こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.11/29〜12/5


こぐれ日録721 2010年 11/29〜12/5

11/29(月)

後期は午後からの授業とか校務が多いので、役所などの会議を午前中にしてもらうようにしているので、まず、朝起きたら手帳を見ることにする。

アーツバーの学生マネジメント委員長もモチダさんからメール。産経新聞に彼女が載ったとのこと。丹波橋の売店でさっそくかって、大学に配布。

岩見隆夫『総理の娘』(原書房、2010)が、著者のテレビ言動によってほとんど期待していなかったのに、なかなかに面白く、こういう視点は、政治学を学生が学ぶときの一つのきっかけにはなるなあと、特に女子が多いわが大学では思ったりする。

もちろん、色々そうかな?と思う点もあったが(小渕優子さんを褒めすぎな感じはするし)、宇野宗佑さんの長女、宇野百合子さんとか、守山市に行った時にもタクシーの運転手さんに宇野家の不幸?みたいな話を聞いたりしたこともあり、なんか色々思う。宮沢喜一さんとその娘さんは、やっぱりそうだよなあとか、親ととても似ている娘さんが多い。でもまあ、そういう見方を無意識にしてしまうからかも知れないし、ずっと一緒にいる場合は後天的に伝承される部分も強いのだろうが。

ゼミを二つに行政法のお勉強。

3回生ゼミは、2名は元立誠小にいて遠隔地参加とすると全員参加。
Oちゃんがリクルート的になっていてびっくり。カイちゃんのマジックショーの制作話も面白い。
4回生ゼミは卒研までの追い込み。ミニシアター研究が9000字ぐらいになってほっとする。
民謡・わらべうた論は13000字とか。こちらは大丈夫そうだ。すこし心配しているのは、日本舞踊の小道具論だ。書いているかな?
行政法の来週は、ミニテストと判例を読むということをしよう。

昼休み前、600字ほどの原稿(市民しんぶん 山科区版)を頼まれ、速攻で書く。
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もっと知りたい!山科の大学 第5回
京都橘大学「新しい紙芝居を山科で創ったりもする文化政策研究センター」

 京都橘大学文化政策研究センターでは、山科区内の文化資源を発掘しいまに生かしたりすることを、地元の人たちやNPO、アーティストなどと一緒にしようとして活動をやってきました。その活動の一つとして、本学の都市環境デザイン学科の学生や教員が中心となって2006年から開始した「めくるめく紙芝居」プロジェクトがあります。この活動は、次の3つの特徴を持っています。

 一つ目は、懐かしい紙芝居メディアを使いながら、文化、とりわけ、絵画や音楽、それにお芝居やダンスまでを一緒に楽しみ創出できる先端的なアーツ活動だということです。

 二つ目は、障碍(しょうがい)のある山科の人たちとその支援者さんと一緒になって、学生も同じく山科の潜在的住人として参加している、地域密着の活動だということです。

 三つ目としては、「アーツと障碍と地域」といういままで結びつかなかった分野(文化政策、福祉政策、地域政策=まちづくり)を併せ持つ、実践的な研究活動でもあるのです。

 この活動を続けてこられたのは、多くのみなさんのご理解とご協力があったからでした。東御坊山科別院さんには本堂を公演場所にお貸しいただき、いまも続くワークショップは山科青少年活動センターを使用させていただいています。ぜひ、障碍のある人もない人も一緒に楽しめるこの「めくるめく紙芝居」をみかけたら気楽にご参加ください。お待ちしています。
(ブログ http://www.voluntary.jp/weblog/myblog/436)

京都橘大学現代ビジネス学部 小暮宣雄 執筆  579字プラスサイト

11/30(火)

平凡な火曜日。
あさは、ずっと宮沢賢治の童話を印刷したり、一番わかりやすそうな行政法と刑法の判例を探して印刷していたりする。
来年度の2回生ゼミでうちを第一希望する学生が15名ということ。ほどよいぐらいかな。あと溢れるところから何人来るか。それと同じ文化プロデュースの先生とのバランスもちょっと考えて(クラシック音楽や公立ホールなどなら、ぼくでなくてもいいので・・・)。

3限目は2回生のゼミ。このなかで、私の3回生ゼミを希望する人が10名。これもまたちょうどよい具合なり。こちらも少し流れることがあるかも?また、出していない学生も多いので、それを待つことに。

