こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.7/19〜7/25


こぐれ日録702 2010年 7/19〜7/25

7/19(月)

海の日で祝日だが、京都橘大学はあって、でも、ゼミ振り替えで休み。
めずらしく口内炎。あさ、目が覚めていても起き上がれない。
途中まで、精華小劇場にいくつもりにしていたが、『うしおととら』21〜22巻目を読みながらうとうと。
めずらしく、午睡を本格的にとって、このままだと病気になるなあ〜と思ってのんびり。

夕方、妻と買い物。バナナが60円ぐらいで古いから売っていて、おお、バナナジュースと思ってジューサーでいっぱい作る。

断続的に見ていた音楽DVDをどっちもちゃんと見終える。
とくに、長唄の「杵勝三伝の内 安達ヶ原」に痛く感激。あわてて、能の映像を探す(ふるいDVDで「黒塚」金春流があった)。
これは、『長唄 伝える心 受け継ぐ力〜杵屋勝三郎、杵屋勝国』のひとつ。「吉原雀」も正反対の華やかさ。無意味なまでの技巧だわさ。最後にまた「廓丹前 木遣り」があるのもにくいね、お姉さん!

もうひとつは、小澤征爾指揮サイトウキネンオーケストラ、2008年、長野県松本文化会館のマーラー、交響曲第一番二長調「巨人」。そのまえに、武満徹「ヴィジョンズ」、モーツアルト交響曲32番ト長調。
ふと、オーケストラがあるからそれに作曲するという依頼曲って、どこかおかしいかもなあ、とか思ったりもする(武満さんの曲を聴きつつ、これがそうだとはいうわけもでないが、必然性について、ふと頭がよぎる)。


7/20(火)

13時から、山科区のまちづくり推進課長さんや係長さんがこられて、交通問題研究会のお話から、中小企業支援とか、山科のお菓子をどう販売するか、あるいは、市長さんの学生時代のはなしやら、前原さんのきめ細かい地元対策のことまで、あれこれ。
現場の人たちってこういう雑談から何かがうまれるっていうことを実感しているのかなあとも思うし、また、山科区長さんに、こぐれ日乗に出ていたといわれるのかなあとか思って面白い。

いつものように、出席とか課題レポートとかをやっていない男子たちがこの時期よく研究室に来る。それでも3回生になっていて、人のいうことを少しは聞くようになっているが、やさしくいうとつけいるから用心は必要なり。

5限目都市とアーツも終わり。黒沢清「トウキョウソナタ」でいつものように閉める。キョンキョンのCDがおまけに鳴らしたのが今年の特色(笑)。
エリック=ロメール『緑の光線』だけはちょっと応用編として話したが、映画の授業ってもっと本格的にしてみたいし、ぼくでなくて、そういう授業があってもいいなあとずっと思っている。清水宏と小津安二郎とか、内田吐夢と溝口健二とか、二人の巨匠を比較するのもいいし、縦の系譜で綴るのも面白いだろうな。

帰って、1巻から23巻まで買っていた、藤田和日郎(かずひろ)『うしおととら』(小学館、少年サンデーコミックス:23巻は1995.4)をようやく23巻までまで読む。妖(ばけもの)と人間との関係がなかなかに面白い。
幽霊というジャンルはないが、妖(怪)への復讐としての獣の槍のように、幽霊的な怨念は、道具妖怪(物の怪)のなかに溶け込む感じはする。

藤田和日郎さんは、ユリイカかなにか青土社の雑誌で特集していることで知った漫画と作者である(じつに漫画については知らない自分がいて、23日あさ、八木さんからジャンプの「ワンピース」という漫画を教えてもらうぐらい)。

天狗が東の妖怪の長(おさ)というのが興味深い設定である。舞台は遠野の山の中である。東のカラス天狗が大天狗を守るっていうのだが、西の妖怪の長は「神野(しんの)」といって高千穂の空中にある城壁都市の主。これは、日本神話だな。でも、神野を守るのもカラス天狗という設定。
33巻まであるのに、安い1〜23巻セットを買っていて、こんなに面白く妖怪を活用した創作漫画として研究資料になるのだったら、33巻セットを買っておけばよかったなと後悔する。


7/21(水)

