こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.1/25〜1/31


こぐれ日録677 2010年 1/25〜1/31

1/25(月)

午前中、個人研究費の処理その他、学生との対応など。
生協のDVDが25%引きなので、調子に乗って買いすぎて、1万円ほど、足が出てしまった。
まだ、レポート(250通ぐらい、いままでのものがたまる)の採点は出来ず。

3限目、3回生ゼミ。演劇ビギナーズユニットについて、みんなでブレーンストーミング。あと、澤田知子の「写真」作品と、昔の有名写真家3人の写真集を見せつつ、写真をテーマにする学生に何らかの刺激。
ライブハウス論は先輩たちの卒論があるのでそれを見せる。
世界劇場会議に出席する学生が10名弱いそうで、ちょっとやりくり算段が大変かも。

4限目、行政法Uもラスト授業。行政法の授業で使われるって土田英生さんはまったく思っていらっしゃらないだろうが、MONO『京都11区』を立ち退きと即時強制などのシーンとしてみせる(先週から)。
身近な事象から初めて、ずっと抽象的な行政行為をめぐる案件を通過して、また、架空だが身近な生活へ:以下少し感想:
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◎ 京都の人しか京都の中で生活できないという謎の制作が人間関係を壊しているのかなと思いました。京都市の局員の人が仲間になって立てこもりをしているのが面白かったです。係長も悪い人っぽい感じがしていたけど、取り壊されるとなったときに協力してるのも変な感じでした。  自分が参加できない「京都」と戦っている、という言葉が印象的でした。「人」がいて「まち」がある、というのは、行政にとって大切なことじゃないかなと思いました。(現代マネジメント学科2回生)

◎・・・先週から見ていて笑ったり、イライラしたり、喜怒哀楽激しく見ていました。そして今気付きました。それだけ僕の気持ちが動いていたのだな、と。おもしろいと笑い、許せないと怒り、この人めんどくさいなあとイラつき、おおこの人寝返ったと嬉しい気持ちになり。

 そうやって見る人の気持ちを同じように動かせるのは本当に良い演劇だからだろうと思いました。本当に魅力的な登場人物がいっぱい出てきました。この人たちの様々な個性や想いを通して、様々な小さい問題を投げかけ、そしてこの演劇自体で核心となる大きな問題について投げかけている。そのように感じました。

 僕たちには自分の考えを人に押しつける権利はない。だけど「おかしい!」と「そう思わないか?」と叫ぶ権利はあるのだと思いました。またしても行政法的な視点で見るのを忘れてしまいましたが、本当に有意義な時間を過ごせました。(文化財学科3回生)
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18時から大学院関係の会議。そのあと研究室に戻って、一つタスクを終わらし、帰宅。この1週間、未明に目が覚めるなど、体調がちょっとややこしかったけれど、峠はそろそろ越えそうだ。
あと数日かな。いや、2月も前半の週末はいろいろあるけど。大丈夫だろう。


1/26(火)

午前中、レポートの採点。ゼミ生がきて世界劇場会議の出席のこととか、これからの専門ゼミの話などなど。

二条駅経由、JR太秦駅下車、京都府立嵯峨野高等学校「京都文化論」京都こすもす科の授業へ。 待っている間に、京都文化ベンチャーコンペティションのアイディア部門で最優秀賞だった生徒さん(1年生の一昨年、この授業を受け、2年生になった去年に応募したのだ)が挨拶に来てくれる。彼女ももう受験生、いまはセンター入試が終わってこれから本格的な受験・・大変だなあ、先生も含めて。でも、「京色パステル」のワークショップが1/30にあることなどを彼女が話し、もちろん、私も行くというと喜んでいた。

授業は、15:40〜16:30。
「文化のまちをデザインしよう―秘密の本棚にそっと手を伸ばすように―」

1年生たちが夏休みに出したレポートを使ったりはしたが、いまいち双方向になれなかった点などが反省点。でも、まあまず無事に終わる。「文化のまちをデザインしよう―秘密の本棚にそっと手を伸ばすように―」。聴いていただいた先生のうち、お一人は京都市のはしっこのエリアでそこがどんどん寂しくなっていって困っているという話を終わってからされていた。

京都駅で、買いたかった『週刊朝日』(2/5)を買う。ついでに、池田朗子さんの切り起し(香港)が載っている『カメラ日和』(3月号)と、『ディスカバー・ジャパン』(創刊3号―はじめてのニッポンカルチャー〜能・狂言・文楽・歌舞伎・落語・華道』も。

