こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.3



126)3/15〜3/17

3/15(金)

やっと草稿が出来た。思った通り、「21世紀型まちづくり」という編集者からの注文が重すぎて、大阪アーツアポリアを書く残量が少なくなり、8400字をオーバーして前半部分の面白そうな例示などを削ることになってしまいそうだ。

中間から展開するべきアーツマネジメントの記述も中途半端になってしまった。でも、「スロー・ライフ」を取り入れたことによって半歩ぐらい考え方が広がったようにも思える。締め切りは4月15日なのでまだ手を入れたり写真を探したりしなくてはいけない。とりあえず、いまの目次を挙げておこう。

【アーツマネジメントのあるまちづくり 〜「スロー・シアター」が文化を創る〜】大阪ガスエネルギー・文化研究所『CEL』61号原稿目次
1)20世紀型まちづくり〜国、自治体、市民
2)3類型以外のまちづくり〜大資本、商店街
3)21世紀型まちづくりへ〜NPO、文化、Arts
4)「固有の文化を創造する空間」づくり
5)小ささと遅さとしての「文化」
6)「文化」を創るアーツマネジメント
7)ファースト・アーツからの脱却
8)「アーツアポリア」〜大阪市の政策を例にして
9)スロー・シアターとスロー・アーツに出逢うまちづくり

大阪市立中央青年センターでは「声の祭典」の準備をしているから、差し入れをもっていこうとか思っていたのに、原稿をいじくっていて時間があっという間に経ってしまった。

梅田カラビンカの桃園会『四季一会』。20:03〜21:25、作・演出/深津篤史。かなり文学的な小品。同じ部屋の空気の中で遠くの物音や夢、季節を感じることが出来た。観劇速報にさっそく以下のようにアップする。ほんとに心震える芝居だった。

桃園会『四季一会』内容:季節料理の小さなお店みたいで 見どころ:目の前なのに遠くの音を聴けるような 総合:☆☆☆☆☆
「のたり、のたり」もまた観れば良かったなあと思いつつ。朗読部分が特に新鮮。

ラジオドラマとしてもともと書かれた脚本を集めたものだということを、あとで気づく。「冬の夜。はなぐもり(朗読。亀岡寿行と加納亮子が脚本を持って朗読する)。シメルオンナ。ひどい話。黄金虫。駅舎にて(朗読)。秋桜。月光。くもりぞら、ほしのあお」。

これらがオムニバスになりながら、初めの「冬の夜」に登場した長谷川一馬と荒木千童(ここでは彼女の姿は一瞬しか見えなかったが)が、最後の3つのシーンで再び登場して、クリスマスイブの夜の別れへ繋がっていく。
秀逸な私小説を読んでいるようだった。

はたもとようこが首を絞める「シメルオンナ」と江口恵美の「ひどい話」はブラックユーモアに満ちていたし、この2つがあることでステージに起伏ができて小品といえど終了後の満足度がアップする。一番心に残ったのは荒木千童がラストで洗濯物を畳む手際よさ。それについてのどきりとする告白。

3/16(土)

トリイアワードをすっかり忘れていた。近鉄小劇場で北村成美などを見てきた岡山の大森誠一さんに気づかされる始末。でも、週末はさまざまなことがぶつかる。年度末はそれに輪をかける。学生にとっては春休みなので色々見れるチャンスだから、上回生になれば京都橘女子大学文化政策学部の学生達も関西に残って活動するようになるだろうが、いまはもったないなと思う。

そういう面では大阪市立中央青年センターにアルバイトしていることもあって、OBPプロジェクトを担当した川上牧世さんは、地味だが地元大阪の動きについてくるようになりだした。衛星のミュージカルはどうだっただろう。

『シベリアをわたる風〜トゥバ共和国、喉歌(フーメイ)の世界へ』長征社(神戸市の出版社)、1999.7。BOOK OFFで彼のサインがあるものをゲット。ちょっと笑える。

出版した当時、大阪大学大学院生で民博の特別共同利用研究員だった等々力政彦さん1965年生)とは、94年に白州で会ったり前後して山形県白鷹町のアジアポップスフェスティバルで通訳の人として紹介されていた記憶がある。

そして、去年だったか、タルバカンというデュオの相棒、嵯峨治彦のコンサートでゲスト出演していたので等々力政彦も聴いていた。なんだか、巻上公一さん(第1子、開智くんのお誕生おめでとう!)を通してこういう喉歌の世界やトゥバの草原の話を聴いていたから、この本は個人的にもとても興味のある本となった。挿入されているフィールドノートも素朴で面白い。