5限目は、先々週解説本をやった志賀直哉の「山科の記憶」ともう一つ「痴情」をメインにする。その前に、大石順教さんの本が手に入ったので写真を見せ、志賀直哉の山科の家の写真(柳宗悦夫妻も写っているもの。縁側が池のようになっている)も見せる。来週からはじめる忠臣蔵の予告。12/14の山科義士祭とか。

「山科の記憶」はまずまず学生も読めるようになりつつある。「若し」とか、「然し」とかはなかなか読めないが。「痴情」は、内容もよりエキサイトすることもあり、ぼくが読むことにする。そうすると少し早く終わってしまったが、読むのは、なかなかに楽しい(一部、なんでか、イントネーションが関西弁になったりした。会話で祇園の仲居さんを逆に京都弁にぱっとするのがむずかしい)。

帰って体重計に乗る(夕食後、風呂場といういつもの条件)。71.2?。これ以上にならないこと!


12/1(水)

一人、卒論指導。料理と芸術の関係をさぐる学生と午前中向かい合う。
14:50から大学評議会。来年度もアーツマネジメント論を大学コンソーシアム京都に開くのだが、これを水曜日1限目に設定しているので、受講者も少なく長続きしないという問題点を指摘(一応、お願い:たとえば、5限目とかにすること)しておく。

さて、ゼミ選びの途中経過だが、次年度のこぐれゼミの3回生希望者が13名もいるということ。えらいおおいなあ。

就活ビシバシゼミに殺到するかと思いきや、10名というのがとても意外。もっと意外だったのは、観光ゼミも少ないようで、どうなっているんやろう?どうも、就活ビシバシゼミのほうにいま観光基礎ゼミにいる学生が移った模様。就活ビシバシゼミへ建築志望学生がいくようにしてもらったほうがよかったのかも知れない(結果論だからむずかしいけれどね)。

年に一度、大学コンソーシアム京都で、入門都市政策の授業をする。18:20〜19:50。今回は、42名(うち3名は別枠の社会人)ということで、実際は、23名(うち2名が別枠)の受講なり。まったく電気は使わず(おっと黒板移動が電動なので使ったなw)。マイクもなし。で、その感想をすこしだけ。

◎ 今日の講義は今までの都市政策の講義で一番変わった授業でした。私は経営学を学んでいて、その中で文化経営論も学んだので芸術や文化のマネジメントというトピックを、政策の面からのアプローチとして興味深く聞かせていただきました。・・・・

◎ “文化政策”の講義を受ける、ということで、私は勝手に京都の古い文化をこれから守っていくための政策などというような、回顧主義的なものだと思っていた。しかし、講義で紹介されていたのは、全く別の切り口からの文化で、まずそこにおどろいた。
 また、文化とか芸術とか、私は卓越した人だけがつくれるものと思い込んでいたが、それは自分の興味の浅さからきた勘ちがいだということも分かった。これからは、今日講義で紹介されていた、大学生・子供・障害者の方たちの芸術にもっと興味を持ちたいし、物事をそういう切り口の視点で見ていきたいなと思った。

◎ ・・・こんな無知の私でも芸術・文化の必要性や意義を考える事ができました。私は、学部上、税金の使い方に関しては経済効果を重視して考えてきました。なので、大阪府が公共(ママ)楽団への補助金を止めるニュースを見ていても、なんとなく賛成側にまわっていました。
 しかし、今回、芸術・文化は経済効果は薄いにしても“自由”が手に入るという事を知って、私の考えも変わってきました。今は不況で、お金の使われ方も慎重にならなければならないけれど、こういう時期だからこそ、自由で楽しい文化振興が進むといいなと思いました。
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朝、思ったことを以下のようにメモってゼミ生に添付ペールする(問題ないところだけ、以下に)
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【学生たちがワークショップをするという冒険と危険と可能性】
昨日も2回生ゼミ生(当日のワークショップ手伝い。そういえば、担当の学生リーダーが強くいうので、仕方なく9時前から来て16時すぎまで入った超まじめな学生たちの感想はまだ来ていないな)が、この前のワークショップの感想を書いているのを見て、つくづく、学生たちがワークショップをするというと危険(と可能性)について思った次第。

でも、これを教訓にしてやっていくこともあるだろうし、そこで、「尻拭い」と思わずに、とっさの自分たちのアーツマネジメントを学習する者としての判断を自分なりに評価し、それを予防するためには、どういうことを事前にすべきだったか、と思えば、より成長する。

