こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.5



145) 5/20〜5/23


5/20(月)

何だか昨夜カーペンターズを聞いたからかどうか分からないが、すっきりとした朝を久しぶりに迎えた。

デジカメをもって大学に行く。TAM研で池田朗子さんの作品(せっけん人形と鏡に貼る王冠)をお手洗いに設置していく様子を写すためだ(唯一の2回生、中本藍さんが写してくれたので私も女子トイレにたびたび写っている)。王冠も70個ほど切り抜かれた(そのあとにまたみんなが持ってきてくれ、最終は約90個設置になる)。

それらを持って清風館から出発してかなりの場所に設置する。はじめて行ったところも多く1回生達の大学探検ともなった。階段を下りてドアを開けると封鎖されていていたり、独特のにおい(古い紙のにおいかな)がしてここで研究していて大丈夫かしらという廊下もあった。

15時前に、乃村工藝社文化環境研究所主任研究員の吉岡伸さんがたずねてくる。乃村工藝社100年という本をもらう。もともと大道具を作っていた会社で、菊人形とかをつくっていたのだそうだ。京都橘女子大学文化政策研究センターと色々と関係が出来たら嬉しいし、学生の就職先として展示会社というのはとても魅力的である。

「風まかせ」のある玉造へ。ぎっしり。白石かずこのポエムリーディング。自分よりもほとんど上の人たち(50〜60歳だの女性グループが多い)のなかでライブを聴く機会ははほんとに珍しい。20:19〜22:17。

現代詩文庫の裏表紙に写っている白石かずこの姿しか知らなかったから、それからの「時の経過」の長さを思う。吉岡実や西脇順三郎のことを思い出す詩の朗読のとき、そういえば、西脇順三郎の朗読レコードで聴いたことがある聞いた順三郎の語尾を伸ばして下げる読み方に彼女も似ていることに気が付く。

枯れた沖至のトランペットがいい味を出していた。白石かずこは和紙に筆ペンで大きく自分の詩を書いている。そうすれば眼鏡がいらないからだ。でも、その紙を探すのが大変そうで、ぼくも最近捜し物で日が暮れるからそれも加齢の戯れなのだなあとしみじみ思う。

キューバの思い出、ユーゴの詩人の想い出、ドイツの詩人クナードの想い出。犬との同棲生活の想い出。「笑いコオロギ」の想い出は、オハイオの詩人について。ソクーロフの映画に触発された詩。などなど。

鼻の穴に蚊がブンブンいっただけなのです。未来はどんな箱に入っているか。
魂がころころと転がり出す。アフガニスタンの国境警備の途上で。

5/21(火)

立命館大学「アートマネジメント論」。まずBGMを流しながら(今日は「京都」コンピレーションMD)小テストの結果紹介やNPO法人化するダンスボックスの案内文を説明する。合わせて、鑑賞(鏡に映すように芸術を受容するという意味があるのだろう)と観賞(自然の美を愛でるときに用いる)、興行と興業(たとえば、吉本興業が興行するって使うのね)、公演と講演。解答用紙になかで間違いの多かった用語を豆知識的に解説。

今日からやっと教科書指定した『社会とアートのえんむすび』をじっくりと読んでいく作業が始められる。去年は教科書を指定したのに(『芸術経営学を学ぶ人のために』)あまり使わず、買った学生からクレームがあった。今度は自分たちが作った本だから読み解いていくのにも力が入る。

でも、今日の受講者は少ない。2500円という値段は学生にとっては高いからなのだろうか。こんなことを書くのはまずいのだが、二人で共有するとかでもいいから、この本を手元に置いてこれから講義を聞いてもらうとかなり分かりやすいし役に立つと思う。

森司さんの挨拶「はじめに」を読んでd2000を紹介する。自然に、彼とアウトリーチについて議論した地域創造でのオフィスを思い出す(同じく水戸芸術館現代美術センターにいた黒沢伸さんのアバンギャルドなワークショップとか、ミトゲイ的ボランティアのあり方、広報の仕方など伝えることはきりがないほど多い)。

そして、序章の脱美術館へ。
村田真さんのジャーナリストらしい割り切り方により、何せ3.1万年前の洞窟美術という不動産美術から出発した美術制度史を、この本があるおかげで、1時間で概括できたわけね。

