こぐれ日録 KOGURE Diary 2010.8/16〜8/22


こぐれ日録706 2010年 8/16〜8/22

8/16(月)

二つの本を読んだ。
どちらも政治家大平正芳さんについての本だが、一つは森田一さん(大蔵省トップ官僚出身、前衆議院議員で大平さんの秘書官であり女婿)の回想本。これは、すべて実名で書かれているので、森田さんから見える(判断する)世界としても一応ドキュメントである。

が、もう一つの本は実名と仮名(実在した人もありフィクションで創作した人物もいる)の辻井喬さん(堤清二さんの文学者としてのペンネーム)のもので、謎解きの楽しさがある反面、どう取り扱っていいかちょっと戸惑うこともある(そして、そういう歴史小説というのが日本にはほんとに多いなあと思ったりする:が、諸外国ではどうかはまるで知らない)。

まず、前者の森田一『心の一燈―回想の大平正芳 その人と外交』〔第一法規、2010年〕。編者三名ほかのインタビューが大部分。森田さんの一期大蔵省後輩の長富祐一郎を首相補佐官にするところや、やっぱりぼくの関心は、文化の時代、地方の時代、田園都市国家構想(「都市に田園の潤いを、田園に都市の活力を」、1971年に翌年の総裁選を意識して大平が提言)という理想主義的政治を、学者を活用してどのようにやろうとしたか?というところ。

ただ、二つの日米間密約に大平さん、そして、森田さん(大蔵省の主計局職員として)が絡むところがこの本のインタビュー者が目指したものであり、肝であることは間違いない。でも、ちょっとしたエピソードがそれと同じぐらい面白い。たとえば、毎日新聞の西山太吉記者(1972.3.27に衆議院予算委員会でその電報が公になる「西山事件」の当事者)と同じく、霞クラブ(外務省の記者クラブ)の中で、読売新聞の渡邉恒雄さんが、「こちら大野伴睦事務所の渡邉ですが」としょっちゅう電話しているのを、森田さんが目撃している話(p294)とか。

あるいは、宮澤喜一さんはキレすぎて、人が馬鹿に見えるし、国会議員がみんな自分を宮澤さんは馬鹿にしているというふうに感じさせてしまっている(p236)という話。たとえば、宮澤さんはいつも本会議場で『ニューヨーク・タイムズ』を読む。すると、先輩議員たちは、そういう彼の姿を見るのが苦痛だから目に入らない席にしてくれ、と議運の理事(川崎二郎さんとか)に大勢頼んでくる。

あとは、より肝心なところだけど、断片的に言われた言葉。どちらもp172より:
「CIAから金もらっていない政治家というのは、滅多にいなかったような雰囲気だったですけどね。」
「『戦後の総決算』という言葉を最初に言い出したのは大平で、中曽根さんがその言葉で有名になったのだけれど、二人がその言葉を使うときの最大の違いは、戦前に対する郷愁があるかどうかですよ。大平は、とにかく軍部が嫌いだったから、戦前に対する郷愁が全くない。」

さて、後者の本、辻井喬『茜色の空』(文藝春秋、2010年)は、菅直人総理も夏休み読んだという報道があり(消費税で選挙に負けたからか?とかいうのはマスコミのおどけ)、それなりに評判になったもので、ぼくも、どうしていま、辻井(堤)さんが、これを書いたのだろう?とは思ったが、このあと、堤さんのお父さんのことを書く予定だと聞いて、なんとなく政治を広い文脈で残しておこうという遺言的作業の一つなのだろうとぼんやり思ったりしつつ、少し大平本を読んでいたので、実名とは違う人名の点を注意してみた。

まず、先ほど出た毎日新聞の西山太吉記者は、田島英吉記者として登場。かなり昔は大平さんが気に入っていた記者としてあって、そのうち、強引な取材があったので、遠ざけていたら、この事件(「山崎審議官についている女性事務官の西條康子」p291)が起きたという展開になっている。山崎→安川、西條康子→蓮見喜久子が実名と対応。これらは、現在への影響(プライバシー問題?)配慮なのかも。

創作された女性として、山村由美という秘書が登場する。彼女は大平といささか心の交流がありほのかな父子愛的恋心の相手という役柄なのだが、その腹違いの兄として、山村丈次郎という東大の社会学の学者が登場する。