小暮はなのライブ〜1/23(土)〜にいけなかったので、建築探偵たぬきさんのレビューを読む。 いつも、丁寧に記録していただいて、実にありがたい。
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http://tanuki.la.coocan.jp/index.html より
《 はなライブ 心斎橋ルイード・・・ 今年はじめてのライブでした。観客は少なかったかな。20人くらい。ライブ終了後に他のパーティが入っていたらしく、関係ない人たちがドヤドヤ出入りしていて落ち着かなかった。それでも、しっかり前を向いて歌う姿は、さすがプロだと思いました。
 新年らしい選曲だったように思います。古い歌と新しい歌とのコントラストがおもしろかった。古い歌は彼岸と此岸とがはっきりしているけど、新しい歌はそれを軽々と飛び越えている感じがしました。新春に合わせた選曲だから、たまたまそうなったのかも知れません。
 一番おもしろかったのは、曲間のトーク。ポルトガルのポルトの町のカモメの話をしてくれました。ポルトのカモメ(シーガル)だからポルトガルかと思った ら、それは関係なかった。カモメが港にいるときは海が荒れているそうです。ポルトの漁師さんにとってカモメは大事なともだちだという話でした。カモメは京都にも来るけど、きっとポルトのカモメは彼女にとって特別なのでしょう。カモメの話をする楽しそうな笑顔がそれを教えてくれました。それだけポルトの人たちが良い観客だったのでしょう。

さて、わたしは歌を聴きながら、以前それを聴いたときのことを思い出していました。あのときは19世紀の大阪のことを考えていた。今は8世紀の恭仁京の ことを考えている。歌を聴くと、そのときのことを思い出すと言いますが、その通りだと思う。音楽が人の思いを吸い取るのかも知れません。
また次に聴いたときに、今日のことを思い出すのでしょうか。それはそれで楽しみです。とてもいい気分転換ができました。貴重な時間をありがとう。》
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1/27(水)

植物学の覚書:『植物は感じて生きている』(化学同人、2008)p28
植物が重力や光など物理的なセンター機能を遺伝子的に持っていることの不思議を思いながらこの本をよんでいる。以下、光への感応現象を引用:

<植物が光を感じて形を変える現象として、代表的な4つの現象を見てきた。もう一度まとめよう。
(1)種子が光を感じてから芽を出す「光発芽」
(2)芽生え(モヤシ)が光を感じてから葉緑素をつくる「芽生えの緑化」
(3)日の長さを測り、花の時季を合わせる「花芽形成」
(4)背の高さを競って日なたに出ようとする「避陰反応」>

最後の授業(葬祭ビジネスとこれからの葬送の形:樹木葬をめぐってなどなど)のあと、少し採点、でもかなりツイッター。12時すぎから、学科会議、学部教授会、大学評議会、キャリア委員会、生協理事会。
ということで、あまりにも面白くないので(どうして、どちらも78歳の方に作詞作曲を頼んで校歌を作ってもらうのか:こちらが野村誠さんと一緒に学生たちが作るという企画を対案としてずいぶん前に出したのに)、ツイッターのタイムラインをアップしておきます。
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* 05:10 やっぱりそうですね。RT @miyauu イギリスの中学校でのWSで、アーティストが子どもたちに自分たちのプランのSWOT分析させてました。RT @kogurenob: イギリスでアーツマネジメントの大学院を出た人に聞いたことがあります。SWOT分析はじめとした様々な手法・・

* 05:16 芸術は「風」、文化は「土」となぞらえたりします。文化の一つが芸術文化と形式的には分類するとしても、ニュアンスが違いますよね。RT @miyauu 文化と芸術の違いってなんだろう。感覚的に使い分けてるけど、自分のなかに明解な定義がないなー。

* 05:27 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1396817978&owner_id=2706912 「長岡京ふれあいアーツ」の第一弾の模様を読む。

* 05:32 http://bit.ly/ajQuxM 公有地にある寺社、とりわけ、神社は大変かもなあ。戦前に神道は宗教ではない、という制度を創設したために、それをひきずっている。

* 05:53 年齢的にも先輩にあたる同業者(アーツマネジメント教員)の方のブログを読むっているのは、実に勉強になります。 http://www.actiblog.com/himori/

