こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.3/22〜3/28


こぐれ日録685 2010年 3/22〜3/28

3/22(月)

さきらの近くのホテル(アートリッツホテル)から9時すぎにさきらへ。
今日は、10時から12時半すぎまで、アーツマネジメント連続講座「市民参加事業の有効性と課題」。
中村透さん(琉球大学教育学部長)が色々されるので、ぼくは隣で見ていればいいということで、ほとんど受講生と同じ感じでいた。

ときどき、チクセントミハイのflow理論が出たりすると、それについて補足したり、竹内敏晴さんの逝去について調べたり。
ワークショップでは、アイマスクをして、音だけ聴く体験がなかなかスリリングだった。距離感がかなりつかめず、耳のそばで鳴っているように錯覚する。耳がヌードになるって感じだ。

Dialogue=dia(through)+logos(word,reason)
道具をつくりあい、衣装をつくりあい、たきだしをしあう。擬似的生産。
沖縄県佐敷町のシュガーホールでのミュージカル経験では、練習の合間に、大人が子供たちに子供たちが知らない地元の言葉を教え、カチャーシーの腕の振り方を教える姿が見られたという。
ウチナーグチを嬉しそうに使いあう子供たち。自然発生的に出てくるのが沖縄的だなあ。大人が芸能をみんなできるというのもヤマトンチュとは違う点だ。

弁当を買って、京都駅へ。
時間があるので、東本願寺を見つつ、東、北へ。浄土宗のお寺がずらっとある通りがあったり、新鮮なり。高瀬川の桜が咲きだしている。かんきつ類が多いなあとはじめて思う。
五條楽園歌舞練場。上に飛行船(城西国際大学?の宣伝飛行船)が飛ぶ珍しい風景なり。舞踏を観にきたのではない人に、都おどりみたいなもの?と聴かれて、はいそうだといいたかったが、かなり違うと説明(あとで怒られるとまずそうなタイプの人だったので)。

今貂子+倚羅座舞踏公演『孔雀船』。15時すぎから16時40分ぐらい。千秋楽。でも、ずっと満席だったようだ。パイプ椅子には年配の方も座っている。総括の岩村原太さんが場内に気を使い、客席を動く舞踏手をハンド照明で照らしていく。

前回見たとき(鯉つかみ)と同じような音楽構成(長唄三味線:林まゆみ、長唄唄方:三好涼子、和太鼓:牧浦健一)だったが、より、楽しく、特に外国人舞踏手の動きが実にこの集団とこの和そのものの場所になじんでいて、ばたばたした感じが少なくなった(背が高かったりすることが、逆に綺麗な妖怪的な味わいをより深める)。

東京から参加の南弓子のソロ、石川さゆり?の歌での突発的なおかしく楽しすぎるパートは、そのあとの今貂子の圧倒的でかつ静寂を秘めたハダカトルソーとの対比を鮮やかにして、さすがのゲスト。
もちろん、舞台美術が衣装に変わるという大道芸的な面白さ、都おどりではないが、五條楽園の宣伝音頭のような歌にあわせた、半分まじめで半分ふまじめな日本舞踊風リズムあわせシーンなど、飽きさせず、楽しめる仕掛けが満載のステージで、ひょっとしたら、都おどりのニューバージョンですよ!といっても大丈夫だったのかも知れないとも思ったりもする。


3/23(火)

昨夜見た映画は意外と面白く、後味がハッピーエンドとかとは違うしみじみ感があって、1970年代アメリカの風景をよく染み出す画面なんだろうなあと感心した。ロバート・アルトマン初監督映画『ジャックポット CALIFORNIA SPIRIT』1974年、105分。ジョージ・シーガル、エリオット・グールド、アン・ブレンディス。
男性二人のギャンブル行脚というコメディ。ポーカー、競馬はじめなんでも賭けになる世界。同居している高級娼婦?(コール・ガール)の二人の人間味もまた面白く哀愁あり。

いまたまたま岡本喜八監督とロバート・アルトマン監督を並行的に見ていて、関係付けられないかとかちょっと思っている。

午後からは大阪府の楽座事業の審査会。あと1回でたぶんこの事業自体は終了するだろう。
でも、やってきたことは何らかの形で続けていければいいなあと文化担当の方々と話す。

お供の朝日文庫(2010.1.30発行)読了。なかなかこれも面白かった。
佐藤優・魚住昭『ナショナリズムという迷宮〜ラスプーチンかく語りき』。
ファシズムには優しさがいるが、それを小泉さんはないとか、比喩もけっこう面白くて、でも、文献の紹介は本格的。蓑田胸喜という人を初めて知った。いまだったら蓑田胸喜に似ている人ってどんな人がいるのだろう。


3/24(水)

校務いっぱい。むなしくもあり、こういうものでもあり(空虚と諦観といささかの義侠心と) 送別会もあったし、生協の理事会もあった。
生協における読書奨励制度構想案はなかなかに好評のようだ。
たまたま地元の金融機関が2万円の奨励金を1名という案件がでたので、最大3万円を100名という構想をしていると報告すると驚かれた。
理事会で前倒しでできないかという意見もあった。すこし書籍部が忙しくなる。年度末にしようとしているのは、剰余金の様子を見たいからだが、決算年度の変更という議論も全体的にあるから、これはつぎの理事長(2011年度から:内内諾あり)にお願いしようと思う。

