Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》THE.FESTA OF VOICE-2

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3/17(日)
【「声」の祭典〜アートな気分で声あそび〜】大阪市立中央青年センターその2)

「声」の祭典のはじまり。設定されていたモデルコースの始まりは、13時25分。上田假奈代の「寝っころが詩」。

まどろむ食後、横たわる牛の優雅さなり。
水色の振り袖を着た假奈代さん。成人式の時に着たものだろう。
シンプルな企画だが、和室という特性を活かして、鑑賞者は座布団を持って思い思いに寝っころがる。予定よりも大勢がきたので、障子を開けて小さなへやにも寝てもらう。座るよりも場所を占める面積が大きい。夜にしたら靴下がにおったかも知れない。

朗読中、岡崎大道のタブラなどでうとうとといい気分になっていると(コンピュータ/ミキサーは小川泰典)、上田假奈代の白い足袋が目の前にあってはっとした。

頭を下げて、横たわる耳の形で耳の穴へ彼女の声、彼女の詩を聴くのもまた面白い。

身体がリラックスしているので、意味の連なりよりも音の響く部分や自分の身体のぼんやりとした重力との相関が強調される。当日に置かれていた紙をそのときに観ていないので、全部が朗読されたかどうか(もう一度公演があったから)分からないが、その紙に書かれていたタイトルはは、「肉屋の始末、股下ハウス、踊り場の詩、嵐電他短詩6篇、越境、砂々」。

「あなたに手がむ」という(應典院でのコモンズで初めて聴いた)かわいい彼女らしいフレーズのある詩が、「肉屋の始末」という恐ろしい詩の中だったとは今日初めて知った。

あなたはスカートを脱いで、まいかけを身につけただけになり、「儀式のような仕草で/冷蔵庫から森をとりだし/肉屋の始末をはじめる」という前半があったのか。「アメリ」を撮った監督(ジュネ)による初めての映画作品『デリカテッセン』の怖い人肉屋を思い出す。

そのあとモデルコース通り、「詩食会」(辻本真孝の詩があめ玉と一緒にお菓子のように包まれている)に参加して、そのあとは小島剛。でも、小島さんのブースは占い師のようにカーテンがされていて、なかなかみんなが参加するものではなく、一連の作業を公開する感じになったようだ。

自分の声(言葉)をマイクで言ってもらって、それを小島がコンピュータを駆使して変幻自在に加工、作曲する。

参加者はあとでCDにしてもらうか、その場で即興演奏してもらうかを選ぶことが出来る。小島さんはもっと暇かと思ったら、ずっと作曲し続けていたので、終わって打ち上げ会場に到着すると即座に生中を飲んでいた。中西恵子さんが来たのですぐに小島さんのブースに招き入れる。彼女は前もって用意していたように、ヴォイスパフォーマンスしていた。

ラジオデイズ「スカー」は、自分の「傷」についての自慢話をしてもらうことで、思いがけない詩的なことばを参加者から引き出す、という試み。荒木瑞穂さんが自慢していた、小さいときの傷にまつわる物語。ぼくも出張で転倒し骨折した肩の手術傷を見せたかったが、その機会はなかった。

グラスマーケッツ「ショート・ショート」(言葉と音楽の融合)には残念ながら参加できなかった。ちょっと「ポエ茶会」の参加(これも結局希望者が殺到したので替わってあげた)申し込みのため1fの受付に行ったついでに、帰りのお客さんに書いてもらうアンケート用のボックスを用意したり、全然見れていない二人の替わりに受付を少しだけ替わっていたからだ。

上田假奈代とラジオデイズによる「ポエ茶会」は、オリジナルなフェイクの流儀で鉛筆を拝見したり、口にくわえたりするものだったらしい。3人ずつ、何とかの間という部屋に案内されると、静かに、っとラジオデイズの人が格好で示す。あと、假奈代さんがどんなことをしたかは、またどこかでポエ茶会をやってもらって参加するしかないな。

7階では若き詩人二人、かみやひろし(21歳という、関西で一番アクセスが多い詩のサイトをやっている)とちょり(高校生、さる著名な家元の家の出)による折り紙言語によるパフォーマンス。折り紙で言葉を平面化する。みんな自由に色紙を並べていた。
子どもたちはここが恰好の遊び場になる。子連れ対応というのも大切だと思う。

小島さんとは違って山下残さんと手話グループの高校生「たけのこ」との関係は、練習をしたり終わってからもカラオケに行ったりと長いつきあいをしている。でも、大勢だと賑やかすぎて大変だったろうなと思う。でも、手話で歌を歌うという彼ら彼女らの姿は、実に新鮮な身ぶり言語としてぼくらの目の前にやってきった、創造するという意図とは別の地点から。

ぼくは伊丹アイホール公演「そこに書いてある」のリハーサルでは「たけのこ」部分を見れなかったからだ。アイホールでは歌詞は冊子に書いてあったので無音だったらしい。今回は、手話をする高校生自身が、独唱したりコーラスしたりしていて、その声もまた素敵だった。男女ともとてもきちんとした暖かい声、それも無伴奏の。

山下残の指揮ぶりはもちろんダンスとしての意識を伴っていて、手話をしている高校生もダンスとして自分たちの手話の動きも一体になっている。初めは意識的ではなかっただろうが、知らず知らずにステージを重ねるうちに分かってきているのだろうな、と思ったりした。一人、耳の聞こえない女性もいて、彼女が手話については指導的な役割を果たしているという。

あとで女子高校生に京都橘女子大学文化政策学部の話をしたら、私、就職組と言われたが、ダンスにはかなり興味を持った様子で、できればゴールデンウィークにそわかである残君の「マラカスを振りまわしたら、歌ができた」は見に行きたいと話していた。

16時40分に撤収も終わり(紙コップを切るのはとても面白いのでそれも撤収パフォーマンスとしてLOCOチームは人を集めていたはず)、簡単に乾杯して記念撮影をした。17時には退出。テーブルにお茶やお菓子を置きっぱなしにしてしまったのが気がかりだったが、時刻に遅れるとそれよりも大変だと前田さんらが言っていた、なるほど。


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