こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.1/11〜1/17


こぐれ日録675 2010年 1/11〜1/17

1/11(月)

RITTOパフォーミング・アーツ・シティ・プロジェクト。シンポジウム「アーツを活かしたまちづくり・みとづくり〜教育がひとをつくり、ひとがまちをつくる〜」。私はこれの第二段にわらび座の是永さんが来るので、それの司会みたいなことをしたら?といわれていて、これには関係ないはずだが、チラシが出来てよく見ると、もう一つのブログの縫い物をする写真つきで、パネリストに入っていて、なんだか狐につままれたように楽しくなって、ツイッターで出るよとかいいつつ、何にも準備しないでいた。

まあ、そんないい加減な私ではあるけれど、今日それをRTすると井手上さんが今日なの?とかつぶやきつつ、きてくれたり、何だかICTの発達と対面的な出会いの場づくりというのは相反するものでもない気が最近している。学生も出席稼ぎという側面もあったけれど、さきらにふらっと来るようになっているのは嬉しいのも事実だ(学生が発表した資料を山本さんたちに渡すのを忘れた:かばんに入っていたのになあ)。

数日前、ちょっと資料をメールで添付したけれど、このシンポで自分は結局、さきらの小ホールで何かさきら代弁者みたいなことをアドリブでつぶやくだけで、あとは、質問に対して、お寺が子どもを育ててきた話ぐらいをしただけ(もう一つの鋭い質問、子どもの保護者への対応という質問にはなかなか答えづらかったけれど)だったようだ。まあ、吉本さんや奥村さんの話をもっと長く聞いて、それに対して私が質問するような形にすればよかったかも知れない。

それでも、2年半ぐらいまえに始めてバイオリンを持った小さな子供たちがバッハなどのアンサンブルを弾く冒頭から、なかなか面白い企画をさきらのみんなはしてくれていて、こういうことを、たとえば、今度は声明とかのアンサンブルを子どもがしたりも出来るだろうし、ダンスのワークショップもまた復活したらステキだろうなとぼんやり思って時を過ごす。碧水ホールの上村さんの顔が見えたので、あそこのガムラングループとか、地域のアーツプレースが育てているコミュニティアーツカンパニーの交流会などの企画も楽しそうだし・・

14時に集まるというので、栗東駅に少し前に着くと、ニッセイ基礎研の吉本光宏さんに会った。ずいぶん久しぶりなのだが、彼の書いた事業仕分けについての意見を見たり、ツイッターで彼が何かを言っているとかいうのを仄聞したりするので、そんなに久しぶりとは思わないのが不思議だ。もちろん、いつも若々しい彼だが、会わない時間分だけ、前の印象とは違うものがある。ところが、ちょっとするとその違和感というか経年感というのはなくなって、前に会った彼といまの彼が接続していく。

シンポジウムも終わって、栗東駅の近くでさきらの西川部長やジュニアオーケストラの指導者さんたちと飲んで、京都駅で別れると、一番初めにあった、国土庁の上の喫茶店のときの吉本さん(社会工学研究所からちょうど移ったところでそれで西巻さんにバトンタッチするという話を彼はしたはずだったけれど)と何も変わっていないようなそんな気分になるから不思議でもある。

他方、始めてお会いしたのは文科省の奥村高明さんだった。彼は延岡市の中学校の先生や北郷村(宮崎県では、キタゴウソンと村をソンと呼ぶ)の小学校に先生をしたり、宮崎県立美術館の学芸員をしたあと、5年前に文科省の調査官になった人で、宮崎というと、仕事の始まりがここだったから、そういう話をいっぱいしたかったが、まあ、それは飲み会でちょっとしただけだった。

奥村さんはアーツの生態系という話をしていたので、飲み会で、脱藩したら?というとかなりそういう文化省構想みたいなことに積極的な役人さんたちもいる、という話になり、文化メディア観光省みたいな形や平和文化省とかの案があるという話に展開。

けれど、省が増えるのは地方分権の観点から私は反対だから、環境省を自然系の限るのは西洋文明的で、アジア的には、文化も自然も人間環境として生態的に捉えるべきなのだということで、文化環境省か、環境文化省にしたら?という個人的な考えを話した。
すると、まあ、飲み会だからだろうけれど、けっこう、それはいいなという顔を奥村さんもしていた。吉本さんも、平田オリザさんに会ったら言うよみたいなことを言っていたようにも思うけれど、飲み会のことだから、それはぼんやりとしている。