つまり、その旧石器時代の不動産美術からどんどん時代を下って、動産美術+見込み生産中心の近代美術制度の確立とその崩壊、そして、再び不動産美術(サイトスペシフィック)や注文生産(コミッションワーク、アーティスト・イン・レジデンス)へという美術制度史を。それでも序章最後のアートプロジェクトについての部分を残してしまった。

奥田さん(T.A.)がアンケートを集計してくれていた。回答数は164名。初めの質問である学生の1年間の芸術鑑賞について多い順にあげておくと(カッコ内は参加比率):
1.映画鑑賞(94.5%)、2.美術展(76.8)、3.音楽ライブ鑑賞(56.7)、4.演劇鑑賞(47.6)、5.芸能鑑賞(31.7)、6.ダンスバレエ鑑賞(22.6)、7.ワークショップ(18.9)、8.西洋クラシック音楽(17.7)、9.アーツマネジメント講座(0.6)。10.詩の朗読会(0.0)。

ライブの人気と比して予想以上に西洋クラシック鑑賞が中高年に偏っていて若者は遠ざかっていること(29名)が分かったりする。ワークショップに31名が参加していることも時代だとはいえ、この受講者たちが積極的なことを示している。

今日からKyoto Art Mapが始まったなあと思いながら、バスを降りてぶらぶら同時代ギャラリーに行くと、馴染みの若い女性の顔があった。

片岡健二展。デジカメで撮ったものが一部何かの原因で消えてしまうような画面である。連作で並ぶと、その空白部分が偶然によるものみたいにばらばらなので、そのばらばらな空白に何かが潜んでいるようにも見えてくる。色彩が淡くてその統一感が白い壁によくマッチしていた。小さい作品群の方は顔を描いてから消すような作業を入れているらしい。

被写体の彼女も版画をやっていて、この前のKAVCの若い美術家を紹介するアニュアルに出展している人だと片岡さんが話していた。大学の事例研究の掲示板(TAM研には書き込みが多いのにこちらはさっぱりだ)に次のように紹介する。

「今日からART MAPが各ギャラリーで始まっています。同時代の片岡健二さんの作品はきっと何かを感じることと思います。お奨めです。金曜日は彼がいると思います。丁寧に自分の意図を説明してくれます。描かれている女性も版画家で片岡さんはずっと彼女を書きつづけています。そして(視る=描くという行為を重ねることで)どんどん描く主体の片岡さん自体がなくなっていく。その結果、彼女だけが実在するようにならないかというシジュポス的作業を続けているそうです。」

洛北高校前からアトリエ劇研に向かう途中に中野陽子さんに会った。久しぶりだ。シュウカツで学会にも行けなくて・・最近やっとシュウカツが就職活動の略だと言うことが分かる。後ろから声をかけるのに人違いだったらどうしようかと勇気がいったという。声をかけていただくなんて光栄である。と、アトリエ劇研内でもいまのアートマネジメント論受講生にも声をかけられる。今日は来てなかったでしょ?とアテカンで彼女に言ったらやっぱり受講していなかった。

第3回アトリエ劇研演劇祭PROJECT人民大乱舞!「We are the pigs」19:03〜20:09。作・演出:植田陽介(モジャリーノひげ麿改め)。学生演劇を卒業してお芝居に取り組もうとするこれからの人たちだ。台詞を憶えて噛まないで言えるということは大変なことだと言うことが実感する初日でもあった。

ブタから人間へと変わりたくなるようにし向ける研究者たちの洗脳の力とそれに乗ってしまう者の悲劇、という感じか。一応、差別意識とか雪印食品告発だとかの社会的な問題を踏まえながら、臭い80年代演劇のシーンを取り入れたり娯楽を考えたりしている。

5/22(水)

月曜日にえらく元気になった気分だったので、どこかハイになっていたが、そういうときに限って舌害を起こしたりするから気をつけなくちゃ。その危なさは今日もそうだし(マスコミに載ることなんて無意味だと足立さんに言ったりした、もう少しマスメディアの特色を説明すべきだった)、この日録での記述(ポーランドな午後での松本挨拶へのコメントなど)もそうだ。

偉そうにマスコミ論を言うことは私の悪い癖だが、それでも、今回の朝日新聞での記事では青木記者がよくこちらの気持ちを踏んでいただいて、つつがなく今日大阪版29Pにのる。実家からも中西さんからもファックスをもらってそれをみてほっとする。

