こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.12/6〜12/12


こぐれ日録722 2010年 12/6〜12/12

12/6(月)

卒業研究の提出開始日まであと7日。
国公立とは違い、1月下旬〜2月上旬に入試をする私学で、一般的に今年中の卒業研究締め切りとなっているかは知らないが、京都橘大学はずっとそのようで、文化政策学部のときも現代ビジネス学部にかわっても全員がゼミに所属し、卒論か卒業制作をしなければならない。

来週の月曜日から木曜日までに提出するのだが、ざっと書き上げているのは、3名(1名は制作)。その1名のチェックを午前中にしたあと、3回生ゼミ、そして、4回生ゼミ、行政法?と続く。

来週、映画『12人の優しい日本人』(東京サンシャインボーイズのお芝居も懐かしい)を行政法?の授業で(裁判員制度の流れ)見せようとして、研究室内のビデオをひっくりかえして、ようやく見つかり、ほっとする。一緒に『12人の怒れる男』も出てきた。どちらも見せたいなあと思ったり、昔は『それでもボクはやっていない』を見せたりもしたなあと思ったり。後者は、けっこう見ている学生がいるので、最近は使わない。

映画的には、万田邦敏監督の『接吻』を見せたいけれど、ちょっと法律問題とは別だしなあとふと思ったりもする。

意外と面白かったなあ。
猪瀬直樹『ジミーの誕生日―アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」 』(文藝春秋、2009年)。文藝春秋から出しているところとか、自分が思わせぶりに出てくるあたり、彼の政治的なパフォーマンスの今を感じなくもないが、内容自身は、押さえるべき点がけっこうある。
極東裁判の基礎日の4/29、開始日の5/3、そして東条ら7名の死刑執行日の12/23が、マッカーサーらに意図されているという事実を。
戦後天皇制が米軍によって守られていること。
もうすぐジミーこと明仁天皇さんの誕生日だ。

12/7(火)

9時から銀行があくので、めくるめく紙芝居実行委員会の口座を開くために、駅前の銀行。
ところがハンコを忘れてしまって・・・

都市デザイン論の前の4限目は観光の授業のようで、たまたま、赤穂の旅館の方がゲストスピーカーだったという。
そして、私の授業は最終課題の企画書作りの説明のあと、大曽根辰保監督映画『大忠臣蔵』(1957年8月公開!、松竹)前編を見る。少しあらすじを解説したが、69分だったので急いだため、「刃傷」を説明したはずが人情と思ったり大変。

確かに少し音声が割れるボリュームにしてしまったのかも知れない。でも、用語自身が難しいのかも。字幕がいるなあ。「公儀」を説明したりしたが。
86名の出席。あと、おじさんというのは、若い学生(特に女子)にとって、政治家映画を見せてもそうだが、みんな同じに見えるようだ。おじさんの私が彼女たちがみんな同じに見えるのと相同だわね。

バスの中などで、久繁哲之介『地域再生の罠―なぜ市民と地方は豊かになれないのか』(ちくま新書853、2010)を読んでいる。宇都宮市は一度しかいかなかったが、いい美術館だったなあという思い出と、11年前ぐらいだったかな、県立の文化会館で研修会をしていたのだが、そこに、ガングロおねえちゃんがいっぱいいてびっくりした思い出がある。餃子は食べたかどうか忘れたし、カクテルをバーテンダーさんにやってもらった記憶はない。でも、ワインを飲みすぎて大変だったかも・・

島根県もあんまりいったことがない。出雲市は吉田村とかを通っていった。あと、松江市も別にいったかも。ずいぶん昔だ。そんなすごいカフェ(エスプレッソとカプティーノ)文化があるなんて知らなかった。

そして、そういうこととは関係なく、どこもだいたい大型商業施設誘致とか、商店街イベントとか、レトロ擬似テーマパーク化とかしていて、土建工学者や提灯持ちコンサル、そして、自治体職員の餌食になる。あと政治家やそれにつながる地元のボスとかもいるだろうし、裏の社会だって動いているのだろう・・以下引用
・・・・・・
◎ イベントもレトロ化も、昭和にはあったが今は消滅しかけている「商店主と顧客との交流」を再生する手段として、そして次回も商店街に来るきっかけ創り、と位置づけることが重要だ。(p61より)

