こぐれ日録 KOGURE Diary 2002.4



131)4/1〜4/4

4/1(月)

さきは、昨日山梨へ戻った。
はなの掲示板(http://8544.teacup.com/hanachan/bbs)に【さくら ふわふわ /東京、吉祥寺、やきとりのいい匂いの中、今年もひとり。さくら、咲く。京都、せっかく帰って来たのに、はな、遊んでくれない。さくら、咲く。春は、淋しい。今日のパスタはかたすぎた。あさり、塩抜き忘れた。明日は、山梨の桜見に行く。さくら、咲く?  じゃあね。】という書き込みを残して。

芳江が今日、さきの下宿を探しに山梨県竜王町へ出かける。さきの引越の手順をはなに説明しながら、いつも春は引越ねえ、とため息をつく。さきは桃花村の連中には、お母さんに探してもらっていると思われたくなくて、必死に不動屋さん回りをしている。

自分で決めて最後は辛抱しきれずにそこを出る、そんなことが続いてはいるが、彼女の居住についてのこだわりはかなり変なので、こちらもなかなか口出しできない(新しいとか便利とかそういう基準ではないし)。

こちらは、午後から大学へ。文化政策のみんなは健康診断をしている。こういう日は少し恥ずかしい。先生、というから振り向くと、シャツのボタンしていなかったりするから。木下先生からプリントゴッコをいただく。植田さんは区役所の税のアルバイトに精出していたらしい。彼女は公務員について興味があるのかも知れない。一等始めに、私文化庁に行こうか?と脳天気にゼミで話してくれてのけぞったのが彼女だったからなあ。

川上さんが『OBPアーツプロジェクト新規スタッフ募集』(説明会4/13)のチラシを持ってくる。9日には立命館の講義にも配ることにする。このチラシには事務局代表の源河君の大阪芸術大学の名前とかうちの大学名が載っていないので、きっと牧世さんが恥ずかしがって入れなかったのだろう?と聞くとそうじゃないと言っていた。まあいいか。

4/2(月)

京都橘女子大学の入学式。今年は吹奏楽が入り、オリターたちが歌を先導して歌う。
去年より余裕をもって臨めた。文化政策学部もこれで倍増するし、やっと先輩後輩ができるのだ。去年に比べてもより付きそう父母などの姿が多い。京都観光には最適だからだろう。

13時から、はじめてのクラス懇談会。21名のところ、1名がお多福風邪で休む。仙台、山形、静岡2名、福井、鳥取、岡山3名が関西以外。関西でも奈良2名、三重にも分布している(兵庫県出石町出身は関西といえど下宿だ)。ただ、文化政策学部はほかの所よりも(たぶん去年よりも)関西比率がそれでも高いということ。オリターの辻さんと飯田さんがてきぱきとはじめの自己紹介などを誘導する。私のゼミは12名。3で割れる数字にしてもらってありがたい(たまたまだったらしい)。

組合主催の夜桜。いろいろ飲んだせいで、2次会でダウン。車で八幡まで連れてもらったようだが、翌朝目覚めると額に傷。手ぬぐいを取っていたのかも知れない。
あと鞄がくさくなっている。はなにも迷惑をかけたようだ。ほんとに好事魔多し。清風館の絵の件でどくろを巻いていたのは記憶があるがもっと変なことをまたしたのだろうか。

4/3(火)

大学の坂がえらい。汗ばむし胃液しかない胃がきしむ。9時から池上学部長の講話と専任教員の紹介。聞いてばかりで疲れていると思ったので、私は話の初めに背伸び。小林先生を引用して「肉体関係」と直前まで言おうと思っていたのに言い忘れた。何だか、脱力的な話しぶりになる。

昼休みにAO入試で入った学生にレポートを返すこともあって、ゼミとは関係なく新1回生たちが私の研究室にやってくる。さっそくマンガに没入する子、ぼくの演劇のチラシファイルを眺める子。チラシを自宅の自分の部屋には、いっぱい貼っているというぼくと同じような趣味の子もいる。いまは何でも嬉しいからだろうが、ノリはよさそうだ。

