こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.3



129)3/25〜3/28

3/25(月)

13時から新入生のクラス懇談会の打ち合わせ。オリターとクラス担任の教員。昨年度経験によって、新入生が一番困るのはどの科目をどう取っていくかだから親睦会の準備はそのあとだろう、と言っておく。同じ場所へキャンプに行くので準備も昨年よりは楽。

ただ、親睦会をクラスごとにしたあと審査会をするようにすでになっていて、3万円の賞品が出るらしい。順位をつけるのはいやなので、5000円程度の賞品を6つ、オリターさんたちに考えて買ってもらうことにする。その賞品セットのなかから、審査員が自分としてあげたいクラスに対し、6つの中から1つ賞品を選んで渡すという仕掛けとなる。

14時半に終わって関西女性アーティストファイルvol.2(TWAF=タフ2)の集まりに合流。すでに清風館1階で、コーディネータ中西美穂さんのもと4名の人が相互に自己紹介をしていた。すなわち。

アーティストの古厩(ふるまや)久子さん(フランスにいたあと難波でビーズ屋さんをしている)と池田朗子さん(岐阜市在住、N-mark=KIGUTSUとのかかわりも)。
それに美術ライターの山下里加さん(和歌山市の和歌浦での観光課プロジェクトが思いの外面白かったらしい。藤本由起夫さんの力はすごいな)、またグラフィックデザインを頼む納谷衣美さんである。
あと事務局の中村さんと谷川さんもやってくる。

内容は、おいおい、TAM研のボード(http://8536.teacup.com/kogure/bbs)にも出てくるだろう。たまたまオリターの佐藤穂波さんや今木朝恵さん、飯田祐子さんがいたので彼女たちも同席させてもらい、楽しい宿題(結果として大学内のトイレ事情に詳しくなる)を3人は頂戴していた。

終わってから、食事。中西さんがお勧めのびお亭が休みなので、わがまま屋に入るが、いまいちだった(ごはん屋にすべきだった)。ただ、美術家のためのアレキサンダーテクニークレッスンをしようかという話などが飛び出した。

3/26(火)

ずっと先週の日録を書いていた。岸和田の報告とか。16時から文化政策学部教授会。2002年度の試験について。結構いろいろ難しい問題がある。ぼくの関心事は、2名応募したけれど逃げられて誰もその制度で入らなかった「文化・芸術活動部門」特技(プレゼンショーン)入試のこと。要件が広くなったのは改良なので、いっそ、「文化社会活動部門」と内容も変えたらどうかと提案する、課外活動全般やボランティアなどを入れているのだし。

AO入試で入る学生のリポートを読んでコメント書いた後、早めに帰る。
社民党の辻元議員が辞職(でも社民党はやめないらしい)。彼女のスキャンダルが何か出てくる(与党、マスコミなどが探し出す)だろうと以前から芳江に話していたところだった。
芳江が高齢者向きの大きな字が見やすい携帯電話を買う。さきの保護者としての電話番号を作って高校に登録する必要があるからだ。

3/27(水)

年度末の行事である。まず、非常勤職員との親睦会。そして、教授会のあとに退職者送別会。今年度は文学部から6名の退職者が出ていつもより多いという。退職する宮島先生が茨城弁で長塚節「土」の会話部分を読むという国語学者らしいパフォーマンスがあった。退職の事務局職員は1名。
生協食堂で昼も夜も立食式の食事となる。これはスローフードなのかファーストフードなのか。

帰るとさきがはなのダンスを観たこともあって、小さな紙に変な言葉を連ねていた。
******
“はみだしちゃった はなちゃん”
くすぐったいよ、
笑うよ、
笑っちゃうよね、はなちゃん。
はなちゃんったらさぁ。
きのう きりんの首をかめの首とこうかんこしたらどうかなぁ、なんて言うから
びっくりして 近くで きいてた かえるさん、ネコになっちゃった。
かわらの近く歩いてるよ 今。
てってって、って。
ほうきもって どこ行くのさ はなちゃん。
ペットボトルの回収か何かかな?って思ったら、はなちゃんたら、
本当は おしょうゆ買いに行くんですって。
もくれんの木の下で首をかしげて 笑ってるよ。
そら見ろ、だから言わんこっちゃない。
さっそく はなちゃん 木に登って、
つぼみのまねして笑ってるよ。はなちゃん
わたしは はなちゃん、知っているよ、そんなこと。

“山あり谷ありの歌。”
大きいものと 小さいもの
ほんとうは どっちも どっちも よい。
小さい夢と 大きい夢
ほんとうは どっちも どっちも よい。
あたし ちっちゃいころから
山あり谷あり
とばさえちゃうよ、
ふわふわしてると
いいのよ別に
がんばるの。

