こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.8/23〜8/29


こぐれ日録707 2010年 8/23〜8/29

8/23(月)

21日から封切のアニメーション映画を見に行く。ツイッターで思い出させてもらい、検索して京都市内二条駅とかではなく、うちから車だとかなり近い、シネプレックスひらかたという所に行く。妻の車で、50歳以上カップルなので二人で2000円。ここは、角川シネプレックス株式会社の経営だそうで、建物は大和ハウスグループの大和ロイヤル社による開発(フォレスひらかた)。

10時からの上演。シネマコンプレックスという所に行きなれていないので、いささかおどおど。かなり大きなスクリーン(7という番号)。でも、入ると僕たち二人。そのうち、子供連れと男性大人一人という感じで、12名ほどになった。月曜日の午前中ということだから、仕方がないのかも知れないがいささかさびしい。昨日とかはどうだったのかは気になりつつ(東京ではけっこう混んでいたようだ)、混んでいたらどうしようと思っていて(前に二人で『おくりびと』を見に行って一番前で辛かったから)すいていそうなときにいったのだが・・

原恵一監督の『河童のクゥの夏休み』の次の作品が、森絵都『カラフル』という青春小説を原作とした作品(題名も同じ、ただ、当日パンフを見ると英語もついて『Colorfulカラフル』とある。

原恵一監督『Colorfulカラフル』127分。『河童のクゥの夏休み』が7月終わりに封切だった。DVD発売が5月終わりなので、同じ間隔だと来年の6月終わりだから、来年度の『都市とアーツ』には微妙なタイミングだなあと思いつつ、でも、原恵一映画の研究の流れには、言及できる大切な作品が追加されたと思ったし、ますます、小津安二郎や清水宏、そしてもちろん木下恵介映画との関連性を話せるようになったと確信。すでに出ている映画レビューにも、木下恵介監督の後継者としての山田太一さんのテレビ作品『岸辺のアルバム』(1977)へのオマージュではないか?という言及があったりもする。

どうして、8月の終わりから封切だったか?というと、原作と同じく、季節が秋のはじめ、具体的には中学校の2学期が9月10日からはじまり、秋の紅葉の季節、寒い11月の雨、冬の三者面談(高校受験の最終決定)・・・という季節の映画だから、というのが理由かも知れない。現役の中学3年生が見るかどうかはおいといて、当時中学生の人が原作を読んだとして、いまは20歳代。就職したりいろいろあって大人にはなっているけれど、やっぱり、この映画を見て過去の思い出というよりも、現実の行きにくさをより実感していることから、何かを思うかも知れない。その季節によりそう公開なのかも知れない。

脚本家のお仕事(丸尾みほ)も大事だなあとこの映画を見て思った。原作が河童のクゥよりも細かに書かれているし、12年前といえど、まだ、かなりいまとつながっている(携帯電話を中学生が持っていたかどうかの違いとかはあるとしても)から。
もちろん、原作を忠実に反映しているところ(会話やシーン)もあるし、省略したり変更しているところも多い。たとえば、お父さんの経歴。原作では若いときの苦い職歴や浮気(不倫)も母の口から語られる。

これに対して真のお母さんについては映画ではある面原作より濃く書き込んでいる。監督は自分がサディストと思われているとすら語っている。それは、真のカラーが色づくまでのダークさを強く強調するためであろう。が、原作にはお母さんの長い手紙というのがあり、そこに、なぜフラメンコの先生と不倫したかは直接的には書かれていないけれど、真とは違う平凡な色しかないお母さんの苦しみ、ひょっとしたら絵画の才能のある真への無意識的な嫉妬だってうかがわせる。当時はやった自分探しの文脈ではあるが・・・

「私はただの主婦ではなく、ただの母でもなく、もう一人の、私自身も出会っていない、まったく別の自分を探してみたかった。」森絵都『カラフル』129ページ(文春文庫、2007年)
「残念ながら私にはあなたほどの絵心もなく、水墨画教室は長続きしませんでしたが、最初の一歩を踏みだしたとたんに弾みがついて、その後も香道、フラダンス教室、やさしい長唄、ソムリエ養成講座、コーヒー占い入門、似顔絵塾、『仏像を彫る』初級編、超能力開発セミナー、足つぼ健康法、ミセス田中のエンジョイクッキング、初めてのパントマイム、アラビア語で楽しむ『アラビアンナイト』、あけびで花籠を編む、かっぽれ踊り・・・等、様々な習い事に挑戦していったのです」。