酔ってどこかでぶつけ(八幡の石畳か)傷になったおでこが痛い。今日は手ぬぐいが包帯であり笑える惨事のカモフラージュである。学生はこのあと英語テスト(クラス分け)があり、午後から受講のガイダンス(中谷先生の説明。私もよく知らないので聞いていた。難しい)、15時10分から資格の説明と続いて、16時40分までかかる。

C.ダグラス・ラミス『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』(平凡社、2000.9)。この本はこぐれ日記にもアップした『スロー・イズ・ビューティフル〜遅さとしての文化』(辻信一)によって知った。そして同じく、小さくシンプルで可愛い装幀の本。

ダグラス・ラミスの「しゃべり下ろし」なので平易な読み物となっている。「覇権をとったタイタニック現実主義」は、実はリアルではなく、グローバリズムというタイタニック号内(経済成長至上主義)だけに通用するバーチャルなものに過ぎない。外部の氷山の存在はすでに警告されているし、いまもごつごつとこの経済成長というタイタニック号は当たっている。

その氷山クラッシュとは、自然環境の破壊だったり、経済至上主義によってなくなろうとする文化の多様性、市民の自由時間だったり、すでにぶつかる音は聞こえ、ぶつかって氷山がなくなる姿は見えている。が、タイタニック号の船長はエンジンを止められない。このタイタニックのなかではそれは非常識だからだ。前に進まなければみんなの仕事がなくなるし、船(自分たちの価値世界)の外にはリアリティがないからである。

この象徴的な話をもとに、政治(民主主義と軍隊)、経済(労働と消費)、自然環境(種の絶滅)、文化(言語の絶滅。いまある5100種の言語が2世代先には100ぐらいしか残らないだろうという予測もある)に話題が及んでいる。

「共動詞」としての「develop」を考えよう(対抗発展)というのも新鮮だった。もともと「develop」(発展/成長する。本来は包まれたものが「ほどかれる」という意味で蕾が花になるという風に使われる)という動詞は自動詞だった。ところが、1949年のトルーマン大統領就任演説で他動詞として使われた。つまり「未開発の国々」を発展させる(開発する)という使い方をこの「develop」でした。

「未開発の国々」とは何か。それはヨーロッパとアメリカの経済制度に入っていない、同じものを持っていないことを指した(だから、インドやエジプトのように文明の発祥の地でもそう呼ばれた)。つまり「近代化」の押しつけ。リッチという豊かさ/経済発展でやがて追いつくかも知れないという幻想の輸出である。

ランメルという人の統計を紹介している(「政府による死」)。国家によって殺された20世紀の人の数は、2億人。そのうち、1.3億人が自国民が国家の軍隊によって殺された(600万人のユダヤ人、スターリンが殺した=飢え死にさせた農民も含む)。また、殺された2億人のうち、1.7億人が戦闘員でない「民殺」であった。そして、21世紀になってもより国家による殺人が拡大しているのはニューズで明かなところだ。

最後の章は「変えるものとしての現実」。そのラストを抜き出しておきたい。
ホントは聴こえる音や声を聴こえるようにする、ホントはリアルな姿をフィクションで人びとのまえに浮かび上がらせる・・・・これは「人間の文化本来の発展」「対抗発展」をアーツはどのように担っていくのかを自分たちで考える入り口でもあるから。

《・・もちろん抑圧があっても平気だ、という意味ではありません。人間にはとても強い回復力があるということ、そして、「経済発展」と人間の文化本来の発展とはどれだけ違うものか、ということが言いたいのです。

《「植民地主義」→「帝国主義」→「経済発展論」→「グローバライゼーション」と名前を変えてきた弾圧の歴史のなかでも、人間の文化にはそれだけ粘り強い発展があった。それを考えるとき、文化の発展を押さえてきたその力が取り除かれたならば、世界中の文化がどれだけ多様な発展を復活させることができるか、想像できるはずです。

