こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.12



206) 12/20〜12/23

12/20(金)

二人の来訪者。お一人はピアニストで研究者、小さな娘さんのお母さんでもある人。初対面だし、どんな形で彼女と関わっていくのかはそんなに早急に結論づけて彼女に決め手もらう必要もなく、まあぶらりといらっしゃったことが大事だと思うけど、できればアーツマネジメント世界で彼女ともいろいろやっていきたいなと思う。幼児との音楽楽器ワークショップなどはきっと作ってくれそうだし。

もう一人は美術作家の片岡健二さんで、高校の仕事がなくなるし何か自分が出来ることを探していて、だったらホントにささやかだけれどぼくのゼミのお手伝いをちょっとしてもらおうかなあと話す。ワークショップの提案書を書いてくれるそうで、それを見ながらどうするか考えようと思う。ただ、高校生と4年間美術を通しながら向かい合っていた経験が生かせるならば、彼はきっと、うちの大学やOBPアーツプロジェクトの新しい動きにも役立つと思う。

昼休みに京都橘女子大学文化政策研究センターの運営委員会。岡山文化政策プロジェクトは教職員が個別にどんどん関係が広がって、逆にチームの意味性がなくなったこともあり、当初の3年間ではなく今年で終了しても目的を達したと思われるので(少し事業を整理して骨太にし新しいプロジェクトの隙間をつくる必要があるので)、その報告書を書いてとりあえずセンタープロジェクトとしては終了することで決着(岡山市の文化政策課の門田さんはきっとこれを読んでくれていると思うのでここで連絡しますが、でもセンターとか大学と岡山市役所との関係は従来通りちゃんとやっていきますので、ご心配なく)。

13時40分から、9502教室で1回生のまちづくり報告を聞く。こういう授業に参加するのはいいことだと去年も思ったし今年も思った。夕方から20時まで岡山プロジェクトの報告書を書いていたので、「風まかせ人まかせ」のクリスマスライブ(山村誠一スティール・パン+山田裕7thギター+赤松洋一カバキーニョ)には行けなかった。インターネットをしていないのでこれを見ていないとは思うけれど、松井寛子さん、ごめんなさい。

12/21(土)

今日で京都橘女子大学は終わり。月曜日の授業が少ないのでこの土曜日が月曜授業の振り替えになっている。ただ、オープンキャンパス日でもあるので、地域文化行政論第10回は、いつも使っている234教室が使えず145教室に替わったが、そこでのパソコンの接続に難儀した。

後半は少しリラックスすることにして、小さい子ども向けのアニメ番組と、マンガの中では極北と思えるしりあがり寿の「弥次喜多in DEEP」3巻より「ヤマモクさん」をみんなで読む。あんまり解説しないで感想文を書いてもらったが、これが芸術についての考察になっているよなあとつぶやいていると何となくそうだなあと感想を書いている学生もいた。

《「おいらは毎日ここにこうして生えていてさ・・」「ホントにいろんなことを考えてんだよ」「なぜおいらがヤマモクさんなのかとかさ」「そもそもダレがおいらを生やしたかとかさ」「お星様の具合やおてんと様のごきげんや」「正確に半分コするにはどうしたらいいかとか」「鳥は飛ぶとき心も飛ぶのかとかさ」「なにが先でなにが後かとかさ」「ここがどこで『よそ』ってのはなにかとかさ・・・」「なのにさなのにさ」「結局何ひとつわかんねえんだよ!!」・・》

その前に、つぶやくヤマモクさんのアフォリズムもふざけているようでなかなかなのね。つまり、“ボクらのリアルは虫の息”って。今の世の中、何がリアルで何が幻かが分からなくなりがちだということとともに(でも「鳥の王」のようにリアルを一義的に決めてそれ以外を排除するのではなく)、虫の息を聞くような意識の集中が、押しつけでないそれぞれにとってのフラジャイルな「リアル」体験となるという、じつにアーツ的な意味合いがダブルで感じられる名言なんだなあ。

京都の出版社の方が来て、前に渡していたぼくの原稿を返しつつ、これを出版するかどうかを尋ねる。とりわけ、論文と新聞エッセイなどが一緒というのは、ぼくが恥ずかしいことにはならないかという。どうしてかよく分からないように思ったが、ここでは散逸しそうなものが出版できることが大切なので、まあ論文中心に出そうということにした(2冊目の単著を出せることはやはり嬉しいことでもあるし)。

でも、エッセイなども解説を入れたりすれば、きっと関西のこの数年の具体的な芸術環境事情がよく分かるし、しんどいけれど最後にインデックスを作れば、アーティストの検索にもなるんじゃあないかなあと思った。これは3月頃に編集を行うつもり。出版計画を6月に提出して個人出版助成を大学からもらわなくちゃいけないから、そのタイミングで。

体裁は、新書よりは大きいけれど、掌大の小さい感じ。四六版並製というのだったか、ソフトカバーの小型のもので200ページぐらいになりそう。納谷さんか清水さんかどちらかにぜひカバーデザインを相談しようと思った。書店の方もブックデザインがワンパタンなので新しいデザイナーを欲しがっていたし(できればこちらから資金を出して、イラストを100%ORANGEさんに書いてもらおうかなと思ったりもするが、まあさきの絵でもいいかなあ?)。タイトルはとりあえず「アーツマネジメントみち」。「未知さがし、まちたずね」というものも考えていたのだが、まあこんなぐらいが塩梅かと。

夜はコンソーシアム京都で学内の文化政策学会という学生中心の集まりでの忘年パーティ。TAM研も○×クイズをやっていた。謝恩会みたいなものか。河原さんと、うちのクラスは1回生も2回生も気持ちいいほど参加しないねえと話す(去年も少なかったが今年はゼロ)。

