こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.5/17〜5/23


こぐれ日録693 2010年 5/17〜5/23

5/17(月)

3回生の発表がふたりとも予想以上の面白くて興奮して、すこし発狂状態になってしまった。 なんと、ふるさと創生を研究したいというまじめな、臨地まちづくり研究会の女子。ぼくが、自治大臣官房企画室課長補佐当時、担当していたとはまるっきり知らないというのがおかしすぎる。

もうひとりは、マジック大好きな男子。意外と(ごめん)真摯にマジックの意味、目的、その本来のステージ性について熱く語るので見直した、ずいぶん。

4回生ゼミ。なんで研究室であれこれいっていたHちゃんが来ないのかは解らない(ツイッターで反応があって可笑しかった 「授業料払っているから、就職の相談をしてください、といわれていて、困っています。」)が、彼女以外は全員出席。映画祭の話で、日本の映画祭の話をしたら自分的にえらくもりあがってしまった。

4回生には、民謡とか祭りとか、限界芸術論をがっつりするべき学生もいるのだが、どうも、博物館関係の授業があったりするようなので、読書カフェには姿は見せず。
2回生の2名がきたり、1回生が2名(一人は文化財の学生で知らなかった子)、4回生のそのHちゃん、博士後期の2名、N山先生、あとは、生協の関係者が4名。私を入れて、13名。まあ、ゼミみたいでしたね、と生協の方に言われたが、こんなにがっつりとした、しかも、コーヒーやケーキを食べながらの2時間はなかなかない。

トマソンとの関係とか、答えるのがちょっとむずかしいものもけっこうあったが、生協の方で、ずいぶん昔、彼女たちの1回生のときに、一人は限界芸術論を読み、もうお一人は遠野物語を読んだりした方がいらっしゃったのが、実に興味深かった。

Shizuoka春の芸術祭2010「未完成の世界」の宮城聰さん(静岡県舞台芸術センター芸術総監督)のの手書きの言葉もとてもいいな、と思う。

《 ・・特に若いみなさんは、「世界を作る」という仕事はすでに誰かが済ませてあって、自分たちは「その中でどう生きるか」だけを考える立場だと受けとめてはいないでしょうか?・・・

《 けれど、少し前まで、人々は「世界はいま作られている最中だ」と感じて生きていたと思います。そうして、自分自身が悲しみや苦しみや喜びを経験することで少しずつ成長してゆくように、世界もまた、苦しみ悩みつつ成長してゆくものだ、と思っていたことでしょう。・・・

《 この春、SPACは、「作られている最中の世界」をナマで見ることができる作品を集めてみました。
 シューベルトの伝記映画『未完成交響楽』のラストシーンにあるように、「わが恋の終わらざるがごとく、この世界もまた終わらざるなり」とつぶやいてもらえるように。

《 劇場は世界を見るための窓です。 宮城聰》


【以下、劇場法をめぐるツイッター的発言メモ】

地域がそれ(劇場や音楽堂、美術館の運営方法はじめさまざまな地域芸術環境形成についての文化政策の選択肢)を望むならば、地域主体がそれを選ぶ。国がするのは、アーツNPO(民間アーツスペ−スも含む)への寄付(運営)優遇税制である。ふるさと納税制度に、アーツ納税制度をよりくっきり位置づけることなどもいいかも。

鑑賞者と地域市民で鑑賞者になる可能性のあるすべての人たちにこそ、地域劇場・音楽ホールがある。
創造する場はもちろんとても必要で、稽古場やアトリエ、道具たたき場などはうまく空き施設などを活用したまちつかい政策が有効。

問題は、階層化されることなのですね。
創造型と鑑賞型は、対等であり、両者の幸せな出会いがアーツマネジメントなので、どちらか一方が優越したり優先されるという構図が一番困る。
自由に創作すると同じように自由に鑑賞する市民形成のことをどう扱っているのかが、博物館法にはない。美術資料を教えてあげる社会教育にどうしてもなってしまう。

