こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.11



198) 11/22〜11/24

11/22(金)

またせわしい週末になりそうだ。
大学では1回生に来年度前期に8名で開講する文化事例研究のプレゼンテーションをしていたはずで、去年も教務委員任せにしていたが今年もそれは出られず、ぼくはいまの1回生となかなかに話す機会がなくてとても残念でしかたがない。

ぼくは今年と同じくアーツプレース研究をする(今年は3人一組だったが2人一組を原則としたところや発表のペーパーの規格を統一してあとの印刷に備えるぐらいの微調整)のだが、一応の定員は32名以下。でも青天井にしている。人数がオーバーしても選びようがないからだ(他はだいたい10名〜20名ぐらいを定数にしてオーバーすると抽選にしたようだが)。

9時集合に10分遅れて吹田市メイシアターの楽屋裏に到着。ここはなかなかに分かりずらい。だいたいにシンポジウムのパネラーというのは、小刻みにしゃべって何が言いたいのか伝えきれないまま中途半端になるので、実労働は少なくて一見実入りのいいように思われるが(今日は税込み1.8万円の謝礼金に交通費3080円)、あとでどっと疲れが溜まることが多い。

シンポジウムのコーディネーター役ならそうではないのだが、パネラーは他人の領域を踏み越えないように気をつけないといけないから相手の言ったことに反応したくてもトークショーのようにもすぐに反応できないし拘束時間も多いのに何もすることもなく、つい眠くなってくるのをぐっと押さえてるからかなり大変なのだ。

今日もまあそんな感じはあって(コーディネーターの中川幾郎さんなどみんな熱心だったことはちゃんと書いておかないと悪いけれど)、そのためだけでもないが、もらったお金はすべて、第6回のfestival BEYOND INNOCENCE(FBI)で売っていた過去のこのFBIの4枚組アルバムや千野秀一(この日は演奏しなくて残念だったということもあり)の「鳴らないこともあるぞ」注意つき手づくりアルバム2枚や鈴木昭男の限定版(2枚組)、それに灰野敬二&怖のアルバム(彼のアラビックなギターが帰って聞いてぐぐっときた)などを買って、消尽した(そのあと数日数奇な音ばかりが自分の世界を巡ることになったが)。

第9回全国文化のみえるまちづくり政策研究フォーラム第2日目。事務局は「吹田市文化のまちづくり室」内という。文化のまちづくり室という部署があったんだな。まあ、このフォーラムはこういうこと(「文化のまちづくり」は大切だとかそういう抽象的な事)を言っていたら無難なのだろうと思ってのぞむ。

ということでできるだけ自分を押さえた午前中を過ごしたあと、少なくともぼくの話はかなり退屈だっただろうこのシンポを聴いてくれていた岡山市役所の二人とOBPへ行って大阪芸大学生の写真を見て彼らがやっている写真の体験を行う。一緒の二人がスーツだからそういう意味でもサラリーマンの来場はよかったと思うし、岡山市出身の学生もけっこういて、岡山市の企画の参考にもなったかも知れない。

そのあと慌ててフェスティバルゲートへ。festival BEYOND INNOCENCEの初日は、16時オープンとしか書いていなかった細長いチラシ。実は17時開演だったので、少し二人には忙させすぎた。でも、3階のアートシアターdBに案内してトラジャコーヒーなどをすすりつつ、月曜からのダンスサーカスのリハーサルのインターバルに開場を案内したりして、これもまあ二人は喜んでくれていた。

ぼくもはじめての8階BRIDGEへはゲートに向かって右のエレベーターしか止まらない。何とも不便な場所ではあるなあ。元はビヤホールだと角さんに教えてもらう。天井が高く、中二階が控室で見えるのが可笑しい。ちなみにremoは元回転寿司屋さんだったそうだ。

FBIの初日。大音量がよく似合うロフトに空しいネオンが映る。ほとんど空のジェットコースターに乗って演奏するとか聴取するとかしたいよなあと待っているお客さん同士が話している。

FBIの第1日目は「BEYOND FUTURE!」。行けない明日は「Solo! Solo! Solo!」で同じく行けない明後日は「Beyond Borders!」。どんどん長くなって、今日は17時(だいたいきちんと始まった)から23時40分の予定だが、明日は15時から23時半、明後日は13時から23時20分。いつものことだが一見壮絶な(でも入っているとなんということもないのだが)長丁場が続く。
(シンポで言わなかったけど言いたかったことや、FBIのちょっとしたレビューはアーツ・カレンダー「こぐれ日記401」をみてね)

11/23(土)

昨日は午前中が自分を押さえる修行日でつらかったが、今日は一日中ハッピーだった(今日はうちの大学主催で国際シンポがあったが昨日に会った岡山市の二人はこれにも出てくれるということで本当にありがたいことだ)。

家の近くの松花堂庭園に行って『和田典子展〜土と布と遊ぶ』を見てからアトリエ劇研でt3heater『香ばしいコーヒーの法則』(作演出:田辺剛)を観た後、伊丹アイホールにて砂連尾理+寺田みさこ『ユラフ』を楽しんだからである。

唯一の問題点はこれらをじっくりと書く暇がまるでないということ。和田典子つまり、のりちゃんの作品展は榎崎真由子さん(あとりえHopper)からの紹介でその犬と猫と豚とボタンとさき織りはいま家でみんなを喜ばせている。

t3heateの舞台は特に舞台美術の林詩乃に注目。ドアが開いてそのさきにも階段が上がっていく技にほとほと感心。20歳代男女2人ずつ4人の、ありそうな話をあえて使いながら、そこに観察される絶妙な間、居心地の悪さを丁寧に描いている。