4時前に暑くておきてしまい、そのまま、ずるずる。
はなが来るというので、瀧廉太郎のCDとか楽譜とかを集めておく。何かの参考になるかも知れないので。

1限目、アーツマネジメント論の最後。05年度卒業生N木さんの卒業制作映像を使ってアーツマネージャーの実際を見せる。いま見ると逆に感慨が沸いてくる。また彼女が遊びにきてくれるとありがたいなあ、あれから、アーツマネジメントと社会関係資本の関係とかについて、実際の経験から得たものの話とか聴いてみたいし、めくるめく紙芝居を見に来てほしいな(11/7)とか思いつつ学生たちと見る(サンテレビ、お正月番組)。

レジュメ配っていたのに、実演芸術のマネジメントとしてする事務について、この映像をもとに、もう少し丁寧に話してもよかったかも知れない。ただ、JRが遅れていて集まりがばらばら結局授業は早く終わったのかそうでないのか解らない状況になった。

2限目はTAM研。5名が集まってくる。黒沢清映画のメイキングを見せると授業でも見せるべきという意見が多い。
昼休みは学科会議。来年度の履修計画と、再来年度以降の改善方法について。
そのあと、学部教授会まで、レポートの採点。

隙間に、読書。許光俊『これからを生き抜くために大学時代にすべきこと』(2010、ポプラ社)。
AOなどのあとのフォロー読書とか、初年次教育とかキャリア開発入門とかに役立ちそうな本だった。
ノートは先生の駄洒落なども臨場感あふれる冗長性がキモだから写し取れとか、先生の本を引用して質問するといいとか、まあ、ほのぼの。

高校時代まではプール(定められたゴールに向かって泳ぐ)で大学は海洋(何が発見されるのか?ということがまるで判らない未知の探索の楽しさ)というのは、確かにそうなのだが、だんだん、大学側と学生の役に立つ授業、資格・キャリア志向との相乗効果で、大学授業のプール化が進んでいるよなあ、と思ったりする。

18時から20時半すぎまで、生協理事会。
クリカの業態変更、非接触カードの準備。読書奨励金制度は秋学期から実施するので、その日程などを話し合う。あとは、実施詳細づくりのみ!


7/22(木)

あさ、岩井宏のアルバム『30才』を聞く。
一番気になっていた「かみしばい」の歌詞がそのCDには載っていなかったので聞き取りで書きとろうとして、二か所わからなかった。
サイトを調べて、おお、「声」(こうべ、と聞こえた)、そして「めぬきあめ」、これはその飴を知らなかった。

聞き取りって意外とむずかしく、最初「ジンジャカ」を、神社か?と聞き取ってしまって、神社にだよなあ、とか迷いごと。

歌詞は、ここにあった→"http://face.txt-nifty.com/nanntu/2004/10/post_1.html"より引用
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【紙芝居】
word:岩井宏 music:岩井宏

紙芝居 紙芝居
紙芝居屋の あのおやじは
もういない

古い自転車に 小さな箱つんで   「ちっさな はこ つんで」
ジンジャカ やってくる
ひょうしぎの音で
ぼくらは神社に集まる
手に五円玉もって

小さな箱に 大きな夢つんで
ジンジャカ やってくる
めぬきあめを買って
ぼくらは夢中にしゃぶる
二本目をねらって

小さな箱に 小さな劇場つんで  ここも、あとは「ちっさな」
ジンジャカ やってくる
こわいろまじりの おやじの声が
おいらの耳をほじくる・・・・
このあとに、
「紙芝居 紙芝居
紙芝居屋の あのおやじは
もういない」
と、レフレイン。
「めぬきあめ」って?飴抜きではないようだ、

紙芝居の風景を歌った戦後すぐの曲として、
宮城まり子さんの「六軒長屋の歌」があって、子供とお母さんの会話が挿入されているのが、
なんとも、いまの人たちにはエキゾチックな歌だろうと思う。
(すこし違うが、「買い物ブギ」のラテンアメリカみたいな放縦性もまたいまの学生はのけぞるようで、その反応を見るのは面白い。

近大はリポートを受け取るために出かけ、そこで採点、入力を終える(ほぼ)。
帰って、生協の関係の資料を書く。
以下、その原稿
・・・・・
京都理事長会議報告:京都橘学園)生活協同組合         理事長(小暮宣雄)
【大学と生協の魅力と強みや特徴】
 京都橘大学と生協の魅力というのは、大学側と生協との意思疎通が極めていいということにあります。その理由は大学がずっと1学部でコンパクトであったということ、そして、当生協が一番救われている地理的利点でもあるのですが、近くに競合するような販売店がないために、常に大学と生協、組合員と生協との関係は持ちつ持たれつの関係になっているわけです。
 また、最近は、入学対策としてのオリジナルグッズ開発などもしていますし、オープンキャンパスにおいての試食会、100円朝食のメディア露出など、大学の広報宣伝にも利用され、また、こちらもそれで組合員である学生との関係を緊密にしているともいえます。さらに、本学もまた、小さいながら少しずつ定員を拡大していることも生協にはプラスになっているのも事実です。