学生がやったということでマスコミに取り扱ってもらい、じつは、教職員とか企業とかが全部お膳立てし、シナリオやしゃべることも事前に覚えこませるようなことが、どこかでは当たり前なのかも知れないが、そういうイベント、宣伝的世界とは、まったく違うことをぼくはやってきたと思うし、やらねばと思っている。

そこには、つねに危険がいっぱい。その被害を最小限にしつつ、それを乗り切ることの喜びを体感することで、つぎの冒険と希望、世界はまだまだ定まっていない、自分たちにそれを創り上げる希望という余地があると実感する機会にはなる! だから可能性が逆にあると思うべきかも

学生のメモをいささか
◎ ・・・・・今後、私たちがワークショップをして、ボランティアの人に手伝ってもらうときには、主催者側でしっかり打ち合わせをし、ボランティア(手伝い)の人にも、しっかり仕事をしてもらえるように計画してやらねばならないと学びました。・・・いろいろありましたが、たくさん学ぶことがありました。

◎ ・・・・・ワークショップをするには、もっと主催者がどのようにやれば効率が良いかとか、どのような流れ、準備が必要かなど理解しておかないと上手くできないということがこのワークショップで感じられた。自分たちのときの参考になったと思う。

◎ 私は、・・・チラシ配りをしました。でも、最初は、ワークショップ担当者たちの尻拭いをしました。・・・・・・


12/2(木)

手帳が伊東屋から届いた。転記しなくちゃね。伊東屋は本当に好きな文房具屋だった。娘が小さかったときは特にファミリアと梯子して帰ったものだ。

中国映画を朝観ていたのだが、2度ほど中断しなくてはならず、10分ほど残った(夜に観た)。
『春の惑い‐蘇州恋歌』(原題「小城之春」。田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督、111分、2002年)。
たまたま志賀直哉『暗夜行路』を読み終えた日でもあり、その最後のシーンのシンクロナイズが不思議。
偶然なのに、とても近い気持ちが妻にあるのではないか、とか思う。

1948年、中国では当時ぜんぜん公開できなかった映画「小城之春」<費穆(フェイ・ムー)監督> のかなり忠実なリメイクだそうだ。2004年にシネ・ヌーヴォーが上映したらしいが、とても見たいと切望することしきり"http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-a-299kosironoharu.htm"

長岡京の大学図書館でも映画を観たが、今度は日本語字幕のない設定になっていて、またもどじる。
でも、かなり適当な想像で楽しんだ。すぐにパソコンブースで字幕のチェックしてほっとする。
『旅情』(SUMMERTIME、デヴィット・リーン監督、1955年、100分)。1907年生まれのキャサリン・ヘップバーンが、アラフォーの独身秘書(10歳ほど若い38歳の設定)を演じる。舞台はイタリア・ベニス。オール・ロケ。キャサリンの中年のリアルさが、とくに、手のシミ(のように見えた、まだらな皮膚の感じ)に出る。


12/3(金)

べトナムからの笑い声第28公演『チェーンデスマッチ』 & 宮澤賢治の異色童話「フランドン農学校の豚」を授業する

18:05発の山急に乗る。10名ほど。それでも少ない。結構早く京都駅。突然寒い。
アバンティのラーメン屋に行こうかと思ったが時間が読めないので、とりあえず東福寺。
大黒ラーメン。470円というのはいまどき貴重かも。チャーシューメンを頼むがラーメンプラスメンマ520円の方がよかったかもとそのチャーシューの薄さをしばし眺める。

声がでかい女性がいるなあ、と思ったら、元気のいい卒業生のKちゃんだった。女子大時代のひょっとしたら文化政策一期生だったか、もう忘れている。いまはもう彼女みたいに小劇場演劇を好きになった学生はまずいない(おっと、英コミから移って来たHちゃんは文化政策学科最後として辛うじているが、まあ、Kちゃんのお芝居に高校生か浪人かのときに出ていたという異色人だから例外中の例外)。

スペース・イサン。
べトナムからの笑い声第28回公演『チェーンデスマッチ』脚本黒川猛。新作ばかりということだったが、テイストはとくにかわっていない、でも、十分にいままでどおり面白いもの。21:30には撤収しないといけないといけないと10分前に終わってあせっている丸井重樹さん。そういえば、19:30きっかりに始めるのも珍しいなと思ったのだった。

