こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.5〜6



148) 5/31〜6/2


5/31(金)

次女のさきがメールの出来る携帯に替えたので、彼女からの声が山梨から文字になって届くようになった。

《蛙が鳴き始めた。さきは泣かないで頑張ってる〓 この前、京子が 「さきのお父さんの笑い声、さきにそっくり」 といってた。 仕事頑張ってね。さき〓》
一番始めのメール。

《今日は、学校でクッキーを作ったよ。誰も食べてくれる人がいないのは少し寂しい。 でも、西瓜とトウモロコシは夏に持って帰るよ。授業どうだった? お互い学校頑張って行こう。さき》
そしてこれが今日の夜のメール。

「頑張る」が多いのがちょっと心配(案の定6/3の朝に38.8度の熱でうんうん唸っていたが、夕方には落ちついたようだ)。

アーツプレイス事例研究。今日は4組の経過報告。ライブハウス2組は磔磔、明日ミューズホールへ行く。アーツカフェ組は川上を鍛えるということで彼女が発表。バザールカフェとか、ギャラリー○△□にあるギャラリー内のカフェのようなバリエーションも調べて欲しい。

アルティ組は、黒板に植田の発表に従い工藤が書いたステージの変化図がナイス。そこからプロセニアム形式とシューボックススタイルという話ができる。ワインヤード形式ということばが出てこず、葡萄畑とか言ってしまった。

京都芸術センター2組は美術展担当。魚谷(自分のことばをちょっと混ぜて話すようになるといいのだが。でもフィールドノートはこの3人はきちんとつけて今日提出した)も大森も極めてまじめ。大橋が藤本由紀夫展を実に分かりやすくしかも内容以外にタイトルとの関係まで自分なりに考えて言及して伝えたことに、ちょっとびっくりし、そして嬉しくなった。1年間リボンゼミをしたかいがあったなと。明日藤本さんのトークにも行くと言っていた。

昨日も思ったが、自分が出る幕は本当に少なくて、学生同士が語る場を作るのがぼくの役目だとつくづく思う。よく学生を使って授業や研究をしていてずるいと学生に冗談ぽく言われるが、それでいい(学生だってそれの方が身が入る)。そういう双方向性が生まれる場を作るのがナビゲーターの手腕なのだからして(うまくいかない時もあります、ハイ)。

ライト・パフォーマンス・プレビュー「アーツ・コンペティション IN 大阪マジックランブ」VOL.3。19:02〜20:37。そのあと発泡酒で交流会。何とか3回目までこぎ着けた。まだまだ出演についても観客動員についてもしなくちゃいけないことが多いが、今日30名ぐらいがフラットな客席に座っているとこれはこれからも続けられるんじゃあないかという気がした。

ナカオカヒデキ。12分の短編映画。雑居ビルを全部使って1日で撮影、3日で編集。笑いをねらったが、客席から笑いがなかったのが寂しかったとあとでトーク。でも、結構覗きぽくて興味を惹いた。

S-hop。この手のモダンダンスは幾たびも観たが得意でないタイプでして・・。

小川泰典のコンピュータ音楽。繊細なコンピュータ音。小さな音を伝えるのにはここの小屋は向いていないが、可愛いリズムがうまれいずるところにスリルを感じた。隣の女性が途中から飽きたのか、紙をべらべらめくったりうるさくて、嫌なら眠っていてよと言いたかった。こちらは耳の人になっているのに。

花嵐の伴戸チカコ。迫力満点。椅子との葛藤あるいは「じゃれあい」、半端でない対話。彼女のトーク入りダンスは、舞踏の北村成美というと安易な対比になるが、まあそんな強度がある。

それは椅子に倒立して脚を広げパンティも出す大胆さから思ったことだが、それだけでなく、音楽の選び方なども、北村成美と同時に並べると、コンテンポラリーダンスの西洋系と舞踏系を一気に解説できる爽快感がある。うちのたちばな軒先劇場での公演を夢想した。