◎ 観光業界に都合の良い情報ばかりが満載の観光情報は、まさしくプロパガンダである。こうしたプロパガンダは、本当の情報を知らない無防備な消費者を「一見の観光客」に仕立て上げ、観光業界と結託して、観光地へと次から次へと送り込む。
 観光業界のプロパガンダが放つこうした弊害は、成功事例集が垂れ流す弊害とよく似ている。成功事例集は、実は成功していない地域再生策を褒めそやし、その虚言を信じた視察者を模倣へと駆り立てる。観光業界のプロパガンダも、それと同じである。(p95より)

◎ 地域再生という川の流れのなかでは、上流工程にいるのは土建工学者であり、中流工程には地方自治体がある。土建工学者は、成功事例を探して次々と推奨し、地方自治体は前例踏襲は権威ばかりを重んじる。両者は相思相愛の関係にあるのである。
 皮肉なことに、活性化に成功している地域の多くは、上流からの関与がほとんどない。(p129より)

この新書を読んでいたら、「土建工学者」ってだれかいな?ということにどうしても頭が働く。別のこの本への反論というブログがあったが、明確には、大西隆さんとかだとあって、親しくはなかったが、高校から来た同期だわなとか思ったりしつつ、結局都市工学ということだと、国土庁でよくお会いしていた伊藤滋さん(最近では相撲のときに顔を出していたな。伊藤整の息子さん)が出てくることになるし、そういえば、大昔、コンパクトシティというようなことで、伊藤さんから、その考えを聞いたこともあったなあとか、いささかの感慨あり。
・・・・・・


12/8(水)

今日は、二人の卒論指導、TAM研で1回生のレジュメづくりアドバイス。
事務書類を3つ、来年度ゼミについての書類。
夜は、アーツ・バーの学生マネジメント打ち上げ。
痛飲。2次会でトンボというバーに10名もはいる。

朝、『キャサリン・ヘップバーン セルフ・ポートレート』(69分、1992年)を観た。
フィラデルフィア物語についていた付録だが、これがすごくよかった。
私生活をできるだけシークレットにしてきた85歳のキャサリンがきちんと自分の生き様を語る、85歳。
ヒールをはいていたとき、171センチあったのに、いまは153センチだというところなど、なんかしみじみ。
でも、かっこいいおばあさんだった。独立するアメリカ女性の理想的なすがた。


12/9(木)

バーボン(ターキーからオールドグランダッドへ)をストレートで連続3杯も飲むなんて、あきれた飲み方をしたものだ。
9:30からの研究会が始まる前、つういんしました!というと、それはお大事にといれれて、しばし、日本語の同音異義語の多さを思う。

障碍のある人たちのお出かけ・旅行についてのこの楽楽委員会、京都橘大学の未来とも関わっているし、委員はぼくだが、より多くの先生方に知らせておかなければいけないし、重要なテーマ、福祉政策と観光政策とまちつかい政策を含み、いままで、抜けてしまいそうになるつなぎの人材形成分野であると思う。いまだに、福祉観光と観光福祉という術語のどっちがいいか判らないなあと思いつつ。

長岡京の大阪成蹊大学と同志社大学院との授業は、映像はまったく使わないで、オールドスタイルの授業。もう11回目になっている。共同執筆で書いた教科書の自分の分を配っていて、はたと、「指定管理制度」と「者」を抜かして書いていることにいまごろ気づく。再版とかあれば直す(京都市交響楽団が自治体直営と書いている部分〜これは執筆後の財団法人化だから仕方がないが)とともに。

そのまえに、京都府の文化政策担当者2名と寒梅館の暖炉の前で打ち合わせ。京都文化コンペティション関係と京都府文化芸術会館で行われる文楽鑑賞教室(1/30、学生は800円!)などのチラシをもらって、学生たちに普及することを依頼される。