まあ、息子への必死の手紙にこれほどまで、自分が無駄に習った習い事を挙げる人はまずないとは思う。が、生涯学習って何だろうと思っている自分には(話はずれるけれど)このラインアップは面白すぎる・・・

おっと。あとメモしておきたいのは、楽曲で、ある意味、ものすごくまっすぐでありきたりな選曲。ところが、映画が終わって、エンディングにブルーハーツの「青空」(1988.11.23発売のTRAIN-TRAIN所収:1962年生の真島昌利作詞作曲、歌うのは甲本ヒロト)。

えっと、尾崎豊(1965年生、92年死9の「僕が僕であるために」(1983年『十七歳の地図』所収)って流れていた?と二人で話す。どうも、流れていたのに伴奏が大きかったこともあったし、夢中で見ていたので、気がつかなかった。どちらも、若い女性のmiwaというシンガーだったらしいが。はしだのりひことシューベルツの「風」は記憶にあったし、それがアンジェラ・アキとは知らなかったがコーラス「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」は練習中というかたちで聞こえてきた。

原作にはなく、この映画オリジナルとしては、やっぱり、「玉電の話」だろう。ぼくも世田谷の宮の坂のそば(小田急線でいうと経堂駅)に下宿していたことがあったので、二子玉川の本線は知らなかったが(1969年に廃線になっていたのだが、実は妻は乗ったことがあるという:年齢をばらしてしまっているようだけれど)、なんだか懐かしい。

そう、原恵一監督には、固有名詞としての地名が必要なのだ。町探し論そのものである。
まちつかいのアニメ、少しの超自然SFとでもいってみようか。
丁寧に描かれたまちかど、屋上からの眺め、自然の肌理、神社のほの暗さ、駅前のごちゃごちゃ、さびれた旅館・・・
どうして実写にしないのか、わからない、という声もだから起きる。それがぼくにはとてもおもしろい。そういうアニメがあるということ。具象的な風景のなかに、いかにもアニメ的な人物がいる。少しリアルといっても、人物はもちろんアニメの線だ。そうそう、水木しげるにも近い、初期のものに、特に。

この作品では、天使かどうか判らない、大阪人なのかどうかも判らない変な関西弁のプラプラという小学生の格好をした案内人がいて、彼は、真たちよりも、色がない。カラフルにはなれないプラプラの悲しみっていうのが、そのアニメとしてきちんと表現できている。そう、やっぱりアニメはアニメの味がり、もちろん、限界があり、そして、映画監督の個性によって実写かアニメかが選択されているのだろうと思う。

もちろん、原恵一監督にたとえば、清水宏映画(やっぱり、子供物かなあ、『ありがとう』とかもやってほしいが)をリメイクしてもらいたいなと思うが、それは、実写映画ではなく、アニメの方がいいのではないか?とも思う。そうすれば、1930年代の風景だって、自由にいまに蘇らせるから、玉電を色づかせるような、SF(すこしのファンタジー)として。

(鑑賞後に見てくださいと注書きがあるブログ。とても具体的に心に残ったシーンを書いてあってこういうレビューが学生さんたちに望んでいるものだと確認する。そこからレビューから批評への第一歩になるから http://color-of-cinema.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-dd6d.html

これもネタバレという注意があるが、こういうレビューを学生さんたちが書いてくれたらとても嬉しい。映画だけでなく、演劇やダンスなどなどにおいても
http://blog.livedoor.jp/isbn4480033475/archives/1414605.html
後に嬉しい反応あり(どうも学生さんだったらしい)

http://blog.livedoor.jp/isbn4480033475/archives/1416708.html


8/24(火)