あとがきに、等々力政彦自身のことが書いてある。スローな生き方の若き実践者であると思う。
《私の学校時代は、ずっといじめられっ子だった。学校の勉強もほとんどできなかったため、高校卒業後も中途採用の就職先を転々とする、いわゆる落ちこぼれだった。しかしどうしても生物の勉強がしたかったので、ジュース工場で働いたりしながら自分で勉強して、人よりだいぶ遅れて大学に入学できた。
《そんな私にはシベリアの先住民族たちが、周辺の民族に翻弄されながらも生きている姿を、やはり落ちこぼれの姿とダブらして見てしまうのである。そして自身の存在を、ときには堂々と、ときにはちまちまと狡賢く主張している姿に、共鳴を覚えるのである。》

明日は朝から出かけるので、観劇速報に今日観たお芝居の一口メモをアップする。
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dots『シムヒカリ』内容:映像とパフォーマンス、音 見どころ:浮かび上がる蛍光色 総合:☆☆☆
映像には優れた資質が充満していました。ダンスとして見るとまだまだ。実験的なチャレンジをもっと進めて欲しいしできる集団だと思います。
02.03.15-02.03.17 神戸アートビレッジセンター 3/16m

MONO『橋を渡ったら泣け』内容:終末的コメディ 見どころ:リーダーの交替 総合:☆☆☆☆☆
MONOほど変わらずにある劇団は少ないと思います。時代がより彼らに近づいてきているだけで。聖書のことを考えさせられながらそこに止まらない。一神教でない展開に共鳴しました。
02.03.15-02.03.17 近鉄小劇場 3/16s
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dots『シムヒカリ』15:23〜16:05。15分ほど開場(開演はほぼ同時)が遅れる。3人ずつ鑑賞者を暗闇へと移す作業は慎重に行われる。怪しいものはないが、鑑賞者の体験を大切にする配慮された導入だ。

京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科にいる桑折現(今回も構成演出)ら4人により結成され活躍しているdotsを、やっと観ることが出来た。迫力のある映像(岸上正義、新庄誠二)が4面の壁に映し出され夜景のハイウェイなどに連れ出してくれる。

音響(土井新二朗)では、イヤホンが座席に用意され、直接鑑賞者の耳元に音が震え響く(イヤホンを外しても聴くことはできるが、映像と相まって動いている生の3人の身体が目の前にあっても幕がかかっているような錯覚を覚える。イヤホンの効果が上手く出ているわけだ。

このようなパフォーマンスの大きな問題は、別世界化された空間でどのような身体動作をするかという1点に集約される。NESTとか勅使河原三郎、ダムタイプなどで慣らされた者としては、どんな身体が映像や音響、蛍光色に浮かび上がる空間にフィットするのかという予めの期待、あるいは要求水準がすでに高くなってしまっているという現実があるのだ。

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MONOには一貫した喪失感があると確信している。今回(19:05〜20:47)の第29回公演『橋を渡ったら泣け』もコメディをベースとはしている。だが、どんな危機的な世界でも変わらない人間の征服欲や仲間づくりの醜さ、仲間はずれを怖がるばかりにいじめっ子といっしょにいじめられっ子を作るという“業(ごう)”のような繰り返しが延々と続く作品である。

作・演出の土田英生がNHKに出ていたのを偶然眼にする。人を面白がらせたいためについた嘘を嘘でなくしていく半生をおもしろく語っていた。自分や友人達の嘘や意地や情けなさをもとに世界を創っているのだと思った。いつもシチュエーションの面白さがあるがそこに止まっていない。

地震があって世界中が海になった、聖書の方舟伝説にもなぞらえるしつらえにもかかわらずカインを追放することもしなかった。そして、最後に日本語以外を使う人たちがやってくることで、「するっちゃ」方言を禁止されてしまった元いじめッ子で前いじめられっ子の栗田(奥村泰彦)にも第3の道が見えたかのように思われてこのお芝居は終わる。ユダヤ-キリスト教的な神話世界は得意でない自分ではあるが、今回の作品には違和感が少なかった。

類似の舞台設定は寿歌はじめいままでも多いから、そういう面でのMONO的なユニークさにはいささか欠けるという見方もあるかも知れない。ただ、自分が初めてみた野宿者たちの物語から鉄塔にいる男たちの話まで、MONOの設定には一貫したパターンがあるはずで、それをきちんといつか考えてみることが必要だなあとも思う。

3/17(日)