【大学と生協の弱い点や課題】
 かつては全国から学生が来たために、下宿紹介、新生活支援などによる収入がけっこうあったのですが、近隣の学生が増えたために、それらのほか、弁当持参も増えるなど、供給高については、予断を許さない状況にあります。
 また、本生協は学生が自分たちの生協を自分たちで作っていこうという機運が強いと自負しておりますが、学部が増えることで、なかなか学科学部横断的にならない(忙しい学科の参加が少ない)ことが気になるところです。
 ただ今年は全体的に生協はじめ社会活動に積極的な1回生が多く、このあたりを次年度も続けていくことが課題ではないか、と思われます。あとは大学がそうだからでもありますが、生協の中期的な計画が立てづらく、その見通しが不透明なことも懸念材料かも知れません。

【紹介したい取り組み】
 昨年度の活動テーマは「役に立つ生協」ということで事業活動は原点に立ち返りつつ、100円朝食はじめ地元農家との連携を継続し、一般学生の店舗活動への参加を意識的に組織しつつ、フェアや健康安全の取り組みなどに学生委員会が主体的にかかわることができたと思います。
 それを引き継ぎながら、今年度のテーマとして「集う生協」を掲げ、総代会の分科会での積極的な提案活動からはじまって、読書カフェの試行など、企業による飲食店や販売店との違いを明確にし、生協でしかできないような「集い」の価値、学生自身のコミュニケーションと自己投資へのサポートを考えています。
 つまり、組合員の健康と安全、主体性づくりや学修意欲の増進への寄与ということで、特に、読書習慣をつけるために、思い切って後期から試行的に「読書奨励金制度」をはじめることにしています。いまその詳細をつめているところですが、1人半年間で2〜3万円を限度にして、生協での書籍購入をサポートする学修自己投資促進事業を行うことにしており、すでに目的積立金を予算化しているところです。

【理事長としての問題意識や交流したいことなど】
 じつは、かなり長いこと理事のあと理事長をしているので、これからは、私自身の世代交代をはじめ、継続的に本生協が動くよう、スムーズに人的な配置と組織化、そして世代交代や配置転換ができること。
 つまり、属人的なワーキングスタイルから、何かあっても補完できるような、チームとしての生協ワークシステムが課題となります。
 また、理想としては、ただただ仕事仕事ではなく、生協のスタッフが自己研修、リフレッシュ休暇など全人的な交流、そして、地域にあって、余裕ある暮らしをしていただきたいということが、一番めざすことではないかと思っています。
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7/23(金)

長女はなとはじめ君が、マレーシア航空でポルトガル(ポルトなど)へといく日。深夜までばたばたしているようだ。
フランスにも寄る3ヶ月の旅行となるようで、二女たちにも会うという。うまく、ライブなどが設定できることを祈るばかり。

少し暑くて4時半ぐらいにおきて、とても早く寝た妻とコーヒーを飲みつつ、四方山話と、はなからもらった欧州用プロモーション用DVDをこの前二女と一緒に買った新しいパソコンでみている。

昨夜、二女が一番好きだという大島弓子。読むと彼女の発想と実に近いことがよく解る。小説を彼女が書くとしても、このように表題と人物が出来たあとは、その人物たちが自動的にストーリーを創っていくのだろう・・・

『大島弓子が選んだ大島弓子選集1〜ミモザ館でつかまえて』(メディアファクトリー、2008)をようやく読み終える。一つ読むとけっこう疲れるものばかり。
やはり表題作は初期の代表的作品だろうし、「夏の終わりのト短調」も深くえぐるもの。自分の年齢的には「たそがれは逢魔の時間」にしみじみ。

2限目、政治学概論1、16回目、ラスト。無事終了。冷たくてすこし自分には硬かった納豆おくらスパゲッティを食べて157+3人分の採点を!政治学概論(1)、160人、一応、採点終了〜ふ〜。今日中に持ってくる学生がいるかどうか。基本は出席時におけるコメントと小テストだけの評価なので、しゃきしゃき点数化できる。これは自分の中では珍しい点数づけだが人数も多く規則的にするのでこうなっていく。BGMは荻野目洋子。

