こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.6/28〜7/4


こぐれ日録699 2010年 6/28〜7/4

6/28(月)

思いがけない人たちが来て、意外とおもしろい月曜日だったかも。

金曜日の処理が残っていたのに、ぐずぐずして、大学へ。
すると、熱心な1回生とその先輩(兵庫県の大学生)が来て興味深く研究室を眺めている。
「本棚を見るとよく解ります」とか、その先輩M君がいって(しかし、ジャンル別とかに整理しないと自分はまったくどこになにがあるのか解らないぞ)、そのあと、クリカで食事。

あれこれ、昼休みに処理して、3回生ゼミ。
ブライダル志向のM田さんが、結納のことをしゃべりだして、結納の文化、結納屋さんの研究を薦める。
ほとんどなくなりつつある結納について、研究室に本があったはずなのにみつからない。

ちょっと、興味があって、どんな反応が起きるかなと思いつつ、上田假奈代さんのTシャツ「そんなことより身体が目的」と背中にかかれた、シタゴコロプロジェクトのTシャツを着ていったのだが、けっこう、先生、身体に気をつけてください!と男子学生に言われたり、面白いコミュニケーションツールになっている感じあり。女子大ではなくなったことの効用かな?

4回生ゼミのおわりに、M浦さん、2002年度に入ってきた、だから、文化政策2期生のOGがやってきて、今度は、マンダリンカフェでアイスとケーキとコーヒー。研究室でアコーディオンを取り出し弾いている。チンドン太鼓を合わそうとするが、ぼくは太鼓うまくないなとしみじみ。ちんどんたちばな家を復活するには、また、華之家さんところあたりに習いにいくことになるだろうな。

彼女が、昭和音大にある学会があってそれに行って来た話。でも、ヤマハ音楽振興会から転職した先生はいらっしゃらなかったようだ。そうそう、武濤京子さん。


6/29(火)

3限目は2回生ゼミ。
「アウトリーチ」という言葉の意味をだれも知らないということは、ちゃんと説明しないままずっと使っていたってこと。

5限目の都市とアーツはいま、黒沢清監督『叫』を都市の記憶喪失として教材にしている。来週は『蛇の道』、ラストは『トウキョウソナタ』。小津安二郎映画ではなにがいいか?と看護の学生に聞かれて、東京物語か晩春、晩春の方が短いからいいかも、って適当に答えたが、東京物語っていうべきだったかも。まあ、トシカンは両方を見るべきだけれど。

いまの2回生、とくに1回生の都市環境デザイン学科の学生を見ると、2001年度から数年間、タフをやっていたときに味わったどきどき感、100%オレンジさんが来てイラストカフェをしたり、恵文社一乗寺店に一緒にいったり、六花でお茶したりしたときの感じを想起させてくれるのだ。

そんなことを、青木学長もいっていて、それは、政権交替の余波でもあったりするのだろうとか話したものだ。まあ、そんな簡単にアメリカニぜーション中心のグローバリズム、多国籍企業はじめ軍産複合体のかで美味しい目にあったような、文化的にはとても荒廃したような、そういう大きな流れを食い止めることはまるでできない。

のだが、まあ、無謀な(丸裸な)アメリカ財閥収奪である郵政民営化とか指定管理者制度などの新自由主義=市場原理主義のテレビ芸能国家まっしぐらだけは、いささかのモラトリアム期間をもらったのかなとは思っている。

授業について:いつでも、12回目ぐらいになると、だいたいの授業でほぼやるべきことは終わっていて、課題をしていて出席もしている学生はそうでもないのだが、半分ぐらいしか出ていない学生がなんだかこうだかいって代替措置をくれとかいう時期であって、しかも冒頭にその救済措置を話しているので、途中から来たから聴いていないとか平然と言うから始末に悪い。こんなに色々気を使って、落ちこぼれないように、ちょっとしたことでも、前向きなことをしたら最大限ほめようと身構えていてもなかなかである。まあ、そういう苦労が全国中一緒ということをツイッターでわかったりするから少しは気分が収まったりもするのだけれど。