旧制高校時代からその山村丈次郎を正芳は知っているというふうにここでは設定されていて、安保のときにも彼の意見や願いを聞いたり、逆に正芳が若者の世界観に触れるということになっている。
そして、ぼくの関心事なのだが、大平正芳が残した政策研究会メンバーの主要な人をこの山村が紹介したとあって、では、この山村は実在の人なのかどうか?とここで困ってしまったのだ。

社会学といえるかどうかだが、社会心理学とか社会調査関係の研究者で、ぼくも授業は最後まではとらなかったが、東大で教えていた飽戸弘さんが、どうもこの山村丈次郎に似ているとまず思った。というのは、山村丈次郎は、「多元化社会の生活関心研究グループ」に参加したとあるからで(p371)、飽戸弘さんは実際にこのグループの幹事だった。

また、丈次郎は、香沼宗一という政治思想史の先輩を正芳に紹介するのだが、これは、香山(こうやま)健一さんだと類推できるような言葉の置き換えであって、それは、香山さんが1997年になくなっているということもあるのか?とも思うが、ただ、まだ解せないのは、同じp371には、香沼宗一は環太平洋連帯グループに参加してくれた、とあって、実際には香山健一さんは、環太平洋連帯グループには参加せず、田園都市抗争研究グループや家庭基盤充実研究グループ(このグループの座長は伊藤善一さんで彼のトンジョの研究室には仕事で何度も通った)の幹事をしている。

ということで、フィクションゆえにうまく同定しないようになっているのだなあとひとまず、この探偵まがいのあれこれは中断。検索していると、この本で、森田元という、目立ち屋で下品でしかもおべっか屋でさもしい、なんともいやな政治屋が出てくるのだが、これは、浜田幸一さんだというブログに出会って、そうかもなあ(笑)としばしおかしかった。

どうでもいいことかも知れないけれど、官僚派政治家の境ってどこかな?

国家公務員(キャリアとノンキャリ)出身の国会議員さんのうち、キャリア官僚出身といっても、大平正芳さんのように、官僚派政治家とみなされない人もいる。

この差はなんだろう。一つは在籍年数かな。10年前後だとまだ官僚官僚するような態度が身につかないかも知れない。ぼくでいえば、沖縄開発庁課長補佐ぐらいのころか。
もう一つは、キャリア官僚のなかでも、大蔵省(財務省)でいったら、文書課に一番初めに配属されそのあとたどるコースがあって、それを通った人のなかから9割ぐらいが事務次官になったというように、選別があって、
大平さんは、このコースではまったくなかった。大蔵省では大きく三層に分かれているといわれていたが、その意一番下層にいたわけ。

正芳さんの女婿の森田一さんは23年間大蔵官僚でしかも、文書課配属。もともと、東大のトップ(なにせ、駒場の教養のとき、理科3類がないときの理科2類の一番で、医学部にいかないで、法学部を選んだ人)で、次官にもなれただろうし、辻清明先生の影響で官僚制の改革をしたいと思って入省したらしい。
でも、森田一さんは、正芳さんの長女、芳子さんと結婚し、正芳さんが跡取りと思っていた長男が早く死んだために、正芳さんの秘書官をずっとしていて、でも、主計局でも仕事をして、休日は正芳さんとゴルフしたりしていたという。
で、彼などは、官僚派政治家かどうかがちょっとわかりづらいといえばいえる。それに、正芳さんの死亡後は余生みたいな生き方だし。

森田一さんの娘さんが、渡辺満子さんという元日本テレビのディレクターさんで、どうも、小沢さんから、この前の参議院選挙に出ないか?といわれたというような話も検索していたらでてきた(断ったということだったけれど)。


8/17(火)

アルベール・ラモリス監督(脚本も)『白い馬』(1953年、40分、モノクロ)。
『赤い風船』の主人公、パスカル・ラモリスは、まだ小さな男の子。性別すらわからない神の子だ。

『白い馬』の主人公は、もちろん、タイトルロールである野生の白馬。そして/あるいは、その相手役であり、漁業をするおじいさんとともに生きる、野生児である意味聖性を持った少年ファルコ(アラン・エムリー)。
対して、悪役ははっきりしている。馬飼いたちは、何の因果か、野生の仲間を率いて荒地に生きる美しい白馬をみんなで追い閉じ込める。
少年に対してまったくずるくうそつき大人だし、もう、子供と動物の敵役にぴったりである。
でも、この馬飼いたちだって、牧場主に搾取されているのかも知れず、牧場主だって、不在地主のコントロール下にあり、不在地主は金融機関の返済に追われているのかも知れないとしても・・