* 05:58 http://10times.seesaa.net/article/139238096.html アゴラ劇場とアトリエ劇研との相似について。東大駒場小劇場とだったら、京大西部講堂かな。吉田寮食堂は大声は無理なので。

* 06:17 http://www.youtube.com/watch?v=ti2CMrPbx_o 少年王者舘 このタイプのステージは、ここを見るともう他がいらなくなる、それが問題でした。

* 06:20 http://www.youtube.com/watch?v=sCHe69AkhgM&feature=related アジサイ光線もついでにみる。

* 07:11 http://kogure.exblog.jp/9772888/ 昨日の日記に少し手を入れました。では、大学へ。まず、食事。

* 07:17 学術、技術、芸術・・・「術」は目的にも手段、道具にもなれる。 文化は、化け物。手段になりずらい?妖術つかいかな(笑)。じゃあ。

* 08:54 いまから、最後の授業です。明日は、卒論の副査が一日中。もう一度、15名の卒論を読み直す時間を作らないと・・・

* 10:44 今日は、葬儀ビジネスの様子を映像などで学生たちと見て、いろいろ意見をいいあって、この「イベントデザイン論」(アーツマネジメント各論〜限界芸術へ〜」を終わりました。樹木葬がようやく定着しつつあること、でも直葬など悲しい形態も増えていることなど、その映像以降の情報を追加しつつ。

* 10:49 < アゴラ [ギ agora]古代ギリシア都市国家の広場>という意味で普通はみんな使ってはるのでしょうが、ポルトガル語では、nowという意味になる?って聞きました。面白い!ちゃんと調べなくちゃ。ポルトガル語は、個人的にもいま必要な言葉なんです・・・

* 10:52 @omurajiさまへ 面白いですね。特に政治家と芸術家の関係。政治屋(ポリティッシャン)があるのならば、芸術屋もありそうですけれど・・・

* 10:53 芸術家はいるけれど、文化家はいない。芸術人はいるかな、文化人はかつていっぱいいた。いまは、死語かな?

* 11:05 @tkatsumi09j さま いやあ。面白い。広場(アゴーラ)でいま(アゴーラ)こうして話し合う。アゴーラ。ツイッターというアゴーラでも・・・

* 11:09 ツイートって、脳神経を少し外部に出して眺めている快感があるので、ヤメラレズ。採点があと100名ほど残っているのに。

* 11:10 @thinkhand さま そうでした。おお、無くなった法政学館ホールよ!OM-2とか、檻に入れられて、涙目で・・・

* 11:12 関係ないと思っているものの異同を見つけること。ホモサピエンスがかってに獲得した頭脳のあそび。

* 11:20 木火土金水を動かすのが「風=芸術」だとして、木=住居、火=情熱、土=文化、金=経済、水=政治とかりに喩えてみる。まあ、これは春休みの宿題にすべえ

* 11:27 @omurajiさま。どうも、とても面白いです<「B術」とはまた一般的には「美術」とも呼ばれる。>

* 11:29 <「A術」とはまた一般的には「芸術」とも呼ばれる>・・・これは、ちょっと、無理でした。<「B術」とはまた一般的には「美術」とも呼ばれる。>をまねようとしましたが。

* 11:38 一応、まとめると芸術家のほかに、芸術師がいま注目(コミュニケーションティーチャーとか)で、あと、芸術屋さんは政治屋さんという蔑称かどうかは分からないけれど一定数いらっしゃるようで、芸術人という言葉はあんまり誰もピンとこない(意味のない総括)。

* 11:50 風水と風土、風流に風船、風力に風刺・・まだまだ暇をもてあましはしないぞ RT @thinkhand アートマネジメントは「風水」なのかも。 QT @kogurenob 木火土金水を動かすのが「風=芸術」だとして、木=住居、火=情熱、土=文化、金=経済、水=政治とかりに喩えてみる

* 11:53 おお。新たな展開。今度は○○畑だ 蔑称ではないと思います。法学畑、経済畑、美学畑、劇場畑、教師畑RT @373loves_shiro @kogurenob 芸術屋さん、の流れですが、「〜畑」と言いますよね。音楽畑、など。面白い言葉だなと常々思うのですが、あれは蔑称なのでしょうか?