ぼくは手拭いが34枚あることがクイズのおかげで分かる(あと数枚はまだあるようだが)。帰ると芳江とはなが年賀状を書いていた。ぼくはそれはしないので、その分、懸案の8000字ほどの論文と立命館のシラバスをできれば今年中にやってしまうことして、本の出版の方も前倒しにまとめつつ、年明けからは新学期のレジメづくりをぼちぼちすべきだなあと思ったりする。

12/22(日)

今年4月開館の兵庫県立美術館へ向かう。2度目。
今日はJR灘駅から出かけたので前よりはすぐに到着。でも。最短だと思って木のデッキを伝って2階から入ったが、その無意味で味気ないコリドールに辟易して、ここは二度と通るものかと思う。

それに今日はやっぱり堀尾貞治のインスタレーションに遮られながら1階の入り口へ向かうべきだった。ただ2階から少し海が見えた。ここは昔何だったのかと聞かれて分からないと答えたけれど、その質問を誰がしたのかといま思案している(そうそう、多分かなもり納谷パフォーマンスにふらりと入ってきたおじいさんだったかもなあ。でもおじいさんの方が昔の記憶はあるはずなのに・・)。

『未来予想図〜私の人生☆劇場』〜兵庫県立美術館-「芸術の館」-開館記念展。やなぎみわの部屋へ。うろうろしていたのでとっくに来ていた毛利家族の子どもたちが中央のマットに靴を脱いでくつろいでいる。毛利さんが出かけるというと一人の女の子がもう行くのと残念がっていた。
(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記408〜410」をみてね)

やっと企画展を見終わって、『びぶんおん』(かなもりゆうこ・納谷衣美パフォーマンス)の会場であるアトリエ氓ヨ向かう。12時半からがこの第2回目だ。チラシが真っ赤なリンゴだったのに対して当日パンフはつぶつぶのある青緑リンゴである。重ねるとぴったり。

ぼくはこの回、少し出遅れたこともあって展示場と同じ白いふわふわのベンチに座らないでサーモンピンクに四角く切り取られた座布団に座って、12:31〜12:55までのパフォーマンスを見た。まずライトを動かしたりスライド操作をするかなもりさんが挨拶と解説。

始まるまでのBGMは赤いBOSEのスピーカーから流れるカンツォーネ。サンタルチアなど。(詳細はアーツ・カレンダー「こぐれ日記411」をみてね)

大阪市立芸術創造館でタントリズムを見させていただく予定だったが時間も過ぎてしまい、また悪いことをした。本当に久しぶりに野田の実家へ行く。ずっと親父が風邪で苦しんでいたということは聞いていたが、やはり5キロ痩せていたからかなりしんどかった模様である。どうして食事が細ってしまったのかは医者でも分からないが、一緒に夕食を取るといつもよりは食べたので、ちょっと回復過程にきたよう。年賀状をワープロで打ち出す作業をやっていて、ぼくが来たからか、最後までやり通していたからまだ気力さえ残っているなら大丈夫だろうと思う。

12/23(月)

昨日は久しぶりに実家へ行っていつもよりは気を使った。それでも自分の研究のこともあり、仏壇で位牌をよく見たり近くの葬儀屋のこととか、いつも来る近くのお坊さんのことなどを聞いた。お袋自身の葬送の希望は聞いたが、親父はいましんどいのでそれを聞くのは避けた。元気になったらうまく雑談のように希望を聞いておこう。

お袋は葬式は近くのコミュニティセンターでしたいという(近所の人がお寺さんでして階段が多くて難儀した人が多かったというのがその理由のようだ)。いつも民謡や大正琴を習っているところだから、来る人も気楽にいけるし、こういうところだと香典を断るのも容易いだろうと(ただ、わざわざ来てくれた人へは心のこもったものを渡したいともいう)。戒名は親父のお袋よりも立派にはしないでおくことと言っていたので、いまからお坊さんに話し、自分も参加して考えるようにしたらいいんじゃないかと話してみる。

お袋が毎日日記を書いているのをみせてくれて、たまげた。かなり大きなノートの真ん中にかわいいと思ったイラストの写しとか、庭の草木の描写とかが描かれていて、それを取り巻くように字が記されているもので、毎日欠かさず書かれているから、迫力がある。イラストは先に先にと気に入ったものをあらかじめ描いてあるから文とは一致しないのだが、何だかこれらも使った彼女や親父の展覧会を生前にしておくことも検討すべきじゃないかなとも思う。生前葬ではないが。

今日はまるで外に出ないで、22日の日記を書いたのみであとは、しりあがり寿や近藤ようこを読んだり、ボブ・ディランを聞いたり、芳江が年賀状を刷っているのを冷やかしたり、何もしない1日を過ごす(ホントは論文を書くつもりもあったのだが、やめた)。

朝の4時頃に一度夢で目覚めたのだが、その夢はクラリネットの夢で、ぼくはクラリネットの名手と言うことでみんなの前で模範演奏をするというセッティングなのだが、実は音も鳴らせないことを自分は知っていて、困り果てていたら目が覚めたもの。親父がクラリネットをずっと吹いていて一度だけラジオに出たりしたということをその夢を見て思い出した。

もう一度寝てたら今度は射撃をしている人の的になる夢を見た。的になるのだから死ぬのだと思うと怖くて逃げようとする寸前で目が覚めた。これはペルーのテロリストを処刑したのではないかという事実を巡っての裁判が行われているニュース(頭蓋骨が映っていた)を見た影響なのだろう。


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