今回とくに女優さん2名の壊れ方が大好きだった、・・荒木千恵&山方由美。

NHK的で真面目なドキュメント・ナレーションを遊ぶ(「円周率・・・」)や、前説が異常に長いのが面白い「母の愛したバルタン・・・」。昔のトレンディドラマを古代に置き換えて、繰り返しのバカバカしさを楽しむ「古代帝国の謎」など。
あと、メックにも取り入れることが可能かもしれないなあと思ったのは、文楽=クナウカ方式の「パン屋のパン子ちゃん」。このパロディ化は定番かも知れないが実に面白いもの。

初日でバタバタだったのだろうね・・・19:05ぐらいに行くと、受付のほうは、客を並ばせるようでもなく、番号券も配らず受付をしていないのだ(ゲゲ)・・・開場が遅れているのと受付開始は別なのに、受付にはそれを分かっている人間もいないなど、新人劇団みたいで、ベトナムぐらいのベテランさんがどうしたのだろう?と思って、自分は椅子に座って読書していたが、これも不思議な椿事なり。

昼間は、いつもどおり。
2限目の授業(157名受講。登録数は229名)で、先週かなりの反響のあった、宮澤賢治の異色童話「フランドン農学校の豚"http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4601_11978.html"」の後半をみんなで読んだ。前半はけっこう難しいので飛ばしたが、このあたりだけは、読んでおいたほうがよかったかも知れない。

「 ところが、丁度その豚の、殺される前の月になって、一つの布告がその国の、王から発令されてゐた。  それは家畜撲殺同意調印法といひ、誰でも、家畜を殺さうといふものは、その家畜から死亡承諾書を受け取ること、又その承諾書には家畜の調印を要すると、かう云ふ布告だったのだ。  さあそこでその頃では、牛でも馬でも、もうみんな、殺される前の日には、主人から無理に強ひられて、証文にペタリと印を押したもんだ。ごくよれよれの馬などは、わざわざ蹄鉄をはづされて、ぼろぼろなみだをこぼしながら、その大きな判をぱたっと証書に押したのだ。」  「フランドン農学校の豚」『宮沢賢治全集7』ちくま文庫、1985年)p136


12/4(土)

ひさしぶりに、大学でアーツ演習?をする。
小劇場演劇篇(まあ、小劇場演劇以外にぼくが見せるものはないんですが)。以下、そのために作ったアフターライト用メモ。

(夜、お芝居を観ます!っていっていたのに、卒研指導の処理などに手間取っていけなかった。すみません。工藤俊介プロデュース プロジェクト KUTO-10第11回公演『たそがれの犬たち』〜ぼちぼちいこか外伝〜)
・・・

演劇『アインシュタイン・ショック』についてのアーツ演習?  2010.12.4

(1)あなたの演劇論を書いてください。
1)まず、演劇というのは、実演芸術の一つですが、実演芸術とは何か、芸術の分類に即して簡単に書いてください(以下、箇条書き風でもいい)。
2)演劇は、その実演芸術のうち、どのような特徴を有していますか。他の実演芸術と比べたり、どのようなアーツプレースで公演されるかなど、色々箇条書きで書いてください。
3)あたなは、演劇をいままでどう体験してきましたか。そのなかで、小劇場演劇(この前のA級ミッシングリンクの公演や、「多神教」など)は、どんな特色を持つと思いますか。印象でいいので書いてください。

(2)劇団ジャブジャブサーキット公演『アインシュタイン・ショック』鑑賞
1)すこし、せりふを読んだりしましたが、その感想を書いてください(聞いただけの人も含めて)
2)『アインシュタイン・ショック』の演劇の特色はどのようなものでしたか、事実を書いてください。
3)さて、このお芝居のDVDを見て、あなたはどのような感想を持ちましたか。ここで、主観的に自由に感想レビューを展開してください。

