文化ベンチャーコンペティション実行委員会だったのだ。
ぼくもふくめ、なんとか、面白いし、しかも意味のある活動になってきたと思うのだが、なんか、同じ府庁で重複(でもかなりターゲッ トは狭い)ものを、調整もなく予算化して、いま準備中ときいて、一気に萎えた。

つまり、6月補正で、伝統工芸振興の所管課から、京ものづくりのコンペみたいなことをする予算が通ったそうで、府庁というのは 、けっこう、ゆるいのだなあとびっくり。文化はじめ、さまざまな顕彰制度とは何のためにあるのかなあと思ってしまう。

デメリット(無用性、害毒性)としては、

いいものを見逃す、つまらないものを生き延びらす。
誰も責任をとらない(あて職)、審査員の身内びいき。
営業の一環として「発信」するというマネジメント。
屋上屋を重ねて発掘することにはほとんどしない。
マスコミの購読促進、視聴率確保の擬似イベントとなる。
政治的利権の具になる。ナショナリズムを刺激する。
(叙勲などはとくに)人に上下があるような錯覚を与える。
読者・鑑賞者・市民自身の批評しようとする気持ちをそぐ・・・

ぼくは、もともと、文化産業振興を芸術政策所管部局ですべきでないと思いつつ、これの委員をやってきているし、また、もっと、 根本的に、国(天皇)でも自治体でもマスコミ出版社、ノーベルなどなどでもだが、賞を出すということのメリットデメリットを考えて いるので、ああ、とあれこれ思っている(それに都道府県廃止への道筋づくりも考えているしね)。

13:10から2回目の大阪成蹊大学芸術学部の授業。11名。すこし減った。

16:30から、同志社の研究室で生協関係のインタビュー。
読書奨励金の行方は気になるところ。

18:25からは、同大院の文化行政論の2回目。前回と同じく11名。1名が新しく、1名が前回出席で今回欠席。


10/8(金)

あさ、とても素敵な論文の査読意見を書いて、学術振興課へ。
あと、入学課の用事もすます。昨日の日記を書く。どうしても、顕彰制度が気になって。

2限目の社会文化論。
限界芸術のお話。
176名。4名減っただけ。でも、どうだろうか、少し落ち着いたかな。でも最後、ワルツ(スケーターズワルツと、とし子が聴いているだ ろうかと賢治がいう、ワルツ「女学生」)を聴かすところで、うるさくなる。BGM的にどうしてもなるなあ。映画鑑賞でもそうだったし。
むずかしいところ。

来週は、「銀河鉄道の夜」の後半部分を読むことにする(3限目のあと、かなり眠いなあと思いつつ、印刷室で200部コピー:あ あしんど)。

3限目の政治学概論?。
23名。日本の戦後政治。大平正芳の幼少時代。当時の派閥の布置(現在の政治布置との比較)つき。
まだ、戦後の首相の名前を10名以上書く、という冒頭の昼休みからの遮断、起立礼着席みたいなハビタスを続けるつもり。少 しは増えたと書いてはいたが。

案の定、4時起きが続いていることもあって、途中で、ピアノの音が気持ちよくまどろむが、そこに、せつ子さんの声がして、はっと目 が覚める。「もう踊ったの? 見えなかったわ?」のあたりかな。制作の花光潤子さんから、フォーク歌手の○○(岡林信康だった か?)って言われる。ずいぶん、長く遭っていなかったからか。

ほんとに久しぶりに京都造形芸術大学のstudio21へいき、子供の絵画(いろんな国の絵はほんとに面白い)を眺めてから、山 田せつ子ダンスソロ『薔薇色の服で―無数の影と会う』19:35から1時間。
照明が吉本有輝子さんで、オペは三浦あさ子さんということ。二人は「真昼」という会社(グループユニット?)なんだなあと当日 パンフを見ている。

隣に、岡山のアートファームの大森さんがいて、きっと岡山でもせつ子さんの公演をされるのだろう、あれこれ。はなのことも聴かれ る。ずいぶん前に津山で歌わせていただいたな。小学校でワークショップをする詩人さんとかを聴かれて、詩人って上田假奈代さ んしか思いつかず・・・あと、美術関係では、やはり、井上信太さんや池田朗子さんの名前を出しておく。朗子さんのきりおこしws はかなり面白いという感触。でも、小さい子はすこしカッターナイフが危ないかも。

かえり、1回生のののちゃんがみにきていて、出町柳で串。


10/9(土)

アーツ演習?の2回目。前回は、瀧廉太郎。今回は中島みゆき。
つぎは、1000人の音楽会で万博公演。でも、ゼミで広島観光研究にいく学生がいたな。

19人に3時間の中島みゆき論。けっこう、じっくり用意したので、ぴったりになった。
天沢退二郎さんの『《中島みゆき》を求めて』(河出書房、1992)のファーストアルバム批評を一緒に読んでから、そのアルバム『 私の声が聞こえますか』を聞く。全部聞きたかったが、次からの予定の確認などで時間がとられて、3曲とばしてしまう。