たとえば、男がいまつき合っている女には向かい合わずに気にしている天井裏の見えない小鳥の声と自殺した男の関係。あるいは詩集に夢中になっていた女性の冒頭シーンの無意味なふざけ方。

彼女に惹かれている喫茶店アルバイトさんの滑稽なひたむきさと、目の前の現実に向かい合えない女の間にある数メートルの絶望感がじわじわと見えてくる瞬間があって、お相撲さんのパレードが戦車と大砲だという下界との対比にまだ彫塑の余地を残しつつも、面白くていい気持ち下鴨神社を抜けて歩いた。

じゃれみさの50分間はぜんぜん飽きないのが不思議。一つには舞台の照明(吉本有輝子)があるのだとは思う、それにアイホールは岩下徹の拠点だからではないだろうが、どうしても岩下さんと砂連尾さんがダブって仕方がないのが自分ながら可笑しかった。

美しすぎるみさこさんの壊れ方はしげやんに匹敵して強烈で、いつしかしげやんみさこデュオが出来たらどんなに迫力のある総合と破壊の舞踊だろうと空想をたくましくしてみていた。

音の使い方は日常音とクラシックやジプシー音楽みたいのやラジオから漏れ聴こえるどうでもいいアメリカポップスだったりするので変わりないようでもあるけれど、時間が倍になっているのだから色々な工夫があったことは間違いないはず。

11/24(日)

第7回日本劇作家協会新人戯曲賞受賞作品『帰りたいうちに』南船北馬一団、扇町ミュージアムスクエア。13:06〜14:36。

作・演出の棚瀬美幸が前説をして携帯電話の注意をするのだが、あと1分で始まりますと正確に言ってしめたのには予想外なもうけものだった。そのためにお芝居が始まる直前の1分間という時間がとても貴重になったわけで、時間だけを感じることって日常ではなかなかにないことだからだ。

お芝居は最期の最後のあいさつで谷弘恵が舌がもつれて微笑みが会場に起き、予想外の出来事で、痴呆性老人が集まっているグループホームの世界を描いたシリアスな幻想を重ねる作品だから笑いというのは相応しくないかも知れないが、谷(グループホームの職員、のり子役)がラストにモノローグする作業の直後にほっとして彼女自身があいさつしたことでもあるし、特に気になるようなことでもなかった。

扇町公園を横切ろうとすると大きなテントが出来ていて、その舞台奥が開いてそこから白塗りなどの歌舞伎役者が転がり出てきた。平成中村座といったか、その公演のエンディング、夏祭りなので大太鼓が威勢良く鳴るし、目の前で歌舞伎役者が外光を浴びて走り転がるわで、偶然に面白い見世物をかいま見させてもらえる。

さて、南船北馬一座と同じく芝居屋坂道ストアも女性の作演出である。ただその角ひろみは棚瀬とは違って舞台にも役者として登場する。商品17号『裏山。アイツと犬のお散歩エレジーだ!』17:06〜18:37、大阪市立芸術創造館マンスリーシアター参加作品。

こう書くと南船北馬のマチネ公演とほとんど同じ公演時間であることも分かる。うーん。こちらはコメディ的でほろりとさせつつ女性4人の関係づくりに着眼するもので、老人たちのすれ違いなやりとりとはかなり外見的には違うはずなのだが、どこか共有する資質というか時代への感応のあり方を持っているように思った、でもどうしてだかはまだ漠然としたままではあるが。

あえて単純化して言えば、内面沈潜にこだわる棚瀬美幸に対して、交友関係の暖かさが心情の角ひろみ。社会や家族の深部にもぐってしまう傾向にある南船北馬一団と健気な女の純情を踊り歌う芝居屋坂道ストア。静と動、暗と明に分かれるけれど、もちろん、多元的な世界構造の『帰りたいうちに』の舞台にも痴呆老人ならではの笑いの部分もある(武田暁がその純情部分〜角ひろこ的世界〜を担っている)。

他方、『裏山。』も、お金でしか男とつながれない百万(本多真理のシャープでひきつる笑いの切れ味はただ者、ただごとではないとほとほと感激感涙した)の本源的悲しさや、ブーちゃん(日名子知佐)が果たす家族や世間のしがらみが、単なる持てない女の慰め合いだけではない社会批評性も併せ持っている。

そうそう、坂道ストアと南船北馬は合わせ鏡なのかも知れない。同時に見たからその思いが強まってしまっている嫌いがあるが、どちら(喜劇か悲劇か)から入っていっても人と社会は一面的ではなく、迷い込む迷路になっているんだなあと思わせる、そこが二つとも同じなんだととりあえず思っておく。

つまり、その迷路は老人でも20歳代後半の女性でも同じように続いていくものなのであって、そこに入らずにたたずむことも出来ないし、生きている間は抜け出すことはできないけれど、同じような迷路に迷っている人とひょっこりと出会ってはその情報交換をしたりそれまでの大変さを語り合ったりする楽しみがそこにはあって、迷うこともまんざらじゃないなと思う、そのことが共通しているのだと。

この週末は時間がなくて中途半端になりそうだから内容を書かずに(こぐれ日記にしないで)おこうと思っているので、それぞれのレビューは書かない。でも、やっと南船北馬一団の見方が少し分かった感じがした舞台がこの「帰りたいうちに」だったことは書いておかなくちゃ。

それに、去年芝居屋坂道ストアに1回生を連れてきたときにはよく分からないと言われてがっかりしたのだが、この作品「裏山。」なら大丈夫だったなあと思うほど共感するレンジが広い舞台だったこともここに書いておきたいと思う。4人の舞台なので女カクスコとか言いたい部分もあるが、実はもっと前向きで、ほろりとすることもあるけど実に見終わると元気になる舞台で等身大の社会認識力ももちろん持っているステージだった。


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