他方、図書館法はそれが違う。つまり、図書を選ぶ市民=読書する鑑賞者的享受者が主役になっている。
劇場法は、博物館法みたいな学芸員制度とか文科省の細かい制度しばりばかりでちっとも面白くない制度化になることをその喜びにするのか、それとも、博物館法のなかの美術館を救出して、芸術拠点機構法のようなものぐらいには、知恵を働かすおつもりなのか?そのあたりも議論の余地があります。

そうそう、地方自治を阻害するような劇場法は絶対にいらないんだけれど、国立劇場をもっときちんとしばる法律はあってもいいかも。国税をこんな集団によって運営されていいと思っているのか、と厳しく問うことがその過程でできれば少しは意味あるかも。


5/18(火)

ようやく、都市とアーツの最終的な評価方法を決めてプリント。リポートを2回出すということにした。テストをしてきたが、去年よりは少し人数が少ないし、日本の映画監督をきちんと一人自分のものにするという課題をじっくりしてもらいたかったからだ。

2回生ゼミでは、5/30の準備。6/20のかえっこバザールのためのチラシ作りを5/30のかえっこバザールの際に配りたいので、そのチラシチームだけ別に作業をしてもらって、それ以外はおもちゃ整理とか、シフト表作りなどをどちらも基本的に自主でしてもらう。

東山青少年活動センターで機関誌づくりや東山フェスタの企画ボランティア募集の話をしてもらった直後だったので、これから夏休みにかけて、自分たちが文化プロデュース体験を行うリストを作って配る。ただし、この説明がちゃんとできないままにかえっこ作業に入らせてしまったので、来週、これらの少なくとも一つはするんだよといわねばならない。これらを体験して、秋にレジュメを作りつつ発表するという学習、そして、それをレポートにまとめる作業が後期ゼミの課題だから、ちゃんとするんだよ、ということなのだが、さて、今年はどうか。

そうそう、去年は水都大阪があったが(男子4名が担当になってしまい、いろいろあったな)、今年は、9/25の山科区の催しが新しい役割。めくるめく紙芝居にも参加させる必要があるのだが、もう1回生が3名入ったこともあり、「その他」で希望者がいれば・・というスタンス。あと、明日に説明がある、11月における京都の美術系大学のコンソーシアム京都的展覧会(元立誠小)の準備と企画もあるのだが、これは、後期のアーツ研究(演習)Uで対応しようか、と思っていて、ちょっと様子見。

5限目の都市とアーツは去年とほぼ同じ流れ。30年以上前の日本のアニメのカーチェイスシーンを見比べ(ルパン3世が素材)、それから10年後、バブル経済真っ最中における人形劇団の解散というテーマを扱った原恵一さんのデビューアニメ「星空のダンシングドール」を41分フルに見せて、これからの原研究へ結びつけるとともに、人形浄瑠璃のこと(阿波の鳴門だろうと想定)や人形劇自体の話がアーツマネジメント研究の導入にも関係するようにする素材となる。
どうしようかと思ったが、10分弱のものがちょうどあったので、それより少しあとの原恵一さん演出のクレヨンしんちゃんも見る。

こうして、授業も演劇と同じく再演ということがあるわけで(毎年同じ話を同じノートでやっている教員という揶揄があることは重々知っているのではあるが)、やっぱり、再演というのは、初演よりもいい面がけっこうある。まず、時間配分が判っているので無理がなく、どこで受講生が反応しどこはむずかしいかが判っているので、そこを予測しながら進めることができる。

他方、同じ内容での展開としても、教室が違うことでの制約が今年はあったりしたし、そういう環境(朝1限目から夕方5限目というのも学生の気分にはずいぶん違う:始まりはジャストタイムにして帰りのバスに急ぐ学生のために、17:40には終了しようという時間管理)も受講生も違うこと、去年は外授業に東部文化会館で人形劇を見ることになっていたというつながりがあり、今回はそれはないのだが、やっぱり、こどもに向かい合う劇団という面では、6/20の子ども文化フォーラムにおける「かむじゆうのぼうけん」の実演を鑑賞する準備になっているはずである。