* 13:31 おお、「〜畑」のつぎは、「〜者」 芸術者はけっこう個人的には好きです。ヨソモノ、ワカモノ・・ RT @art_tgw 「〜者」っていうのもありますね。無礼者、無精者(?)…なぜかネガティヴなのしか思いつかない。。。 RT @kogurenob 芸術屋さん、の流れですが、「〜畑」

* 13:35 葬儀屋ではなく、一人の葬儀者として・・・。ある大阪の葬祭ビジネスの方を講師に招いた時、そうおっしゃったことを思い出しました。

* 13:38 芸人、芸能人、芸能者、職人、工芸師、芸術家、芸術師、芸術人、芸術屋、

* 13:39 研究者 開発者 消費者 生産者

* 13:41 ポルトガル語は、アゴーラでしたね。研究室あごーら。うーん、いまいちかな。

* 13:44 【親ばかポスト】 はなの新しいブログの名前が決まったそうで、私が出した案たちは不採用(涙)。でも、また出来たら見てくださいね。

* 13:51 音楽家、楽師、楽士 音楽者?音楽人?

* 13:55 http://www.nikkei.co.jp/news/main/20100127ATFS2700H27012010.html 省庁再編の話なので、備忘録

* 13:57 http://markets.nikkei.co.jp/ 個人(家族)的には、ユーロに対しての円高は嬉しいのですが。

* 22:02 12時すぎから、5つの会議に出席する。 最後が生協理事会だから救われるけれど・・・そうそう、S先生が、生協の理事ほどいい役員はない!と。ぜひ、次年度理事に戻ってもらって、次の理事長候補になってもらおう。もう、ぼくは、生協の理事長を4年か5年している・・・

* 22:06 帰ると中古本が届いていた。でも、どうして、これを買ったのか分からない。うーん。民謡はないなあ。でも、このシリーズはみんな面白いのだ。日本民俗文化体系10『家と女性―暮らしの文化史』小学館、1985年。

* 22:11 ようやく、明日の卒論口頭試問、15本を読む。ふー。疲れた。聴くことは、問題意識の所在とそれに対する研究結果。そして、このなかには、どのような自分なりの工夫やユニークなポイントがあるのか、あなたならではを聞くことに、なるかな?

* 22:18 自己責任というバカな言葉は完全過去。説明責任もようやく過去の言葉になってきたかな。よかったなあ。 http://ow.ly/10Tud

* 22:20 アウトリーチっていうことばも、ちょろっと、過去かもなあ。説明しろ、してあげるって感じがどうも最近うざくなってきている私がここにいて・・・


1/28(木)

少し体調がゆらいでいる。
15名の口頭試問、副査として15分ずつ。
300ページを越える卒論集をあっちにいったりこっちにいったり。

2/1に履修説明をするのだが、そのあと、新年度ゼミの打ち合わせをする。
そのときに配るペーパーづくり。途中で学部長から一緒に帰ろう、とのお誘い。
とても助かるのだが、少し恐縮。桃山まで彼は車で行って、そこで駐車してそのあと電車通勤というやり方。確かに、山のなかのうちの学校にはぴったりかも。
養老の滝で一杯。
ハイボールを飲んでいると、くらくらしだして、1杯でやめる。
帰ると、体がガチガチでめずらしくサロンパス。なんか、体が火照る。21時前に就寝。
寝る前に見たのは、立川志らくが案内する小津安二郎の4回目。『お早う』の緑色使いの連鎖など、私も気になっていたことの確認。


1/29(金)

昨夜、体ががちがち。どうもかなりくたびれていて、サロンパスを珍しく張って寝る。
何度もあつくなって目が覚める。おなかにダメージがくる、風邪もどき?→「胃腸風邪」というらしい。

何もない日。明日までの『国際ブックアートピクニック』(やっぱり!本が好き@大阪アーツアポリア)に出かけることを前々から決めていた。
ゆっくりと、外へ。トラックのパン屋さんが止まっている。
暖かいようだが、風があって、でも、綺麗に晴れている。鞄がいつになく重く感じられる。肩が痛くてショルダーにすることが出来ない。