ちょうど終わったときに、3回生のマネジメント実践(京都学生芸術作品展アーツ・バー)でチラシ制作しているモッチーがきて打ち合わせ。どうも学年を超えて(この場合2回生や1回生)活動をしていないので、そういうのが未知のようで心配そうにしている。マネジメントというのは人を動かすことだと諭す。ブログを作ったがまだ公開していないという。勇気を持って公開して教えて、できるだけ、客観的なこまめな記録を心がけるようにいう。

さて、今度は都市とアーツの採点だ。116名ね。
都市とアーツ、一応終了。ただ、最終レポート未提出だが出席点や中間レポートを提出していい点数の学生が数名いる。どうしたのかな?確定はせず、来週前半(28日が終了)までちょっと待つことに。

京都学生芸術作品展の実行委員会にオブザーバーとして出席(でも途中、ジューサーバーを写したりしていて10分遅刻。するとモッチーがなにやら緊張して説明していたww。びっくり最後のほうかとおもっていたから)。

大学コンソーシアム京都にて。私たち学生マネジメント委員会関係の3名はすぐに部屋を出て弁当を食べあれこれ。8/6に学生マネジメント会議チラシ案が出来るだろう。より、カジュアルなデザインを模索するのだろうと思う。バーに誘うがまたもや断られる。モッチーが和太鼓部にいたとき、ぼくが猛烈に酔っ払っていいたことがトラウマになったのか??

一人寂しく前に見つけた30年以上タイムスリップ出来る居酒屋長屋へ。

リド飲食街はドコモ賑やか。経営者が若返ったようだ。他方、京洛酒場街は灯りが消えている所も目立つ。たまたま、人が出て誰もいなくなった「居酒屋・雄さん」へ。ママはいないようで、博多出身の人と博多祇園の話など。ビール、枝豆、卵の突き出し、ハイボールで2200円。

【twitter から】
◎ がんばれ、いままでは、そういう人はほとんど皆無。アーツマネージャーですらぼちぼち・・RT @9618saki アートの世界にも、まちづくりの世界にも、コーディネーターが必要なんだよ。さて、それは言い尽くされている。あたしはその2つを「結ぶ」コーディネーターが必要だって言いたい。

◎ 公共政策とアーツマネジメントとをコーディネートすることをめざす方々へ 広い教養はあること(歴史、哲学、宗教概論など)は前提として、基本となる法学(憲法民法刑法できれば行政法)と経済学に政治学(行政学や財政学)あたりはざっと理解しておきつつ、アーツ鑑賞を年間最低50本以上は持続的に    KOGURE Nobuo 2010-07-23 06:34:34


7/24(土)

大学院アーツマネジメントTのラスト。学外授業にした。
大阪に京都からなかなか出る機会がないので、このレクチャー&対話プログラム(ラボカフェ)は、なかなか面白いなあと思ったからである。

『ラウンドテーブル 流れ出るアート 場所とアートについての4人の発言、その先へ。』
アートエリアB1(京阪なにわ橋駅)。ダンスボックスでダンスを何度かみたところだ。無料で申し込みが不要というのがいい。でも、すこし早く行くようにといっておく。院生の一人が、舞台芸術ゼミナール2010のセミナーを少し聞いてから駆けつけた。いろいろ学部には面白いレクチャーがある。

ぼく自身まあ、勉強したいなあとはあんまり思わないのだが(それよりも、いまは大平正芳を例にして、保守政治と地域政策、文化政策の関係歴史の方により関心があるし、急遽、授業をしなくちゃいけないので、必然的に政治史のほうが興味があるし、知らないことが多いから面白い)、院生には、地域とアート(広い意味の美術だから、これを「アート」って言ってしまわれると、やっぱり、アーツとぼくがいう意味があるんだけど)の入り口になるから、なかなかいい機会だった。

司会が、吉澤弥生さんという阪大の研究員の方で、ぼくは知っているのか知らないのか知らないが、彼女はどうもぼくのことを知っているようで、いい司会だった。また、彼女の芸術社会学について聞きたいなとは思う。
あと発表者は、20分ずつで、院生にとっては何だろうと思う発表だったろう。とくに、雨森信さんは、藤浩志さんやきむらとしろうじんじんさん、伊達さん(建築物ウクレレ化保存計画)・・・と話すにはのんびりしていて、そりゃあそうだろうな、それぞれにすごい意味とか屈折があるのを手短にしゃべるのには向いていないから。でも、ぼくなんかよく知っているから、そうねえそうねえと別のことを思いつつ(瀬戸内海の豊島でやっている藤島八十郎のことなど)、きいている。

