こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.7



158) 7/5〜7/7


7/5(金)

朝に来週木曜日の最終講義「アーツ&セラピー論」のレジメを珍しく作った。
------
【アーツのお届けとエイブルアーツ】
〜福祉施設への「アウトリーチ」、「可能性の術」としての芸術〜

1.スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド〜富山県福野町
スティールドラム〜「アウトサイダー」楽器として。音楽/料理/を通した交通〜アーティスト・イン・レジデンス。町立文化施設「ヘリオス」の米田聡(アーツマネージャー)。

2.野点〜きむらとしろうじんじん
楽焼とお抹茶カフェの出前〜コミュニケーション型アート。ドラァグクイーンのメイクに派手な衣裳。「アーティストは先生ではなく、素材を提供し、人と人が出会う場を設ける媒介者として存在する」(『社会とアートのえんむすび』ドキュメント2000プロジェクト実行委員会)

3.高齢者ホームへの出張〜ART DELIVERY
現代美術画廊を閉じた並河恵美子による芸術のお届け。「アーティストとホームのお年寄り達、園の職員の皆様、そしてボランティアの方々、見学者として参加した人たちのすべてが共有した、あの場での時間は、生に対する精神的な何かでした。言葉では明確に表せない宇宙的な力、心の治療力のようなものを互いに交感できたんではないでしょうか」(同上)

4.劇団態変『マハラバ伝説』伊丹アイホール 2002/02/02
エイブルアーツの極北(ref.すずかけ絵画クラブにおける、はたよしこ、川原里依子の存在)。身体障碍者だけによる劇団、黒子の役割の重要性。障碍という個性の固有性から紡ぎ出されるステージ

5.まとめ
○芸術のアウトリーチ、まちに出たアート(パブリックアート)、コミュニケーションを誘発するアーツ
○芸術は水だ〜渚や川辺に遊ぶ心 変幻自在 渇きを癒すこともあれば、溺れさせる力も持つ。芸術菜園と菜館づくり〜自家栽培のアーツを自分達でゆっくり料理して楽しむ
○限界芸術、アウトサイダーアート、ABLE ARTS、人生の可能性を引き出す術(すべ)
○リアルの復権 文化政策としてのユニバーサルデザイン
○未来はまだ定まっていない(「未来は僕らの手の中」ザ・ブルーハーツ)
〜予測可能で計量可能な(効率と非人間的制御の)ファーストライフ化社会からの離陸〜
-----


大学では文化政策事例研究の発表が今日も行われて、ライブハウス2組とアーツカフェ組がそれぞれ工夫しながら発表した。聴いた音楽を流しながらのライブハウス2組の調査は、磔磔とミューズホールが対象。

一方、カフェはルゴールにアンデパンダン、そしてさらさ(町家改造カフェの老舗ということで)に結局なった。まだ、固有のアーツカフェ論にはなっていないが、インタビューを質問をする方と答える方に分かれての発表が楽しかった。少し調査したりシネマカフェ構想を提案したり(これは後藤さんのアイディアを学生にアンケートするというものだったが)する面白さが分かってきた感じがする。

いままでの発表もけっこう残しておきたくなって、急きょレポートづくりを彼女たちに自発的にやってもらおうと思い、掲示板に以下のような形でアップする。
-----
これは自発的な提出です。形はA4版(縦位置)横書き、原則ワープロ(本文10ポイントぐらい)ですが、手書きの図やスケッチ、写真(でもモノクロ)もオーケー。枚数は1〜6枚まで。両面コピーで横とじしますので、左右には余白を空けること。グループ単位(感想などの個人意見は名前を明記すること、なお個人用を作りたいときは自分達で)。構成は自由ですが以下大体の感じを書いておきます。
1)はじめに(この場所を選んだ理由やメンバーの担当など経緯)、2)アーツプレースの概要(調査対象のほか、一般的な概要を調べたのならそれも)、3)アーツマネージャーインタビュー(質問と答え)、4)研究のまとめ(感想や反省、これからすべき研究課題なども)
-----


balでコムデギャルソンのバーゲン。20日からここを撤退して別のところにオープンするコムデ。20年ここbalにいたという。それぐらい前にここで買い物をしたことを思い出す。

そしてすぐそばのアザーサイドへ。ちゃんとここで聴いたのははじめて。縦長のお店だけれど結構落ちつく。回りに対して音の苦情がないという面ではいい場所ではないだろうか。はじめに、青木マリさんともタイバンする昭和ラジオ。弾き語りによる女性の演奏。

昭和という時代が懐メロになることを痛感する。彼女自身は同世代ではないにしても。かつてあったキャバレーとかまちのネオンとかがバーチャルながら思い出されるし、男関係もけっこう昭和な歌詞になっている。レトロ狙い。彼女は髭フェチらしい。雨が降ると愛してくれる男の歌。隣のアパートのネコの名前が「ノブ」というらしいが、これはいやだ。