大阪府立中之島図書館へ。正面の入り口から一度は入りたいなあと思いつつ、横の狭い通路を行く。受付のおばちゃんにロッカーの鍵をもらう。10番。このロッカーはいつからここにあるのか。これを使った美術がすぐにもできそうなぐらいだ。
3階へ。美しい天井を眺めながら(すこしクラクラする体調もまた印象深し)、文芸ホール。
ここに入ると昔の「博物館」の匂い、ショーケース。でも、中味は新鮮。で、逆に、青鞜創刊号や『歴史写真』の表紙がぴったりと時をまたぐ。とりわけ、『歴史写真』のタイトル漢字(金文?)がもうめちゃめちゃかっこよく、その表紙に女流画家のあでやかな絵。

ブックアート。ブックの装丁。挿絵。そこから、よりアート性が高まって、ブックの形は屏風型になったり、ブックからもれていく、あるいは、ブックになるまえの姿を見せる。たとえば、呉夏枝の繊維。そして、声の日記。松井智恵の作品は別途、本として触れることができる。

触れることが出来ない本ということも面白いな、と思う。本は触れて、めくって価値が発揮される。美術は触れることが出来ないことが普通で、一定の距離を持って眺めてこそそれが成立する。そのメディウムの特性をよく見せる展覧会でもある。おなじみの池田朗子の切り起し。ブック(雑誌)のライトで思いがけない活用の術。

一番、ここにあることがいいなと思ったのが、パフォーミングアーツに使われたブック。山下残+納谷衣美。荒木さんの100から89?ぐらいまでの前説と始まりの「トンネル」だけを映像が繰り返し、本がこうして展開されていることの多様性に思いをいたす。チラシには、iTohenで展示されていることになっているロセラ・マトモロス(ここには体調不良のため至らず)の作品(屏風型)もあったような。

風は強いが川は輝いて美しい。まあ、歩いて10分以内ぐらいなので、Caloへいく。橋本敏子さんらのオフィスもこの南ぐらいだなあと思いつつ。Ayaさんの写真画廊がある5階。本を売ったり、カフェしたりするカレーの匂いがただようCalo。「フランクリン・ファーネス・アーカイブ・コレクション」。

ここの本は触れないものと触れるが白手袋のものに分かれる。3つの種類があることが分かる。触れず、その本が開かれている部分のみを見る(1)、触れること、根に持つことが出来るが、白手袋をはめる必要があるもの(2)、そして、普通に本として手にとって見る(読む)ことができるもの(3)。

一つ下の画廊、サイギャラリー。藤本由紀夫『notes 1979-2009』。そのハガキに書かれた言葉の後半部分を引用:
<メモは私にとって「楽譜」である。 / 「何か」のための「楽譜」である。 / だから、 / その「何か」を演奏するのは、 / 私であっても良いし、 / 誰か知らぬ日とであっても良い筈である。>

まったく偶然だろうが、ブックアート展のすぐ下に、「notes art」があるとは。藤本さんって、生活まで含んで、少なくとも、創作の準備や過程まで含んでとても無駄がなく、丁寧に生きてはることが如実に見える。それは、一角に置かれてスケッチ帳でとりわけ、その「ていねいにいきる」姿が垣間見れる。

ホントに数冊しかめくらなかったが、同志社女子大における講義ノートであったり、展覧会の構成図案だったり。ほとんど、鉛筆。ああ、鉛筆でこうして書いたものをどんどん作品にしたり、実際の授業に完成していくのだろうけれど、そのはじめのメモすらアーツであることの凄さ。淡々とした一瞬一瞬が重なり合うことでこのような集積、驚きへと変わる。

かえって、13時からの鳩山総理の新年度予算についての施政方針演説をビデオで収録していたので見る。少し声がかれたり裏返ったりすることが多くなったなあというのが印象的。また、具体的な事例(大震災のはなし)が後半にあるが、印象は前より薄いし長く、くどく、感じられる。それでも、いままでの総理のものよりは聞く気がうせないものではある。

岡田外相のスピーチはぶつぶつと文章がつながらないので、どうもスピーチ的術に課題がある。菅さんは財務省と経済担当と二つの大臣を兼ねていて、やっぱり、後者になると流暢になる。喉が3人では一番太く、演説慣れしている。出だしが、小さくて、少しずつ声が大きくなり、最後に決める。ヒットラーほどの演出ではないが、基本的弁論術が出来ている。

