こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.11



200) 11/29〜11/30

11/29(金)

昨日の100%ORANGE展があんまり可愛くて、芳江が描いていた絵はがき(星ヶ丘のsewing table cafeに一緒に作られたギャラリーに今度出したもの)をちゃんとみなかったなあと反省。ほんとに彼女がいま描こうとしているものって、ごくごくプライベートなある生活の瞬間をもとにしていて、自分たちのさまざまな出来事を悔恨ととともに甘酸っぱく思い出させる。だから巧拙とは別の、プライベートなインパクトがうちの家族には起きるものなのだ。

今日は眼鏡が届いたので(自分以外は不評だけど、まあいいや)その調節をする必要があるし、年末の北九州-熊本行きの出張の手配もしたかったので、大学にはいかないでいいかなあと思いつつ、やっぱり来年度の専門演習のことが気になって、昼頃に顔を出す。あらかじめアンケートも書いてもらい話をしたので、それをしていない学生は希望しないだろうとたかをくくっていたが、意外に多くて困ってしまった。

中谷さんが最大人数18人という縛りは厳格に守って欲しいと言われたので、ぼくはそれを守って29名から18名を泣く泣く選んでドアに貼っておく。ぼくのゼミでないと大学をやめるかもと言っていたらしい学生もなんとか友だちを通じて思い直してもらったようで(アーツマネジメントに何らかの思いがある学生たちすべてにぼくの研究室は常に開放されているしそのためにTAM研があるんだけど)、ほっとする。

ただこの期間病気で来なかったという学生(彼女はアーツへの明確な意思と実績があるし第1希望を出すことが分かっていたらアンケートを出すように促していたはずの学生だったが)もいて、その学生が希望するというメールが今頃来る。残念だけれど、例外を作り出すとこれもまた大変になるからなあ・・・。

18名に入った学生が入らなかった学生に悪いなあと言っている。みんな優しい学生たちで1期生は友だち思いが多い。他にも心配な学生が希望者中にいてそれを青木さんらと相談しなくてはいけない。

こんな騒動めいたことはまあ今日で終わりだ。
いまの1回生(2期生)は、1期生と違ってアーツマネジメントにはえらくクールなようで、同様に希望調査が行われた来年度の文化事例研究の第1希望者は15名と昨年の半分以下となった。今年は上原さんが入っていることも混雑が緩和された要因だけれど、端さんに56名と集中したことが今度の大きな特色。

「編集」ということで雑誌や放送などメディア関係へ魅力を感じる学生が多いということか。うちのゼミの学生が2名だけ希望しているというのも、昨年とはまるで違った状況だ。来年度からアーツリボンゼミはがらりとやり方やシラバスなどを変えようと思う。まあ、アーツマネジメントというのはどんどん手法を編み出すのが仕事のようなものだしね。

逆にこの15名とは限らないが、これぐらいの数、本当にアーツマネジメントをめざす学生を2回生の前期終了ぐらいでちゃんと把握しておき暗黙の了解を作っておくと(他の教員を志望する学生も含めて)、専門演習におけるこういう教員間のアンバランスは起きないのだろうなと思う。多くてもいやだし少なすぎるのもきついし、どちらにしてももっと平均的に学生が散らばることを考える必要がある。

だからこの時期だけでなく専門演習担当の教員の研究室のある時間帯は2回生の学生と相談できる時間帯だとして遅くとも後期のはじめぐらいからは示しておくことがまず必要。これでかなりの程度問題は解決するじゃないかなあ。

OBPに着くとTAM研の上田さんと水野さんがいてびっくりした。彼女たちは第2回学生芸術家屋台に出展するのでその説明会に来ていたのだ。おぬしたちやるなあ。

ぼくはMIDシアターでらせん館の「サンチョ・パンサ」という芝居を見た。多和田葉子の作品ということだった。・・・・。
ここの白い内装壁は劇場向きではなく一体感を出すにはかなり工夫が要る場所だと思う。最後のアコーディオンはよかった。近大生が背景で踊るというものもあって、その中では出国しようとするガイコツジンを処刑するという場面の動きが結構決まっていた。解説を聞くと多言語演劇って面白いかなあと思うけれど、3名の女性の役者がずっと出ていて何か大変そうで(よく覚えているなあとは思ったが)痛々しい感じがした(演出の嶋田三朗はとても奥のところで音を作っていた)。椅子の勾配が少なく低い舞台だったので見づらく、ステージがとても遠い。

ドイツではこういう演劇が受けるのはそうだろうなとそういう面では納得できるしとても興味深い。放射能と広島、浮世絵が西洋画の中に交じっていたし。
キリストが獣の子であるという印象的な冒頭。その後に「獣」とはみんなで飲む「あれ」を飲まないでいた者が獣だということが判明されてくる。多分、そういう共同体と異人の話だろうと思い(サンチョは幻想共同体のなかで自分から召使いになりたい人)、やっとそうそういま読んでいる本と関係するなと思案していまいちピンとしなかった舞台に意味を付与しようと思った。つまり:

《孤独(loneliness)という問題を「私事」ではないものとして受けとめようとすれば、やがては文化そのものの質を問わざるをえなくなる。役に立つ-役に立たないという有用性の基準が妥当する空間はたしかにあるだろう。問題は、そうした空間が途方もなく膨張し、私たちの生のほとんど全域を包み込んでしまっていることにある。アーレントは多くの人間をたえず「余計者」としていく「功利主義的思考」の浸潤を問題化したが、そうした思考は、無用とされるものをただちに切り棄てることが「正答」とされるところまで行き着いてしまった。公共性を排除のない民主的空間と描きだそうとするのであれば、無用とされる人びと、「用済み」とされる人びとをつくりだすことを自明なこと、当然のこととして考える惰性態(イルネシア)としての思考習慣を根底から問い直す必要がある。》(斉藤純一『公共性』岩波書店p18)