久繁哲之介『地域再生の罠―なぜ市民と地方は豊かになれないのか』(ちくま新書853、2010)を読んでの寸感。
久留米市の焼き鳥屋さんの機能(親子の交流の場になっていてファミレスが進出できない)の話し(久留米市ではB級グルメ施策と読んでいるが、これはスローフードをブームに終わらせない政策だと筆者)も面白かったし、皇居周辺の銭湯がにぎわっているように、市街未利用地のミニスポーツジム化とかも、重要。
高齢者が子供の歓声が昼間なのに煩いというクレーマー化現象にはびっくりがっくり。
まちおこし(まちづくり、地域活性化)成功事例集というのは、物真似・権威大好き日本人をターゲットにした、それだけが成功事例なのだろうな。


12/10(金)

「市蔵じゃなくて海老蔵なら」があって、「大いなる完と空っぽなる菅」はなかった、そんな金曜日の授業(笑)。

社会文化論(163名)で、「よだかの星」を扱った。左時枝の朗読に淡い鳥の水彩画を伴う電動紙芝居をまずませてから、学生に読ませることにした。この方法のメリットも多い(いささか、安直かな?とも思ったが)。
以下のような1回生男子のコメントに笑った(がすこし心配にもなった)。

≪ 市蔵じゃなくて海老蔵なら人間国宝になれたのになぁ。こんな生きるのがつらくなる話はないなと思った。本当なんで生きてるのだろう。生きていてもつらいことと後悔の連続である。よだかのように周りに虐げられるものも、鷹のように傲慢なのも、どっちにしてもつらい思いをする。だからそんな世から離れて、よだかのように星になって安らかになにも考えず、暮らせたら、どんなに幸せだろうか?そう考えました。もう山のぼりたい。≫

政治学概論?は、映画『大いなる完』前編をみた。24名。漫画(本宮ひろ志、1984年「コミックモーニング」に連載)を1〜4巻ちょうど家に届いたので、読んでおく。田中角栄をモデルにしつつ、新潟ではなく、広島に置き換えていて、それを、映画では、また熊本へと移している(フィルムコミッション的な誘致があったからなのかも知れない。ただ、学生にとっては「ばってん」弁がどうもききとれなかったみたいだ)。

「大いなる完と空っぽなる菅」なんて学生が書くと、また笑えたのだが、それはなかった。けっこう、興味深く面白がる学生(特に男子)がいた。はじめに、エッチなシーンがあるといっておいたが、やっぱり、女子に少しそういう反応あり。

そのあと、3名、ゼミ生の卒業研究を見る。熱心な1回生がレジュメを作っていたので、添削しておいたのだが、それも引用の仕方などで役に立つ。

小暮はなの日本でのライブがとりあえずの締めくくりとなる、大阪ルイード。
いささか早くついたので、前のライブを聴いている。バンドの場ツナギに一番初めにライブしたバンドが案内と自分の歌一曲サイドにいて歌うという趣向。小沢さんもいろいろ考えているな。Siesta#1〜師走、でもボクは走らない〜

で、はなは19:50から約30分。6曲。いつもどおり。でも、ラストと思うといささかの感慨あり。ひがしのひとしさんが記録動画をセットしてくれている。
はじめは、お別れ。豊岡さんらと、12歳の男子「ボク」となって、一連の曲を作った。御船で遠く(たぶん、異国の地)に(たぶん、離婚したお母さんと?)行く。ランドセルがカタカタ鳴って。

2曲目は、過去ではなく、これからのポルトガルへと続く歌、そして、春を思うつばめ。「アンドリーニャ」。
続いて、「グランマ」。ポルトガルでであった目が見えなくなった靴下売りのおばあさんを描きつつ、おばあさんのつぶやきさえ聞こえてしまうかなり新しい趣向の歌。初めて聴いたからかもしれないが、終わりがいままでのものよりもさっぱりしていて、もうちょっと、余韻のある、あるいは、歌いこむ終わりでもいいのに〜とは思う。でも、短編映画のような味わいが面白い。

4曲目は、一人暮らしの40歳ぐらいの男性がネコを飼っている、そんな情景がどうしても浮かんでくる、寂しくも狂おしい情念が放逸する「リタ」。なにかネコの鳴き声もインターナショナルになってくるのかも知れない。いろんなところで歌うことで。