続いて、月下美人。岸田さんがプロデュースしオープンした曾根崎ジンジャーマンカフェでは、6月下旬に思いたって改名したかなお(旧かなこ)のソロ(パーカッションつき)があって、はなが聞きに行った。

今日は3組がでるので、月下美人で8曲というのはちょっと少ない感じはするが、いつものグルーヴ感があって気持ちよい金曜日の夜が更けていく。
1)マッドマッドサマー。熟れた果実の匂いする夏がきた!低音の響きが結構重い。

2)花畑。アスファルトの上で思うんだ、あなたの土は肥沃だと。片思いの歌なのにそれは全面に出ないで、なかなかに詩的なイメージを広がせる歌。透き通っていないのに分かるんだ・・。ゆっくりとギターがかき鳴らされる。

3)ギターという歌。これも2)と同様はじめて聴いた曲のように思う思える。哲学的というと難しくとられてしまうが、音楽的に極めて内省的なつくり。ベースがとても慎重にかつ丁寧にギターを支えている。

4)ライオン。馴染みの曲がくると少しほっとはする。「鳴り響いているよサイレンス」などというきらりとした歌詞に改めて耳をそば立てる。
5)赤い土。むいてもむいてもたどり着かない果物ね。この歌詞はつい口ずさんでしまう。ふたりも一番動いて歌っている。楽しい足踏み。

6)シンプルを生きたいな。天国という題名だったか。何とかヘブンというのだったか。逆立ちするのはとても難しいしそうしても届かないものへはどうやって背を伸ばすのだろう。
7)はじめて旅した国の言葉は・・・・ごめんなさい、だんだん眠くなってきていて、メモがこれだけになっている。たぶんはじめて聴いた曲ではなかったか。

そして最後は8)フレンチドレッシング。月下美人のなかでは愉快でアップテンポの曲が続く。20:24〜21:07。
そのあと、大阪から来てここがはじめてのサフランという名前の男性の弾き語りの人が出たが、かなり草臥れていたので(とても蒸し暑い一日でした)、3曲聴かせていただいて(お年寄りは)退散した。

7/6(土)

はなと二人なので、なんだかよくしゃべり合うようになっていた。今日も行く前に、もときさんが撮してくれたはなの写真集を見せてもらう。八幡もこうして撮すと電信柱も何もない河原が広くてなかなかいいところのように見える。いや、結構実際にいいところだよねえ・・と。

帰ってからもカンディンスキーの話(=えいちゃんが来週韓国に行くよなんて雑談から)、クレー(これはまあ私達が大好きだからその作品は小さいときから無意識に見ている)やモンドリアン、ミロ、デシャン、シャガールの話をする。彼女は、シャガールってちびまるこちゃんに出ていることでしか知らないと言う。そういえば、さきとは(タレルやネシャットを見に彼女と一緒に行ったし)現代美術の話をよくしたように思うが、はなとはほとんどしなかった。だから、そういうことに興味があったのかなかったのかすら知らなかった。

さて、小さなもうひとつの場所第6回公演『もうひとつの飼主』(別役実・作)。出演/広田ゆうみ、演出(舞台・照明・音響)/藤原康弘、宣伝美術/大島尚子。京大そばのスタジオヴァリエ。

もう少しお客が入ってもいいと思うのだが(学生前売り900円!)。面白いのは子供(小学生以下)の入場と、開演後の入場をお断りしている点だ。そういう面では、始まる前いちゃついていて、始まっても女が退屈なのか(不安だったのかも知れないが)頭をひっつけて目一杯いちゃついているアベックがいたが、結構そういう小さな違和感が劇に集中していると大きな不協和音になってしまうことに気づく。

見苦しい感じまではしないが、何かが起きたことを暗示するのに十分なぐらいは乱雑な室内。大きくないボロアパート。でも、猫が餌をもらいにやってくる窓があって、そこは狭い通路のようだが、ここだけはかろうじて外気に繋がっているのは確かだ。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記363」をみてね)

はなのライブで会ったニットキャップシアターの女性がヴァリエでお芝居を見ていて、話しているときはどういう人だか顔を覚えているのに思い出さずにいたが、京都国立近代美術館に着いた頃に思い出して、それで今日はお一人ですか?と聴かれたのかと合点がした。

ところで、川越しに見るときから、美術館のロビーが騒がしそうで、何でだろうと入ったら、目の前で森裕子と木村英一が踊っている。「KANDINSKY/DANCE〜impression-improvisation-composition」というチラシを眺めてここでもやっと合点なのね。何だか土曜日にいつもやっていると聴いていたんだっけ。あたかも駆けつけたようにダンスを観ている私。