西部劇がベースになるのかなとみていたのだけれど。
こんなに馬同士ががんがんと戦う映像を見たのははじめてだ。
咬むのだなあ・・・これは、本筋と違うというか、どこか自然同士の理不尽な奥深さ、合理的な説明を拒否する部分で、40分の短く言葉もほとんどない映画なのに、ごろりとした感触が、その美しくも哀しい映像のなかで、残っている。もちろん、海、河口、砂丘、そして、かもめ群と水平線の美しさや寡黙な音声、音楽は、モーリス・ルルー。


8/18(水)

精華小劇場でお芝居があるのだが、もう、部屋から外に出る気力がない。
いつだったか、川本三郎編『映画監督ベスト101 日本編』(新書館、2003)を何かを調べるためにぱらぱらやっていて、一番初めの監督名を知らないことに気づく。家城巳代治監督(1911〜1976)。
彼と同じ1911年生まれの監督には『ゴジラ』(1954)の本多猪四郎(ほんだ いしろう)さんや吉村公三郎さんがいる。

この前年(1910)に黒澤明、翌年(1912)に今井正(『ここに泉あり』は授業に使う素材ではある)、木下恵介(原恵一監督論をする限り授業では必須)、新藤兼人(授業で『竹山ひとり旅』を使って明治以降の邦楽論をしたことがあったが、ほんとは『裸の島』を映画鑑賞としてじっくり学生と見たいとは思う)という具合。

知らない名前だと思ったが、実は家城巳代治監督の映画をすでにぼくも見ているし、いまも多くの人たちがすべてではないが見ているのだ、そう、美空ひばりの実質上のデビュー映画(『悲しき口笛』1949)として。でも、もちろん、本当に彼の作品というものではないし、やっぱり知らなかったということだとは思う。

1953年公開、重宗プロと新世紀映画の製作(いわゆる独立プロ)で配給が松竹の『雲ながるる果てに』(100分)を見て、その素晴らしさにしばし声が出なかった。

自分が見たものが中古ビデオということもあり、映像が暗かったりするが、その雨のなか、特攻に飛べなくなって、命を一日一日と延ばしてさまなど、死刑囚の気持ちとの異同を思わせつつ、ただの反戦政治映画でもないし、屈折しながらもある青春映画としてのすがすがしさも残っている。ある意味、中途半端を大事にしているところなど、大平正芳政治的かもなあ、とか自分の勉強中の話に引き寄せてみたりする。理想を捨てずに、現実のなかで生きるしかない運命と対話しヒューマンな自分と仲間との信頼関係は失わないというような。

鶴田浩二と木村功。もちろん、木村功が格段にいいのだが、でも鶴田もなかなか単純だがいい味。とくに、木村功と愛し合う山岡久乃が意外に(失敬!)素晴らしい。津島恵子が出たかったのに五社協定というのが当時はありそれに阻まれたという。これから、ひょっとしたら、家城巳代治の再評価が起きるかも知れない。ぜひ、映画館で見なくちゃといくつかの映画をチェックしておく。異母兄弟、姉妹、こぶしの花咲くころ、みんなわが子、胸より胸に、裸の太陽、秘密・・・


8/19(木)

いつものように5時前に起きて読書。平行して数冊読んでいるが、今日はこれを読み終えたので、抜書きしておこう。 なお、いままでに、佐野眞一『巨怪伝』(文藝春秋、2000年)、柴田秀俊『戦後マスコミ回遊記』(中央公論社、1995年)は読んでいたので、正力松太郎や日本テレビ網の政治的な意味合いなど、ベースの知識はあったが、まず、米国中央情報局CIAの草創期あたりの知識は少なかったこともあり、色々勉強になった。それにしても、研究者という人は偉いなあと思う。ぜったいに自分はそうなれないわ。

有馬哲夫『日本テレビとCIA−発掘された「正力ファイル」』新潮社、2006年。帯には、《暗号名PODAM=正力松太郎、新資料で解き明かす「アメリカ対日心理戦」の深層。474ページに及ぶ「CIA正力ファイル」―。そこには、CIAが極秘に正力を支援する作戦の全貌が記録されていた!日本へのテレビ導入はアメリカの外交、軍事、政治、情報における世界戦略のパーツの一つだったのである。》