じつは、休学していた学生と面談しようとおもっているのだが、その学生からなかなかメールなどが来ないので、家で読書や新学期の準備などぼちぼち。

吉見俊哉『ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史H』(岩波新書、2009年)を読んだので少し丁寧なメモを作る。政治学概論Uで、大平正芳に焦点を当てて授業をする予定なのだが、その前段で、大平内閣の頃が、ちょうど、吉見さんがいう「戦後社会」から「ポスト戦後社会」への転換点にあたるとおもわれるので、マクロ的にまず始めようとおもって、作ったメモ。以下、自分のために:アップ
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吉見俊哉『ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史H』
はじめに
ポスト戦後社会 Post-Postwar Society
 日本の「戦後」といわれる時代は、GHQ占領期で(高度成長期に入って)終わったといわれることもあるが、
《60年代の高度経済成長は、・・・戦時期を通じて強化されてきた総力戦体制の最終局面でもあった》pので、「戦時」体制の連続性として、「敗戦と占領の数年間からそれに続く復興と高度成長、社会の再構築プロセス」p(つまり、「戦後」社会)をとらえる。

【戦後社会】理想と夢の時代・・・70年代初めまでは、現実の彼方にある理想(夢)をもっていた:それが、社会主義であれ、アメリカ流の物質的豊かさであれ シンボル(東京タワー)
【ポスト戦後社会】虚構の時代・・・80年代以降の日本社会は、リアリティの脱臭に向けた浮遊する虚構(の言説) シンボル(東京ディズニーランド)
【戦後社会】→【ポスト戦後社会】
理想と夢の時代→虚構の時代
重化学工業→情報サービス産業
都市化→郊外化  核家族の高齢化+少子化
幅広い中流意識→社会的・経済的格差(「収入や資産、将来性の格差が目に見える社会」p)
【グローバリゼーション】・・・ポスト戦後社会の原動力
ポスト冷戦
新自由主義・・・規制緩和、民活、ポピュリズム

第1章 左翼の終わり
【戦後社会】労働運動・左翼政党 学生運動→連合赤軍事件へ
【ポスト戦後社会】ベ平連やウーマンリブ・・・「一人ひとりの個の肯定から出発する穏やかなネットワークが、いくつかの個別イシューをめぐる新しい社会運動のスタイルとして浮上」p40
他方、沖縄では「祖国復帰」の意味が大きく反転し、反復帰論のように「日本=国家」の呪縛を根底から問う視点が浮上 沖縄復帰1972.5.15

第2章豊かさの幻影のなかへ
1970年日本万国博覧会 広告代理店(電通、博報堂、東急エージェンシー)
ディスカバ−・ジャパン 国鉄の広告(電通)
流通革命、消費空間の演出、女性誌、ぴあなどセグメント化したメディア
渋谷パルコの都市演出、西武百貨店などの広告 70年代〜80年代へ

ポスト戦後(国土空間的、政治的)
「農村の保守層を基盤とする福祉国家型の開発主義が力を失い、次第に大都市の保守層を基盤に金融やサービス、メディア産業とともに結びついたネオ・リベラシズムがヘゲモニーを確立していった」p62

戦後政治:池田勇人「所得倍増」→田中角栄「列島改造」 高度成長による利益配分型政治
(+労働組合と社会党:福祉国家主義的補完政策 国民全体が広く浅い利益配分にあずかる)
 ↓ 
ポスト戦後政治:中曽根康弘政権→小泉純一郎政権 新自由主義(自由市場主義、市場原理主義)

「それまでの重化学工業ベースの社会から、サービスや情報がベースの社会に変化していく過程で、労働組合の組織力や政治的な影響力が不可逆的に低下していった」p74
労働組合の退潮→社会党や共産党、革新自治体の基盤の弱体化

第3章 家族は溶解したか
日本人の意識調査の変容 
夫唱婦随(性役割分担)・家庭育児専念派→家庭内強力(夫婦自立)・家庭と職業両立派
郊外化と核家族の閉塞 
 ロードサイド・ビジネスの増殖、どこまでも広がる「郊外」
 プレハブ住宅 1977年『岸辺のアルバム』(山田太一)
永山則夫連続ピストル射殺事件(1968)「まなざしの地獄」
 ↓ 
虚構の時代の犯罪(宮崎勤幼女連続殺人事件1988-9、1997年神戸連続児童殺傷事件)「他者のまなざしの不在」
《「昭和」の終わりは、ある国民共同体の時代の終わりであった。その後に来る「平成」は、その字義上の意味とは正反対に、それまで「天皇=祖父」によってピン止めされていた自己意識が、大きく拡散と統合の間で揺れ動き、分裂ないし空洞化していく可能性を孕んでいた》p116