やっぱり、もうすこし体調がいいときに見るべきだった。エリック・ロメールの最後の作品
『アストレとセラドン 我が至上の愛』(2007年、109分)。5世紀のフランス。ローマの神様が侵略しつつあるけれど、そのまえの地元の神様の僧侶とその神殿。ケルトと同じ宗教だろうか、ドルイド教とあったから。17世紀の小説によっていて、当時の人たちから見た5世紀のフランス人の姿(ローマ文明前の原フランス文化への希求:一言でいうと、神への愛と性愛との統一・至上性)を21世紀になって、80歳代のロメールが演出する。3重の構造。

3重というと(「3重スパイ」もあるけれど)、主人公の綺麗な男性、セラドン(アンディー・ジレ)の女装が、過去のアストレとの出会いに始まり、中間に、女装による逃亡、そして、女装による再開という形で展開されている。統一感が原作の文芸作品としてすでにあるのだろうが、ロメールならではのすっきりした筋の通し方。声高でない自然の賛美。

「アフレコ嫌い」な彼が、原作の舞台、ロワールでは、現場の音に現代の騒音がどうしても入る(同時録音にこだわるロメールなので)から、出来なかったというエピソードなど、この映画もまた、もう一度、ちゃんと見なくちゃいけないものの一つだ。文芸物の『O侯爵夫人』(1976)、『聖杯伝説』(1978)『グレースと公爵』(2001)との関係論もまた楽しそうだし(私は、中世の演劇舞台のような『聖杯伝説』がとりわけ好き)。


1/30(土)

この週末もあれこれあったはずだ。
が、すべてもう、朦朧として、忘却の彼方にいってしまっている(インターネットという便利なものがあるので、ちゃんと調べれば結構思い出すようになるのだけれど)。

第2回「文化ベンチャーネットワーク」の会。主催:京都府文化芸術室・京都文化ベンチャーコンペティション実行委員会。
今日は、一応、副実行委員長だからお仕事なのだけれど、京都文化博物館別館2階講堂で、京色パステルと金箔を使ったワークショップとレクチャーがあった。50名も応募があったそうで、断ったぐらいだという。

あらかじめ、2名(妻とぼく)予約していたので、はなをかわりにさせて、ぼくは撮影と見学に回ろうかと思っていたが、当日の参加者はそんなに多くなく(無料ということもあり、はじまったときは半分ぐらいだった)、まあ、ぼくもすることにした。

金箔って、なかなかデリケート。手順はワークショップというよりも、師匠から教わるというかまねたり、失敗してしかられつつするっていう世界なのだろうと思う。つまり、そのときどきの目分量だったり、状況判断だったりする。面白いなあと思ったのは、日本画の顔料であり、手でこねること、時間がかかる膠だったりする。

有り難かったのは、この前1/26(火)の高校1年生の授業の感想をいただけたことである。以下、嬉しいので、少しだけ部分引用:
◎・・・ハードウェア、ヒューマンウェア、ソフトウェアの3つの存在を自分の住む身近な場所で見つけ出し、その存在を自分の手で少し動かしてみることで、またちがった役割をそれぞれが持つようになる。私たちはそれをすることが課題として出されているのだと分かった。考えてみると私の住む町だけでも多くのもの、人、ことがあって、まちをデザインする要素は多くあった。自分の好きな景色が見える場所、小さい頃から親しんで楽しみにしていた祭、よく遊んだ野原や山・・・お世話になった近所のおばちゃんやpっちゃん・・・。考えるだけでも思いつく3つの要素が私の住む町にあふれていた。こういうものを見つけて、また自分を育ててくれた、住んでいる町のことを好きになることは、すごく楽しくて嬉しくてワクワクすることだなと感じた。・・・・

◎・・・よく町などのチラシで、〜祭や、〜イベントとかかれたものが家のポストに入っていたりして何気に見てゴミ箱にすてたりしていましたが、その一つ一つが町をよくしようとするための大切な価格だったんだと分かりました。
 自分が何もしていない分、気にもとめないチラシ類。もし、自分が企画者となるとき、どういうものが人の目につくのか、そしてそれが認めてもらえるのか、考えて生きたいです。・・・

◎ 「町を知ることは自分を知ること」という言葉が印象的でした。たしかに、みんなの夏休みレポートからも分かるように、町によって環境は様々です。自分の育ってきた環境、大きな範囲でいえば町に自分が移っていると思うと、もっと深く自分の町を知りたいと思いました。また、町で自分が知れるのなら他の人のこともその人の育った町を知ればわかるのかな、と思いました。友達の育った町についても知りたいです。・・・・