第一章 日本テレビ出生の秘密
《・・正力(松太郎)は、日本の通信や文化や経済の発展のためにテレビを導入したというが、アメリカ側は反共産主義の世界戦略の一環として導入させようとしていた。》P38

《・・資料を読めば日本へのテレビ導入と日本テレビ創設の物語は、正力や柴田(秀俊:「正力の懐刀」)の成功物語である以上にアメリカの反共産主義スキーム(計画)と心理的再占領計画の成功物語なのだということがわかってくる。》p40

第二章 反共スキームに飲み込まれた正力構想
P55《・・・マッカーサーがムント(カール・ムント:「テレビを反共産主義プロパガンダのメディアとして広めることによって共産主義を封じ込めようという「ヴィジョン・オヴ・アメリカ」を提唱した」上院外交委員)への返事を書いたまさしく直後に、GHQは左翼的とみなしたNHK職員を大量にパージしていた。
《 さらにいえば、公共放送・民間放送並立体制を定めた放送法をファイスナーが作らせたのも、このような左傾化したNHKに放送を独占させないためだった。》P55
いまのように、皇族や保守政治にぴたっとよりそっているようなNHKとは戦後すぐはまったく違ったことが伺えて興味ぶかいところ。なお、ファイスナーさんは、GHQの当時「民間通信局分析課長代理。電波三法の起草に関わった。放送法の父、民間放送の父といわれる」そうで、著者有馬さんが宮城県川崎長の自宅に訪ねてインタビューすることによって重要な証言をしている(p67)。

第三章 日本テレビとジャパン・ロビー
《ここにすでにのちのジャパン・ロビーの反共産主義スキームの原型がみられる。つまり、アメリカが直接共産主義と戦うのではなく、日本にそれをさせること。また、単に日本を助けるのではなく、あそれがアメリカの資本家の利益にもなるようなスキームを作ること。》p75

第四章 心理戦のプロ集団ドゥマン・グループ
《 1948年に占領政策の「逆コース」が確定してもドゥマンおよびドゥマン・グループは活動をやめなかった。ドゥマンにとって天皇制、財閥、強力な保守政党、メディア・コントロールは日本を共産化させないための四点セットだった。前の二つを永続化させるためにも、後の二つを揃えることが必要だ。》p105

ユージン・H・ドゥマンは、ジョゼフ・グルー(ジャパン・ロビーの共同議長)のもと駐日アメリカ大使館の参事官。宣教師の子として奈良に生まれ、東京時代は皇族や財閥の師弟と机をならべたこともあって、天皇を彼は崇拝していたといわれている。

《 彼(ドゥマン)が菅原(啓一、日系二世の元戦略情報局員)たちを使って行っていた政治・心理戦とは、保守政党に政治資金を提供して保守大合同を実現し安定的親米保守政権の基盤を作ること、この政権が続いていくよう日本テレビをコントロールすることだ。そのためには多額の資金を必要とした。彼がCIAと結びついたのはこの資金を得るためだった。》p106

第五章 正力ロビーを操ったジャパン・ロビー
《つまり、ムントが構想し、ホールシューセンが実現しようとしている「ヴィジョン・オヴ・アメイカ」は、メディアによる反共産主義スキームとして重要なものだが、電機・通信機メーカーのために新しい、そして持続的に支配できるマーケットを生み出すという点でも重要だった。
《彼らの反共産主義スキームはいつもビジネスと結びついているのだ。》p119

第六章 CIAを引きずり込んだドゥマンの士気工作
全米自由ヨーロッパ委員会の反共工作キャンペーンのねらいは次の3つ
《1. アメリカ市民に鉄のカーテンの向こう側にいる人に自由を説く自分たちの運動について知ってもらう
《2. この努力に必要な費用を募金によって集める。
《3. この団体の得ている資金がいかにも一般市民の募金から得られているように見せかける》p151

第七章 密約の崩壊
第八章 かくしてCIAと日本テレビはリンクした
《・・1953年3月25日付CIA文書によると、マイクロ波通信網「ポパイク」建設の承認を得るための必要書類として正力の調書を作成するよう極東支部がCIA本部に求めている。いよいよCIAが直接乗り出してきたのだ。》p187

第九章 1000万ドル借款バトル始まる
第十章 日本テレビ開局と怪文書
《皮肉にも、この反正力に動いた勢力は吉田政権の中枢にいた。幹事長の佐藤栄作、副総理の緒方竹虎、法務大臣の犬養健の三人とその周辺の議員だ。》p229
《・・実は情報をリークし、正力マイクロ構想を潰そうとした張本人は吉田(茂首相)だと考えられる》p231