(うちの姉ちゃん 三輪車)
うちの姉ちゃん 三輪車
てけ てけ てけ てけ
うちの姉ちゃん ほうれん草
ち ち ち ち ち ち ち ち
うちの姉ちゃんのふとん
ふとん ぼとん ちっとこ
うちの姉ちゃん わらうよ もうすぐ わらうよ
知ってるんだ
知ってるんだ
だって うちの姉ちゃんだもん

(犬がまえを走ったから)
犬がまえを走ったから、
今日は朝から迷い道
天気いいけど 雨降ってる。
桜とさき 桜とさき
にてる にてる にてる
犬がまえを走ったから
今日は朝から迷い道
天気いいけど 雨降ってる。

(はじめてみつけた雪の日の)
はじめてみつけた雪の日の
一枚の空
自分のつめに反射して
ひらひらと 舞った
つらい日があるのだから
泣きたい日もあるのです。
誰にも会いたくない時は
誰かに会いたい時でしょう?
知っていること、知らないこと、
背すじをピッとのばしたら ちょっと見えた
かがんで 小さくなったら
またちょっと見えた。

上田假奈代さんのお母さんが小さい假奈代さんの言葉をテープに入れていたという。その気持ちがよく分かる。だいたい、ちゃんと文章にならない面白さが、誰にでも小さいときにはあって、それをいかに膨らませながら失わないか。みんなが詩人の卵だったはずだろうなあと、半分子どもで半分訳知りになりそうな、このさきの断片をみながら思う(少なくともぼくには書けない詩だと思う)。

でも、この紙は封印されて行き違いになるはなに渡すつもりのさきだから、ここに書いたのは、みなさん、さきには内緒にしてくださいね。

3/28(木)

明日には天気が崩れるという。八幡の櫻をさきに見せておきたい。
芳江も一緒に3人で木津川の櫻堤を歩く。櫻の木に登るさき。まるい猿だ。
堤を滑り降りてタンポポを見ると、小さくて地面に張り付く日本タンポポだった。でも、向こう岸にはすでに大きく派手な西洋タンポポが襲ってきている。
オオイヌノフグリの水色に、小さな黄色い、名を知らぬ花。
出来たて100円の黒ごまいっぱいのアンパンをタンポポ野原で食べる。

大学では昨日からオープンキャンパス。2回生になる連中は受講登録の最終日。1年生のとき、なかなか学校に来れなくて新年度は教養科目を取ってしまいたいQが石野さん(箕輪さんとスケボーを長野でやってきて焼けたので帽子を目深に被ったままだ)と一緒に来る。先生の事例研究を取らないように途中でしたのに、事前登録されちゃっているから(コンピュータで赤い字になって自分では消せない)どうかしてほしい、と言う。教務課の森田さんに取り次ぐ、この子はぼくの事例研究やってる暇ないのよ、と。事前登録も自分でさせた方がいいかも知れない。ただ学生に任せていると、忘れたり違ったりすると人数調整がむずかしいという問題点もあるのか。

島村奈津『スローフードな人生!・・・・イタリアの食卓から始まる』(新潮社、2000.7。7刷/2002.1を購入)。スローアーツやスローシアターでお世話になっているスローフード運動がルポされている本。著者は東京芸大卒。

ダイエットとファーストフードの悪循環はほんとにそう思うけれど、乳製品などを取りすぎて肥満になりすぎるのもちょっとそれは行き過ぎな感じもする。

だから、顔の見える生産者から購入した食材を使って、それを自分たちで調理した料理を作ること。一緒に食卓を囲むこと。昔からの味を伝えること。そういうシンプルな無理のない生活が基本なのである。

《日本の場合には、おそらく政治的にも、国民性からしても、アメリカのファーストフードがイタリアに比べてずっと浸透しやすい土壌があったのだろう。戦後の焼け野原から急速に成長した日本の都市には、イタリアのように町並みの美観という観点は希薄だった。それにまわりと同じであることに安心感を覚える傾向も強い。

《60年代末に、ケンタッキー・フライド・チキンが、東京の新宿高野に実験店を設けて依頼、ファーストフードはこれといった論争もなく、アメリカ的な豊かな暮らしの象徴としてただただ受け入れられてきた。》(p72)

ケンタッキーを初めて食べたのは大学の受験日だった。カッコマンの西田君が昼ご飯として持ってきていて初めてちょっと食べらせてもらった。新橋第1ホテルの受験弁当とは雰囲気がまるで違っていた。とてもかっこいい食べ物みたいにうつったものだ。1974年3月のことだからすでに日本中にあったのだろうけれど、外食をまるでしなかったぼくには何でも新鮮だった。