1/26の手持ち資料(レジュメに書き込み)を参考のために、アップしておく。
・・・・・・・
手持ち用京都府立嵯峨野高等学校 「京都文化論」京都こすもす科(1年生のうち32名) 2010年1月26日(火) 小暮宣雄(京都橘大学)

文化のまちをデザインしよう―秘密の本棚にそっと手を伸ばすように―

(1)「京都文化論」を学習すること、その意義、そして、かけがえのなさ
@ 秘密の本棚にそっと手を伸ばす?
まちさがし・・・秘密の本棚は見つかった?まちの森に迷い込み、隠れた本棚をみつけよう まちつかい・・・使われなくなった建物、場所、用具を面白く使ってみよう
まちあそび・・・子どもが原っぱで遊びだすように、文化の野原を散策する企画をつくろう

京都文化=「秘密の本棚」。
自分でまちを調べ(まちさがし)紹介し提案する(まちつかい)=この本棚にそっと手を伸ばすこと。

まちあそび:文化プロデュース、アーツマネジメント

A表現力・適応力を身に付けるために 大学の入試科目にない。としたら、受験勉強にはほんとうに役立たないのかどうか。 実は、考えてまとめる入試問題が歴史や国語にはけっこうあって、この授業のレポートづくりがかなり役立つ。

さらに面接がある入試ではずいぶんと貴重な経験になるし、あるいは、ハーバード大などアメリカにおいては、ボランティア経験や社会体験、フィールドワークが条件になる。
大学には高校の科目と違う学科や学部、あるいは、授業科目がある。「京都文化論」ももちろんあるし、観光、まちづくり、公共政策・・・私も、「都市とアーツ」「都市デザイン論(まちづくり政策論)」「イベントデザイン論(アーツマネジメント論)」「空間プランニング演習」「文化プロデュース論」などなど

B自己認識のために 何よりも、自分を知るために、自分がそこで育ったまち、京都を知る。取り巻く環境に自分が写っている。
見過ごしている文化資源に出会い、立ち止まる。イヤホンを取り、耳を傾ける。はじめて来た旅人になったつもりで、商店の棚を眺めてみる。まちの匂いってある?

その土地の文化、とくに物語(歴史、伝説)を知ることで、自分が住んでいる歴史の流れのなかにいることを認識できる。
自分の親、祖父母、そのもっと前に生きていた時代を知ることの大切さ。
そして、それを自分が受け継ぎ、デザインしていく。

(2)未来の地域、まちづくりの提案(企画)のポイント
1)「自分が住んでいる地域の文化を紹介し、その魅力をPRするレポート」のなかで大切な要素は3つ
夏季課題レポート「私のまち」(紹介編)を読んで(参照)・・・全部ざっと3つのポイントに添って指摘していく。そのさい、自分の目で見て感じているようなところはチェック

@ ハードウェア(もの)・・・
建物、公園、町並み、周りの自然(人工的な手が加わっている里山、田んぼなど)
A ヒューマンウェア(ひと)・・・
人物、歴史上の有名人、神話・伝説の人、特産品の生産者、さまざまな人材
(妖怪や幽霊、動物などもまちの物語の登場人物、いや、配役になる)
B ソフトウェア(こと)・・・
祭り、花火、イベント、パレード、大売出し、観光ルート、音楽フェスティバル


2)自分のオリジナルを見つけて
自分の目で見て感じている あなただけ知らない秘密を握ること
資料、インターネットと実地観測、まちの人のインタビューと併用すること

3)まちの物語を一つつくろう
自分で、ハード、ソフト、ヒューマンの要素を使って、歴史物語、ロマンス、ドラマのようなものを自分なりにつくる

4)面白い事例を参考に
ハードウェアは人工物(建物、景観、広場、公園)だけではなく、環境を観察すべし
手が掛かった田んぼ、里山、そして、鳥や昆虫だって、人間と無関係ではない。
他の地域とのつながりを知る。他の地域の事例を提案・企画の参考に

5)まちつかい・まちおこし・まちあそび
まちつかい:特に、使われなくなった建物、場所の新しいつかいかたの提案がとても大切
そして、自分たちがわくわくするような、遊びの場づくり
  さらに、自分たちだけではなく、お年寄り、小さな子どもと親、障碍のある人などが楽しむ企画
まちおこし:まちが元気=地域内の循環が起きると、血液がめぐる:地域の産物を地域で享受しよう