第4章 地域開発が遺したもの
反公害から環境保護へ 
環境庁の誕生→環境行政の後退(1976年石原慎太郎環境庁長官、石油ショック)
地域開発とリゾート開発の結末
大規模工業基地建設  全国総合開発計画1962 → 新全国総合開発計画(新全総)1969
日本列島改造論・・・農工両全

「・・成算のない巨大工業基地建設に突き進んでいった新全総に対し、70年代末、田園都市国家と定住圏の構想を掲げて大平正芳政権が策定した三全総は、それまでの開発中心主義を見直し、「環境」を重視しつつ「地方分散」(格差是正)を可能にする道を探ろうとするものであった」p134

中曽根政権 「自民党が都市部でも支持層を広げていくなかで、中曽根首相はあからさまに大都市=強者中心の政策を掲げ始める」p138
民活法(1986)、リゾート法(1987) 
→夕張市の悲劇(炭鉱から観光へと無理をした)

反開発運動→まちづくりへ(田村明『まちづくりの実践』)
《住民たちは、「ふだんはその価値に気づかず、いつまでもあるものとおもっていたのが、ある日突然に失われそうになってその価値に目覚」める。・・・経済成長政策のなかで浮上した開発計画が契機となり、地域住民の目覚めが起こり、反開発運動はまちづくりの実践へと発展し、さらに行政の姿勢も少しずつ変化してきた》p150

第5章 「失われた10年」のなかで
震災・オウム・バブル崩壊
神戸式都市経営の脆弱さ
「オウム真理教の傾向は、外的なリアリティ全体の否定、自立した虚構世界への集団的内閉」p164
バブル・・「投機的な思惑による土地、株式などの資産価格の急激な上昇」p166

国鉄分割民営化から郵政民営化へ
国鉄分割民営化・・・赤字債務の解消、労働組合における公共部門セクターつぶし
郵政民営化・・・財政投融資の縮小による小さな政府・民活化、公営郵便局の地域貢献役割の否定

「経済的な下層に生まれた人が努力と才覚で成功していく可能性は休職に小さくなっていった」p188
新しい産業体制では、企業内能力向上と年功序列型職種は減少
 ↓
専門的能力を必要とされる職種と、マニュアル通りに働くだけで能力向上が不要の職種の二極分解が進行
 ↓ <労働者派遣法(1986)の範囲拡大>
拡大する非正規雇用 正規雇用と非正規雇用との間の社会的格差の拡大 正規職員の長期間勤務とノルマ増大と非正規雇用の労働者の低賃金化と契約期間の短縮

少子高齢社会の到来 限界集落のみならず、限界社会が出現するのでは?という危機感あり

第6章 アジアからのポスト戦後史
グローバル資本の一部としての「JAPAN」 ⇔ 崩壊する地場産業や限界的農村でもがく「国土」
文化移民(日本からの脱出)の拡大 ⇔ 急増する流入外国人

おわりに
あとがき
(「日本近現代の時間や主体が自壊していく」)「過程を促してきた最大のモメントはグローバリゼーションだが、国内的にみるならば、高度成長期からの開発の徹底、地域開発からリゾート開発への流れのなかで列島の自然は深刻なダメージを受け、これに産業空洞化が追い討ちをかけた。家庭レベルでは、果てしなく広がる郊外に自閉する核家族のなかで、若者たちは内的自我を空洞化させてきた。新自由主義は、「豊かさ」の幻想を打ち砕き、「格差」の現実を私たちに突きつけている。」p239-240
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8/25(水)

けっきょく、家でだらだらして、読書とかメモ書きとか。
まあ、これが、一応、研究であり授業準備であるが。ずいぶんまえに作った概要を久しぶりに眺めつつ。
【概要】
テーマ: 「笑いの空間デザイン〜「うっとり」のアーツマネジメント〜」
都市のなかで、気兼ねなく心を開いて笑い泣き、その空間で自分を忘れて「うっとり」できる空間づくりはどうして可能か。うっとりデザインを専門とするアーツプレース(劇場・音楽ホール・寄席)の秘密をアーツマネジメント学から説き明かしつつ、看護の場はじめ私達の日常の活動シーンにそれらを生かす術を考察します。
申込者:129名