マンションに大学時代から住み外車を乗り回していたそんな西田君は、ぼくと同じ役所に入っても、国内の田舎大好きな地方派では全然なくて、すぐにアメリカへ。ハーバード大学にフルブライトとかいう制度で留学した。大宮市の財務部長の頃、当時下水道などを牛耳っていた国会議員の娘と結婚して地盤を嗣ぐ予定だったが、女性関係が週刊誌に出てしまって(相手が強すぎたということもあった)・・。

火の粉を避けたい自治省は、彼を外務省に移籍させたが(麻薬取り締まり関係)、またしても彼はレースクイーンに訴えられ週刊誌に再び出て退職。アメリカの弁護士資格で事業をしたり立候補して当選したり。そんな彼も私と同じ歳になっているのだけれど(自治省→外務省→民間人→自由党国会議員→・・と忙しい人生なり)。いまはどんな生活をしているのだろう。ファーストライフのままかなあ。

《大げさな言い方をすれば、スローフードとは、口から入れる食べ物を通じて、自分と世界との関係をゆっくりと問い直すことにほかならない。自分と友、自分と家族、自分と社会、自分と自然、自分と地球全体の関係を、である。そうするうちに、私たちは、迷宮を飛びこえ、新たな世界を見いだすことができるかもしれない。・・・

《その人が望みさえすれば、誰のもとにも食卓の奇跡は訪れるだろう。
《会話のなかった子供に黙って手料理を差し出す時、田舎へふらりとでかけて土の薫りをかぐ時、自分で見つけたおいしい店で恋人とゆっくりと夕食をする時・・・・。そして、そこから、人類の壮大な夢を託したスローライフは始まる。》

《異ジャンルアーツの交流「アーツ・コンペティション in 大阪マジックランプ」vol.1 開演/3月28日(木) 19:00    入場料金/1500円  問・会場/大阪マジックランプ 06-6958-2333問/特定非営利活動法人 芸術文化ワークス 03-3986-1909(fax兼)  Arts_Works@arts-calendar.co.jp》

鈴木英生さんからメールが来ている。私はこれについて鈴木さんに任せっぱなしで(NPO法人アーツワークスの主催なのに)宣伝を怠っていた。せっかく5組の面白い参加があったのだけど、客席に空席が残ってちょっと残念ではあった。でも、参加した人たちには、ジャンルが違う人たちと無理なく交流もできるし、自分のパフォーマンスを他ジャンルの観客に提示できるこの試みを評価してもらったようだった。

森小路について小腹がすいてアイスクリームを自動販売機で買って食べながら(ファーストフードしちゃったなあ)橋を渡る。するとポポル・ブフの徳毛さんに会った。この前はトリイホールでアイスを食べたのは彼女の方だった。

鈴木英生さんに会う。昨夜のアピアでのはなの様子を聴く。4/30(月)にあるこのアーツ・コンペティション第2回目にはなが出ることになったようだ。
アーツマネジメント担当の田丸隆生さんに挨拶して2階に上がる。

1階に今回参加の澤田麗さんによる美術作品が展示されていたのは気づかなかった。車が置かれていたからかも知れない。鑑賞者のほとんどは終わってから彼女の作品を見てから、500円分を投票したようだ。
ここで、入場料金の内訳を書いておかなくてはいけない。

普通、お客さんはこの鑑賞料がどのように配分されるかを知らないままにお金を払う。ライブハウスで複数のミュージシャンが出るときに、誰を聞きに来ましたかと尋ねられて、そうか、贔屓の客の数で出演料が決まる(あるいはノルマ達成しなくて出演者が払う)のだなあと気づくことはあるが。

チラシに今回は入場料の内訳が書いてある。ここがアーツワークスのアイディアなのである、つまり「お客さまの応援する1票が、出演者の創作活動の力となります!!」。

入場料1500円のうち、500円は会場・運営費。500円は出演者のギャラで等分配分。たとえば、30名だとしたら100円×30=3000円が払われる。あとの500円が「出演者または芸術文化ワークスの中から応援したい方々へ」1票100円につき5票を投票する分となる。もしあるアーティストにすべて投票されると500円×30=15000円が渡されることになる。そんなことはないだろうけれど。

19:18〜20:21。15分間が持ち時間である。今回はダンスが2組、演劇、美術に音楽が1組ずつ。たとえば、マジックランプに現代音楽が演奏されるのはとても珍しいことだろう。芝居向きなのでとてもデッドな音響環境、しかも京阪電車がひっきりなしに通過する音が挟まる。そのなかで、でも、なかなか聴かせてくれるマリンバだった。

(以下、5組の内容はアーツ・カレンダー「こぐれ日記333」をみてね)


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