帰ると、はなもきたようで、二女とともに姉妹でずいぶん書籍やDVDの整理をしてくれていた。
ありがたい。それにしても、もうすこし、ディズニーランドと日本テレビ、CIA、GHQの関係などをうちの1回生からそのマスコミのやばい真実を明らかにした本を読み解いておく必要がある。


6/30(水)

何か大変な水曜日
昨夜は、サッカー見るため(延長戦でPK戦で決まるのだった。よくやったよね)、夜更かし。

でも、いつものように(少し遅かったが)、5時に目覚める。
一番初めに心配が頭をよぎる:
おお、また、A201教室のAVラック鍵を返すのを忘れたことに気づく。
ズボンのポケットを探すが先週のようにはない・・おお、どうしたか?
たぶん、鍵をさしたまま、かえってしまったのでは?

朝、心配しながら教室にはいると昨日のままだった。ほっとして、教務課へ。
そのとき、大学研究家の山内太地さんのツイッターを連続でみていたので、まず、企画広報課長に報告。
そのあと、ブログもアップされていたので、学科のみなさんと青木学長(昼休み、電話があって、よくかきすぎちょるのう〜とか広島弁で感想あり。理事長にコピーして渡したとのこと、喜んでいるのに違いない)にメールして、一限目へ。

【世界の大学めぐり】
山内太地の世界の大学見学記  by tyamauch
"http://tyamauch.exblog.jp/14086868/"
より引用させていただく

【 6/25 京都橘大学は、なぜ変われたのか 】

・・・・・私が受験生だった頃は、京都橘女子大学といい、正直言って、それほど目立つ存在ではなかった。ところが、あれよあれよと言う間に、文化財学科を作り、文化政策学部を作り、男女共学の京都橘大学に改称し、看護学部を作り、現代マネジメント学科を作り、児童教育学科を作り、現代ビジネス学部を作り、都市環境デザイン学科を作り、人間発達学部を作り、2000年代に改革を繰り返し、大躍進していったのである。

・・・・・キャンパスを見学したことはあったものの、ちゃんと取材したわけではなかったので、今回、Twitterで小暮宣雄@kogurenob教授にお会いしたのを機に、この大学の発展の秘密に迫るべく、取材を試みた。地下鉄東西線の椥辻駅から徒歩15分の登山をする。決して交通の便は良いとはいえない。バスの本数も非常に少ない。山科は京都でも地味な地区である。こうした立地のハンデは、すでに克服している点が注目される。
・・・・・・・・・・・・・

TAM研は、チラシの展示をワークしてもらっている。
13時から、大学コンソーシアム京都の方々と11月の京都学生芸術作品展のマネジメント関連の打ち合わせ。そのあと、学科会議。来年度の開講方針。さらに、2012年度にうちの学科の科目もよりよくしていこうという話になる。

18時から、京都駅そばの8階で一般財団法人地域公共人材開発機構評議会。前の前のうちの大学の学長さんが評議員長さん。途中、うとっとしていたら、龍谷大学の富野教授に当てられてしまった。隣の京大の教授さんも一緒に起きた。


7/1(木)

ゆっくりの木曜日。
二女が、マレーシア航空で巴里(ベルサイユ)へ戻る。
秋はチェコ、春はベルギー、そして、つぎの秋と春がフランス、トゥールズという予定。
一度は、妻と欧州旅行をしたいもの。

近大。
14:40に終わるのだが、アンケートを回収したり出席票をすばやく転記したりしても、出るのは15時になる。大阪国際会議場には16時ちょっと前。
なかなか関西広域機構の文化専門委員のスケジュールが合わない。
まず、こことは別に関西広域連合とかが出来るようだが、文化政策はしないということで、まるで宙ぶらりんの状態みたいで、関西アーツ・カウンシルなんて夢のまた夢。というか、人はどんどん代わるし、主体性もやる気も何かをやっていくような気合もまるでなく。
ただ、寄生虫のような人が好き勝手にやっているのみ。