こうしてこの文章を写していていま見た演劇はこのこと(「用済み」とされる人びとをつくりだすことを当然のこととして考える惰性態としての思考習慣を根底から問い直すこと)を演劇として出そうとしているのだなあと思いつつ、でもそれを身体表現のなかで表すことの難しさ、変換するための演出技術と創造力側と客席をつなぐあり方の問題についてちょっと考えたりした。始まる前にインタビューが流れていたのはその工夫だろうとは思ったが。

11/30(土)

京都橘女子大学へ出かける。コンテストの表彰式なのだが、審査員だった清水俊洋さんや上田假奈代さんがいて大学にいる気がしないのが嬉しい。100%ORANGEさんの缶バッチ(参加賞)も好評で、表彰式っていうのは空々しいっていうか大仰というか、どこか嘘っぽい感じがしないこともないが、假奈代さんの空海=響き話のあとはほぐれて、恥ずかしながらいささか感動的にもなった。

清水さんに来年度の専門演習にフライヤーデザイン実習を助けてもらえないかと依頼する。はじめにチラシの印刷までの課程を概観してもらって、あと2回はチラシづくりワークショップというぐらいの感じだ。納谷さんがワークショップをしていたのを清水さんが受けたことがあるというのでふとそんなことを思いついたわけ。納谷さんには12/22のダンス(兵庫県立美術館)のあとにでも、来年度のコンテストのチラシづくりの相談などをしなくちゃいけないな。

文化政策事例研究は、端さんのところが20名にしぼられたので、第2希望がこちらにもやってくる。希望理由が何もないものも多くてなんだろなとも思うが、みんな受け入れることにしたから25名となった(でも必修でないので辞退することも考えられるから専門演習ほど深刻なことでもない)。ただ、「端先生しか嫌」と書いてある学生などもいて、そういう人は確かにこちらも「嫌」なので第2希望など書かないで欲しいとも思う(繰り返すけど必修じゃないんだからね)。

最近みんな風邪だ。金武さんもそうらしい。この日録の原稿段階でかなり本音を書いた文章(アップするときにほとんど削除した)を文化政策学部の先生たちに流したら、彼から丁寧なレスポンスがありみんなにストレスを増やしたかなあと反省。でもこちらはすっきり。

彼が言うように「性善説」になりがちなぼくとそうでない人では、「文化」の捉え方が逆になるだろうなあとか思ったりした。もともと「真善美」を持っているはずのナチュラルな人間が特定の社会が持っているバイアスとしての「文化」で曇ってしまうとぼくは考えがち。そしてそれをナチュラルに戻すためにあるのが逆説的だけれど人工的な術としての「アーツ」という定型的発想にどうしても陥ってしまうからだ。

風邪はひいていないので安心していたが、出口煌玲(龍笛・篠笛)インストアライヴにJEUGIA三条本店イベントホールに行って、そのあと眼鏡の調整をしていてふと気付くとコートは忘れているわ、JTBの窓口で予想以上に時間をとられて芝居(「水の会」)に間に合わず、早く帰ると、財布に入っていたはずの家の鍵をなくしていたりで、結構消耗している自分を発見して呆然となる。

出口煌玲さん(KHOREY)はトリイホールでよく会っていてなかなかその演奏を聴けなかったので、今日は販促のためで4曲だけの演奏だったが間近で聴けて楽しかった。ピアノは榊原明子(KHOREYが通常編成しているカルテットの一員)、優しいタッチ。2500円のCDも買う。16:05〜16:37。

KHOREYは緑の上着。両腕にきれいな数珠がいっぱい。横笛を構えたときに目立つ部分におしゃれしているわけね。演奏の仕方がなかなかにダンスぽい。伸び上がったり屈んだり。空気を中空から体内に入れたり出したりするために躰も大きな管になって上下することでふいごの役割を果たしているようだ。

1曲目。短い即興のあと「唐子」。唐子模様のお茶碗に描かれている子どものイメージだという。濃い色の横笛、たぶん龍笛だ。懐かしいメロディ。でもビブラートが凄い。安定した音をフルートのように出す楽器でない分、微妙な音の震えや掠れ、終わった後の細い管に残った音の屑たちが、霧のように出てくるのまで見ている。

2曲目。ベルムラント。ヨーロッパの曲に挑戦したものの一つ。昔貧しかったスウェーデンのベルムラント地方の民謡。出稼ぎから帰ってきた人たちが、故郷は素晴らしいと歌っているものらしい。薄い色の横笛でたぶん篠笛。二つの音の違いを聞き分けようとするがまだ多分CDで聴くとどちらか分からないぐらいぼくにはまだ耳が出来ていない。早く激しい指使いがかっちょいい。

3曲目。宇宙(そら)へ。2曲目と同じ笛。意識が飛んでいく感じ?
最後の4曲目は前に舞踏のステージ用に作った曲。たそがれ。これは第1曲目と同じ笛。激しい指の動き。ビヨンドイノセンス的な長い即興とかも彼はきっとやろうと思えば出来るんだろうなあと思いつつ、サインをもらった。


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