5/19(水)

あさ、昨日の日記を書いた後、
中島みゆきのセルフカバーアルバム第2弾『御色なおし』(1985.4.17)9曲をしみじみ聴く。
研ナオコ「かもめはかもめ」が前からよく知っている曲なのだが、ピンクレディのけいちゃんに書いた「すずめ」とか、柏原芳恵への「カム・フラージュ」(「最愛」はぴったし)とか、意外感もあるし、とくに後者は中島みゆきの曲のなかでも異色な感じ。

面白かったのは、楽曲管理社がヤマハではなくバーニングになっている「美貌の都」(郷ひろみ、1983)は、作曲者がこれだけ彼女ではなく筒美恭平ということもあって、バーニングパブシッシャーズになっているわけだろうな。

1限目のアーツマネジメント論。マイクなしで久しぶりに学生を見ながら(寝てる男子を起こしたりちょっかいをだしたり、院生にルーズリーフもらって、チラシの横にノートとっている学生に渡したり)、話す。無駄にテンション高し。というのは、10:40からコンソーシアム京都の人が来て、11月の旧立誠小での大学間美術展?みたいなのに、うちのアーツマネジメントチームがかかわるっていう話もあり、モッチちゃんを呼んでいたりして、新しい企画のキックオフってテンションあがったからなのだが、ドタキャン。

で、もっちとだべっていたり、いろいろかえっこのおもちゃのことをおしえてもらっていたりしていると、電話。文化政策研究センターのプロジェクト予算会議だった。遅れていくと、なんと、めくるめく紙芝居にも謝金やアーティスト交通費が出せるのではないか、と織田先生がいってくださって、これは、えっちゃんに話さなくちゃと思う。

夜、南河内万歳一座『びっくり仰天街』作・演出:内藤裕敬。
エイトスタジオ。場所が西天満の元関西テレビのスタジオだったところで、150席ぐらいのゆっくりした場所だった。どうも、内藤さんがウルトラマーケットの関係で大阪城ホールと喧嘩したとかで、こちらになったと後説していた。30周年なので来年は1年お休みだとか。19:35〜20:07。

入口と出口がくっついて、迷い込む。かってに商店街の物語かと思っていたら、そこではなく、もぬけのからのアパートにあった箪笥やテレビ、布団、衣類。お尻の穴とウンコの話しに通じる。中にあったら機能するものが、道端に放り出されると、ウンコと同じく、おぞましいものになる。

はじまりとか懐かしくてちゃんと見ていたが、そのあとは、だいたい読めてしまって・・・まあ、お付き合いが古いこともあり、これも観客としての成熟と自分を褒めるしか仕方がないかな。どうして、もっともっと、社会や政治と切り結ぶ要素があっただけに自分探しに縮小するのがもったいないかも、な。


5/20(木)

近大文芸学部の非常勤講師室の前に大きな作品があった。その前は学生の硝子作品がならんでいたので、今度は、観光とかをテーマにしたデザイン専攻の学生さんたちのものだろうと思ってふと目を留める。近大の学生さんたちの共同制作にしたらすごいうまいし指導させる先生は大変だろうなあと思って、クレジットをよく見ると、岩岡航路さんという造形芸術専攻の教員さんの大作だった。

「岩岡航路絵画展―原風景」。2階の壁がぜんぶ岩岡さんの作品があって、2004〜2009のもの。小笠原諸島の日常風景、釣りが作者も好きなのだろう、魚、フィッシング。教育的効果もあるのだろうし、個人的にこういうのが好だなあと思ったのが、日々かかれたスケッチ群。大作を作っているとこういうことができなくなるから、スケッチするのだと書いてある。

なんか、さきらの西川さんに呼ばれていいことをすべきだったのに、ひとり、酔っ払って迷惑をかけたのかも知れない。
さきら、というか、西川さんや山本さんたちがしようとすることは応援するので、今度は飲まないでおこうと反省。
地域創造のことを思って、かってにお通夜をしたのかな、と自己弁解(笑)。