今日つくった、以下のレジュメは、校務のもの。でも、看護士さんの勉強会のようなもので、129名も受講ということで、びっくり。

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看護実践異文化国際研究センターリカレント学習講座
2010年9月2日(木)キャンパスプラザ京都
笑いの空間デザイン〜「うっとり」のアーツマネジメント〜
小暮宣雄@京都橘大学都市環境デザイン学科教授
(1)はじめに
笑いたいときに鑑賞(享受)するソフトは何ですか?
(それは、公演・上演・番組・読書・・どんな形態が好きですか?)
今日のねらい:まずは、あなた自身の心身のケアとしての笑い体験づくりへの誘い 
できれば、病院・看護世界における笑い体験づくり(アーツマネジメント)の可能性

(2)笑えない場所と笑える場所って? 〜 とくに、芸能や映画について
 世阿弥:お客は殺してほしいっておもってやってくる。きれいに芸能で殺してあげるのだ
 木戸銭を払って、別の空間に入って、いままでのしがらみを忘れる:無縁の場所
 安心して死ぬ?ってなに?
 面白いって、面(おもて)が、真っ白になること・・・社会的自分が死んでまっさらになる(本当の私?)
 悲劇は、感情の同化・カタルシス
 喜劇は、面白い・笑える・・
落語は、「緊張の緩和」by 桂枝雀

(3)アーツマネジメントとは
 「うっとり(flow)」をつくること:他にも定義はあるけれど
詳しくは ミハイ・チクセントミハイ『フロー体験 喜びの現象学』(世界思想社、1996年)
 私を意識しないアーツの鑑賞は流れるように過ぎる。いつもと違う時間感覚、そして、空間認識
 敏感になっている視覚・聴覚・重力感覚・・・そして、こころの動きが鋭敏に
 暗闇のメリット。お客さん同士を意識しない、いっぱい泣くと終わって化粧室へ・・・

 劇場・映画館は闇、音楽堂は無音(しじま)、美術館・画廊はからっぽ(空のホワイトスペース)

(4)一つ、「笑い」のソフトを鑑賞してもらいましょう・・・ヒントは、試して合点(笑)
さて、何でしょう?実は法律にも規定されているんですよ!ほら
● 文化芸術振興基本法(2001)第11条 国は、講談、落語、浪曲、漫談、漫才、歌唱その他の芸能(伝統芸能を除く。)の振興を図るため、これらの芸能の公演等への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。
さらに「医療機関」も関係している!
● 同法第32条第2項 国は、芸術家等及び文化芸術団体が、学校、文化施設、社会教育施設、福祉施設、医療機関等と協力して、地域の人々が文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造する機会を提供できるように努めなければならない。
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8/26(木)

ワンダリングパーティ公演『トータル・エクリプス』1時間。そのあと、作・演出のあごうさとしと束芋の対談(司会は国立国際美術館の「束芋:断面の世代」担当学芸員さん)、始まる前と帰りに、束芋「輪郭線」の展示(『トータル・エクリプス』へのオマージュとしてシンプルに描いたと作者)、そんなに長いものではない、鳩と蝿。

世代ということを意識できるというのは幸せだなあと対談を聞いていて思った。束芋さんの展覧会の関連イベントとして、国立国際美術館のB2ロビーで小劇場演劇が催されたあと。 団塊ジュニア世代は人数が多いしそれなりにマスコミ的な世代感を作ってきたのだろう。バブルが消えたときに就活。だから、貧乏くじ世代と、あごうさとしさんはいっていた。昔の価値観の教育(親世代が団塊)を受けて、いまどきの浮遊する世界を生きて行く第一世代としての自負と無数の傷あとを。

もちろん、ぼくは、それよりも豊田商事事件を起こした永田さんが、団塊の世代の一つあとという解説に、あっと思う。ぼくの世代、それがそういう世代としてあったとしてだが、遅れてきてしまった1955年前後の人たち。学生運動も終わり、でも、浅田彰さんからはじまる新人類世代の前のすきま。その人を主人公にした作品。

京都の初演を見たから、わりとオーソドックスな作品としてみていたが、今回はそのあと、束芋さんがとても共感したという、異化作用に満ちたものだった。プロレスラーがなんの脈絡もなく出てきたりする。動きも特に理由がない。ニュアンスが、「ウェット」などろどろ感というだけ。その、肉体的嫌悪感を主に扱っているのだろうと思う。