モノクロームサーカスの連中以外に、黒子さなえとBove太郎が白黒の好対照な衣裳で踊っている、明晰な感じで。一方、石田陽介君は若草山の木登りと同じく四角いモンドリアン的窓に上り身体を使ってカンディンスキーしている。あと清水啓司、藤野直美もいた。

中西恵子さんによるとノーギャラという。うーん、それもそうだが、今度の東山青少年活動センターのダンスチラシとかを、見ている人のなか、はじめてコンテンポラリーダンスに興味持ってくれた人に渡したかった。それなのにここは友だちがすくないからかチラシが絶対的に少なすぎる。

何ていうダンスなのですか、ストーリーは何ですかと聴いてきた女子学生2名にあとで汗を拭いているダンサーたちを紹介したら、普通の人たちだあとびっくりしていた。黒子さなえさんに頼んで、黒子さんが畳んで持っていた東山青少年活動センターのチラシを彼女たちに渡す。

カンディンスキー展はなかなかに賑わっていた。年輩の女性が連れ合いに「私は抽象画は嫌いだけれど、これは色彩がいいので大丈夫なのよ」とか話していた。

水分の多い抽象画面だ。赤い色はどうしても怖い血の色を連想させる。ロシアっていう故郷、あるいはそこの美術館に収蔵された絵画ということも手伝ってか、湿った情念に纏わる文化的土壌が感じられる。ロシア正教ということとも繋がるのかも知れない、抽象のなかの聖なるイコンとか。

あと、「あ・うん」のライブをフィールドというアイリッシュパブで見ようと思った。階下の美味しいカレーうどんを食べたりして待っていたのだが、だけれども、はじまりが20時に変更していて、待つのが余りにしんどくなり帰った(同時間に、築港赤レンガ倉庫で4チャンネルというサウンドアーツもあったし、ジーベックでもやっていたのだが、まあ、はなと美術談義をしたからそれもいい土曜日の夜であったといえるでしょう)。

7/7(日)

朝、JAM Westの24回例会。若手の発表企画だったが、関西学生アートマネジメント会議の直後だったから、入りも少なくどうなるかと思った。が、松本茂章さんがOBPアーツプロジェクトを話し、森亜津子さんが企業ミュージアムの研究の途中経過を説明。最後に林睦さんが音楽のアウトリーチの話をする。

森さんに意見や質問が集中して大変そうだった。ミュージアムマネジメント学会で発言すればいいのにと思う意見もあったし、私も彼女の発表をけなすつもりではなく、一般論として、ホールスタッフなどによればアンケート公害みたいに似たような質問がよく来るから、蓄積した研究の相互利用が必要だと話しておいた。

こういう形の調査研究をアカデミックなところでは要求するのだろう、客観性がないといままでは論文にならないからなあ。ただただ分析が緻密でも、もともと想定した常識的な傾向を確認するのがアンケート調査の実体である。

論文の質よりも量という発想は、いま読んでいる本(ジョージ・リッツア『マクドナルド化する社会)のなかでは、大学のマクドナルド化現象の例示となっている。

14時から、同じ元中華料理屋の個室で、ロシア詩人アイギ(チュヴァシ民族)の話と朗読があった。狭い部屋なので椅子がいっぱいで、私は元厨房から声だけ聴いていた。詩を訳している人が関西弁で朗読。

私は通訳が必要な外国人のトークは苦手で、なぜなら、時間が倍かかるし、通訳のすでに知っていることしか通訳出来ないという翻訳の限界がそもそもある。ただ、今回の通訳さんはなかなかに安心感があるやりとりを制御していた。

交流会の途中まではおつき合いした。ここで裏方の勉強を学生がしていることに結果的になっていて、少しずつよりスムーズに運営できるようになるだろう。七夕なので受付の人などは浴衣を着ていた。交流会での質問すら固いので、ミーハー的に食べ物の質問をして少し和ませたつもりだったが(アイギさんの奥さんの料理はずべて美味しく日本の魚も美味しかったらしい。ロシアでマクドナルドを一度食べてとてつもない珍妙な感じがしてその後二度と行っていないとアイギさんは話す)、また次の人の質問は固くなっていた。

まだ終了はしていなかったがぼちぼち帰る。途中、京阪京橋で3枚ほど安い無地のTシャツを買い、早く帰ってNHKで信長が本能寺で死ぬのを見た後、はなと彦星を探しに外に出かける。が、パチンコネオンやゴルフ練習場のあかり、それにうちのマンション自体が明るくて、八幡では少しだけ星が見える程度。でも、そもそも今日は七夕なんていうことに気づくだけでも、珍しいことなのである、私にとっては。


KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る