あと、京劇の影響を歌舞伎が受けたという珍説を聞いたのは面白かった。
そういわれて、あんまり不思議に思わないぐらい、いまの日本人の音楽、舞台の基本的知識が西欧偏重なのだろうな。

自分も平田オリザさんのことをあーでもなくこーでもなく酒の肴にしてしまっていたが、ロボット演劇をする気持ちは、ただのオーケストラの演奏家の人と一緒にいると痛いほどわかる。作曲家よりも何だかいままでの日本では演奏家とか指揮者がえばっているのは西欧の規範があっただけに過ぎないのだなあ。


5/21(金)

国の天下り公益法人の事業仕分け。確かに法人仕分けの方がいいわけだが、それでも、宝くじの1兆円のからくりが表に出たのは新政権の手柄だろう。
ぼくが作った地域創造の幕引き。キモチがせいせいする。

朝、二日酔いながら、都市と文化資源、ようやく、絶対したいことがわかってくる。オーケストラがグローバルだと時代遅れなことを言っている人たちの影響を排除するために、邦楽をきちんと伝えるために、民謡、わらべうた、長唄、義太夫ときて、仏教音楽伝来の囃子楽器へ。チンドン音楽までもう一歩。

復習的に文楽のこと、薩摩琵琶から壇ノ浦。そして、阿古屋に挑戦する鶴澤さんへと続ける。ところが、薩摩琵琶を聴いていて不覚にも涙が止まらなくなってかなり長く聴いていたようだ・・・お神楽的囃子も聴いたし、長唄もあったし、三船敏郎が演じる無法松の小倉祇園太鼓も聴かせたし。

2限目の政治学はようやく地方政府論。これが、どうも難しかったようで、来週もっとわかりやすく国庫支出金と地方交付税、国税と国債などの関係を教えねば、とは思う。機関委任事務の説明もあるし、これはずいぶん何も知らない学生には高度すぎたよう・・・

そのあと、東部文化会館で6/20のうちあわせ。5/27には、チラシができる。
5/30のこどもフェスタに配るというので、うちのかえっこだけのチラシも挟みこみさせてもらうかな。

ほんとは、17:20ぐらいに集合でよかったのだが、17時すぎに清風館に集まってあえて岩屋神社を見せながら椥辻へ。そこで男子とも合流して、280円でいける地下鉄五条駅から、五條楽園へ。その入口で、みんな息を飲む。広い五条通を入ると昭和。バーベキューする子どもたちが、ぼくたちに声をかける。アジアの観光客と思ったのか、こどもたちは、英語でハーワーユーとかいう。

五條楽園歌舞練場(1915年、ただし、上手側の壁は改修している感じ)到着。今日は25名の予定だったが、17名の参加。今後もこれぐらいですか?と制作の男性。はい、ごめんなさい。でも、ちょうど満席の感じでよかった。その制作の人は水の会(ウイングフィールド)のときも学外授業にぶつかって、色々迷惑をかけた。たぶん、50数名ぐらいが実際に学外授業出席になるだろうな、たぶん。

遊劇体49回公演『多神教』。泉鏡花の11作のうちでも晩年(1927年)の作品。上演がされた記録がないという意味では、これも文化再資源化の重要なものである。演出はもちろんキタモトマサヤ。19:35〜20:58。

授業でお囃子の面白さを紹介し、長唄を聴かせたのが(娘道成寺の想像するシーンで)少しは役立てばいいのだが・・・
いやあ、そのカタルシス。一番意外でからこそ面白かったのは、こやまあいさんの媛神さんで、少女漫画的愉しさ。いやあ、愉快に、村尾オサムさん役の禰宜がくしゃくしゃになって、最後は・・・ほーとなるのは、水戸黄門的とキタモトさんが書いてはるけれど、実に面白い。条あけみさんの巫女がさらりどっしりと適役。
さすがな、大熊ねこさん。前半が抑え気味なので、おお、そのつかまっていじめられることで、その強さが凄みになっていく・・・