飲み会で、「藝術」の語源の話もしたら、思わずいい反応だった。白川静さんの『字統』を紹介しておく。これほど、面白い読み物はなかなかないから。


1/12(火)

2回生ゼミは最終。ノートを提出するという課題だったが、今日出したのは、2名。なかなか面白い。

エリック・ロメール監督が89歳で昨日なくなったということ。家に22作品ある。長編では最後の作品のみ見ていないので、さっそく生協に注文する。

夜、ねむいので、ロメール追悼鑑賞はやめて、木下恵介監督『カルメン故郷に帰る』(1951年、86分)を見る。でも、途中うつらうつら。展開がゆるいこともあるけれど、音の状態の問題も。国産カラー映画のはじまり。メイクが大変だったというのはよく分かる。藝術についての一般常識みたいな問題はいまもあんまりかわっていないのかも。「裸芸術」というトラックがなかなかキュート。浅間山麓でのオールロケ。

小学校の運動会の演奏がステキ。これは、実に大事な映像部分、あと、運動場のお遊戯が延々と写され、先生などもいっしょに踊っているのがいい。小学生に入っていないこどもも混じるし、なにせ、足踏みオルガンがとても大事そうに運ばれる。


1/13(水)

1限目授業。ロメールの映画を見せようという気持ちが出たが、予定通り、限界芸術論を枕に、葬送のアーツマネジメント。ブライダルの最近のニュース(ハウスウェディング)も。

読んでいた本、山口昌男『歴史・祝祭・神話』中公文庫。柳田國男の祭論とは対極にある松平斉光(『祭 本質と諸相―古代人の宇宙―』朝日新聞社、1977年復刻、1946年に1943年書いたものを出版。『祭』東洋文庫復刻の続編)を受け継ぐ形でないかと思いつつ、読む。
ただし、内容は、どうしても西洋の話になっていてすこしもどかしい。ただ、トロツキーをスケープゴート(「はたもの」by折口信夫)として叙述している後半部分とか、別の興味を抱く。
http://d.hatena.ne.jp/bragelone/20080222

お昼、新年挨拶会。そのあと、以下の講演会をはさんで、校務:大学評議会、学部教授会、キャリア関係の会議。

京都橘大学児童教育学会講演会「他者から眼差されるということ」杉山春サン(ノンフィクションライター)。12:50〜14:30。
多く触発される。
アビューズ(乱用)が、ひとの孤立、助けてと言えない場面で起きる話。

若い保健士が若い母親(最後は父親と同じくわが子を餓死させてしまった)と向かい合えない職場という問題もまた深刻な現状を感じる。公共セクターの孤立。
いずれにせよ、確認のため、今日教えていただいたことを予備知識にして、彼女の著書をまた読むべし。『満州女塾』(満州での子殺しもあり)、『ネグレクト』(今日はこの児童虐待、放置、子殺しが主なテーマ)。『移民漂流』(日本に暮らす外国の子どもの絶望)。いま、ひきこもる人たちについての原稿を脱稿したところという。


1/14(木)

小正月の前の日、左義長やどんと焼きをするのは、この日ももう一つの大晦日なのかな。
かなり寒い。
ふたつ、ほめられていい気分。でも、先生、さきらのコメントは、いつもとは全然違ってよかったです!というのは、まあ、いいようなそうでないような。
あとは、子どもと夫がわたしのツイッターを楽しみにしています、という奥さん院生のお話。これだって、つっこめば、つっこめるけど。

大坂成蹊大学芸術学部spaceB。学生への刺激のために行っている展覧会なので、もう少しすればこういうふうにステキな作品が創れて展示も一つの作品だし、いろいろ工夫すると楽しいよ、というものが多く、12日からの『さかさま-の【サカサマノ】』(山口祥子助手+置山智加2年)の展示も、かわいくて、対比がよく出来た展覧会だった。寒いこともあって、中がほかほかしている感じだ。

サカサマにイラスト的絵画を並べているのか、あるいは、サカサマにあえて顔とか植物などを描いて、その向きで完成なのか?ということをまず疑問に誰でも思うはずで、だから、あえて、サカサマでない顔を一つ混じらせたり、サカサマのようでサカサマでなくても面白いものがあったりする。