松尾一廣のポエトリーリーディング。そのバック音楽が昨年の喜多郎のCDとはまったく分からなかった。後で聞くと、これを聞きながら自動速記のようにことばを綴った新作(添削中)だったそうだ。演歌風朗読詩人という言葉が頭に浮かぶ。

本人は至ってまじめに読んでいるのだが、中年の悲哀を超えた可笑しさが全身にみなぎって、途中から笑いの痙攣が客席を流れた。照れないところが凄い。ほんとに言葉なんていらないし、それは何でもいいのだ、あなたが言えば、と思わせるパフォーマンスだった。

6/1(土)

6月に入って、この日録のスタイルをちょっと変えようと思う。明日の展示準備をしていて、中西美穂さんらからこの建物は「いらないものが多すぎる。まず捨てることから始めなくちゃ」と言われたことにも影響している。
そうそう、このサイトもいらないことを書きすぎる。もっと簡単なメモにしなくちゃ。

そして、翌日(2日)のセミナーで思ったことだけれど、自分がもったいつけて語るよりもその場に立ち合った人が自由に発言でき交通できる感じの方がずっと雄弁だし表情豊かということ。できれば、コラージュで自分の日録にするという風になれば、ずっと身軽なんだろうなあ。

そこで、この日のことではないが、準備の内容をビビットに伝えてくれる中西さんの掲示板でのアップを引用して、土曜日の準備作業までの雰囲気を切り貼りしよう。。
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『共有(シェア)』展 投稿者:中西美穂さん 投稿日:2002/05/24(Fri) 12:02(JAMのサイト)
6月2日(日)の関西部会例会の会場でもある京都橘女子大学/関西女性アーティストファイルvol2/現代美術編は、大学内の教室をつかった一日だけの展覧会の案内をさせて下さい。美術大学ではない会場で、学生さんをすでに巻き込んじゃって、準備はがんがんすすんでいます。
例えば、石鹸をつかった作品なのですが、展示前に学内の洗面所に密かに設置されて(約90箇所全てに!)、展覧会が行われることを知る人も、知らない人も、日常に手を洗おうとして作品に遭遇し、使う人もいて‥‥という感じ。

当日配布するリーフレットも、ダンサーでもあるグラフィックデザイナーが作成中で、そのリーフレットを手にする人の手が眼が、思わずダンスしちゃうようなインタラクティブな雰囲気。
実験的であるといえばそうだし、現代美術と展示、そしてフェミニズムという観点から見ると、すごくストレートな展開でもある。(そのあたりのうんちくは当日のセミナーにて):ということで、Kyoto Art Mapなるイベントも京都市内では開催中!現代美術な週末は、是非京都へおこし下さい。
詳細は→http://www.tachibana-u.ac.jp/official/icps/seminar_2.html#art2
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今日の午前中は02アーツリボンゼミとしてのお手伝い(納谷衣美さんが作ってきた当日パンフの完成と机、椅子運び)、午後からは古厩久子さんと池田朗子さんによるインスタレーションづくり。出来上がるまでの過程を目撃できる歓びは半端じゃない。TAM研のみんなが手伝って会場を綺麗にする。「たちばな軒先劇場」(仮称)がはじめてお客さんをお呼びする空間となったんだわ!

石鹸人形をドミノ倒しみたいに並べて遊んだTAM研生たち。王冠シールをガラスにつけていたと思うと床に張り直していた池田さん。いつの間にか蓮池まで「回文」(まわりうた)をエンドレスに書いている古厩さん。暗がりにのぞき込み、古厩さんが設置した手が伸びる映像に素直に反応するTAM研生の背中たち。・・

終わると、明日があるのでできるだけさっさと帰る。

6/2(日)

京都橘女子大学文化政策研究センター公開セミナー、関西女性アーティストファイルvol.2*現代美術*【木陰にて、共有(シェア)】。

展示とセミナーの双方に思いがけずおおぜいの人が来ていただいて、感激。椅子を急きょ追加。暑い日だったが、清風館1階は(半地下みたいなところ。窓からの「木漏れ日」で、何とかタイトル通り「木陰」になったかな)けっこう風が入っていい感じだった。