どんどん文化政策などおきざりで、集客とか観光とかうわべの話が全面になっているようで、もう、こんな誰も本気でやらないような中途半端なお役所仕事は、きっぱりとやめたらいいのに、と思う。

国の出先機関の職員さんほどでもないが、似たようなものなのが、こういうところへの出向職員さん(ほとんど府県職員)ののんびり仕事のこと。ぼくだって、滋賀の宝くじの研修施設でまったく仕事のない座敷牢のような数年をしのいだのだったし。

とりわけ、都道府県の職員さんで、旧帝国大学などエリート大学の出身で国家公務員と同程度の成績できて安定志向から府県庁あたりに就職した中年以上の、あるところから衛星周りになってしまう人たちは、とんでもなく長い老後がすでにはじまっているようで、見ていて無残。なんとか、しっかりとそういう無駄な組織をなくして、早く転職や起業するようなショックが必要だとつくづく思う。

話は別だが、
朝、読んだ詩を転記しておく。

「失われた時」(西脇順三郎)より、その断片の引用

・・・・
露の女の言葉の中にひそむかすかな
葉ずれの音が遠くの波の音に
まざって追憶は路傍におちた
夏の海は宝石のたそがれのように
くすぶってネムの花を見ている
たそがれの人間はささやくだけだ
しかし人間は完全になくなることはない
ただ形をかえるだけだ
・・・・

あす あす ちやふちやふ
あす

セササランセサランセサラン

永遠はただよう


7/2(金)

早朝、『茶の湯裏千家 点前を楽しむ』(第2巻、NHK趣味悠々)というテレビのDVDを見ている。第2巻のはじめは、初炭手前。炭を並べるというもともとは裏で行ってきた所作をパフォーマンスとして、千利休が58歳のときに考えついたものだという。パフォーマンスアート、もちろん、そのもとは、インスタレーションアートである。炭を並べ、点火して火がおこり、お香が香る。

茶道や書道、華道を生活文化として分類することにとても強い違和感があって、これをみてもその感を強めるのだが、西洋的芸術観からすると、これが、芸術文化とはいえない、ということなのだろう。でも、私からみると、かなりシュールな無意味さ、不条理さが溢れていて、こんなにへんてこな文化をアーツといわないではいられない。とりわけ、観客の参画性、教養を試されるところは、かなり怖い参加型アーツでもある。

これは、アールブリュットとも関係するが、やっている人は実験芸術をしているとは思わずにしているから、そこが一番考察する価値のあるところでもあり、限界芸術論と茶の湯ということかな、まだぜんぜん考察しているわけでもないけれど。

そうそう、結納の本を数冊、中古アマゾンで買う。たとえば『結納のマナー全科』(1985年、ひかりのくに)。日本現代作法会会長(篠田弥寿子)さんという著者。25年前では、こういう作法が結婚とつながっていたのだなあ、とお茶との関連を思っている。結納品のデザインがじつにいまではシュールなオブジェだとつねづね思っていて、そこに作法というパフォーマンスが入ることで、興味が倍増する。

少し違うが、小山織『引出物』(1997年、マガジンハウス)は、もっといまどきに近い感覚の雑貨の極み。奈良うちわなど、フランス土産になったなあ、とか思って。

大学に行く。1限目の都市と文化資源は、18時からの京都文化博物館別館における、鷲田めるろさんのレクチャーに振り替えたので、お休み。そのかわりに、8/8のオープンキャンパスのレジュメを作成。
政治学概論1は、後半ミニテスト。前回よりとてもよくできていた。