そうそう、京都連合として生協でブック・カフェを去年4箇所でされていて、今年5月はうちで、という話を今日お別れ会で会う近藤先生にいうと、忙しいということで断られた。
ふと、青春時代の本を語ってもらいたいのだけれど、と別の女性の先生(N山先生)に言うと、陰影礼賛がいいかなあ、とすぐに出てきて、こういう感じで大学独自でもやれるのでは?とも思う。一冊だけでなければ、くまのぷーさんはどう?といわれてこれもまたびっくり嬉しい。いまもういちどくまのぷーさんを読むと全然違う読み方になるとのこと。

新年度の生協テーマ案が「集う」なので、ブック・カフェは、読書奨励を公募するとともに、集う読書という流れになるのかも知れない。

そういえば、中学の頃から家に買って頂いていた日本詩人全集(新潮社)をもう一度読み直す機会があり、『西脇順三郎・尾崎喜八』のなかの西脇さんの大正15年(1926年)32歳の文章「PROFANUS」に、こんな文章があって、いまとくにしみじみ読み直す。P121

《 人間の存在の現実それ自身はつまらない。この根本的な偉大なつまらなさを感ずることが詩的動機である。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味(不思議な快感)をもって意識さす一つの方法である。俗にこれを芸術という。》

「俗にこれを芸術という」というのがとりわけいい味!
P127には、こんなことも書いてある。
《 詩は現実に立っていなければならぬ。しかしその現実につまらなさを感ずることが条件である。なぜ人間の魂は現実につまらなさを感ずるのか。人間の存在自身が淋しい。その辺に遊んでいる犬もつまらない気持がしているのかしら。》


3/25(木)

10時から東部文化会館へ。
6/20(日)、ここを全館使って行う「第6回子どもの文化フォーラム」の打ち合わせ。
アトリエ劇研のこどものかむじゆうの企画をメインにもってきているのだが、少し予算があやしいようで、それは不安なのだが、これは上田さんと会館の三浦さんに任せて、それ以外のことを決めて行く。

4回生のKちゃんが来ていて、彼女が中心となって、チラシやパンフレットを作ることになった。
当初は、3回生ゼミにイラストがうまいMちゃんとかがいるので、Kちゃんが司令塔になって分業してもらおうかと思ったが、それはできないということなので(授業の入れ方とかもあり)、4回生ゼミで何んとかやってもらおうと思っている。就活で忙しい人も多いだろうが、手伝ってほしい。

まえは、文化の体験(まぜごはん)とか、そういうコピーを考えていたのだが、ちょっと、硬いと思って、「入口⇒みる・きく・おどる・つくる」というのを考える。
でもちょっといまいち長すぎるかなあということもあり、「みる・きく・おどる・つくる」だけに。

これですっきりしたように思う。ということで、

【第6回子どもの文化フォーラム ― みる・きく・おどる・つくる ― 】でいきたいと思う。

面白そうなアイディアとして、DJが二種類あって、一つはラジオDJなので、館内放送(案内)などもいれて、さあ、かえっこバザールではオークションがはじまりますよ、目玉は・・・みたいな話とか、ワークショップの感想をこどもに聞くとか、保護者トークとか、いろいろ考えることに。
12時から30分、全館、全員休憩タイムをいれてもただけたのも、進歩。かえっこはかなりくたびれるので。また、第3会議室をお弁当や休憩お茶室として開放。お結びなどを持ってきてもらうように誘導して、ワークショップ中心の今度の企画にゆっくり時間を過ごしてもらうことが目標となる。

中島みゆきのファーストアルバム『私の声が聞こえますか』、セカンド『みんな去ってしまった』、1976年、どちらも。天沢退二郎さんの本を読んだのでまた欲しくなって買って何度も聴く。


3/26(金)

ようやく腰痛がましになりかけ。
でも寒いのはよくない。今日の紙芝居観劇も椅子に座っていられないで、べちゃっと床(シートがやさしい)にすわったり、あれこれ。でも、おでんがぬくもる。発泡酒も2缶。

滋賀会館の放課後2010。
みんなこの場所が好きだというのがよくわかる。
うすぐらがり、陰翳礼賛でもあるし、くれなずむ人生の予感を感じるのかも知れない。
55歳の滋賀会館。もう私と同じ人生、いや館生を歩んでいられる。
敬意である。鳩もせいだいにフンをするのである。
でも、どうして、ああゆうふうに、こんもりとあそこにだけするのか。ちょうど止まるところがあるようだが、それを堆積して、ああ、アートだなあ、思うのか。

鳩の限界芸術はないと決めつけることができるかどうか、という根源的なところまで話ができなかった。
でも、おでんの物売りの声をもっていって、とてもよかった。杉原さんにリピートをしてもらった。