第一一章 吉田、正力つぶしに動く
《吉田がこのように激怒し、正力の借款つぶしを決意するのを見て、ドゥマン・グループも180度転換し、正力から電電公社支持に変わってしまった。これで事態は決定的に電電公社有利になっていった。》p215

第一二章 電電公社の逆襲
《(正力松太郎は)「原子力の父」の名誉とマイクロ波通信網を引き換えにした形だ。とはいうものの、正力は「プロ野球の父」、「テレビの父」に加えて「電子力の父」の称号も手に入れた・・・
《もっとも、これらは日本側の話だ。・・・アメリカ側は正力から梶井(梶井剛:初代電電公社総裁)にパートナーを変えただけで、軍事通信システム「ポハイク」を計画通り建設した。》p270

終章 心理的再占領体制下の日本
《・・人的交流は占領中から「指導者交流プログラム」によってとくに政治家、高級官僚、メディア企業の幹部を対象に盛んに行われていた。したがって、このあともフルブライト・プログラムやロックフェラー基金などによって継続していった。》p281

「心理的再占領体制」は現在までも続いているなあと思ったりする。
大平さんも池田さんに言われてアメリカ視察にいって、これは日本は負けるわなあと思わされるという話があるが、戦後みんなそういう気持ちで、アメリカへ視察にいったり留学して色々交流しつつ、親米的な抱き込み作戦に陥ったのだろうなあとこの終章を読んで思う。


8/20(金)

愛知の国際芸術イベントがはじまるとのこと。瀬戸での香川県庁などが中心となって妻有を海と島に移したようなアートイベントがすでにあっていたようだし、秋には京都でも舞台芸術だけだがそういうイベントがあるそうで、そんなことに関係してちょっと変なことがあった。
とくに国際的なイベントというのは、ほんとに興味がない自分があって関係すれば仕方なく出向くが関係がないと何かがないと知らないままである。

それに対してAAF学校2010というレターのようなお知らせが届いていて、樋口さんが書いていたが、こういうキーワード設定が今年されているのは、実に興味深い。つまり「政治」「当事者性」「アイデンティティ」。ただ、はじめのアーツと政治というテーマだけでも奥深く悩ましいもので、3つも設定すると、焦点がぼけるかも知れないから、そのこんがらがったところのほぐし作業だけでも意義アルことだろうなと遠くで(たぶん、東京の出来事だろうから?)ぼんやり思う。

それにしても「権力を帯びた社会介入」というのは、どういうことを具体的には対象としているのかな。奥深くて自分には想像が届かず。亭々たる大樹ということばを想起するのみ。

朝、また付近を散歩して写真を撮った。
夜、テレビ映画を見ようと思ったが、寝不足なので寝た。


8/21(土)

すこしずつ怠惰解消へと向かおうと思いつつ、つい、酷暑を理由に動かないままである。
高校野球がマスコミの視聴率とか高校の宣伝のためではなく、高校生のために行われるように変更するには、投手の投球数制限(80〜100ぐらい?)するとか、準決勝の前後を1日ずつ休みにするとかしなくちゃ無理だろうと思いつつ、テレビを見るだけのぼんやりした夏である。まあ、甲子園球場でするのならここをドーム球場にすると、高校野球の休みに阪神戦を入れられるしとかも思ったり。

テレビを見ないことが一番てっとりばやい芸術政策担当者としての基本だと、このまえ、兵庫県庁の若い担当者にアドバイスした自分がぼんやり高校野球とかサッカーとかを見ているのは情けない限り。
でも、その担当者さんは、県庁がいままで出してきた顕彰制度の見直しにあたってぼくの考えを聞いたあと、担当者としては自分で色々なアーツを何度も鑑賞することしか自分の担当者能力を高めることはできないのでしょうか?と聴いてきたので、まずは、テレビを消すといいと突然にいったのだった。

いやあ、なかなか感心感心と思いつつ、まずは担当になったらテレビを見ないということだけでも実行すれば、テレビによって有名人刷り込みなどが行われている世間の文化・娯楽イメージが客観的に見えてきて、すこしずつアーツの現場、それも有名とかではない小劇場演劇やコンテンポラリーダンス、現代美術の若々しい現場をKAVCやDABCE BOXなどにはこべば、自分の目と耳で判断できる喜びと少しの怖さがわかってくるのではないかなあと、そこまで具体的には話せなかったが思った次第。