見出しも、「大阪市アーツアポリア実行委員長・小暮宣雄さんに聞く」、「市民の先駆芸術支援事業」、「大阪発で音、映像、展示・・・」の3つで、「芸術発信」という用語がなくなって本当にうれしい。本文でも「西欧や東京中心の美術ではなく、大阪から発芽した芸術を広く市民に広げようというのが狙いです」となった。まあ、「発芽」がいいのかどうか、ご意見下さいね。

ただ「市民の先駆芸術支援事業」というと、大阪市民が先駆芸術家でなくては支援しないように思われるかも知れない。でも、青木記者の気持ちは官製のものではないものに大阪市がサポートしているという意味で「市民」が使われている。「先駆芸術=市民イニシアティブ支援」とでも言うとどうだろうか。でも市民を見出しに使うのはアーツアポリアでは難しい。あと、現代美術中心なのに音楽と映像が美術の前になってしまった。このあたりも少し気にする人もいるかも知れない。

02アーツリボンゼミ。12名が出席してきちんとみんな自分の芸術体験を話す。何だか手がかからない。アトリエ劇研に来なかった学生も小さな美術館みたいな暗いところの展示について話すし、浜松の激しい祭に参加した学生の熱い口調まで飛び出すし。この前一緒に見た芝居とダンスについては、分からないなりに衝撃を覚えた学生や役者の顔ばっかり見ていた子もいたし、帰りに京都駅の大階段でのイベントを口直しにした学生もいた。色々な反応を聞くのが楽しい。

中村一義がほんとうに好きで渋谷でライブを見てきた学生の話(彼女にはラジカセででもどうして好きかを流しながら語ってもらってもいいな)、キャラメルボックスを2度もみて、観客席の違いについて考えた学生、チャップリンの「独裁者」を見て喜劇というのが社会批評という部分では命がけなのではないかと感じた学生など、きわめて多彩。

可笑しかったのは、ぼくがアトリエ劇研での観劇の前に分からなくて良いからと言ったので、逆に分かってやろうと必死になったけれど、やっぱり皆目分からなかった!という学生で、彼女は、犬の首輪などを手作りで作って売っている岡山市のショップの話をしていた。

清水君が来て3名の撮影を無事終了して、結局この人になりますと言いに来た。少し曇り空だったのが残念だがいい写真が多く撮れてよかった。谷川さんに頼んでチラシにならなかった学生の写真も何らかの形でプリントしてもらおうと思う。

午後から総合計画委員会。今日はすごく有益な具体案が出てきて、そういう形で教養科目も表現体験型になるといいなと思う。表現やセラピー(これは一つの案にすぎないが)などが広がってくると、文学部が変わるとともに、文化政策学部にとってはあんこにあたる芸術表現が目の前に出現するからであり、体験のないマネジメントは空理空論になるからでもある。ところで、教養科目については誰が実際は決めているのだろう。

教授会(うちの大学院は授業料など初年度に納める金額が国立大学の大学院よりもかなり低く、学部のそれの5割ほどだということを初めて知った。私学の大学院授業料等は東高西低でまちまちなのだそうだ)に、続いて学部教授会。

そしてそのあとに8月のスキルアップ講座についての打ち合わせ。いま立命館でぼくの講義を取っている学生もこの講座について話すと受けてみようかと思っているし、ひょっとしたら、来年度設置申請をする予定のうちの大学院に来てくれるかも知れない。

そんなこともあって、大学院構想担当の足立さんが大学院設置との関係を考えて欲しいという提案から、4人が本気になって面白い案を出しだして、金武さんなどこういうことで遅くなるのはいいですねと言っている。うちの大学でする者は僕だけになるかも知れない。まだ試案だが、ホテルでの講義とか、博物館へ行ったり商店街診断にいったりというものになりそうだ。

5/23(木)

6/2のタフ2(関西女性アーティストファイル)の申し込み具合が低調だ。14名ということ。(内容は↓で見てください。)
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/icps/seminar_2.html#art2
もちろんうちの学生はけっこうそれ以外に来るだろうけど、ここでも参加を呼びかけよう。

会場の用意の関係もありますので、もし来ようと思っている方は(当日来れなくなっても構いませんから)、メールにてお名前、住所、電話番号(メールアドレス)をお書きの上申し込みください。icps@tachibana-u.ac.jpまで。