5曲目は「モノクロの夢の中で」。はなの初恋の男性の話を幾度となく妻から聞いていることもあって、あんまり知らないがよく知っているような錯覚のそのような人たちなどを思いつつ、この歌を歌い綴ってきた、さまざまなアーツライブの場所を思い出す。妻が十三のレッドライオンとか岸田さんたちにもお世話になったなあとか、終わったあとバーでしみじみ。

ラストのラスト。「かもめの住む街」。ポルトガル語がそんな発音でいいのかどうかしらないが、日本語とともに、なつかしい子守唄のような、民謡ちっくに響いて、もう、誰が歌っているのかとかどうでもよくなるような、沁みてゆく無名で無明の歌であり、クラシックギターのこまかく流れるアルペジオの粒たちである。


12/11(土)

志賀直哉「和解」を読みながら大学へ。山急9:10京都駅八条口。

京都・山科・奈良に住んでいた40歳代前後の志賀直哉が主要な関心事ではあるが、その前の作品のなかで、これは大事かな?と思われるものも読もうと思っている。
「暗夜行路」を読んで、「和解」という作品の重要性を思ったので、朝、読んでおく。そして我孫子時代の志賀直哉"http://www.shirakaba.ne.jp/tayori/150/tayori151.htm"を考えるために、数編読む予定。

大学院の授業。日本の伝統芸能の話になって(文楽教室のチラシから)、たまたま、仮名手本忠臣蔵が曽根崎心中とともに演目だったので、忠臣蔵の構図を話して、映画の冒頭を見ることになった。7本ほど手元にあったが院生が選んだのは、稲垣浩『忠臣蔵花の巻・雪の巻』で殿中での刃傷になかなかいかず、でも、学部生に見せている大曽根辰保『大忠臣蔵』とは正反対。

MONO第38回公演『トナカイを数えたら眠れない』(作・演出:土田英生)ABCホールへ。福島駅前のトマトラーメン680円、昔たべた時は美味しいと思ったのに・・・
100分ぐらいの作品。でもはじまったのは、19:03と記憶したが、帰りは確認せず。ああ、姉と妹という場面はいけない、つい娘たちを思ってしまってくれなずんでしまう。中之島の光も中途半端で悲しくなってしまうしさ。

LEAFの何号かで、このトナカイ・・の前の戯曲は読んだことがあった。公演は見てはいない。ホーリーナイトっていったかどうか。後日譚というか、時がたつにつれて、その始めのアンチクリスマス同盟(っていっても2日だけのイベントなんだが)はどうなっちゃったか、というお話。

7人の出演。一人の異分子と3人の大学とクラブが同じという共通の思い出をもった男子。そして、ペンションのオーナーの姉とその妹、そして、どうしようもなく頭が悪い姉の夫(養子)の3人という組み合わせ。

「京都11区」でおかしなイタリア人的登場が、こんどはトナカイ帽子を来たクリスマスケーキをペンションのオーナーの妹目当てにもってきた多田(奥村泰彦)。彼は完全に異分子一人。

反クリスマスって、反小沢一郎とか、反タイガースとかと同じで、クリスマスや小沢一郎やタイガースファンがいないと成立しないっていうことも、みんな気づいているし、もうそれを終わりになることをうすうす気づきつつ、でも惰性でやっていたりする。ボート部(男三人)という思い出もどんどんくすんでくるし。この3人って、たとえば、「その鉄塔に・・」の4人のコメディアンであったり、「きゅうりの花」の青年会の若者たちであったりする。同質のはずの違和感という狭い世間。

そして、三角関係の3名という設定。でも、軸は姉と妹である。
仲のいい兄弟・・でも実は・・というのは、「なるべく派手・・」や「床下のほら吹き男」などとも共通する設定。

おお、ちょっと、こう説明すると、新しいものないじゃん、ツッチーまんねりじゃんっていわれそうだが、それはまあそうだということもできるし、名匠小津安二郎に近づいているっていってもいいし(なんなら演劇界の志賀直哉)、まあ、冗談ではなく、それは21年目の劇団であれば、それもそうなんだろうと思ったりする。