まず、マネジメント的にいうと、このまえ同じところで、青年団の『東京ノート』を見たが、それよりも格段に見やすくなっていた。せりふがちょっと聞きずらいのかも知れないが(反響は大きいがちょっと割れる)、それは仕方がないし、やっぱり、劇場のよさはいっぱいあるから、今度は劇場で見ようと美術寄りの人たちに思ってもらうと嬉しい限り。ただ、よくわからないが、席の案内とかをしている人が、劇場のスタッフとは微妙に違った感じで、けっこうつっけんどんというか、美術展では、絶対に「いらっしゃいませ」って言わないのよ!と演劇の表方的対応を拒否していた人を思い出すけれど、そういう対応はいささか見られる。でも、大野さんとかいるし、もちろん、他の美術館あたりの冷たさや高圧的(ときには役所的)ではないし、慣れていないこともあってそれはそれでいいのかと思う。

あごうさとしとワンダリングパーティのお芝居は比較的見続けているが、基本的には前の作品よりもいまの作品がいいなと思っていく、そういう常にぼく的にはそのよさがステップアップしていく世界だと思う。だから、この作品よりは、ホリエモンを扱った作品のようがよかったなあという感想がもともとあって、今回見たが、演出は格段に面白かったが、内容的には、ある薄さがそのステップとしてひっついたままである感は同じだった。

つまり、世代内共感の枠がどうしてもあるように思えるのだった。でも、作ってから数年して眺めている作者がいるというのも確かだし、いい役者に支えられている劇団であることも確か。
はじめにその作品が評価されてその個性として自他ともに確立してしまう個人的な作業は、その殻を超えるのは大変だろうし若干安逸に流れやすいよね、と、この前、この束芋展を見て思ったところだった。

ので、演劇は、移動しずらく、評価されるといってもその機会が少ないけれど、時間芸術の特権として、常に作者も役者もともに変化し交通しあうことで、生まれて行く作品が常に創発的な未知を孕んでいることの幸せもあるということも思ったりした。


8/27(金)

久しぶりに大学。 2年間休学していたゼミ生とあう。パリにいると日本文化の外国人受容のことが気になって仕方がないという。非おたく文化としての日本文化とりわけ芸術を、パリ在住の人(多くはアジア人)はどう思っているかを調べて考察するような卒論がいいかなあと彼女は話していた(まあ、そういう風なことに話を聴いてこちらもサジェスチョンした)。

そのあと、5月の読書カフェについて、2000字で書いてくれという。順番など忘れたが(実は録音したつもりがしてなかったそうで)、まあ、こんなことだろうと2時間かけて書く。
そのあと、所見書き、個人研究費の請求など。9月のかえっこバザールについて区役所から相談問い合わせあり。
織田先生が掃除をしておられる。ぼくもしたいのだがどうも気力がでない。ちんどん太鼓の枠組み(結局使わなかったもの)を織田先生がもってうろうろしていはるので、いただき、結局捨てる。

精華小劇場へ。ロシア人の年配女性とちょっと話す、英語!彼女がfrom tomorrowっていうので、向かいに座っているロシア人の息子が笑っている。明日から来たロシア人、なかなかいかした会話。
難波には、東南アジア風の衣装を着たおじいさんもまじる団体がいて、安い衣料品を買おうとして、たかいたかいといっている。何人か判らない。

昨年、海水浴でなくなった大竹野正典(くじら企画)の作・演出・・・
くじら企画・大竹野正典追悼三夜連続公演第一夜、『サラサーテの盤』2時間弱。
内田百フの原作をもとにしつつ、いろんな百フの作品(エッセイ風)が交じり合うもので、内田百フファンにはとくにたまらないものだと想像する。さらに、もう彼自身の演出は見られないということが、また、悲しみが劇場内全体を覆ってしまうようにも思う。満席!