ただ、セミナー(14時10分からTAM研の上田さんの挨拶で始まって16時7分ぐらいに終わる)終了後、二人の参加者から合わせて1時間以上も「抗議」を受ける(私だけで収められなかった)。身内受けだけで、あなたは「文化政策から見た現代美術」(この内容については、前の2つのセッションで展示学の木下さんとまちづくりの織田さんによってすでに丁寧に話して伝えられていたと思っていた・・)について何もしないで、セミナーのナビゲーターの務めを話していないじゃないか!という感じで強く攻撃されて、不意打ちを食らった。

たしかに2時間で3つのナビゲーターが入るセッション3つを作ることがかなり冒険的なものだった。私は時間進行と最後の挨拶、補足というつもりだったし、インタビューの専門家、山下里加さんがいるから出なくていいとも思っていた。
ところが「文化政策学から見た現代美術」というテーマが中西さんから私に当てわれて、彼女に任せた以上出来るだけ従おうと、とりあえず原題から「学」をとって少し軽くした。
後悔先に立たずではある。でもでも。

「会場との文化交通〜アーツコミュニケーションの場へ」ぐらいの自由度高い創発的な題に変えてもらったらよかった。でも、これはまあ私の即興力とこの場の読み方の問題だったし(反省しています。はい)、セミナーについての感想は色々だったと思うので、そういう意見も出た事実をそのまま受け止めて、また次の機会に活かせればいいんじゃないかな。

逆に、初めに中西さんが話した「不動産美術」(これは村田真さんの造語で、「動産美術」がまず特殊なものとして先史美術史にはあったことは言った方がよかったか)と「インスタレーション」を少し「時」(新しいものが素晴らしいという近代的直線的時間ではなく循環的な季節も含めて)を意識したところから丁寧に話したりしたらよかったかも知れない。いずれにせよ時間がまるでなかったから、とりあえず現実と同じ時間でTAM研の水野さんの終わりの挨拶によって終了してから、聞きたい人だけ残ってもらうという手もあったかも。

また、インスタレーションにおける仮設的設置という点について、現代の不動産美術である狭義の「パブリックアート」との違いも補足したかった。インスタレーションの特質として「空間と時間づくり」という説明が中西さんからあったり、古厩さんからも参加者も含めた作品のあり方が豊かに綴られていたからとても膨らんだかも知れない(日本的な「シーズン-スペシフィック」という私の造語も使って)。

それから、現代美術をまちづくりに落とし込むミニレクチャーをする(たとえば、自由な市民が出会えるアーツスペースとか「道と未知の交差点」という言い方はちょっと使い古したので、世界に対するあり方としての「リアルとバーチャルとアイディアル」を対比した芸術相関図を示すとかして)。

あるいは、こうしてTAM研やみなさんの感想を聴くのが、芸術交通づくりという文化政策なのですと、煙(けむ)にまく一言を付け加えればばよかったかも知れない。・・・
ただ、すべてが反省ばかりでもなかった。

《アートの情報誌或いは展覧会のお供「etc.」》(タフ2の紹介をしてもらっていた)の言水ヘリオさんは(東京からの来客)、東京のシンポとかはみんな裃つけて話すけれど、関西風のセミナーは暖かくて楽しいものなのですね、と反省会に残って話してくれる。展示を観た森口まどかさんは、優しい展示ですねといいながら帰った。はなは中西さんのセミナーでの初めの熱意に感動し、お父さんがあとであんまりでしゃばらなくてよかったと言っていた。

なお、これらを楽しんでもらいつつ、うちの大学まで足を運んでもらう目的もあって、午前中JAM West例会を9401教室でした。12名ほどの参加だったが、高知県中村市の柳川さんが、小浜市の実家から来てくれたりして嬉しかった。


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