投げ銭で紙芝居(志滋海社中)さんの分け前をいただき、それもありがたかった。
おそうしきまつり、地下では、「わすれてね 無精体 ゆるしてね のぶお サイン」とした。
展示してね、大藤さん。
ゆうこねくさすしっくすさんとか、たじりまりこさんたちもいた。
田尻さんの展示している場所がものすご〜くすごかった。すごすごである。
プロペラかと思った。映写室が空の上にあるように思ったのだ、もう落ちるしかない、映画の暗闇に。

そうそう、5階のシネマホールで浮雲をしているようだ。
成瀬巳喜男ではなく、アキ・カウリスマキの・・


3/27(土)

ダンスの時間。spring2010、26回目だと上念さん。
初めて大学生特集。ロクサドンタブラック。開場が押す。16時まで。伊藤キムさんがいた。
4つの舞踊関係の大学の回。見られなかった大学はあと、神戸大と神戸女学院大。どちらもクラブではなく学科専攻。

はじめは、京都造形芸術大学芸術学部舞台芸術学科のお二人。細い。
作られたい大きなテーブル的空間が上下をつくる。終わってそのバラシを見るのが楽しく、その音と上念さんの声が交じり合って微笑みを生む。
つぎに、大阪体育大学創作ダンス部。部活なのだが、体育の中のダンスという面では専攻ともかぶるようにも思う。短いものが二つ。とくに始めのダンス、トランクス人間は面白かった。ずっと姿を現さないストイックさがあったもっと面白かったな。後半のものは、人間でないへんな怪獣もどきという趣向。

近大文芸学部芸術学科舞台芸術専攻。淡水「そこ、いいんですか。」作:菊地航。
衣装が楽しい。イデビアン的な感じがちょっとはじめする。踊りたいのをすこし我慢している感じもするが、無理やり小難しい理屈をひねろうとはしていないところがすがすがしい。

ここ近大のダンスは、創作ダンス系=現代舞踊協会=お茶の水大とかの関係(神戸で大きな大学高校の舞踊コンテスト?大会みたいな世界:吹奏楽全国とか合唱全国とかそういう感じかな?)とは無縁にあろうとするタイプで、コンテンポラリーダンス界の関西における登竜門となりつづけているところの一つであり、なるほどそういう志向の発芽状態が見える。

最後は、天理大学創作ダンス部の9名。ダンスの時間史上最大人数だということ。終わりの挨拶で頭をあんまりさげないで会場の知り合いだけに笑顔している子がいたりするのが、面白いのだが、中味はその意外な大柄の体がまた悩ましいぐらいにえぐいすれすれな無造作の魅力的で、これは掘り出し物のエロスであった。まあ、一番後ろにいたので、かぶりつき的ないやらしい目線をする羽目には至らなかった(はず)だが。

あわてて、さきらへ。
今日は、大澤寅雄さんが劇場法(仮称)の芸団協の案を中心に話してもらった。
とても面白かったな。
私の基本は、文化政策の大きなフレームづくりが先だろうというスタンスであるので、まずは、文科省の外局として文化庁があるという実に中途半端な仕組みをかえること。憲法の表現の自由を実現するための文化基本法制定。それによる博物館法(その上位にある社会教育法)や文化芸術振興法などの整理、横だし。それがまず先だろうし、もちろん、地方自治法第244条の公の施設との関係整理なども必要だということ。


3/28(日)

さきらのアーツマネジメント講座も最終日。
大澤寅雄さんが、さきらジュニアオーケストラのメンバーの子供とその保護者さん、そして、講座の受講者(大部分は、さきらボランティアコミュニティのコアメンバーでもある)とで、楽しいワークショップ形式(まちづくりなどの参画型提案とか、KJ法のような手法によるもの)で、和気藹々にすすんでいく。
お昼もみんなでオニギリやサンドイッチを食べて、苺もでたりする。
14時で終了。
でも、帰ろうとすると、感想を書く受講者数名あり。
そのうちに、補講というか、もし、NPOを作るとなるとどうなるか?という話として、NPOの基本(ボランティア団体ではない部分の説明を中心として)をしたり、劇場法ができるかどうかではなく、芸術監督と経営監督、そして、ファンドレイジングディレクターやパブリックリレーション、アウトリーチ、ドラマトゥルグなどの担当者の話になっていく。

そうそう、その前に、さきらボランティアコミュニティは、さきらボランティアコミュニティアート(アーツ)という意味がもともとあったのだという話があって、でも、コミュニティが目的だとそこに入る(メンバーになる)ことが目的になるので、じつは、コミュニティアート(アーツ)ボランティアというほうが開かれたことになるのでは?という議論があった。ミクシーとツイッターとの違いにちょっと似ているようにも思ったりもする。

15時からのコンサートは無理だったので、19時からの最後の最後のコンサートを楽しむために、滋賀会館へいく。
たまたま、映画を見ていた西村さんが聞いていたり、なんか、滋賀の濃い人たちが暮れて行く文化会館と最後のおしゃべりをしているような時間だった。


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