《そういう意味で、傷だらけの「放射能つきのユートピア」ではあっても、希望はあります。しかしこれはすべて、もし間に合えばの話です。》

4/4(木)

9時から2回目のクラス懇談会。この日は懇談会直後に事前受講登録があり明日は受講登録なので、もっぱらクラスの話題や質問は、単位の取り方、どの単位が面白いか難しいかの1点となる。これは、去年学習していたから戸惑ったりはしなかった。

新入生キャンプの親睦会の出し物は、北からリレー地域トークみたいなものになる。
これは、昨日、オリターの辻さんと飯田さんとで大枠を決めていて、中身は各小グループの自由とする。静岡の3人は夜のお菓子ウナギパイを誰が紹介するかで争っていた。ほかのクラスでは芝居があったり、パントマイムがあったりするという。どうしてか、私はこの企画ではまだ何かを企ませる気持ちが沸いてこない。たまたま、冒頭からは積極的なリーダーが見つからないクラスに当たったからかも知れないが。

健康診断が終わってから、クラスの中の4人がどうしよう、どうしようと言っている。入試課でインタビューと撮影を頼まれ、断っても断っても、へんに優しく勧誘されて(入試課の苦労は分かるのだけれど、携帯電話の注意をしたところだからそこに男性の声が入るのはなあ)・・・・と。入試広報は早く作らないといけないからどうしても1回生は入学直後の学生も対象になってしまう。高校の後輩に見せられない、高校の先生にがんばっているねと言われるのがいやだ、写真は特にいや。私はここが第1志望じゃないし、なぜ、自分が選ばれたのか分からない。説明して・・・。

泣きそうになったり、切れかかったりしている。入ったばかりでパニくるだろうなあ。少し落ち着いたようだったので、100%か0%以外の第3の道(51%)はないだろうかと聞いてみる。そうしたら、写真はいやだけれどインタビューはいいとなったり、何かくれるのなら仕方ないかという冗談ぽい話にもなる。

4人がしゃべっている様子をさりげなく撮られるのならいい、という意見もあり、これなんて提案型のいい条件「闘争」だし、いいじゃないのといっておく。
あとで入試課の人に聞いてみると、バスが出る!と言って「逃走」したということだったが、今後どうなるのか面白い連中だし、けっこう、本音でしゃべることができる状態だから、クラス懇談会はまあ成功だったといえるかも知れない。

13時からの研究会には出席できず(松政さん、ごめんなさい)、5月ぐらいに行うクラスコンパの候補をオリター達と探していたあとに、こんな話が起きてしまったのだった。

しゃべっているうちに、もし君たちが誰かのアーツマネージャーになってそのアーティストが写真がとてもいやだけど、マネージャーとしてはどうしても写真を撮ってもらわなくてはならないという事態が起きたらどうするの?とも話してみた。

(ここからは心の中で言ったことだけれど)それが出来ないといけないから、アーツマネージャーになるって大変なのよ。なりたいなら入試課の人の気持ちになって反面教師のつもりで条件をつけながら(たとえば写真を自分で選ぶとかゲラの訂正をさせてもらうとか言って)撮影に応じたら?・・・こういう話をするとアーツマネジメントをぼんやりしたいという学生が減って適正なバランスになるのかも知れない。

総務課の小久江さんと一緒に私学会館へ。京都私大公費助成推進会議。ここでお弁当(立派なもの、ただ、お吸い物に柚子ではなくレモンのかけらが入っていたと小久江さん。鋭い指摘だ)が出ると知らずに、お腹がすいていて昼に売れ残ったベジサンドを生協で買って食べてしまっていた、何かとドジだ。

立命館大学の取り組みがすごい(8.1万名の署名)ようだが、うちもなかなかにいい取り組みをしていて(1万名の署名)びっくりする。ぬいぐるみをかぶってくれますか?とある組合員さんに聞かれたのを思いだした。ぬいぐるみを来て署名を勧誘すると書いてくれる学生がいるほのぼのとした大学であることは間違いない。


KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る