コンソーシアム京都「アーツ&セラピー論」。神戸親和女子大学に移られた日比野英子さんのお話。「心のケアとしての美容〜心理学における化粧研究」。続けて2回レクチャーすることができないということだったので、1回だけになった(飛ばしてすることも考えられたが調整が大変なのでこういうことに)。

この時間を一番楽しみにしていたという学生が結構いて、やっぱりいままでの講義の中で一番よかったという(それだったら臨床心理学講座で十分で、ある面、何のためにアーツ&セラピーをやっているのかとも内心思うけれど、学生の反応に一喜一憂していたら教員なんてやってられないわけで)。臨床心理学ブームなのだろう、特に女性には。

もちろん化粧という行為自体に抵抗のある女子学生もいる。ただ数値や笑顔を見せられるとかなり納得していたようだ。フィットネスジムを研究している男子学生もいて、産業的に関心を示していた。
私が今回聞かせていただいて一番面白かったのは、現象学などではお馴染みの話だろうが「私の顔は他人に見えて自分では見えないものだ」という冒頭のお話だった(それ以外も実に要領よく表示装置を使ってグラフや図式で説かれていく)。

顔が感覚器であり、呼吸器、消化器であること。穴がいっぱいあいていて、体液が出るので雑菌が発生しやすい。特別養護老人ホームやデイケアセンターでの化粧実験の際も、化粧道具についての感染症対策は十分すぎるぐらい気をつけるべくだということだった。

化粧やファッション(身繕い、「整容行動」)をうまく使って社会的なコミュニケーション機能を高めることは、十分に大切なことだし一定程度有効だろう。数値を出しやすい部分での心理療法の1つである。

もちろん、化粧では効果のない人がいているとかの議論はもちろんある。もっと本質的なこととしては、音楽や美術、ダンスなどの芸術(表現)療法と比べると社会的な認知体制への適応という部分が強い(ひょっとすると、常識としてまかり通っている偏見なども含めてそれに適応することが治療となるという批判もあるのかも知れない)。

だから化粧の対自己効果も他者に見られている自己の社会的顔が前提となる。もちろん、心の奥深くの無意識の自己までとの関係を議論することはもちろんできないし、それぞれの役目の違いがあるのだろう。ただ、やっぱりユング心理学とペアでお話があるとよかっただろうなと思う。

第7回OMS戯曲賞大賞受賞作品、第7回OMSプロデュース『深流波』(シンリュウハと読む)19:08〜21:06、原作:樋口美友喜(劇団Ugly ducking)、構成・演出:生田萬(ブリキの自発団)。観劇速報を見ると評価が分かれていて、劇団Ugly duckingの舞台は得意でないタイプのお芝居だったような気がしたので期待せずに見に行った。

でも、思ったより時間は長く感じなかったし、確かに臭い台詞とかは冒頭など多かったが、許容できる範囲だった。まあ、私が歴としたオジサンなので、「友よ」とかフォーク集会とかは自分よりも少し前の世代ぐらいの話だが、それでもほぼ共有する回想の軸心になっているのから、無闇と懐かしい。

山出さんの前説の丁寧さとか緊急事態の時の待機システムの見事さなどOMS劇場ソフトのいまさらながらの良さを脇に置いておくと、今回一番よかったのは、役者たちのいまの姿を多く眺められたことだった。そして、自分の得意でないあるいは見たことのない劇団や俳優を含めて、これからこれらの連中達がどんな関西でのお芝居を作ってくれるだろうかと心ときめせてもらえたことだった。

たとえば、身体障碍を持つ森田かずよ(夢歩行虚構団)の実在感と反面の可愛らしさは誰でも目を引くところだろうし、木村保(虚航船団パラメトリック・オーケストラ)の渋く情けない役どころは同じ世代が多い演劇界では貴重な存在である。

その他、劇団衛星の筒井加寿子は、初め桃園会の役者さんだっけと思ったりして、どこで見たかが思いだせなかったが、とてもやりがいのある芝居を経験することになったと思う。ヨーロッパ企画の本田力の巧みさも見直したし、チーマーの高橋明文、福田靖久、あるいは女子高校生演じた役者さんたちとか部分部分に楽しめる素材が満載だった。個人的に、昇子(後藤七恵/ぬいぐるみでの演技は暑いだろうな)の母を演じたぐんという役者に目がいった。


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