でも、本当は、アルバムの構成をも鑑賞にすべきで、それがアーツマネジメント研究へとも続くのだということだった。
そのあと、直前に聞いた「ひとり遊び」が入っている部分に焦点を当てて、1992年の『夜会−邯鄲』を楽しむ。いまの中島みゆき と比べるからだが、アラフォーのみゆきちゃんもまたいいなあとか、そんなことも思いつつ見ている自分。「キツネ狩りの歌」に関わっ てそこからメルヘン的(物語)歌の系譜論とかしたくなる。

ちょうど、90分。
休憩のあと、2007年のライブの後半部分を見る。みんな「地上の星」は知っているが、それのみという学生も多い。「時代」が 1970年代半ばに出来たということが信じられないという。20台半ばの中島みゆきが創ったということも。

お父さんにこの授業のことをいったら、自分が受講したいといっていたとある学生。でも、自動車でお父さんが流そうとすると、お母 さんが暗いからダメというのだそうだ(笑)。

このあと、「劇団態変の韓国公演を共に実現する会」世話人会。
いままで、「劇団態変・韓国公演を共に実現する会」と表記していたが、チラシなどで、劇団態変と韓国公演を共に実現する 会の二つが主催するという間違いが出るという話もあり、「の」をいれた。もともと、ぼくは「・」もなしでいいという気持ちだったのだが 、判りやすくしようとして、うまくいかなかった例かも。

11/14の事前の打ち合わせに、10/13、出演者の一人清先生とウイングフィールドに行く予定。
12/24のパギさんたちのライブ(京都府立文化芸術会館)も面白い感じになりそう。問題は、チケット販売だ!ペア券を用意す る予定。もうすぐチラシ出て、もちろん学生割引もあり、ペア券で学生だと一人2000円にすることになっている。


10/10(日)

今日はオープンキャンパスの日。
予想どおりの人数だったので、キャンパス見学をかねて、研究室にて。
口琴にメロディーパイプ。15分も延長してしまった。
ちょうど、このころ、やませいではメックの練習が行われていた(ツイッターとかミクシーとかで映像がアップされていて、擬似的臨場 感あり)。

豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫、2008)を読みおえる。
凡庸なお芝居やテーマが安易な小説よりも、歴史の謎を探る研究を読むっていうことの面白さが存分に味わえる本だった。昭 和天皇による政治的行為、とりわけ「二重外交」(吉田・白洲外交をスルーしてマッカーサー・ダレスと天皇が交渉するもの)の 歴史的事実の発掘過程がじつにスリリングだった。

もちろん、昭和天皇の「沖縄メッセージ」、つまり、「『25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション』の もとで沖縄における米軍の占領が継続されることを求めた」(p181)メッセージについても、少しは承知していた(このような判りや すいサイトを読むことなどで→http://sun.ap.teacup.com/souun/3000.html)が、戦略的地区を指定する戦略統治の関係ははじ めて知ったこと・・

ちょっとだけ、引用。
p176
《・・・つまり、日本の基地提供と米軍駐留は、天皇制の死守をはかる昭和天皇にとって絶対条件になったのである。  こういう昭和天皇の立場にたてば、日本はあくまで無条件に米軍駐留を「希望」「要請」し、基地の「自発的オファ」に徹しな ければならないのである。それこそが、安保条約の「根本趣旨」なのである。さらに「内乱条項」は、きわめて重要な位置を占め ていたのであろう。こうして、皮肉な表現を使うならば、「国体護持」を保証する安保体制こそが、「独立」を果たした日本の新た な「国体」となったのである。》

p187
《・・・・昭和天皇の「沖縄メッセージ」の評価も、根本から変わらざるを得ないのである。
 つまるところ「沖縄メッセージ」は、沖縄問題をめぐる国務省と軍部の対立を克服する“巧みなレトリック”を日本から提示して 米軍による長期の沖縄支配を可能にし、それによって本土と天皇制の防衛をはかるという企図をもって米側に送られたものであ った。》

p209
《 敗戦から米軍による占領という、文字通り国家の最大の危機に直面した昭和天皇は、いみじくも松平康昌が「一番協力さ れたのは陛下ですよ」と述懐したように、占領協力に徹することによって、戦犯としての訴追を免れ、皇室を守り抜くことに成功し たのであった。戦後直後の危機を切り抜けた昭和天皇にとって、次に直面した最大の危機は、天皇制の打倒を掲げる内外の 共産主義の脅威であった。この脅威に対処するために昭和天皇が踏み切った道は、「外国軍」によって天皇制を防衛するとい う安全保障の枠組みを構築することであった。「皇統二千六百年」の歴史に照らすならば、およそ夢想だにもできないこうした方 向に昭和天皇をかりたてたものは、彼が現実政治に対処するにあたっての“透徹したリアリズム”であったろう。》


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