舞台監督の塚本修さんが天狗役。いやあ、大変だろうけれど、もうすこしテンポアップの余地あり。
そういう初日ならではの緊張感が漂う舞台で、しかも前半の長台詞が擬古調なので、前シテの長いお能を見るぐらいの辛抱がいるから、学生は大丈夫かなあと後ろで観察していたが、ちゃんと見ていた感じでほっとする。


5/22(土)

大学院のアーツマネジメントの授業。
今日から、博士課程後期の院生が一名追加なり。
彼女が持ってきた、教科書が一つ前の版。面白いのは、最新の概論には、文化芸術振興基本法が載っていないので、彼女の教科書が役立った。
ちょっと、文部省(文化庁)は、戦前から、国語と日本語(外国人:戦前は植民地人)政策を分けて考えていたのだが、それが、この基本法の18条と19条に反映されていて「政治と文化(庁)」を考えるのに興味深いといういう点に触れる。

その法律が体裁的には議員立法であるといえど(つまりいかに政治家主導と見せかけても)、自民党案になったとき、突然、それまで議論されていないような(文化庁所管事業を書いた)条文がいっぱい増えたのは、お役所のゴーストライターがいたからでした、というお話もちょろり。

それにしても、小林真理さんが、スターリンにおける文化政策を学生に課題としてあげているのに、びっくり。マルクスですらあんまり知らない学生たちに、スターリンはほとんど知らない歴史上の人物になっている。マルクス兄弟の話にまた脱線したけれど。

かえって、中島みゆき『おかえりなさい』をじっくり聴く。セルフカバーの第一弾。1979.11.21 研ナオコで聞きたくなった。
ちょうど、郷ひろみの「美貌の都」が入っているCDがあったこともあり。


5/23(日)

昨夜、行けなかったのだが、AI・HALLでの伊丹想私塾第14期生公演『R-10 グランプリ』は、北村想さんのチラシ文句があまりにも自分の関心にぴったりだったので残念至極。といことで、文章だけでも引用しておく。

《 いよいよテレビメディアも経済的に追い込まれてきたようで、出版界の次は箱型お茶の間業界の衰退をみることになるのだが、そんなものは、内容的には、もうみえていたことなのだが、この箱型媒体が及ぼしたひとの脳とココロへの影響は予想以上に大きく、今期塾生の書くものも、そこから一歩もでないのだ。・・・・・・》

さて、午前中、何もしないで、ツイッター三昧。半島振興室長の頃というからずいぶん昔にいろいろ広島でステキな地域文化メディアをされていた方にメディア的にお世話になって「地域文化集権」などというチンケな造語がちょっと拡散したりして面白い限り。

14時から17時半ぐらいまで、東淀川の劇団態変事務所で、K崎さんたちと、30日に行う「劇団態変韓国公演を共に実現する会」発足の集いの準備。
http://tomoe-gohan.blog.so-net.ne.jp/2010-04-24-4
学生たちの椅子並べ手伝いをしてもらう必要があるし、BGMも担当になったので、忘れずにしなくちゃいけない。一番大切なのは、200人の方々を実際にきてもらうこと。私は、最低、学生を50名が目標なり。

帰りは大雨。

五所平之助監督『マダムと女房』1931年、松竹、56分。田中絹代が若妻。原作・脚色:北村小松。 日本のはじめてのトーキー映画を最後まで見る(学生と一緒に見たときは実は届いたばかりで最後まで見ていなかった)。いやあ、もうドタバタ。声や音を入れることそれ自体が楽しいのだ、いやあ、遊具をはじめてもらった大人たちがはしゃいでいるなあ。それに、台詞をいままで言わずにすんだ俳優さんたちがはじめて声をだす初々しさがたまらず、面白い。チンドン太鼓が冒頭ちらりが実に象徴的・・・ある意味、台詞はこのとき限界芸術。


KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る