14時から、その京都文化博物館7階にて、京都文化ベンチャーコンペティション実行委員会。新しい委員さんの件や、審査の改善などの方法論など。
そのあと、龍馬展はどうですか?といわれていたが、きんさ旅館が気になっていたのでタクシーで島原へ。残念ながら16時を少し越えて閉店してしまっていた。実は、今日の18時からの京都府の会合を各月最初の金曜日(つぎは9/3)に行うので、面白いところがないかと府庁の横田さんに言われていることもあってのこと。

仕方がないので、七条をぶらぶら。龍谷大学によったり仏壇屋さんがとても興味深かったり(朝、茶の湯のDVDを見たこともあり)する。とても昔の感じのリド飲食街やきょうらく飲食街という鰻の寝床のような飲み屋があって、気になる。宮崎県庁にはじめて出向した若いとき、よくこういうところに飲みにつれてもらったことをふと思い出す。

平成22年度第1回「文化ベンチャーネットワーク」の会、くらしとアートをつなぐコトの講演会は、岡本先生の授業と私の授業の振替とか、同大の院生の参加もあって、大盛況。椅子の追加などをかってに担当する。ぼくの学生が遅れてくることが予想されたので(26名ほどで、もう少し多いかと思ったが、5限目などがあることもあり、これぐらいになった)、まあ、仕方がないし、客入れは楽しい。
町家と工芸に特化してのお話。質疑も興味深くて、アートがすぐ商店街などの地域活性化に役立つとかいうことではなく、異物=他者が訪れることによって外部へ開かれるコミュニティの価値などのお話。

金沢にはない京都のよさとして、伝統文化だけではなく、コンテンポラリーアートが同時にあることの魅力の指摘もあり、ほんとに、知事に言わなくちゃと府庁の文化芸術室のMさんはしきりに歎いていた。

そのあと、交流会があり、府庁のMさんが知っている韓国料理のお店で、鷲田めるろさんとお話。
京都刑務所の没収品資料室の話をしたらとても興味深そうだった。


7/3(土)

今日は、すごい雨である。
昨夜は、ちょっと、荒れ模様な私であった。オランダに対するブラジルサッカーのように。
言い過ぎたなあとNO-MAにメールしたり、学生のほうが大人の対応だったり。

都市とアーツのレポートを採点する。
段落を作っていなかったり、段落行替えのとき、一字さげがなかったり、常体(である調)でなかったり、敬体(です・ます調)が混じっていたり。1回生基礎ゼミの杉山先生が英語集中授業でいらっしゃったので、この点をよろしく!と伝えておく。

午後から大学院のアーツマネジメントの授業。地域アイデンティティ政策としての文化政策論(中川先生)のあとは、マクロ経済学のなかの芸術生産と支出、ミクロ経済学の価格弾力性、所得弾力性などなど。
来週、2回生が可児市の衛さんに会いに行くということ。よろしく伝えてもらうようにいっておく(あとシークレットな質問もww)。

大学院アーツマネジメント1、最後は「ラウンドテーブル 流れ出るアート」
たまたまだが、7/24(土)に、京阪なにわ駅のアートリエアBで、芹沢高志さあんや黒田雷児さん、山田創平さん、雨森信さんたちがせっかく「ラウンドテーブル 流れ出るアート 場所とアートについての4人の発言、その先へ。」をされるというので、これをお聞きして、最後に食事しながら最後の議論をしようか、という提案をすると、4名ともオーケーというので、そうすることに。

夜は、精華小劇場(難波)にて、劇団太陽族の『S小学校の眠らない夜』(作・演出:岩崎正裕)を見る。19:05〜20:46。校庭をあけるシーン、校歌を歌いしって間違うシーン、劇団をやめ、ここ清和小劇場とおおさこまちからみんないなくなるシーン。何度泣いたか。涙も枯れ果ててしまうよね。

指定管理者制度、アクションプラン、劇場法関連補助金申請、ミンパク?いろいろキーワード。
後期の同大大学院「文化行政論」に使いたいなあ、戯曲と映像を緊急販売しないかしら?