はじめは、山田創平さんで、この前、関西広域なんとかでお会いした人。堂山と梅田(埋田:火葬場)。谷川健一さんや森浩一さんの本がまた読みなくなる。庚申信仰がまだ自分の中でよくわかっていないということがわかったな。扇町公園の前は監獄だったとは知らなかった。天神が菅原道真以前からの信仰(恐怖)であったことを聞きつつ、つぎは、福岡市立の福岡アジア美術館の学芸課長の仕事上はうそばっかり話しているという、黒田雷児さん。

黒田雷児さんは、いまの鷲田めるろさんみたいに、10数年前の地域とアートっていうか、アートプロジェクトの寵児だったから、あと10数年したら、めるろさんも、1970年代の何とかとか研究するのかも知れない。歳を取ると、昔がよくなるのは、誰でも同じだし、いまのことは、昔の反復であるように見えてつまらなくなるし、かつて、いきがってやったことの結果は何もない「イベント」のむなしさとして風が吹いているだけだったりするので、まあ、それはそうだなあ、と話を聞いて面白かった。記録は彼がほとんど削除するっていうので、そのライブ感がいい。でも、削除する手間がめんどくさいだろうな。

大阪?の1960年代のザ・プレイというグループを知らなかった。韓国にはまだ骨太な政治と美術の関係が残っている話が新鮮。ナウィン・ラワンチャイクンが、名古屋でのビエンナーレで何かすることをiPhoneで調べてみて、長者町だったか、一度は行こうかなと思う。はっきりいって、フラムさんのはメジャーな人がみてあれこれいればいいのでぼくは行く気はまったくないのだ。

で、雨森信さんのまったりした話があって、最後は芹沢高志さん。東長寺で寅雄さんに会ったことを聞きながら思い出していた。あれは、なんであったのだっけ。没場所placelessness。地霊(ゲニウス・ロキ)。

会場との対話などもあって、3時間。そのあと、ぼくたちは、ディスカッションのために、鶴橋へ。
大吉。サムゲタン(1800円)はじめ、いい味のなかで、あれこれ反省会であった。


7/25(日)

夏休みスタイルの朝読書。ベランダに小さい丸テーブルに折りたたみ布椅子を出して・・・ かばんに入って少しずつ読んでいた杉田望『総理殉職−40日抗争で急逝した大平正芳』(大和書房、2008、483ページ)、ようやく、読み終える。涙が出てしまう葬儀シーンが最後。
どうしても、いまの政局にダブらせて考えてしまう。三木武夫さんがバルカン政治家って言われていたのはちょっと知らなかった。

大平正芳+田中角栄が主役とその友人という設定なので、相手役(悪者役)として、福田赳夫や三木武夫が登場することになり、本の表紙の写真がそういう顔を撮っている。いかに政治家の印象は写真(動画)の選択によるかが判りやすい例である(この本は判りやすすぎるのでそれは正直でいいのかも)

夜、ジャック・リヴェット監督『北の橋』(1981年、124分)を見る。
3本セットのなかで一番短いということでの選択。時代順に見たほうがよかったかも知れないが、エリック・ロメール監督の『満月の夜』(1984年)で主役をしてすぐになくなってしまう(25歳の最後の日に)パスカル・ロジエが、お母さんのビュル・ロジエと競演しているということもあり、見る。

はじめの20分ぐらいが特にすばらしい。情感あふれるアストル・ピアソラの音楽でバイクするバチスト(パスカル)の姿にほろりとしかけて、マリー(ビュル)の道端おしっこ、クロワッサンののこりポイ捨てなどで現実に戻される、ある意味、宙ぶらりんをいかに耐えて生きて、でも偶然に死はやってくるぞ、みたいな、ある虚無感が全編に漂う映画。

ドンキホーテな若者。おかしな警官、新左翼の成れの果て。中年になっても革命家、いや単なる犯罪者。パリの真ん中から螺旋的に郊外へ。壊される町、そのあとに新都心ができるまでの雑然とした工事現場が一番アーツを感じさせるというドキュメンタリー的映像でもある。

ここに丁寧で素敵な映画評あり→"http://yorimichim.exblog.jp/7639227/"


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