自分的には、鈴木清順映画はいささか苦手だけれど、映画「ツィゴイネルワイゼン」をどうしても思い出すのは仕方がなく、思い出すことで、ちょっと新鮮さがなくなってしまったのは、もちろん、ぼくの個人的な事情である。

それにしても、内田百フ的な、平凡さと淡々とした日常性、飄々とした滑稽な世界と、大竹野正典演出イメージにあった事件性や切迫感、闇部分の脅迫的展開との並列がじつに興味深い。ただ、初日ということもあったのか、流れる劇中時間のテンポがいささか待ちをつくってしまい、じれったいような想いがした。

それは、平凡さと事件性との併置は面白いけれど、下手をすると中和化してしまうという教訓なのかも知れない。


8/28(土)

きょうは、さきら(栗東市)の夏祭りに行く。13時からだけれど、11時から、門脇篤さんによるUSTREMもはじまっていて、間に合うように出かけた(でも普通が15分遅れて、ちょっと遅刻)。それにしても、このアーティストのマルチタレント性には驚嘆の限り。しかも、その姿の粋なこと・・・着流したぺらぺらの浴衣。近くのまじめな地方公務員さんが週末ぼんやりしているような外見からは想像もできないような、丁寧でよく通る声での放送・・・一番すごいのは、その放送力だろう。しかも、うまいインタビューぐあい。DJが現代アートであるということをはじめて感じたなあ・・・

正式には、さきらタウン元気いっぱい夏まつり。そして文化庁の補助金フレームによれば、りっとう元気創出コミュニティアートプロジェクトの一環ということのようだ。

かえっこバザールがどうなっているのかな?とか、見ることのできない「旅とあいつとお姫さま」(座・高円寺制作)も中ホールであるし、小ホールのお化け屋敷も「春と修羅」っていうんで気になるのはもちろんではある。

が、ぼくはやっぱり今年初めて取り入れた、門脇篤さん=コミュニティアートな「おまつりファクトリーin栗東」がとても気になって心が急ぐ。おお、もう、陸橋からその楽しさがくるくる回っているではないか。すると、「せんせ〜い」。めざとい2回のゼミ生3名。なにやら、プラスチックダンボール(プラダン:これでブロック形成が簡単なのね)で、フラッグを作っていた。ぼくもちょっとやった!とぶてんぐ。

お化け屋敷は、一人だけのゼミ生。でも彼女が、先生、見たことがないなんていけませ〜ん、という感じで背中を押してくれたので、13時からのチケットを500円でゲット。45番目。いやあ、一人で行く小学校3年生の女の子のおじいさんのふりをして、一緒に行く。面白い。いままでのボランティアコミュニティの資源が蓄積されていることがよくわかる。インスタレーション装置もそうだし、お化けになるスタッフもそうだし。

尺八が思いがけないプレゼント。そして、今貂子さんと綺羅座のみなさんの舞踏もちゃんと鑑賞できる。綺羅座は舞踏のなかでも明るめなのだが、ここはそれでもやっぱりひきつった動きに、お化け屋敷の延長としての体験に子供たちはなっているはず。すごい、アウトリーチ。お化け屋敷へ連れ込むコンテンポダンスのアウトリーチというのは、かなりユニークではないか!

かえっこバザールにも2名が参加。一人は子供のお手伝いを支援。一人は蛙を描いたり貼ったりするスタッフかな。自治会からの出店も賑わいだし、熱いけれど、なんとか、テント内で最終日のワークショップが行われている。そうそう、ゲームなのだが、ゲームを楽しむというばかりではなく、ゲームそれ自身をつくる、そして、だれかれともなく、改良したり変容できる、そこが楽しく、気がつけば、「アート」なのだ。自分の自由の発露としての。

さきらシップの出航式が15時なので、それまではいられない。凱旋門も気がつけば完成して設置されている。さきらシップの一つひとつを見出すとあっという間に時間がたつ。ここには、栗東で作られたもの以外にも、船橋や松本や岩見沢、仙台でのワークショップのものもうまく交じり合っているのだそうだ(あとで知ったが、これらが実にコンパクトにダンボール収納されてまた旅をするというその未来的な流れが実に興味深く、青森の「空間くん」とか一連の旅アートアイテム研究もありだなあと頭を掠める)。

15時に、ココン烏丸で待ち合わせて、そこの喫茶店に入るつもりだったようだが入られずに、京都芸術センターの前田珈琲で、劇団態変の韓国公演を共に実現する会のうちあわせ。ごまのはえさんと田辺剛さんも打ち合わせをしていたので、態変の9月公演の資料などを二人が席を立つときに渡しておく。態変を一言でいうと・・という部分が難航した。金満里さんが「未踏の美」といっていて、確かにこの表現は強い(けど、ちょっと、「みとうのび」と耳で聞いて判るかなあとか思ったりして)。