【参考(最後のシーンの理解のために)】
宗教風の恋                 宮澤賢治『春と修羅』第一集より
   
   がさがさした稲もやさしい油緑(ゆりよく)に熟し
   西ならあんな暗い立派な霧でいつぱい
   草穂はいちめん風で波立つてゐるのに
   可哀さうなおまへの弱いあたまは
   くらくらするまで青く乱れ
   いまに太田武か誰かのやうに
   眼のふちもぐちやぐちやになつてしまふ
   ほんたうにそんな偏つて尖つた心の動きかたのくせ
   なぜこんなにすきとほつてきれいな気層のなかから
   燃えて暗いなやましいものをつかまへるか
   信仰でしか得られないものを
   なぜ人間の中でしつかり捕へやうとするか
   風はどうどう空で鳴つてるし
   東京の避難者たちは半分脳膜炎になつて
   いまでもまいにち遁げて来るのに
   どうしておまへはそんな医される筈のないかなしみを
   わざとあかるいそらからとるか
   いまはもうさうしてゐるときでない
   けれども悪いとかいゝとか云ふのではない
   あんまりおまへがひどからうとおもふので
   みかねてわたしはいつてゐるのだ
   さあなみだをふいてきちんとたて
   もうそんな宗教風の恋をしてはいけない
   そこはちやうど両方の空間が二重になつてゐるとこで
   おれたちのやうな初心のものに
   居られる場処では決してない


12/5(日)

団塊の世代が退職して日中が自由になっていることから、実演芸術の公演日時設定において、平日の昼間というオプションが可能になってきている。同じく、私のように早起きさんが増えることから、午前中公演という選択肢もありうるし、すこしずつ見かけるようになった。コンサートホールで、お昼休みにワンコインで30〜45分ほどのミニミニライブ(若手の独奏など)というものはもうポピュラーだし。

もちろん、夜型の演劇人にとって、午前中公演はとても大変なことだろうと思う。
というわけで、初めて行く関西芸術座関芸スタジオは、11時(朝である、午後11時ではなく)公演ということなので、どれぐらいお客さんが入るのか?ということも含めて楽しみにしていった(客の入りはまずまず多く驚いたのは若い人もけっこういたことだった)。
天下茶屋から南下するちょっとの間が分かりずらかったが、あとはチラシの地図で大丈夫(帰りは、岸里から難波に行った)、立派な建物だった。向かいの天満宮で開場までぶらぶらする。気持ちいい。

VOCE企画vol.4『8人の女たち』作:ロベール・トマ(訳:和田誠一)、演出:ウォーリー木下。2時間のあいだ、女性8名による娯楽系の作品だった。ただ、私には音とか演技とかがすべて大げさすぎて引き気味に見ていた。すこし、大阪維新のポスターと響き合っているような錯覚すらした。

そのあと、14時すぎから、まったく対極的なお芝居を今度は難波・精華小劇場で観る。
ようやく観ることのできた宮崎県(都城市の隣の三股町と延岡市の隣の門川町が拠点)の【こふく劇場】(作・演出は主宰の永山智行)である。

ここ、こふく劇場は、前に京都に来られて、「水をめぐる」をアトリエ劇研でやっていたのに観られなかったのが残念だったし、今回も「水をめぐる」のほうは見逃す。
で、新作の「水をめぐる2」(作・演出:永山智行)だけに間に合ったわけだ。

前説で永山智行さんが、その移動の仕方(身を屈めて足踏みするもの)を説明する。いやあ、実際は説明以上にすごかった。そして、演技としての涙と嗚咽がこれほど胸突かれるものはなかなかないなあと、一番前、その女と向かいあうようにして思った。80分弱かな。よかった。想像できない面白さだ。

若干、弛緩するところもあった。まあ、それも愛嬌だと思うのだが、これは、みやこんじょう弁に愛着がある自分の贔屓目かも知れない。あのアクセントには強烈な印象があるからだ。役者固有のアクセントで台詞をゆだねる方法論は、弘前劇場の長谷川孝治の直流であろう。

足踏み動きは、スズキメソッドを彷彿とさせるが、より、カジュアルな趣があるのは、高千穂の夜神楽などが宮崎では身近だからではないだろうか。一番いいのは、もってまわった台詞回しをまったくしないことだ。あと、楽器の演奏も無理のないもので、リズム中心、おもちゃ楽器などの活用は限界芸術的な要素もとりいれている。

帰ってもまだ17時前。
キャサリン・ヘップバーンの映画の5つめ。ジョージ・キューカー監督『フィラデルフィア物語』(1940年、112分)を観る。ジェームス・スチュアートの長身ですこしはすかいに生きる演技に注目したが、いままで見たキャサリン映画のなかではいまいちな部類かも知れない。すこし、朝のお芝居とも共通する、自分に合わない所(社会階層間のコンフリクトの析出力がぼやかされていて甘い)が確認されたりもした。


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