そして、一番目立ったのは、カードゲームの多さであろう。これもおなじみMONOの重要な小道具であり何気にその場の力関係、性格を描くテクネーなのだが、今回はこれがより全編にあって、他人に名前、そして自分の名前を呼び合うというそういう部分が実に演劇そのものになってしまっている。演劇とゲームの違いすらないかと思わせる。

まず、トランプゲームという枠が劇場であり、公演という一つの制約という共通性。でも、配役を変えるという自由がそこにはある。でも、小劇団ではメンバーが固定し客演がちょっとあるだけである。それをやめるのも自由、でも止められないのもゲームというものであり、だれかがいつも負けてすねるということだってよくある。祭り、イベントで、どうしても入り込めない、のけ者になってしまう、されてしまう人がいるっていうのも、演劇もゲームもクリスマスとかいうイベントでもみんな一緒さ、結局、人生なんてね・・・

というような全体に漂う観もふたもない中年に差し掛かる倦怠。そこではダメな人がダメな人とであってよりダメになるかと思いきや・・・意外と思わず、いいことだってあって・・・

話は変わるが、いままで、製作している有限会社はキューというカンパニーとばかり思っていた。
言い違いではなく、読み間違いね(笑)。
よくチラシをみると、有限会社キューカンバーってある。はじめ、間違い発見と思ったら、自分がずっと間違っていた。株式会社にするときは、漢字にするかもしれないなあ、そうすると?胡瓜。いいな。
ちなみに、胡瓜=cucumberは、始めにアクセントがあるのに、瓢箪=cucuebit(キューカービット)は、第2音節にアクセントらしい。

キューカンバー&キューカービット株式会社というのも、なんだか面白いかもなあ・・・株式会社胡瓜と瓢箪


12/12(日)

映画監督、小津安二郎の誕生日である。そして、命日でもある。
たまたま、浜野保樹『小津安二郎』(岩波新書265、1993)を読み終わった。2回生で小津映画をかなり観ている学生に貸そうかと思って読んでいたが、なかなかよくまとまっていて、来年度の2回生ゼミでテキストか参考書としてあげておいてもいいかも知れない。ゼミの後半、レジュメをちゃんと作るということをさせる必要があるが、かってに本を選ばせるのではなく、3冊ぐらい指定して、各章をレジュメ化させたほうがいいからだ。他には、この前読んだ『地域再生の罠』も候補だ。あとは、何にするかなあ・・・

今日は比較的のんびり。夜、延び放題だった坊主頭を妻にきれいにしてもらっていると姪っ子から電話あり。奨学金関係。その前に、プラハの二女とずいぶん長電話(自分的には)した。現象学(フサール)と仏教で修士論文を書くかも知れないようだ。宮澤賢治の本や法華経の本、西脇順三郎の詩集なども送ることにする。
おやばかだが、いま大学院に提出しているレポートはフランス語で書いてドイツ語にも翻訳して出すということで、5本いるのだそうだ。大変ねえ〜というと、これはまだ楽チンでベルギーの大学では、7本、しかも、ぜんぜん知らない哲学者とかいっぱいあって、エラスムスだけの授業ではないので、やばいそうだ。

お昼は、京大で、鎌田東二さんのほら貝を聞き(京都府の事業で、高校生の発表が中心だが、「風土臨床」という言葉が目新しかった)、そのあと、四条河原町から五条へ歩きながら、甲斐扶佐義さんの行灯写真展「グルーンアートプロムナード」を眺めて歩く。

街を歩くのに、こういう写真行灯があると、ゆっくりできるし、商店だって、はじめて気づくことも多い。
蔦がからまったままの廃屋のような家があったり、なんだか、切ないぐらいにつまらないたまり場があったりする。
寿ビルディングにミナ・ペルホネンの大きなショップが4年近く前から開店していたことなんて、ぜんぜん気づかずにいたはずだからだ。ここは東京白金のお店よりも広いそうで、しかも、めちゃめちゃかわいいメンズだってあるのだなあ・・・


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