森ノ宮近くの居酒屋で2次会まで参加し、深草のホテルに行くというNPO法人アーツワークスの鈴木英生さんを山下残さんに託して家に帰ると声が出なくなっていた。まつおかずひろさんからいい声になる秘訣を教えてもらって、実際に舌を出してやったりしたのになあ。おかしい。

まあ、それは風邪が治っていなかったのにビールを飲んでは打ち上げ独特の高揚感に浸っていて声を失っただけなのだが、【「声」の祭典〜アートな気分で声あそび〜】が、大阪市立中央センター青年芸術文化劇場として開催された打ち上げの結果だから皮肉だといえば確かに、そうだ。

13時から16時までのたった半日のフェスティバルだったが、少なくとも半年の準備期間があった。私の研究室に、中央センターの本田さんが全体の構想の打ち合わせにやってきたのはまだ大学の前期の頃だった。そこから9月にアートマネジメントセミナーがあり、その最後に信太山青少年野外活動センターに宿泊した受講者たちがシミュレーション的にプレゼンした発表プランがこの企画の元となった。

従って、ちらしには、主催/大阪市立中央青年センター、制作/NPO法人芸術文化ワークス、企画原案/中央青年センター「アートマネジメントセミナー」宿泊研修企画グループと書かれてあるA3版二つ折りのチラシを開くと「市民プロデューサーメンバー」として個人名がすでに出ている。

つまりは、このセミナーの目的だった「めざせ、市民プロデューサー」という副題がここでその第1歩として実現されたともいえる。デスク:前田直也・槙邦彦(そうはいっても二人とも制作企画歴はすでに持っている)、舞台監督:田丸隆生(彼もマジックランプの中心人物)。そして各アーティスト担当プロデューサー補:川上哲・栗原果絵・小関皆乎・澤田麗・辻本由美・南園ゆり。

10時に行くとすでにみんな準備に取りかかっていた。金曜日に案内の紙コップなどがすでに設置されている。紙コップアーティストLOCOさんの参加によってセンター内のサインのデザイン的統一は実にスムーズになっていたわけだ。案内のボランティアも紙コップを2つ紐でつないで首に掛けている。

昨日にはトリイアワードで北村成美などに目を見張り、そして夜には一緒にMONOを近鉄小劇場で楽しんだ岡山の大森誠一さんがここに訪ねてきてくれて、鈴木さんを紹介する。大森さんは午後はカラビンガで桃園会なので準備風景を見てもらう。

アートサポートボランティアを募集していたので、朝にそれぞれやってきて各アーティストの準備を手伝う。小島剛さんのボランティアは、現役の女子高校生二人組だったのだが、そのことに関わり、打ち上げの話題として異様に盛り上がるものになった。

彼女たちは、セーラー服で来れば良かったですねと平気で言ってみたり、チラシのキリンの色塗りをしていてこれはグロ!とか言い合って、なかなかにそのノリがおかしい。だいたい、小島剛としては、参加者にこびているのではないかと当日まで迷ったブース出店「プリクラCD」だったが、その名称に彼女たちは反応したのだろうとみんなから言われていた。

11時に2階のロビーに集まって開会式(顔会わせ)。福井県今立町の人たち(商工会青年部だったかと記憶しているが)が4人も参加してもらった。一般参加でもあるが視察としての意味もあり、そういえば紙の公募展の歴史を持つ今立町だから、今回の企画は、紙コップや「折り紙言語」はじめ関係が深いものが多かったから、今立の参考になったのではないか。いずれにせよ遠方からの参加はとても嬉しかった。

13時からの開場という告知をしていたが、年輩の二人組が1階の受付横に座って待っていたこともあり、12時半の開場とともに観てもられるものが出来ていたので、それを受付で案内することにする。入り口の案内ブースにはセンターのアルバイトの若い男性と川上牧世さん(場内放送も担当していた京都橘女子大学文化政策学部の学生)がいて、こんじょ二人がチラシを渡し、3つの会場はもう開いていますと知らせることにする。

開場しているのはLOCO「糸電話の美術展」(大小色とりどりの糸電話が大きな会場にぶら下がっていて、途中で賑やかな音楽演奏などがあった。あとコップ人間になる被り物は実際に頭を突っ込むとインパクトあり)、無声映画(東京からの4人の参加。氏家裕太ほか、7階の第1ホール)、4階の視聴覚室ではラジオデイズのコンピュータ作品、これはパソコンから流れる指示に従えば一人で遊べるので人気。

(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記329.330」をみてください)


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