まちあそび
人生イベント(冠婚葬祭)デザイン、
映画プロデュース、ファッションショー、見世物小屋、まちかど美術館
音楽ライブ、スポーツ大会、観光ツアー
アウトリーチ、ワークショップ
・・・・・・・・


1/31(日)

今年も1/12がおわる。すこしずつ、胃腸風邪が治りつつある。でも、重いもの、アルコールはどうも無理みたい。
新長田の駅につく。何かの工事が広場であるので、歩きにくい。
それに、今日は雨が降っていて(八幡は行き帰り、どちらも雨があがっていた)、どこか、その巨大な商業施設、アーケードをゆくと、無個性な日本の都市設計の無残さというか、震災の哀しさとはまったく別の空しい虚脱感っみたいな思いに囚われる。鉄人28号は、ちょっと、その空虚な大きさを緩和する大きさになっているけれど。

神戸映画資料館の場所が分かったし、商店街の1階フロアではフィリピンの人たちを撮影した子供達の映像の上映会みたいなものが行われたり、もちろん、長田は復興のシンボル的な取り上げられ方をしていたということもあって、ずいぶんまちづくりが進み継続しているイメージがあり、実際にもそうなのだろう(たぶん)。

帰り、同じ場所を通って帰ったが、ダンスボックスの企画で地元の奄美(昭和28年に日本復帰のあと、神戸にやってきて、70歳を越える人たちが多いのだそうだ)の踊り(様式化していないで、宴会の跡とか、闘牛のときの応援ダンスとかがあるのだということ)や日本舞踊などの映像を見させてもらったあとは、そんなにヴェイカントな気持ちにはならなかったから、この巨大な商業スペースにももっと文節がつき、匂いや景観が生まれてくるのかも知れない。

で、東京ぽい、大谷燠さんも関西では見られませんよ、とおっしゃっていた、『Tri_K』トリックである。
アートシアターdB神戸。
15分前に入場すると、40歳台のスリム(黒っぽいスーツだからとくにそうみえた)な男性が、一人ずつ、イヤホンで音楽を聞きながら、踊っている。ダンスアーツではない。ただ、クラブで楽しんでいるようなものだ。チラシに、ゲイって書いてあったのだが、それもちゃんとみなかったので、後半、そうか!と思ってから、その告白にいささか重いものを感じたが、基本、テレビのバラエティ番組みたいな軽さをあえて演出している。面白くて何度も大笑いした。ちょっと、ヤジったかな?ワイシャツの衿が立っている、とか。

スノッブなのにそうではないふりをしている、という感じでもなくて、そこがなかなかかわいい。でも、ゲイなのだから、必死なのかな、とかゲスな思いが一瞬こちらに浮かばせるのも戦略なのかもなあ。すごくスマートで甘くチャーミングで、少しだけ猥雑。とりわけ、ディックウォンが可愛い、なんて、ぼくはそう思うのに、日本の東京へんの女子は、イケメン度・男らしさ度では、川口隆夫や今泉浩一を選ぶのだなあ、と自分とのギャップを感じたのも収穫。

確かに、40歳代になると、腕立て伏せの回数もぐっと減少する。いま、体調も悪いので、自分も20回ぐらいしか出来ないかも知れない。30回ぐらいには春までには回復しておかなくちゃ。それにしても、腹筋が出来ないようだなあ、3人は(まあ、腕立て伏せなどをしたあとはきついけれど)。

そうそう、5月下旬、リスボンでも公演するそうだ。ちょうど、藤田くんがいるなら、たぶん、見たりするのかも?

植物まるかじり叢書2『植物は感じて生きている』(滝澤美奈子、化学同人、2008)。読了。
重力や水を感じる根の先端は、脳なのだ、とダーウィン以来言われていることなどなど、面白すぎる。
有機肥料だけでは無理があること。その過剰が、二酸化炭素増大をもたらす危険。
植物だけ摂取していては動物は元素不足になること。

とりわけ、植物が、害虫に食されると、匂いを出して、SOS?害虫の寄生虫を呼んでくるという話はもうドラマを越えたお話。また、その匂いを隣の植物がかいで、事前に防御するなんて、なんということ。

で、減農薬をこのシステムを使おうとしているのだそうだ。キャベツ―モンシロ―アオムシコマユバチ、キャベツ―コナガ―コナガマユバチ


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