19時からは、26年目、最終公演となった、M.O.P.である。「これにて解散。いざ、さらば。」
『さらば八月のうた』。19時すぎから、22時すこし前まで。もちろん最高によくて最高に悲しく涙、スタンディングはもちろんである。しかし、いい歌を作詞作曲したものだ。あってもおかしくない戦前的で普遍的、シンプルな歌詞とメロディー。水兵さんの自死と女を捨てる手切れ曲という皮肉さを超えて・・・

最後は明日。ラス前。ゲストはたまたまだがMONOの土田英生さん(ツッチー)で、京都府立文化芸術会館にはいると、すでに、作・演出のマキノノゾミさんとツッチーさんが影アナでトークをしていて、これもまたとても面白かった。MONOの奥村泰彦さんがM.O.P.の舞台美術でとられて・・とか面白い本音を聞いていて、で、主人公の神埼カオル(キムラ緑子)のクラスメートの大親友ヨシエ(林英世)の子供イチゴロウとして、ゲストのツッチーが出てきて、そのお兄さんイチロウを当日パンフにも載っていない奥村泰彦さんがするなんて、このちょっとした不真面目、遊び心がたまらない。

ヒロポンを打ちすぎて死んで行く宮下そら子(やはりキムラ緑子)らの戦争慰問団のことがとても気になったし、興味深い。船の歴史。そして、歌の秘密。長寿ラジオ番組にも終わりが来て。
見る前は、劇団(劇団員として)の生前葬みたいかな?とも思ったが、5年後ぐらいに、ぜんぜん元気に、M.O.P.同窓会公演とかしそうな気がしてきた。東京サンシャインボーイズが「リア玉」をするかどうかは知らないけれどね。

そうそう、この間、電車の中で、マキノゾゾミ『東京電子核クラブ』(ハヤカワ演劇文庫、2008)を読んでいた。戯曲なので、はじめて読む人はちょっととっつきにくいかも知れないが、注がきがとても親切だし、コメディ的な要素が満載なのに、時代や社会、政治や戦争のことを深く感じられる、マキノノゾミ演劇世界をよく味わえる編集だった。


8/29(日)

8月最後の日曜日。この頃には、もう秋っぽくなるのに、今年は異常中の異常な暑さ。
めくるめく紙芝居が決まるまえに、2名、松花堂納涼寄席のチケットを買っていたので、そちらに。
17時から19時半すぎ。3名のあと休憩があってあと2名。
予想以上に面白く、妻がやみつきになるという。1800円なら映画鑑賞と同じ。
「大入叶」と赤字で、今日の演目のあとにかいてあったが、当日券はなく、なかなかの盛況。
ただ美術館別館なので、まんなかの柱があってその分集客できない。V型(笑)

桂米朝一門、その桂米二をトリとする5名。
まずは、京都市の二条に四畳半の家にすると自称する、桂二乗さんの『強情灸』。若手でもさっぱりとききやすい。
つぎは、ちょっと弱いかなと思わせて、なかなかの実力者だっや桂ちょうば。「ハンカチ」。夫婦物だが、現代風。商店街で恥ずかしい愛を叫ぶというコンクールがなかなか落語のあっている。10月に繁盛亭で独演会があるようだ。
3人目は少し兄貴ふうな桂団朝。「近日息子」。ぼやき風。政治談議がちょっとなあとか思う。まあ、いささか暑苦しいところが合わなかったな。

休憩の後、よね吉。NHKに出ているということで枕はスタジオおち。せんとくんの日給格差とか。「ちりとてちん」。これは面白い題目でやはり大げさでうまい。
そして、桂米二さん。声が小さいなあとは思ったが、どんどん、その古典的、しかも、若干いかがなものか、という強制夜這い(まあセクハラ)の「口入屋」を楽しむ。口入屋が、いまの民間職安で、しかも泊まらせたりしているし、若干人材派遣業的な営みでもあって面白い。「おなごし(衆)」の説明など、説明を巧妙に入れて、しかも、教養チックにしないところが、さすが〜という感じである。


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