最近思ったことのメモ
◎【アーツマネジメントの動機の多元性】 4)と5)が新規・・・順序は今後の検討課題
1) 見たいものが見たい・・・・プレゼンテーション欲求
2) 見たこともないものが見たい・・・新規性欲求
3) 見たくないものも見よう・・・社会批評性欲求
4) 見られなくなったものを見よう・・・継承復活欲求
5) 見過ごされているものを見よう・・・限界芸術性欲求


1/15(金)

かなり、充実した金曜日だった。
1限目、「とちキャラ論」の序奏。うまく展開できればいいな。
美少女キャラと羽後町のクローズアップ現代のビデオの学生反応も参考にして。
2限目、演劇を政治学的に見る試み。かなりいい線行っている学生がいた。MONO『橋を渡ったら泣け』が教材。

出席票をつけて(3回生ゼミにも来るNちゃんが研究室にきてあれこれ。ブライダルにこだわるつもりはないけれど、限界芸術ってまたぴんとこないとか私の背後でつぶやいていたな、漫画もある!とか彼女はギャルぽい外観とのギャップも大きくなかなかな学生の一人。12/31のこぐれ日乗にあったレジュメだ!とかいうし、恐るべし・・)、あわてて、国立国際美術館、内覧会へ。

内覧会って始めてかも。着いたのが15時半近くだったので、乾杯前。大野さんに言われて、混まない前に展覧会を観る。国立国際美術館新築移転5周年記念『絵画の庭―ゼロ年代日本の地平から』。いつもの常設展のところも含めていっぱいのブース。草間彌生の愛らしい世界から観始めて、奈良美智、会田誠などをスラスラ、あるいはツラツラと通過していても、その数によっていつの間にか満腹状態になる。会席料理みたいだな。

物語の絵本的風景が印象的だったかな。人物も多いけれど。小林孝亘の絵は一番初めに大阪成蹊のギャラリーでみたな、とか、懐かしくなる絵と、新しく出合った絵と、色々な感慨。一番長く居られるブースはなんと言っても青木陵子。栗田咲子も好きだなと再確認。坂本夏子のびっちし感は、厚地朋子のわさわさ感に通じ、森千裕の胡桃に入った九品仏とかヘルメットの石窟ミニとかは、日本画(明治時代の洋画)的な花澤武夫と自分的につながって面白い。

帰ってから、オルドリッチ映画はまあ観てきたけれど、ロバート・アルトマン監督作品をちゃんと意識的に見ていないことに気づき、とりあえず、1969年製作の116分、『マッシュ』を観る。朝鮮戦争下の米軍移動外科病院。後半、朝鮮半島から日本の小倉に来て、ゴルフとか、芸者遊びとかするシーンが特に気になった。


1/16(土)

政治と行政のせめぎあいをぼーっとなって眺めている。小沢一郎民主党幹事長vs.検察官僚(東京地検特捜部)の争いである。いずれにせよ、その結果、企業団体献金の全面禁止と、検察・警察の捜査・取調べの全面可視化という未来志向の政策が実現できなかったら、ほんとにマスコミの視聴率づくりだけの茶番劇に終わってしまうことは明らかだ。

読みかけの本。松原隆一郎『失われた景観―戦後日本が築いたもの』PHP新書227、2002年。
葛西奈津子著、日本植物生理学会監修『植物が地球をかえた!』化学同人、2007年。
松原さんは、灘校のすぐそばの魚崎の出身。震災のあとモデル住宅の展示場のようになった町並みが第二章の扉写真である。満州国の都市計画や河川改修をてがけた原口忠次郎が「公共デベロッパー方式」の神戸市方式を開発した市長になる話など実に興味深い。

植物まるかじり叢書はまずこの第1巻から読むべきだったかも知れないが、この本は第3巻の「なぜ花が咲くの?」より、よりベーシックなことが書かれていてまだずいぶんと読みやすく、でも、紅葉の仕組みや、米の品種改良の話―秋田63号についてはずいぶん感心する―など、面白く知らないことが満載である。

16時から、京都府立文化芸術会館の40周年記念で、茂山家4代にわたる狂言舞台を楽しんだ。

「福部の神(しん) 勤入」。瓢箪(ふくべ)や鉦たたきの芸能的狂言。踊り念仏の中世的芸能がベース。これを少し可笑しくしているのだろうけれど、ベースが分からないのでそこは勉強不足な私がいる。
後半の最後は、『千切木』。こちらも中世の連歌がベース。ただし、中味を知らなくてもずいぶん滑稽な話なので、これは分かりやすくばかばかしい。でも、どこかブラックな哀しさもある。