アルティへ。アルティ・ブヨウ・フェスティバルセレクションズ。上念さんが色々企画されているようで、彼には京都国体にも関係していただくことになったのだそうだ。

アルティも久しぶり。こんなに観客が少なかったかなあともうまえの状況を忘れて周りを見ている。
これも、久しぶりに橘女子大のころの卒業生さんに会う。はなのことを聴いていただいたので、娘の欧州旅行や留学の話になる。彼女はそういえば新町あたりでチェコ語教室をしていたのだった。雑貨とかも仕事上詳しいはず。彼女などに、態変の韓国公演応援や9月の新作チラシセットを渡す。

セレノグラフィカ「FASNAVHAT」は、何度目だったか、でも、観客との関係や季節や場所によって、いつも新鮮で楽しい演目である。まず、司会の方がなかなかいい声で、そういう活動をしてはるだからだろうが、自分も参加していい感じだった。二人が夫婦漫才のようにでてきて、肩こり体操などをやってくれるのもとてもいい。いろんなところで同じようなぢゃべくりとかお客さんおだてとかをしてはるのだろうが、それもまたいい定型となって、一つの伝統芸へと極まっていくかも知れない。

今回は、隈地茉歩さんが阿波踊りの女であることを確認したことが特に興味深いこと。阿比留さんと同じ靴下を履いている、というか、二つの靴下セットを二人がばらばらにはいているようで、そういう小さな面白さも、こうして、客席からお客さんを舞台上にすわさせることによって、客席では気づかない身近なダンスの身体とその連鎖を自分たちのちょっとしたわっかづくりや、わっか覗きによって高まる意識とともに、鑑賞自体が能動的になっていくのだろうと思って、嬉しい体験をさせてもらった。

そのあとは、いいむろなおきさんのマイム小品集。とりわけ、はじめの頭と胴が別々になって動く部分が圧倒的に素晴らしかった。
また、最後はバレエの人たちが10人(全部女性)で群舞を見せてくれた。望月則彦さんという方の演出振付。
「祈りの人」。たぶん、一人の修道院の尼さんの姿を10名が踊っていくというものかと見ている。それぞれの分身、静謐と葛藤、諦観と情熱・・・

帰り、蒸し暑いのにチュウハイをのんでより体温を上げながら出町柳まで歩く。もうすぐ、旧盆だという月を眺めている。月といえばセレノさんだなあと思いつつ。そうそう、何か野外上映会を鴨川河畔あたりでしていたようだ(案内を持っていた人二人をみただけだが)。


8/22(日)

あさは、色々と仕事の手順を考えていたのに、いやあ、まだ、夏休みになってしまった。
暑さのせいにしてはいけないのだが・・・

なにせ、京都橘大学文化政策研究センターの校正をしおわるのが、午後だからいかん。それに、写真のキャプションをつけていて、あとで、1年違うことに気づく始末。でも、この2ページで、タフからメックへの流れが年代記として記録されるのはいいことだ。この前、「過去の人」になったと自嘲したが、過去をやってきた人もいても悪くはない。

昨日の朝(昨夜や今朝はあるのに、昨朝とはあんまり言わないことにこの前はじめて気づく)、映画の20世紀少年の第2部をテレビ放送していた録画を見た。2015年がどんどん近づいていて、よげんの書もしんよげんの書も違っているようで違わないような不思議な気分になる。まあ、日本人が世界を壊すような中心にはならないとしても、アジアの混沌はすでにはじまっているし。

夜は、アルティに行く予定だった、昨夜と同じく、ダンスが3組。
だが、雷鳴がとどろき、いささか億劫になった。今貂子さんたちは見たかったのだが。

そのかわり、日本酒を飲みながら、映画『ジャンヌ 愛と自由の天使』(120分、1994年)を見た(sだいぶん、うとうとしてしまったが)。ジャック・リヴェット監督。サンドリーヌ・ボネール。

まだ、半分、ようやくジャンヌ・ダルクがオルレアンを開放するところまで。15世紀末期、日本で言えば、室町時代、応仁の乱が終わって下克上がひどくなっている。世の中は東西とも荒れているな、武力だけ。救いは宗教的な指導者、あるいは、カリスマ。そう、日本では蓮如たち、一向宗に法華宗など、世直し宗教がまちを作る時代だな。


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