億万年光年むこうで、芝生に水をやっているいぬいさんとともに、商店街のおっちゃんたちのしたたかさも思い出した夜だった。

関連してあとで思ったこと:
「コミュニティアート」ということばがあるが、こういう社会メディアとしての演劇をこの概念に入れていいのか、どうかとかも少し面白いテーマかも知れない。実録演劇に近いかな。
欧米では、たぶん、コミュニティドラマといわれるものだから、一応入るように思うが、演劇ダンス界と美術界との断絶状況があんまり改善されていない、というような日本的特殊事情がいまは解消されているかにかかっているともいえて。

政治と演劇。演劇的政治と、政治的演劇。コミュニティが開かれ、まれびとによってゆるがされることで、変転しつつ行き続いてきたのは、祭礼一つをとっても確かなこと。

実際に、ポスターハリスカンパニーさんが展示していただいていたポスターに関して、青少年育成関係の問題が発生していたようで(お芝居上でそう類推しただけだが)、これは、警察を活用したある種の行政のずるがしこさ(異質なもの、深いものを排除して「発信」「集客」「観光」「まちづくり」など自分たちが分かり合える表面的な施策目標でお茶を濁す)なのかも知れないなあと部外者である自分は面白く見た(1999年だったが、精華小劇場コトハジメ以降、乾さんが担当だった頃ぐらいは、関係者だったわけだけれど)。


7/4(日)

サッカーの魅力にとりつかれつつあって。
ドイツ・アルゼンチン戦って、バスケットボールみたいに攻守が入れ替わるな、そのスピードと正確さ。結局、オランダ、ドイツ、スペインか・・ウルグアイにパラグアイという残り方も小国ならではでじつによかったのになあ。
もちろん、アルゼンチンやブラジルももったいなかったし、ガーナとかアフリカ勢ももっとみたかったし・・日本がいなくなってくれると純粋にスポーツ文化を楽しむことが出来て、それが一番嬉しいな。

アジアのサッカー大会をより本格化すること。もうベースボールはいいかも知れない。インドあたり、スポーツは向いていないということだが、未来はわからないぞ。暑い国のサッカーがスパイシーに出てくるかも知れない。オフサイドルールぐらいしかない単純さがサッカーの魅力だなあ。道具の少なさと。

めくるめく紙芝居は、学生中心にすすんでいる。
ヨガがよかった。TAM研体操を開発したい。体育館の3階のブラックルームを久しぶりに覗きに行こう。きっと、なんかの控え室化しているだろうけれど。

帰り、千鳥湯を見に行ったら、更地になっていた。ローヌで山科なすびというサブレを買って教えてもらい、向かいのおばあさんに、去年9月に廃業されたことを聞く。

夜は、内田吐夢『浪花の恋の物語』を見た。1959年、105分、東映。原作は、近松門左衛門の「冥途の飛脚」。原作から歌舞伎などになると改作されるが、設定は原作的(千秋実演じる丹波屋八右衛門が恋敵ではない)で、そこに、近松(片岡千恵蔵)を登場させて、実録風に脚本を構想する作者が、最後にその結末ではなくする、という劇作自体を考察するような仕組み。

田中絹代が老け役(亀屋忠兵衛の義母:厳しいが亀屋を続かそうとする一心)をしていたり、脚本家の関係もあり、溝口健二風なところがあると評されている。が、やっぱり、内田吐夢的な激情が流れ出る、亀屋忠兵衛という優男をたくみに演じている中村錦之助であったとしても。

小豆島というと農村歌舞伎。ところが、この映画を見ていると、梅川(有馬稲子)を身請けする田舎の御大尽が小豆島の醤油で儲けたおっさん。 正確には、布袋屋藤兵衛(東野英治郎) という人。ちゃんと調べきっていないが、浄瑠璃や歌舞伎において、具体的な設定があるようでもないので、どうして、映画で小豆島になったのか?と不思議に思って。


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