ただ、第二部前半の「いろは」「しびり」。千作さんのひ孫にあたる双子の一人が「いろは」の方の公演できずに、幕になってしまったことは驚いた。
はじめ、後見が台詞をその小さな子につぶやいているのは愛嬌だと見ていたが、こうしてその子がシテとして上演できなくなったのであれば、後ろの後見は代役として舞台を続けることが舞台のプロとしては、マストである。シテを代行出来るのに、それを中止して、再演もしない、というのはどうなんだろう?観客不在といわれても仕方がない。茂山千五郎家に油断(あるいは驕り)のようなものがどこかあったのではないか?と思わせるものでもあった。

もちろん、小さな可愛い茂山家のおぼっちゃまを見にほとんど来た観客だろうから、演目をしないというのに不満はないという判断だろうが、それでも、舞台の厳しさを示しておくことは後々大切なのではなかっただろうか。
昔、和泉なにがしといかいう狂言師のダブルブッキング問題があったように記憶しているが、伝統芸能の緩みのようなことがこれからないことを願う夕方でもあった。

帰ってきて、家族の一人に朗報あり。


1/17(日)

大阪府がオパフェという無料の芸能ショーケースをやっていて、それが、最後の自民・公明政権の各都道府県文化イベント1億円事業(補正予算事業名は「文化庁地域文化芸術振興プラン推進事業」)だったということを、出演していたユニット美人(劇団衛星)のアーちゃんが私のこのブログで知ったと書いていた(どうして、1回限りのイベント助成で「プラン」という事業名にしたのか?というのも文化庁役人文化研究としては面白いテーマかも知れない)。

京都府は、国民文化祭関係でこの今年度補正予算1億円を使っているのだけれど、昨日、今日と見た、京都府立文化芸術会館開館40周年記念事業の一環である「狂言特別公演:茂山千五郎家四世代揃い踏み」と「能と京舞の会」もまた、オパフェと同じく「文化庁地域文化芸術振興プラン推進事業」であった(なお、このまえ、吉本さんから島根県ではこの1億円を全部は使えないということで国に一部返上している、という情報を教えてもらったのだが、都道府県が文化政策の担い手にこれからもふさわしいか?という研究調査課題にこの一律一回限り1億円事業はかっこうのサンプルになると思っている)。

昨日と同じく、この「能と京舞の会」も、片山清司とそのお姉さん五世井上八千代、そして八千代さんの長女、井上安寿子、そして、片山清司さんの息子さんの片山清愛という一家そろった競演。ただ、子方をつとめる清愛ちゃんはちゃんと最後までやっていた(片山清司さんもかつて子役として、この「海士」デビューをそうだが、その時、おしっこをちびっちゃったと初めのトークで話していてなんだかほんわかムードで始まる)。

前半は、井上安寿子、京舞・地唄「萬歳」。上手に地方の三味線4名。ユニゾン。下手御簾で見えないが鳴物と笛。京舞は日本舞踊における「踊り」ではなく「舞い」だという固定観念が自分にはあったが、少なくとも能の舞に比べるとずいぶん近世的で新しい感じがする。とても情景具象的だからだが、もちろん三味線が能の囃子に比べて多弁だからなのだろう。つづいて、井上八千代「珠取海女」。これは09.7.4に春秋座で見たものだ。「・・かねて企みし事なれば 持ちたる剣を取りなおし 乳(ち)の下をかき切り 珠を押しこめ 剣を伏したりける・・」

後半は、能「海士」片山清司 ワキは江崎敬三。間狂言(茂山千三郎)。かなり長いもので、間狂言で説明してもらうまでずいぶん丁寧に過去の状況が語られる。あとは、一気に太鼓が入って・・という段取りなのだが、やっぱり、京風だなあ、けっこうゆっくり(せっかちな私にはもう少しさーっといってほしいけれど)。それでも、こうして、思いがけなく能「海士」をゆったりとしかも京舞の「珠取海女」と比較しながら観られるのは有り難い。でも、私のように麻生太郎さんのことを思い出しつつ、この舞台を見た人はどれだけいるんだろうなあ。

帰って、ロバート・アルトマン監督『イメージズ』を見る。1972年、102分。始まりで十分。展開がないような妄想映像で、これは、飽きる。同じ、ロバートでもオルドリッチとは雲泥の差かも知れないなあと個人的に思ってしまった映画だった。


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